タイ2



(ラオス編から)

1.タイは便利(チェンコン、3月10,11日)

 3週間ぶりにタイに戻った。 ラオスのフェイサイの対岸にある町、チェンコンだ。 メインストリートは工事中だったがホコリやゴミが少なく、店にはモノがあふれていた。 でも、ラオスの田舎のような人懐っこい人々はいない。 ちょっとラオぼけしてるみたいだ。(Nam Khong Guest House,W100B)

2.アヘンの里(チェンセーン、3月11日〜14日)

 予定より早くラオスを出国したのでさらにメコンをさかのぼってゴールデン・トライアングルまで行ってみることにした。 基点となる町、チェンセーンはチェンコンより少し大きいだけの田舎町だが随所に14,5世紀の遺跡がある。 ミャンマー国境に近いから過去に戦争で国境がずれてタイになったりビルマになったりしたらしい。

 宿は「地球の歩き方」を参考にした。 やんちゃなチビハスキー犬とネコがいる居心地のいいところだ。(J,S Guset House、W100B)

 アヘンの里、ゴールデン・トライアングルはただの田舎の観光地だった。 あまり西洋人は見られなかったが、週末からか?メコンを下ってきた中国人の団体が目立った。 メコンの向こうがラオス、サーイ川の向こうがミャンマーで特にミャンマーは目と鼻の先だが外国人は渡れない。

3.アジアでモバイルは難しい(チェンライ、3月14,15日)

 そろそろホームページの更新とたまには贅沢するのもいいだろうと一泊700Bもするホテルに泊まった。(Wangcome Hotel) 部屋は日本のビジネスホテル(ワシントン、東急イン)並みでベルボーイまでいた今まで宿泊した中では一番いい部屋だった。

 昼過ぎにチェックインしてから早速部屋の電話線にPCを接続してASAHI-NETのバンコクのアクセスポイントにダイヤルしてみたが、一向につながらない。 今度はオペレーターに連絡して東京のアクセスポイントに接続しようとしたが、タイ側で拒否したらしくPCのスピーカーにタイ語らしい発音でなにか言っている。 しまいにはオペレーターに「近所のインターネットカフェにいってきたらどうだ?」と言われる始末。 原因は不明だが、おそらくホテルの交換機が邪魔をして接続できないのでは?

 欧米はわからないが、日本以外のアジアでモバイルは難しいらしい。 台湾では電話局で「インターネットカフェに行け」。インターネットカフェでは「あるのは英語・中国語版OSのPCのみ。 PCを持ち込んでも回線接続サービスはしてない。」と言われた。 ホテルでは「宿泊しないと回線は貸せない。」でホームページの更新を諦めてしまった。 タイでもほとんどのインターネットカフェで似たような状況だった。 できたとしても、無理矢理やったみたいであまりいい感じがしない。 でも、意外な事にタイでは大きな郵便局が電話を貸してくれるサービスをしている。 しかも、モジュラージャックなのでPCが接続できる。 そんなわけで、タイでは郵便局から更新している。

 PCがプロバイダーに接続することがなくなったのでずーっとテレビを見ていた。 なかなかテレビが見れないのでそれなりに楽しめた。 タイの放送の他にBBC、中国(スターTVか?)、インドの衛星放送も見られた。 インドの放送は初めてだったので一番よく見た。 映画同様、CMによくダンスシーンが見られる。 それよりも強烈だったのは彼らが話している英語だ。 部分的に発音がなまっている英語を話しているのはわかるが、現地語(ヒンドゥー語?)とチャンポンになっているようだ。

 この町からモスレムレストランを見かけたり、色黒の人を見かけたりしてきた。 南に下るにつれてそうした人達を見るようになるのだろう。

4.豊かな人、貧しい人(チェンマイ、3月15日〜21日)

 チェンマイはタイで二番目に大きな町らしい。 でもこれといって大した産業があるわけでもなく、タイ北部の商業の中心かもしれないが観光にかなり依存しているのではと思う。

 そんな町での観光に従事している人間は昔の日本の田舎の観光地みたいに「とりあえずよそものから1バーツでも多く取ろう。 もう二度と来ないかもしれないから。」という発想で接するので高い割にサービスが良くないことが多い。 そのいい例が「トレッキング」だ。 チェンマイに来る観光客はかなりの割合でトレッキングに参加していると思われる。 二泊三日で1,300Bと決して安くない。 そして内容がどれも判を押したように「初日歩く、二日目象に乗る、三日目竹のいかだで川下り」となっている。 普通、同じ内容なら2度目はかなり時間が経ってからするか、二度としないかどちらかだろう。
 チェンマイに限った事ではないが観光に従事している人間のほとんどには「また来てね!」という態度が見られないのだ。

