チベット旅行記
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ニュー・ティンリー - チョモランマBC
9日目 5/5(Fri)

ニュー・ティンリー出発

7:52出発。 ガイドと運転手はホテルから大きな布団を借りていた。 どうやらシュラフの代わりらしい。 寒さがへっちゃらなチベット人の彼らにとってもロンボクは寒いところのようだ。

ロンボクで部屋が満室になることをおそれて(結局満室ではなかったけど、こういう配慮はうれしい)早めに出発の予定であったが、 ガイドたちの準備などでゆっくりの出発になった。

団体観光客(30人くらいの欧米人)はバスに乗客だけのせ、 スーツケースなどの重い荷物はトラックで運ぶらしい。 彼らをロンボク寺で見ることはなかったので、カトマンズに抜けたのだろう。(そもそもあのバスではロンボクまではかなり険しそう)

チェックポイントでは軍事施設なので撮影をしてはいけないと私たちは注意されていたが、 何も考えていなそうな中国人観光客が適当に撮影をしていた。 私たちの方にも寄ってきたが、面倒なことになっては旅が台無しなので、 身振りと英語で撮影禁止であることを伝えた。
その中国人観光客は不満そうだったが、こっちの言うことは理解したようだった。

ここのチェックポイントは特に厳しそうなチェックポイントなので、 気をつけすぎて問題があることはないだろう。

パンラ峠

ギャンツェで会った日本人のおじさんは 「ニュー・ティンリーからBCまでの道はとても揺れがひどくて、忍の一字だ」 と言っていたが、それほどつらいものでもない。というか、チベット郊外の道はずっとこんな揺れ、と言った方が適切か。
おそらく高山病などの体調にもよるのだろう。

パンラ峠に到着。世界には8000mを超える山が14座あるけれど、その中の4座がここから見渡せる
8000mという区切りにどれほどの意味が?」などどいう愚問は心置きなく忘れましょう!

パンラ峠

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Makalu マカルー(世界標高5位、左右どっち?)
マカルー Makalu

Lohtse ローツェ(左、4位)と Everest チョモランマ(右、1位)
ローツェ エベレスト

Cho Oyu チョー・オユー(世界標高6位)
チョーオユー

ロンボク到着

019.jpg 11:47ロンボク寺に到着。 この土地ではラサ〜カトマンズ間に走っているようなバスを見ることはなく、 9割方の車両はランクル。 ラサ市内ではパジェロなどの他社のランクル系の車両をそれなりに見かけけど、 この付近では本当にランクル、それもオンボロばかり。

ロンボクの招待所は去年建てられたものらしく、それまでは寺の中に泊まっていたらしい。その頃の前提で書かれたガイドブックではかなり不便な場所として説明されている。今でも便利な場所ではないけど。。。
招待所の中ではカップ麺や缶コーラなどを売っている。 注文すれば麺やパンケーキなども作ってくれる。 トイレは宿泊棟の外にある。 部屋の中はベッドが3つ置いてある。床は砂埃が積もっていて、物を落としたらすごく汚れそう。

目の前にチョモランマの北西壁がその素晴らしい勇姿を現している。
この姿を見るためにここまで来たのだ。
やっぱりチベット側から見たこの山はかっこいい。 (ネパール側から見たことがないのに、こんなことを言うのも何だけど、 写真で見る限りそんな気がする。 ここに来るまでの他の山々はチベット側の方がかなりさびしいけど。。。)
この時まで見えているのは北壁だと思っていたのだけど、どうやら北西壁らしい。

チョモランマ北西壁!
チョモランマ北西壁

ロンボク寺のストゥーパ
ロンボク寺

BC(ベースキャンプ)往復

誰かの慰霊碑
66.jpg ガイドたちは、今日と明日の二日間BCまで行かなきゃいけない、という連絡を旅行会社から受けていなかったらしくって、運転手が「BCに行くのは今日か明日のどちらか1回だ!」などとガイドに叫んでいる。(チベット語なので正確には分からないがガイドがそう言っていた)

これは全て日本の西遊旅行の確認不足がいけないのだが、こんな場所でそんなことを言っても始まらない。日本語で書かれた西遊旅行の行程表を見せて、ガイドに頼んでなんとか連れて行ってくれることになった。
このガイドには本当に感謝するばかり。

還暦登山隊(日本)
021.jpg BCに到着したときに偶然にも日本の還暦登山隊(正式名称は違うようだけど、テレビではそんな感じで紹介していた) がいた。少し日本語で話(日本人同士だから当然か)をしたけれど、BCの部隊でその時点では大きな問題は起こっていなかったとはいえ、 やはりどうもピリピリした感じがして、それほど会話は盛り上がらなかった。

