タイ側イミグレーションから車ですぐのマレーシア側イミグレーションでも問題なく入国審査を終えてペナンに向かった。 道はほとんど日本の高速道路と同じで道路の路面からは全然振動がない。 まさに鏡の上である。 でも、スーパー・カブが走行しているのが気になる。
しばらくすると日本の田園地帯のような景色が続いた。 旅行人の「海洋アジア」によるとこの辺はマレーシアでも有数の穀倉地帯でマハティール首相の出身地らしい。 看板や標識はマレー語で、ラテン文字表記なのでわかりやすい。
さらに2時間ほどでペナン島対岸の港町、バターワースでフェリー待ちをした。 鹿児島の桜島行きフェリーを彷彿させる景色だった。 結局PM5:30(時差+1:00)にペナン島、ジョージタウンに到着した。
コ・タオの代理店はPM2:30に着くといったが時差を差し引くと2時間の遅れなのでまずまずだろうがやはり代理店を通さないほうがいいのだろう。
町を歩くとミャンマー同様、イギリス風の建築が目に付く。 車やバイクの運転が乱暴で(歩行者を意識してない)ひやっとさせられることもある。 国際的なビジネス・タウンだからと思うがみんな忙しいのだろう。
宿は以前、日本人から教えてもらった桟橋よりのD'BUDGET HOSTELにした。 目の調子が悪いので部屋はWを一人占めした(18RM)。
夜のうちに保険会社に連絡して病院の紹介と予約をしてもらった。 翌日、受診してもらうと細菌性の炎症らしい。 その日は目薬をもらっておとなしく部屋に戻った。 薬の効果が出て、徐々に充血はなくなって1週間後に再診すると「1週間薬を続けて再診の必要はない」とOKをもらった。 やれやれである。 さすがに今回は保険の適用内なのでお金はかからなかった。
1週間見てみるとペナンの人はマレー系よりも中国系の方が多いらしい。 台湾語に発音が近い福建語がメインらしくて懐かしく思えるのだが、行動は荒っぽく感じる。 台湾人の方がのんびりしているような気がする。 所によっては中国人だらけの所もある。 あと、インド系も多い。(宿のスタッフはインド系) 彼らの方が愛想がいい。 もちろん、この国で一番多いマレー系もいる。 彼らはイスラム教徒なのだが、若い女の子の中には頭に被り物をしないタイ人みたいな格好をした子もいる。
見ていると同じ民族同士で固まっている事が多い。 やはり習慣の違いからか? 言葉は一応マレー語が公用語なのだが、実際は英語が公用語みたいになっている。
とりあえず目のめどがついたので一旦タイに戻ってハジャイで2〜3日過ごして今度は東海岸のコタバルからマレーシア入りする事にした。
たまには鉄道もいいかと思い、また料金的にも安いのでジョージタウンからフェリーで対岸のバターワースに出て鉄道で国境の町、パダン・ブサールまで行ってそこから路線バスでハジャイに出る事にした。
列車は定刻通り14:35にバターワースを出た。 二等車だったがマレーシアではこれが最低のクラスらしく、外国人旅行者よりもいかにも買い物帰りのマレー人の女性と子供が多かった。 彼らは普通の田舎の人達らしく、ペナンの人達よりも笑顔でいる時が多かった。 民族衣装を身につけた子供が可愛かった。 なぜだろうか?
列車は16:00ごろに国境の町、パダン・ブサールに到着した。 この駅ではマレーシアとタイのイミグレーションが併設されている。 ここで形式的な出入国審査を受けた後、駅を出てハジャイ行きのバス乗り場を聞こうとしたが聞いてみると人によって言う事が違う。 でも、ある駅員が「ここはマレーシアのパダン・ブサール駅だ。 列車はタイのパダン・ブサール駅にも止まる。」これを信じて待ってみた。 その間に時差の補正に時計を調節してみたが、動かなくなってしまった。
それからどれくらい経ったかわからないが列車は出発して国境と思われるフェンスを越えた。
タイ側で出国審査を終えると国境の川に架かる橋を渡ってマレーシア側イミグレーションに着いた。 ここでは時間がかかってしまった。 どうもマレーシア政府が出稼ぎのタイ人を規制しようとしているらしく、タイ人にやたら時間がかかっていた。 そんなことならタイ人専用の窓口を作ればいいのに。 また、イミグレーションの役人が間違って「Social
Visa」のスタンプを押してしまった。 まあ旅行する分には3ヶ月有効なので変りないが、よく見ると「Social
Business Visit Pass」になっている。 働いてもいいのかなあ?
