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 最近、前回まで引用紹介していた、CIAの心理戦争(N.N.ヤコブレフ 著 井戸口 博 訳 1983年 新読書社 刊)からの、爆撃目標について関連が記載されている本を見つけました。

 この本はアメリカのC.I.A.の前身、O.S.S.(戦略情報局)の創始者、ウイリアム・ドノバンの伝記です。

情報で世界を操った男

吉田一彦 著

新潮社 1997年 刊

p311

63  四面楚歌のOSS

事実、原子爆弾の使用も含めた対ソ作戦が計画されるのは、一九四七年七月二十九日以降である。この日を出発点にして統合戦争計画委員会は、以後三年以内に予想されるソ連との対決を考慮に人れて、暗号名「ブロイラー」という作戦計画に着手する。統合参謀本部によって対ソ戦争計画が承認されるのは一九四九年一月二十八日になってからである。この計画は暗号名「トロイ」とよばれて、リストアップされたソビエトの都市は七十に上っている。作戦には百三十三個の原子爆弾が必要とされ、その内モスクワに落とされるのは八個で、レニングラードには七個が予定されていた。

 これによると、CIAの心理戦争では、『一九四八年に作られた『チェリアチール』と『フリットプード』の暗号名で呼ばれていた二計画によると、戦争開始後の一力月間に、ソ連の七○の諸都市に、一三三発の原爆が投下され、』と記述された計画は上の文では暗号名「トロイ」となっています。また、CIAの心理戦争で『トラヤン」計画』と記述されていたのは「トロイ」計画のことのようです。


その他の参考文献

戦略爆撃の思想(上・下)

前田哲男 著

現代教養文庫 1997年刊

 この書籍は1988年に朝日新聞社が単行本として刊行されたものです。

 「戦略爆撃」という思想が、いつ、だれの頭で芽生え、いかなる変転をたどって広島と長崎の上空に至ったか、その ルーツを日本海軍航空隊による、1939年から1941年にかけての「重慶爆撃」を中心に検証しています。

 また、戦後の抑止力としての核による戦略爆撃については、下刊、P280、エピローグに書かれています。


つづく