頭の中の余白

僕は「想像力が大切だ」とか言ってるのだが、「ナニナニが大切だ!」などと力説している人間にはそのナニナニが不足しているに決まっている。つまり、僕には想像力が不足しているのである。でも、そうやって自分の無能を自覚するのは大変結構なことだ。無能を自覚するというのは、自分に無い能力について想像することであり、それが能力を身に付けるための第一歩だからである。

スポーツにおいて自分が何かの技をこなしているところを詳細に思い浮かべるイメージトレーニングが有効なことから判るように、想像力は身体技能に結びついている。ある技能についてできるだけ具体的に想像することが、その技能の獲得につながるのだ。つまり、想像力というもの自体が身体技能の一部なのであって、頭の中で自由に想像することと身体がうまく動くことは無関係ではない。だから、何事にも想像力が大切なのである。

何かの能力を発揮している状態を細部に渡って想像することができれば、その能力を身に付けたのと同じようなものである。したがって、想像力を身に付けるためには、想像力について想像すれば良い。しかし、自分に欠けている想像力というのはどういうものだか判らないので想像もできない。

想像というのは何かを頭の中に思い浮かべることである。何を思い浮かべるにしても、とりあえず頭の中にそのためのスペースが必要である。何かを思い浮かべようとしているのだが、それが何だか良く判らないので、とりあえず余白を思い浮かべる。何か大変な事態に出会った時に「頭の中が真っ白になった」などと言うが、それはつまり想像力を全開にする必要があるということだろう。

我々も赤ん坊の時には頭の中は真っ白だったんだと思う。色んなものを詰め込んでいるうちに、余白が無くなってしまったのだ。だとしたら、余白を作るためには詰め込んだものをどけなくてはならない。つまり、忘れるわけである。忘れるというのもなかなか難しいことだが、とにかくそうやって余白を作ったら、あとは何かが思い浮かぶのを待つだけだ。

想像力とは余白の量である。子どもは余白が多いから想像力も豊かだが、我々は余白が少ないので何かを思いつくのに時間がかかる。だから、待たないとしょうがない。頭の中に余白を作って何か思いつくのを待つのがぼおっとするということである。全てはそこから始まるとも言える。