近代化とは何か

近代化というのは文明化のことのように思えます。しかし、古代にも文明はあったので近代化=文明化ではありません。では、古代文明と現代文明の違いは何でしょうか。それは文明に深く関わる人口の比率ではないかと思います。僕は「文明視覚言語に支えられるものだ」と考えますが、そうだとすると文明に深く関わるというのは簡単に言えば読み書きができるということです。つまり、古代文明と現代文明の違いは識字率の差だと考えられます。

近代以前においては一部の人間だけが読み書きをしていましたが、それを人口の大部分に広げるためにあるのが学校教育です。学校では視覚言語を学ぶとともに意識的行動、つまり社会性を身に付けます。近代化というのは行動の意識化であり、行動の意識化が人口の大部分に広がることだと考えられます。

意識的行動をとることができれば、それを他人に提供することでお金を得ることができます。意識的行動の内容が高度になっていけば、受け取るお金も増えます。これを国と国の関係にあてはめれば、近代化が進んだ国の通貨は価値が上がるということです。したがって、村上龍が言うように「1ドル=200円になった時点で日本の近代化は終わった」ということになるわけです。

では、近代化が終わるとどうなるのでしょうか。普通は「ナントカ化」が完了すると「ナントカ」になります。例えば、自由化が終わると自由になっているというように。だから、近代化が終わると近代になっているはずなのですが、そうならずにポストモダン(近代の後)になってしまっているようです。つまり、(言葉としてはちょっと変ですが)近代というのは近代化という過渡的な過程だということになります。

近代はどのような過渡的過程なのかというと、視覚言語と意識的行動を人口の多くが習得する過程です。視覚言語も意識的行動も大脳が主役なので、その過程では大脳が優位となると考えられます。しかし、近代以前は人口の全員または大半が聴覚言語と非意識的行動で暮らしているわけですから、生物としての人間の基本は小脳優位の世界にあると考えられます。したがって、近代化を達成してしまえば、一時的なものであった大脳の優位は崩れるでしょう。

近代化の過程では目的(やるべきこと)として扱われた視覚言語や意識的行動というものが、これからは我々がやりたいことをやるための手段として扱われるようになるのではないでしょうか。そうすることで、我々は大脳と小脳のバランスのとれた世界を創っていくことになるのだろうと思います。

 → 近代化はいつ終わるか