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 爆撃目標についてー2

CIAの心理戦争

N.N.ヤコブレフ 著

井戸口 博 訳

1983年 新読書社 刊

pー52

第2章 戦略の選択・原爆戦争か、心理戦争か

 より2回目です。

 だが、ソ運邦に襲いかかる準備をととのえた彼らではあるが、ヒトラーがどのようにわが国に攻撃を始め、何によって終ったかを当然思い出さないわけにはいかなかった。ドイツは全ヨーロッパ大陸の資源を供給されたが、それにもかかわらず、戦争には負けてしまった。どこに問題があったのか?諜報委員会に結集した心理戦争の専門家たちは、例えば、対ソ戦争における政治的諸要因の意義についての自らの意見を報告したりした。彼らは、原爆の投下はソ連人の力の根元−ソ連人民の精神的政治的統一を−打ちくだくだろうという空軍の将軍たちのテーゼに不安を提起した。彼らは、物質的要因のほかに、ソビエト連邦の力は以下にあげるようなものから成っていると指摘した。即ち「@ロシア人民の生来の勇気、頑強さ、愛国心……Cソ連の軍事努力を支えるために、ロシヤ人特有の愛国主義を動員するソビエト体制の明らかな能力、D第二次世界大戦の初期に示されたように、極端に組織がくずれた条件の中でも、戦争を遂行し得るソ連人民と政府の能力」てある。

 これら全てのことは注意を向けないわけにはいかないことだった。結局、一九四○〜五○年代の境目頃から、アメリカの戦略は、二つの行動様式を考慮した上で立案される。即ち、もし、圧倒的に優勢な兵力をつくり上げることに成功するならば、その場合は戦争である。未だ圧倒的優勢がつくり出されないうちは、心理戦争の過程で、ソ連邦に放北をもたらすように試みる。全体的な目的である社会主義の絶滅という見地からは、その間の境界をはっきりさせることはできない。

 対ソ戦争の戦争計画として明らかにされた恐らく唯一つものである、一九七八年、アメリカで公表された「ドロップショット」計画の実例を図解することは参考になるだろう。それが出現するに至った事情は意味深長である。一九四九年九月、ソ連で原子兵器がつくられたことが明らかになった。アメリカの原爆独占の時期は終りを告げ、それはワシントンでパニックをひきおこし、同時に好戦的な〃ひきつけ〃をおこした。ペンタゴン(米国防総省)の最初の反応は、即時、対ソ原爆攻撃であった。大急ぎで、およそ三○○の原爆と数万トンの通常爆弾でソ連の1○○の諸都市を崩壊させる「トラヤン」計画に着手し始める。立案目標として、ソ連に対する戦争の開始の日付は一九五○年一月一日に定めた。「トラヤン」計画は、参謀本部の図上演習で点検を受けた結果、憂慮すぺきものであることが分った。計画は七○%が遂行できるだろうが、その際、参加爆撃機数の五五%を喪失することが判明した。演習の参加者が結論づけるところでは、その間に、ソ連の兵力は、ヨーロツパと中近東を確保した上で、大西洋岸と印度洋岸にまで進出するだろう。なおよく検討すると、原子爆弾は、激しく進撃するソ連軍の能力を粉砕することは出来ないことが判明した。アメリカ参謀本部の計算では、西ヨーロツパは二十日間で占領されるだろう。ヨーロッパのアメリカ軍主要基地の大部分は、英国諸島にあるが、いまでは原子兵器の使用を伴うソ連空軍の爆撃によって、最大限ニカ月後には、恐らくもっと早く、戦列から脱落するだろう。だが、彼らの当時の軍事技術からすれば、モスクワ、そしてレニングラードをはじめとするソ連のヨーロツパ部分に達することは可能であった。アメリカ軍参謀本部は、アメリカ戦略空軍の基本的な攻撃能力を評価しつつ、五五%の損害に対して、搭乗員たちはどこまでも、反乱するだろうし、ソ連空軍はアメリカ軍基地を破壊しつくすだろうから、空軍は戦闘能力を喪失するだろうという結論に達した。従って、ソ連を絶滅する希望であった一撃での撃破政策を放棄しなけれぱならない。それはアメリカを戦争で敗北させるだろう。

つづく