台湾2



1.船での入国(1月9日)

 今回は事前に那覇でビザを取り(中琉文化経済協会の事務所、写真2枚要、手数料\4,000、基本的に翌日交付)石垣島から船に乗って(有村産業、二等\12,500)基隆へ渡航した。 船は豪華だが、季節風が吹くので大揺れでベットでダウンした。 そのため、現地時間17:15着が18:30にずれ込んだ。 
 イミグレーションでは帰りのチケットを求められなかったが(ビザなしの人を含めて、ただし片道購入時にビザを求められた)税関で所持していたタンカンを没収された。 柑橘類はダメらしい。 前回の空港ではノーチェックだったのに今回は簡単だがチェックされた。
 両替は土曜でも税関を出た所に銀行の出張所があるので問題ない。 レートはデパートよりよかった。

 基隆から台北の移動はバスがあるがラッシュ時なので鉄道(43元、55分)の方がいいだろう。

 片道で入国して現地でチケットを購入して第三国へ渡る場合はビザを取得するのが正当な方法だが、帰りのチケットが有効なうちにキャンセルしてしまうことができるらしい。

2.台北(1月9日〜12日)

2.1宿

 宿は、船で知り合った人と一緒にHAPPY FAMILY [II](TEL2581-0716、D250元、台北駅北東に有り、看板無し)にした。 長期宿泊して英語学校でバイトをしている西洋人が多い。 19世紀の植民地の租界といった雰囲気だ

 ソウルのゲストハウスでも見かけたが生まれつきの英語で猿岩石みたいに旅行の軍資金を稼ぐ西洋人は多い。 ついでに現地で女に手を出す人間もいる。 やっている事は不法就労の中国人と差がないのだが、簡単に就労ビザが出て、結構な給料が出るらしい。(台湾のある学校では週27時間で時給500〜600元=\2,000らしい) さらに明治以来、西洋人=格が上で金持ちという迷信があるので彼らにくっつく女が多い。

 人種はともかく働いている人間は旅行者とは会話が成立しにくい。 問題を起こさないように我慢するしかない。

2.2台北の町

 相変わらずスクーターが多い。 前回にくらべてヘルメット着用が目に付く。 恐らく警察で取り締まりをしているのだろう。 レッカー車も目に付く。 警察のトラックがスクーターを運んでいるのも見た。 こうして生活水準が向上して上品になるのだろう。 でも、スクーターの信号無視、逆行が目に付く。 この騒々しさ、コンビニの漢方薬の匂い、臭豆腐は台湾らしさを感じる。

 地下鉄は一応工事が進んでいるようで、町は以前より埃っぽくない。 でも未完成の路線が多い。

 日本同様、携帯電話が普及している。 田舎でもアンテナを見かけるし、高校生の利用も多いらしい。 でも電話機は新しいNOKIAが約\60,000とかなり高価だ。 ほとんどリースか?

 食べ物に関しては相変わらず便利でしかもおいしい! 種類が豊富なのでよくばってついつい食べ過ぎてしまう。

 ランジェリーショップの前を通ると真っ赤な下着がどうしても目に付いてしまう。 本当に使っている人がいるのだろうか? また、どんな時に使うのだろうか?

 台北は石垣島より北に位置するし、曇りで時々小雨が降るので寒く感じる(気温は15℃前後)。 ニュースで台湾中部の町でホームレスが凍死したことを報道していた。

3.高速バス

 台北から台湾南部屏東への移動は高速バスを利用した。 台湾客運530元、総聨客運470元だったので安い総聨を利用した。 台湾客運の乗り場は台北站の西側にあるが、総聨は北側の少し離れた所にある。

 高速道路は台北付近で片側6車線、桃園付近まで片側4車線、台中付近まで片側3車線あとは2車線で大体50kmおきに料金所がある。 1区間自動車40元で安いのでかなりの車が通行している。 国道バイパスを兼ねているのだろう。

 台北10:00発で台中でお昼休憩をして15:00に高雄で乗り換えて16:00過ぎに屏東に着いた。 高雄からは高速を降りて国道を進んだ。 ここまで来ると警察の取り締まりが緩いのか?ノーヘルのバイクが目立つ。 あと、ガラス張りの小屋にミニスカートの女の子が店番をしているビンロウ屋が目に付く。 女の子が5〜6人いた所はビンロウだけを売っているのだろうか?

