タイ



(台湾2編から)

1.宿探しは大変(1月19日)

 台北からのSR164は予定通りバンコク、ドンムアン空港に到着した。 ガイドブック通り、満員の59番のバスに乗ってカオサン・ロードに向かった。 カオサンに着くとほとんどの宿が満室で、仕方ないので途中で知り合った日本人と350Bの部屋をシェアした。 翌日、改めて紹介してもらったCH2ゲストハウスに行ってみると120Bのダブルが空いているが80Bのシングルが空いてないとのこと。 仕方ないので一緒にシングルが空くのを待っていた加藤さんと120Bの部屋をシェアすることにした。

2.大都会バンコク(1月19日〜)

 バンコクは予想していたより物があふれ、安全な町だった。 旅行者の町カオサン・ロード近辺では雑貨に旅行用品、サイアム・センター周辺ではパソコン、日本語の本まである。 町の一部は東京と変わらない。 郊外に行けばブランド物から雑貨、食堂までそろった大規模なショッピングセンターがある。 しかも安い。 医療などのサービスも日本並みの質で安いらしい。 また、物乞いが目に付くが小金持ちが多いらしく車は大概新車でカオサンロードの旅行者より身なりが良く、高いものを食べている人が多い。

 物があふれている裏には華僑、印僑、アラブ系の影響が多い様だ。 町には様々な人種が見られる。 宗教も仏教だけでなく、イスラム教も見られる。 モスクに被り物をした女性が時々いる。 まさに国際商業都市である。

 他のアジアの都会と同様いや、最悪らしい道路渋滞と大気汚染がひどい。 渋滞は地下鉄など市内の鉄道の輸送手段がないこと、大気汚染はバス、バイク、オート三輪によるのだろう。

3.外国の影響

 一概に言えないが、日本、中国の影響が濃いのではないかと思う。 漫画は大抵日本のコピーか似たような絵で、家電、車は日本の現地法人製がかなり占めている。(トラックはいすず、バイクはホンダ、カワサキ) テレビは台湾同様ちびまるこちゃん、クレヨンしんちゃん、一休さんをやっている。 中国系が多いせいか、(地方でも)台湾など中国系のTVドラマも多い。 食堂の雰囲気は台湾に似ている。

4.やきとり、かまぼこはどこから来たの?

 バンコクでも焼き鳥、かまぼこがある。 マレーシアではサテーという焼き鳥に似た串焼き料理がある。

5.タイ人はネコが好き

 韓国、台湾にくらべてタイでは野良、ペット問わずたくさんのネコを見かける。 時々路地の片隅でタイ人がネコと遊んでいるのを見かける。 ネコも楽しそうだ。 ノラネコが店の前でくつろいでいても追い出されない。 対称的にイヌの待遇は良くない。 店にノライヌが近づくとすぐに追い出される。(狂犬病のせいもあるが。) ノライヌは食べているものが悪いのか?毛のつやが悪く、皮膚病のイヌが多い。 でも、イヌ好きなタイ人もいる。

6.カンチャナブリ(1月31日〜2月3日)

 タイ国内の大移動に備えてバンコクの近場を訪ねる事にした。 エアコン無しのローカルバスで3時間半、バンコクの西方、距離にして128kmのカンチャナブリにした。 

 バスは暑く、途中で混んできたがおかげでタイのバスでの日常風景を垣間見ることができて楽しかった。 タイのバスは車掌が乗務している。 乗客から運賃の徴収から混んできた時の座席の用意、案内と大変だ。 それでも皆、まじめに勤務している。 バスの中ではお坊さん、外国人、お年寄り、小さい子供連れの人、兵士が優先的に座席に着ける。 特にお坊さんは優遇されて、運賃を徴収されない。 外国人も優遇されていて、お年寄りや女性に席を譲ろうとしても「いいから座りなさい」らしいことを言って座ってくれない。 外国人が降りる場所がわからなくて車掌に聞くとよほど忙しくなければたいてい親切に教えてくれる。 彼らのお陰で快適に移動ができる。

 カンチャナブリのゲストハウスはたいてい、クワイ川のほとりにあるバンガロー風の建物だ。 でも一見すると掘っ建て小屋なので宿泊する気が起こらなかった。 結局それしかないので諦めてチェックインすると風通しが良く、意外と快適だった。(SAM'S Gueat House、150B)

 カンチャナブリは戦争映画「戦場に掛ける橋」の舞台になったところだ。 旧日本軍がジュネーブ条約を破ってイギリス、アメリカ、オーストラリア、オランダの捕虜を使ってタイからビルマに通じる鉄道を突貫工事で完成させ、そのためにたくさんの犠牲者(捕虜1万6千人、タイなどアジアの労務者10万人、戦争博物館のデータ)がでた。 そのことを忘れないため戦争博物館があるが、ほとんど捕虜の記録でアジアの労務者の記録が無かった。
 鉄道は今でも一部が使用されていて、土地の人の足に、観光に使われている。

 戦争関係以外では夜は騒々しく、田舎の観光地であまり魅力を感じなかった。 人の趣味によるだろうが、ミャンマー国境付近では少数民族の村に観光で訪れる事ができるらしい。

7.ロッブリ(2月5日〜9日)

 この町は、西表で知り合った奈良の河口君から教えてもらった。 正確に言えば、彼とはできればタイで再開しようと言っていたのだがこちらが連絡先を教える手紙を出すのが遅れたためにすれ違いになってしまった。 バンコクのG.P.Oで彼からの手紙を受け取った時はすでに約束の日時が過ぎてしまった。 その彼からの手紙の集合場所がロッブリだ。 

