忘れる方法

奥田民生は「全ては忘れる事だと解った」と言うのだが、忘れるというのは普通は困ったことである。何かを忘れると予定が狂ったりやり直しになって面倒だ。赤瀬川原平の「老人力」はその困った「もの忘れ」を肯定的にとらえたわけである。忘れることを肯定的にとらえるには、予定が狂ったりやり直しになったりすることを肯定的にとらえなくてはならない。忘れるということは、目の前の現実について一から考え直して対処しなくてはならないということである。そのかわり、昨日と同じはずの世界が新鮮に見えてくるはずで、それが忘れることの良い点だ。

忘れるにはどうすればいいのだろうか。何かを忘れてしまうことはあるが、意図的に忘れようとしてもうまくいかない。無理に忘れようとしても忘れたフリをすることになるだけであり、何かを忘れたフリをするのは逆に強く意識することである。本当に忘れたのと忘れたフリでは精神のバランスが明らかに違う。無理に忘れようとしても、そのことが気になってしょうがないので、別のことに集中することができない。忘れたフリには無理があるのだ。

何かを忘れるのは別の何かに集中した時である。別のことに集中していると一時的に忘れることができる。しかし、何かを忘れようと意識していると別のことに集中できない。だから、無理に忘れようとせずに別のことに集中するしかない。では、集中できることとは何だろう。集中できるのはそこに何かがありそうな新しい価値観である。それは自分のやりたいことかも知れない。忘れようとしていることというのは、言ってみれば古い価値観である。

新しい価値観は古い価値観に対立する。古い価値観に対立しなかったら、新しい価値観ではない。当り前だ。古い価値観を忘れるには、それを忘れようとせずに、とりあえずちゃんと抱えたままで新しい価値観に集中しなくてはならないわけである。古い価値観を忘れずに新しい価値観に集中するというのは矛盾を抱えることである。そうやって矛盾を抱えたままで行動していると、そのことを身体で覚える。

頭で覚えたことは忘れてしまうことがあるが、意図的に忘れることはできない。身体で覚えたことは忘れない。ところが、何かを身体で覚えたら、それを覚える前の自分を忘れることになるのだ。古い価値観と新しい価値観の矛盾を抱えたままでいることを身体で覚えたとすると、「矛盾を抱える前の自分」を忘れる。「矛盾を抱える前の自分」とは、「忘れようとするものを抱えていた自分」である。

何かを忘れるためには、その何かを抱えている自分ごと忘れる必要があるのだ。そのためには新しい自分を生み出さなくてはならない。そのとき、忘れたいことは意識の上からは去るが身体では覚えていることになる。古い価値観を忘れたとしてもそれは消え去るのではなく身体の記憶として残るから、目の前の現実について一から考え直して対処するのに役立つのだ。