4.屏東(1月12日〜15日)

 宿はドミトリーがないので500元くらいの部屋を探していたが、駅周辺は600元からなので一番駅に近い鑚石大旅社にした。 部屋チェックの時、照明のスイッチの場所を探すのに手間取っていたらフロントの人が部屋まで来て「どうですか?」らしきことを聞いていたがかまわずお湯のチェックした。 お湯が出そうに無いので筆談で聞いてみると「10分かかる。」らしい返事。 「うそだろ?」と思ったがそれ以外問題はないし、暗くなって面倒になったので妥協してしまった。 でも、あとで違う蛇口をひねるとお湯が出た。 とりあえず、台湾の宿はお湯が出る事に関しては問題ないようだ。 
 あとで駅から少し離れた繁華街にたくさん旅社を見かけた。 宿探しはまだまだだと感じた。

 台中を過ぎてから天気が良くなってきた。 屏東は気温16℃〜24℃で日が射すと暑く感じるが、日陰に入ると涼しく感じる。

 駅前の交差点でバイクがたくさん止まって、運転手が警官となにやら話をしている。 どうやらノーヘルの取り締まりらしい。 つかまった人は書類になにやら記入して、その間警官がバイクのナンバーを外していた。 ナンバー没収とは派手なことをする。
 他にもここ2〜3年、売春の取り締まりなど警察が忙しいようだ。
 

5.三地門(1月13日)

 そもそも屏東に来たのは先住民が住む三地門を訪れるためだった。 屏東からバスで40分、44元で三地門、水門に着く。 一見すると普通の台湾の町だが、独特な木彫りが置いてある土産物屋に時々見掛ける肌の浅黒い大きな瞳をした人がよそでは見かけない。 先住民同士の会話を聞くと明らかに中国語、台湾語と違っていた。 台北站周辺にいるフィリピン人の言葉に発音が似ている。 おばさんは頭に布を巻いた独特なかぶりものをしている。
 水門からさらに30分ほど歩くと三地門に着く。 ここまで来るとほとんどの人が先住民のようだ。 店先でなにかわからないが肉を焼いている。 

 ここは旅行作家で旅行人社長の蔵前仁一氏が訪れてパイワン族のおばさん、ルバルバさんと出会った。 そこで普通に日本語が使われていた事が蔵前氏の著書に書かれていた。 だんなさんが博物館を開いているとのことで、近くにいた人に聞いてみるとその人のお母さんらしいおばさんが慣れない日本語で教えてくれた。 博物館は「陳俄安博物館」といってだんなさんの戸籍上の名前が陳俄安だ。 展示物は素朴な木彫りの人形や生活用品が主だが、高雄の日本人学校校長から日本人形、前首相の羽田孜からサイン入りの絵皿の贈り物が展示されていてかなりの名士らしい。

 博物館を出て学校の近くを歩くと先住民の子供達が何やら話し掛けた。 台湾語で「日本人」と告げると「サヨオナラ」と言って去った。 八重山の島の子供と変りない。

 水門に戻ると台湾人ばかりになり、変な感じがした。

6.台南(1月15日〜1月18日)

