大事なことは何か

自分のやりたいことは何か」と考える人が多くなっているような気がする。「やるべきこと」をやる時代が終わって「やりたいこと」をやるしかなくなったのだが、「急にそんなことを言われても、今まで自分のやりたいことなんかよく考えたことがなかったから判らない」という人が増えているのだと思う。つまり、最近になってやりたいことが判らなくなってきたんじゃなくて、多くの人が「やりたいことは何か」と考え始めたのだろうと思う。

やりたいことが判らないのは、今までは「やるべきこと」をマジメにやろうとしてきたからである。やるべきことをやろうとしたのは、そうすれば何か自分にとっていいことがあると思っていたからであり、そうしないと何か不都合があると思っていたからである。ところが、最近はいろんなことがうまくいかないので、「今までやるべきことだと思っていたもの」が本当にやるべきなのかどうかが判りにくなってきた。やるべきことをやっていればいいことが本当にあるのか、やらないと不都合があるというのは本当なのか、というあたりが怪しくなってきたのだ。

今までどおりにやろうと思っていても、どうもそうはいかないらしい。つまり、自分が変化したのではなく、社会が変化したのである。社会が変化すると、やるべきことというのも変わる。やるべきことというのは自分の中にあるのではなく、外から与えられるものなわけである。外から与えられた「やるべきこと」をやろうと思ったら、自分の気分とか感覚に合わなくてもやるしかない。それでもやるべきことをやるのは、自分の気分や感覚より大事なものがあると思っているからだということになる。

「やりたい」というのは自分の気分や感覚なのだから、気分や感覚より大事なものがあると思っていたら「やりたいこと」なんか見つからないだろう。やりたいことは外から与えられるものではない。やりたいことについて考えるのは、自分の気分や感覚というものを意識することである。意識してみると、地味な日常生活の中でも気分や感覚はかなり変化する。それによって、自分にとって大事なことは何かが解るのだ。