 バンコクの北方153kmにある小都市で、クメール時代(11C〜12C)の遺跡と17Cに都だった時の遺跡など、多くの遺跡がある。 町には時々団体が訪れるだけで普通の小都市といった感じだ。 旧王宮内にある博物館の展示はなかなか面白かった。 特にタイの交易に関する展示が良かった。

 タイは3Cから中国、インド、中東と交易をしているとか。 そのころから海のシルクロードによる東西交易が始まったのだろうか? バンコクにいるインド人やアラブ人、タイ全土にいる華人は100年や200年といったレベルではなく、もっと昔からタイにいるのだろう。

 17Cのフランスのロッブリに関する記録の展示も面白かった。 当時、補助通貨でタカラガイの貝殻を使っていたのだ。 柳田 国男「海の道」に「沖縄はタカラガイの供給地だった」と書いてあったが、沖縄から来た貝殻を使っていたのだろうか?

 クメール時代の遺跡は今は地元の子供達の遊び場、サルの住居のようになっていた。 子供達は昔日本でも見かけた(今はわからない)プラスチックの弾がでるピストルで遊んでいた。 サル達は高崎山のサル同様、人の帽子やお菓子を取り上げて遊んでいた。 人なれしたサルのする事はどこも同じだ。

 タイの安宿(200B以下)は寝具が不十分なので、寝冷えをしてしまった。 昼は30℃を越えて暑いのだが、朝方は20℃〜25℃と気温の割に寒く感じた。 ロッブリは観光するには2泊で十分だがさらに2泊して休養した。 慣れない環境にいると体調を崩しやすいのだ。(Nett Hotel 160B)

8.ピマーイ(2月9日〜13日)

 ラオスに備えてロッブリの次はタイ東北部を訪れることにした。 東北部はイサーンと呼ばれ、クメール時代の遺跡が多く残っているらしい。

 とりあえず、ロッブリからエアコンバスでナコーン・ラーチャシーマー(コラート)に行ってそこから乗り換えて行った。 宿は「地球の歩き方」に載っている「Old Phimai Guest House & Youth Hostel」に行ってみた。 盗難防止の観点からシングル(100B)にしたかったがドミトリー(80B)にした。(ユースホステル会員は宿代10%割引) 

 なかなか感じのいい所で、日本の個人経営のユースに似ている。 いや、むしろタイ人の家庭にお邪魔している感じだ。 オーナーの親戚の子供達が入れ替わり立ち代わりやってきて、遊びに来ているみたいだ。 昔の日本の田舎の家庭みたいだ。 さらに、3匹のイヌ達が好きな場所で寝ている。 そんな雰囲気が気に入って何度も通っている人が多いらしい。

 ピマーイ自体はロッブリをさらに田舎にした感じで、一層のんびりしている。 町の真ん中にクメール時代の遺跡が残っている。

9.パノム・ルン遺跡(2月10日)

 ピマーイ到着の翌日、同じ宿に宿泊している人達と一緒にソンテウ(乗合タクシー)をチャーターしてカンボジア国境近くのクメール遺跡、パノル・ムンを訪れた。 ピマーイの遺跡同様、砂岩でできておりもろそうで保存が大変だと思うが、彫刻が美しかった。 当時のクメール王朝はタイのイサーン地方だけでなく、北部まで勢力圏だったらしい。 しかし、今のカンボジアは経済的にタイの支配下にあるのでは?

 遺跡は良かったが、そこまでの沿道の景色がNHKのドキュメンタリーに使いそうな「東南アジア」といった感じの田舎の光景で面白かった。 バンコクと同じタイとは思えないくらいのどかだった。

10.ウボン・ラーチャターニー(2月13日〜15日)

 コラート→ウボンの道はタイの中ではかなりの田舎道だったが枯れ草だらけの中部に比べて木が多く見られ、豊かな感じがした。 東北部ではエアコンバスが中部に比べて浸透してないらしく、本数が少ない。

 特に観光するわけでもないが、ラオス行きの準備のためこの町に2泊した。
そんな外国人が多いのだろうか? 町にはあまり外国人を見掛けなかった。 そのせいか?タイ人の青年に英語で話しかけられた。

 ラオス行きに備えて以下のものを購入した。

1.蚊取り線香1ヶ月分(ラオスで売ってないとの噂有り)
2.虫除け(蚊取り線香がないなら)
3.練り歯磨き(タイ製の方がいいかな)
4.安いトレーナー(寒いらしい)
5.靴下×2(寒いなら、一つ破れてもう一つ破れそうなので)

4.はウボンが暑いのか?満足の行くものが無かった。

 この町はタイ東北部の南東にある悪く言えば辺境の町なのだが、例によって華人の店が多い。 宿泊したのも華人経営の旅社だった。(New Sri Isan Hotel、150B)

 タイ側イミグレーションは以下のようにして行った。

1.ウボン市街からミニバスで隣のワーリン・チャムラープ市のバスターミナルへ。(5B)
2.ワーリンのバスターミナルからピブン・マンサハーン行きのバスで終点まで1時間。(20B)
3.ピブンからイミグレーションのあるチョン・メックまで乗合トラックで1時間。(20B)

 途中、チョン・メックの手前で警官が検問をしていたが、パスポートを見ただけだった。

以上であっけなくタイを出国した。 28日の滞在だった。

(ラオス編に続く)

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