 15日の朝は雨が降って肌寒かった。 でも、台南行きのバスは冷房が効いてとても寒かった。

 台南に到着したらとりあえず、宿探しをした。 前回、満室で一泊しただけだった台南市労工中心(シングル470元、ツイン570,700元、ドミトリー200元から。 3Fにコインランドリー有り)に電話をしてみると大丈夫との事。 
 25番のバスで宿に向かおうとバス乗り場で待っていたが、最初に来たバスは手を挙げても止まってくれなかった。 逆方向の乗り場にいたらしい。 正しい方向のバス停で待っていたが、別会社のバスが止まってしまった。 仕方ないので隣のバス停で待っていると、今度は運転手が私が別のバスを待っていると思ったらしく止まってくれなかった。 仕方ないので次のバス停、「台南医院」で待ってやっと乗れた。

 宿に荷物を置いて、台南の町を歩いた。 孔子廟では例によって日本語を話したがっているおじさんがいた。 ケーブルテレビの日本のチャンネルでNHKのニュースをよく見ているらしく、故郷新潟の雪のこと、相撲の事を良く知っていた。 
 しばらくして、おじさんの知り合いらしいおばさんが「陳さん、」と日本語で話しかけてから台湾語(多分)で話をした。 戦時中の台湾を舞台にした映画やテレビドラマで「とおさん、」、「かあさん、」「〜さん、(字幕では〜桑)」というのを聞いていたが実際お目にかかるのは初めてだ。 年配の人ばかりではなく、どの世代も日本人が英語を使うのと同じ感じで日本語を使う。 店の看板に良く「〜の店」、車に「〜の車」などと「の」を良く使う。

 夜はまた、小北夜市を訪れた。 前回は気がつかなかったが、中華でおなじみの牛、豚(現地では猪)、魚だけでなく山羊、鹿、蛇の肉まであった。 鹿肉はオランダ入植前から台南にいた狩猟先住民族の影響だろうか? あと、町を歩いて香港料理の看板(港式)が目に付いた。 戦後、広東省から来た外省人が多いのだろうか? 屏東では上海料理の看板が多かった。

 宿に戻ると台湾人のルームメイトが二人いた。 いろいろ話ができるのが相部屋のいい所だ。 おじさんは台北郊外から来た不動産屋さんで、若い方は新竹から来た劉君で自動車メーカーの従業員だ。 二人とも仕事で台南に来たらしい。 劉君は少し英語が話せるのでいろいろ話をした。 法律で150cc以上のバイクが乗れない事、免許は普通車もバイクも18歳以上、食堂が日本でいう居酒屋を兼ねている事を知った。 しばらくして、新たなルームメイトが入ってきた。 地味な格好だったので最初台湾人かと思ったが何か変な感じがした。 実は彼は日本人だった。

 翌日、ルームメイトの日本人と一緒に台南の町を歩いた。 彼は高雄に行く予定だったので夕方に台南站で別れようとしたら彼がカメラをどこかに置き忘れた事に気がついた。 心当たりを当たってみたがダメだった。 デパートでは忘れ物コーナーが無いのか?あちこちたらい回しにされた。 おそらく、韓国同様置き忘れたらあきらめなければならないようだ。 しばらくして彼はあきらめて高雄に向かった。

7.嘉義(1月17日)

 なんとなく行きたくなったので行く事にした。 名物は鶏肉飯である。 地球の歩き方に書いてあった店に行ってみると日曜のお昼だったので混んでいた。 でもさすが台湾、期待を裏切らない。 鶏の細切りを乗せた鶏絲飯より中華風ソーセージ、香腸がおいしかった。
 それからバスで40分の北港へ。 そこは台湾で有名な廟がある所で廟はたくさんのお香で煙かった。 門前は土産物屋が並んでいた。 いろいろお菓子があったが小さいもので日本の\1,000クラスの箱や30cm四方の袋、大きいもので高さ50cmの袋だった。 こんなにたくさん誰が食べるのかと思わせるくらいだ。

8.台湾を去る(1月19日)

 事前に台北でチケットを用意した。 代理店を3軒まわったが、日本語が通じる勝美旅行社(台北2562-5025)でスイス航空(火、土PM7:45発、片道3,900元)のチケットを購入した。 片道だと空港でのチェックインで門前払いにされる噂があったが問題なかった。

(タイ編に続く)

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