そこからバスに乗って1時間ほどでコタバルに着いた。 この町はペナンと違ってどこか落ち着いていた。 旅行人ノート「海洋アジア」によると「住民の9割がマレー系」となっているが見た感じその通りだった。(華人はしょうがないとして。) 夜になると町の中心にマレー系の人達の屋台が立つ。
マレーを味わいたいならここがいいのかも。
この町は伝統文化の保存、紹介に熱心らしく月、水、土のPM3:30〜PM5:00に太鼓、コマ回し、PM9:00〜PM11:00に舞踊、民謡のショーをカルチャーセンターで無料で行っている。
夜の舞踊では若い女性4〜5人での踊りが多かった。 その中で一人、素人が見ても分かるほどずば抜けて上手な人がいて動きの一つ一つがきれいだった。 おそらく小さい時からずっとやっていたのだろう。
見ていて感じていたが舞踏以外は中高年の人が多かった。 恐らく日本同様、後継の養成が大変なのだろう。
コタ・バルからバスで3時間ほどでこの町に着く。 タイの感覚で大丈夫だけど一応予約だけでもと朝にバスターミナルに行くとPM1:45までないと言われその便のチケットを買った。 タイとは状況が違うらしい。
時間が余ったので電話局に行ってPCの接続を試みたが回線の品質が悪いのか?ダメだった。 インターネットカフェでもやはり「ウチのPCを使え」しか言わない。 こうなるとマレーシアでの接続は無理のようだ。
バスに乗ってみると少し空席があるだけでほぼ満席、途中でまた乗車してコタバルの町を出たところで満席になった。 前のバスも一緒だったのだろう。 タイに比べて不便さを感じた。
東海岸は到ってのどかだ。 漁村やヤシのプランテーションを通って夕方にはクアラ・トレンガヌに着いた。 途中の検問が気になった。 国境から離れているのに。
この町は非常にコンパクトだ。 また、のんびりしている。 それで3泊してしまった。
沖縄で知り合った人に勧められ、ティオマン、プルフンティアンといった東海岸の有名所の陰のこの島を訪ねる事にした。 クアラ・トレンガヌからバスで30分でマラン、そこから漁船を改造した木造船で30分で島に着いた。 同行した日本人が「人が多い」と言ったくらい人が多かった。 ちょうどマレーシアの休日で多かったらしい。 と言う事はマレーシアは余暇に旅行ができる位リッチなのだろう。 マレー人、中国系ともに家族を大事にしているらい。 それはいいのだが、子連れが多いのでうるさいのが難点だ。 とにかく、西マレーシア(マレー半島)の観光地はわざわざ外国人が行く所ではなさそうだ。
一人でビーチにいたら日系企業に勤めている中国系の人達に話し掛けられた。 東京に1年以上いたらしく「日本の生活は物価が高くて大変だね?」と同情されてしまった。 この国の人は日本が生活しずらいことを知っているらしい。 そうなると不法な移住をする気が無くなるだろう。
でも、気になる事を言っていた。「東海岸はイスラム教徒が多いから盗難には気を付けた方がいいよ。」 マレー系はたしかに生活水準が低い人達が多く、若者は日本のヤンキーみたいに車をいじったりしているがまじめで親切な人もいるのも確かだ。 中国系の女の子が刺激的な格好をしてたりして彼らから良く思われていないと思う。 この国は微妙なバランスの上に成り立っているのでは?
クアラ・トレンガヌからシンガポールへは直行できたがクアンタンでワンクッション置く事にした。 この町もこれといった観光のポイントがないが州立モスクは夜になるとライトアップされてきれいだった。 この町の近郊には大規模な石油プラントがあったり自動車工場があったりと東海岸のなかでは開発が進んでいる。 あとはやはり他の東海岸と一緒でジョホールバル近郊までのどかだった。
ジョホールバル近郊になるとペナンのように団地が目立ってきた。 日系企業の工場も多い。 町をしばらく行くとイミグレーションに着いた。 ここではマレーシア、シンガポール国籍の人とその他に分けて処理していた。 「その他」には時間がかかる国籍の人も当然含んでいる。シンガポール行き国際バスはここで乗客が出国手続きをするのを待つのだが、唯一のその他である私のために待たされていた。 手続きが終わると乗客のマレー系らしいシンガポーリアンの青年が「早く、早く! こっちだよ。」と手招きしていた。 彼と話をしながらジョホール海峡にかかる橋、コーズウェイを渡ってシンガポールに入った。