 でも、チェンマイには観光に依存してない人もたくさんいる。
庶民的な市場に行ってみると自然な態度で外国人を迎えてくれる。 愛想のない人もいるが、自然な笑顔で迎えてくれる人もいる。 そんな店を見ていると、おなじみのお客さんと楽しそうに話しをしたりしている。 その店にまた来ると笑顔で歓迎してくれることもある。 言葉は通じなくても「また来てみたい。」という気になる。 観光に従事している人よりお金は持っていない感じで、「程々働いて、必要なだけ稼ぐ。」みたいだ。 実際の彼らの苦労は一介の旅行者には見えないだろうがそんな彼らが豊に見える。

 もちろん、観光に従事していて「また来てね!」という態度で接している人もいる。

5.スコータイ(3月21日〜23日)

 チェンマイはあまりいい印象がなかったが、スコータイは有名なわりに田舎のせいかのんびりしていた。 目玉の遺跡公園は例によって外国人40Bだったが、公園内の売店はそれほど高くなく一日をのんびり過ごすにはいいだろう。 町の中心にある市場に行くのもいいだろう。 もちろん、夜には露店が出るので食べ歩きも面白い。 

 宿はバスターミナルから見て川向かいの所にした。 家庭的な雰囲気が良かった。(Somg prasong Guest House、S80B)

6.アユタヤ(3月23日〜25日)

 スコータイに引き続き、タイの遺跡巡りとなった。 この町の遺跡は17世紀までのもので、スコータイより新しいので建築技術の発展で規模が大きい。 しかし、主だった所は30〜40Bの入場料がかかるので事前に調べて厳選したほうがいい。

 ここまで来るとバンコクに近い事もあるのか、工場が見られるようになる。 朝夕は町に作業着を着た人が目に付く。 ドンムアン空港への乗り降りの際、バンコクに行かずにアユタヤへ行く人もいる。
(PU Guest House、D60B)

7.一ヶ月半ぶりのバンコク(3月25日〜31日)

 バンコクは宿の確保が大変なので、アユタヤからミャンマーへのビザ、チケットの手配をしようかと思ったが適当な代理店が無い。 といって日帰りでカオサンへ行くのも大変なのでやむを得ずバンコクへ行く事にした。 バンコクへは乗合バン(40B)で向かった。 バンコク市街地北部の戦勝記念塔までだが、出発地点から新たに客を乗せず、運転手が渋滞を避けて進むので1時間半で戦勝記念塔に着いてしまった。 カオサンにはさらに30分で着いてしまった。

 今までは、安全性からドミトリーを避けていたが情報交換しやすいのとベットが確保しやすいので今回はドミトリーにしてみた。 予想以上にあっさり寝床を確保できた。(出会いの広場、D40B) 宿はもともと韓国レストランのみだったが後でドミトリーのみの宿も始めたらしい。 ほとんどの客が韓国人と日本人というユニークな宿だ。 1Fの座敷によその宿から遊びに来る人もいる。 食事は同宿の韓国人や日本人と一緒に行った。

 宿を決めてからカオサン・ロードを歩いてみると、コンビニが2軒増えたりして様子が変わっていた。 バンコク同様、変化の激しい所なのだろう。

8.ミャンマーへの道

 カオサン到着の翌日にビザ取得のため、ミャンマー大使館に行ってみた。 ガイドブックによると即日交付となっていたので、日曜日のビーマン・バングラディッシュ航空便(一番安い、一年オープン4,560B、MINI Tour)でヤンゴンに行こうとしたが翌日以降になっていた。 しかも金曜日に申請したので月曜日に取得となってしまった。 また、ミャンマー政府の都合で職業欄の記入でもめたり、受け取りに行くと面接があったりと面倒だった。 でも、無事ビザを取得してビルマ語でお礼を言うと受けたので役人の人柄は悪くないらしい。(取得料720B)

 さて、飛行機のチケットだがビーマンは週1便でそれまで待つ気はなかったので次に安くて毎日2便のミャンマー航空(5,250B MINI Tour)で行く事にした。 万が一ビザが取れなかった事を考えてチケットは後回しにしたが、そのことを以前知り合ってカオサンで再会した旅行のベテランのイギリス人のおじさんに言うと「順番が逆!」と言われてしまった。 確かに、行けなかったらビザを取っても意味が無い。

(ミャンマー編に続く)

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