車に戻ろうとした時に、笑顔でおじさんが手招きを してくるので、言われるままに日本隊のテントの一つに入ると「まぁこれでも飲みなよ」と言ってお茶を出してくれた。
彼はネパールから連れてこられたガイドで、日本人たちのピリピリした感じとは違って、「今回のルートは簡単なのに、日本人はいつも登ったり下ったり(高所順応のことだろう)を繰り返してばっかりでなかなか頂上につかないから、なかなかネパールの家に帰れない」などと笑えるけど、BCまででさえのんびり車で登ってきた私たちには笑い飛ばせないようなことを楽しそうに話していた。
久しぶりにネパール語で「タパインコ・ナーム・ケ・ホ?」と名前を尋ねてみると、いつも通り「メラ・ナーム?」(私の名前?の意味)と聞いてきたあと、教えてくれた。自分のネパール語が通じていたことに満足した私は彼の名前をすっかり忘れてしまいました。ごめんなさい。

雪解けのとても冷たい水で顔を洗って見せてくれるおじさん
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BC内を駐車場に戻ろうとすると、陽気なおじさんが川の水を指差して何か話し掛けてくる。どうやら、「この川の水で顔を洗うと気持ちいいよ」ということらしく、自分でやってみせてくれた。
じゃぁ、と言って手をつけたら、すごく冷たい。すぐ横に雪があったりするんだから当たり前か。こんなところで風邪をひいたらシャレにならないので、「冷たすぎて無理だよ」というようなジェスチャーをして、さよならした。

すごくダイナミックレンジの広い被写体
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数少ないカラフルな被写体、タルチョ
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ベースキャンプのテント群
チョモランマベースキャンプ

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ロンボク寺

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ロンボク寺の僧侶
ロンボク寺の僧侶寺の中には僧がいてお経(棚に入っているお経を順番に読むらしい)を読んでいた。ほんの少しだけ英語が話せるらしく、極力複雑じゃない単語で会話した。
その内容はとても興味深く、本当はここに書きたいのだけど、書いてしまうにはあまりも大きな問題を含んでいるのでここでは我慢するとしましょう。その内容が笑って話せるようなチベットになる日が来るといいのだけど、今の中国政府には難しいかも。

勧めてくれたバター茶を飲む。社会はなかなか変えられないけど、そういうことを乗り越えて理解しあうことはできるはずだよね。

ロンボク招待所

雲上のチョモランマ
032.jpg 部屋に帰ってから、窓を開けて正面にそびえるチョモランマの写真を撮った。三脚で望遠レンズをつけて撮影するけど、室内であっても窓をあけると強風でカメラがどうしても揺れてしまう
結局そのまま撮影してぶれた写真となっちゃったけど、今から思えばもう少しシャッタースピードを速くしたのも撮っておけばよかったかも。

この宿は多くの部屋からチョモランマが見えるようになっている平屋。部屋の全面がガラスなのは確かにいいのだけど、駐車場などを歩いている人たちが旅行者、現地人を問わず堂々と覗いてくる。
興味が自然にわくのは分かるけど、チラッと見るようなものじゃなくて、立ち止まって「じー」っと覗き込んでくるからこっちが恥ずかしくて目をそらすことも。夜中にヘッドライトで部屋の中を照らされて覗かれたときにはさすがにマイッタ。。。
部屋の扉をあけてきた人はさすがに部屋を間違えたのだと思いたいけど、私たちに気づいても「じー」っと見つめていられるのはなぜなんだろう。

18:30 夕食。
アメリカ人の親子が隣の席になったので、少し話をした。息子の方が現在中国(成都)に留学中で通訳係として中国を旅しているらしかった。「成都って大きい街だね」と言ったら「あんなので大きな街って、君はどんな東京に住んでるの?」とからかわれてしまった。
「明日はここからBCまでを歩く」と言うので「BCから先は歩かないの?」と聞くと、「俺たちはバックパッカ−だから」との答え。つまり、バックパッカ−は登山者ではないから、BCより先へは興味がない、という意味らしい。さすが本場のバックパッカ−はちょっと違う。

脈は妻108、夫80。「チョモランマもこの目で見れたことだし、明日はちょっと無茶しても登れるところまで登ってみよう」などとこの時は思っていた。翌日、高山病になってみてすごく後悔したけど。。。
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