ヒントをくれた本

「生命と自由」 渡辺慧 1980 岩波新書
生命とは自由という価値の追求である。
「未来」も「過去」も確定されたものではなく、頭の中で想像したものにすぎない。
「風の歌を聴け」 村上春樹 1979
そう、ラジオ。文明が産んだ……ムッ……最良の機械だ。電気掃除機よりずっと精密だし、冷蔵庫よりずっと小さく、テレビよりずっと安い。
「村上朝日堂」 村上春樹 1984
文章を書くコツは文章を書かないことである。
「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」 村上春樹 1985
しかし人間はその自分の思考システムの殆どを把握してはおらんです。
「ものぐさ精神分析」 岸田秀 1977
時間は悔恨に発し、空間は屈辱に発する。
「告別」 ロバート・B・パーカー 1984
バランスをとれ。縁まで水の入ったグラスを持って、こぼさずに歩くように。
「幻想としての経済」 栗本慎一郎 1980
芸術もこれまでのイメージにおける犯罪も、人間存在にとっては、広義の非生産的労働の枠内にあるものである。
「暗黙知の次元」 マイケル・ポラニー 1966
暗黙的思考は全ての知識の不可欠の部分をなしている。
「精神と自然」 グレゴリー・ベイトソン 1979
精神過程は循環的決定の連鎖を必要とする。
「知恵の樹」 ウンベルト・マトゥラーナ、フランシスコ・バレーラ 1984
すべての行動は認識であり、すべての認識は行動である。
いわれたことのすべてには、それをいっただれかがいる。
「柔らかい個人主義の誕生」 山崎正和 1984
消費する自我は、めざすべき目的として自分の欲望を限定しない自我であり、また、その目的実現のために自分を手段としても限定しない自我だ。...この自我はもっとも全体的な自己探究の営みを行なっている。
「演技する精神」 山崎正和 1983
人間の心身の姿勢と行動のリズムは、それが誰のものであれ、個人である人間の意識には完全には知りえないものだ。
「唯脳論」 養老孟司 1989
構造とは、脳なら脳を、より視覚系寄りに扱うやり方であり、機能とは、同じものを聴覚・運動系寄りに扱うやり方である。
...ヒトの脳は、視覚と聴覚という本来つなぎにくいものを、いわば「無理に」つないだのではないか。
「考えるヒト」 養老孟司 1996
われわれは自分が理解できる範囲でしか、要するにものごとを理解できないのである。...どうすればいいか、自分の身体に聞いてみな。
「人は無意識の世界で何をしているのか」 千葉康則 1990
人間同士の伝達では言語伝達よりも非言語伝達のほうが大切である。...勘とか第六感は優れた無意識の能力のすべてを指している。...刺激を個別としてとらえるのではなく、全体として感じ取る能力が深くかかわります。
「千利休 無言の前衛」 赤瀬川原平 1990 岩波新書
利休の美意識の中には偶然という要素が大きく入り込んでいる。...私はそこに、無意識を楽しむという項目を付け加えたい。
「貧乏は正しい!」シリーズ 橋本治 1994-1996
無能を克服する方法は、まず唯一、自分の無能を深く自覚すること。
「宗教なんかこわくない!」 橋本治 1995
「正しい教育」とは、「いい加減な洗脳をすること」なのである。
「無意識の構造」 河合隼雄 1977 中公新書
両立しがたいと思われていたものが、ひとつに統合されることによって創造がなされる。
「サブリミナル・マインド」 下條信輔 1996 中公新書
...独立した意志をもつ単位としての個体、究極的な価値としての自由、こうしたものは急速にその根拠を失い、崩壊していく。
「脳を究める」 立花隆 1996
伊藤説が正しいとなると、小脳が人間にとって持つ意味は飛躍的に大きなものとなる。大脳中心で考えていては、人間がわからないということになる。

 → 共感した本