(3/27記述)

航空ジャーナル 1978別冊

アメリカ空軍の翼 p70 成層圏の太鷲 コンベアBー36

田村俊夫 著

引用、第4回です。なお文中の写真、図版には省略しているものもあります。またリンクは小生が設定したものです。

(著者の田村俊夫氏、このページを見られましたらご連絡をいただきたいと思います。)

内容に関しては 空母か爆撃機か(2/20)と比較してみてください。

Bー36 VS 大型空母

このように空軍ではB‐36の能力をアップして核戦略の担い手の地位を強めたが,しょせんはレシプロ爆撃機であり,またコストも高いため本機の装備を疑問視する目も空軍の内外に存在した。この動きが公然としたのは1949年4月に国防長官が国防費節減のため海軍の大型空母ユナイテッドステ一ツ(65,000トン)の建造をキャンセルしたのと,時を同しくして議会や報道筋に怪文書がばらまかれ,B‐36の選定には賄賂が使われ,空軍はB‐36の性能や戦略爆撃の威力を誇大表示していると非難されたことだった。海軍の方では空軍のみがアメリカの核戦略の担い手であるのは,第2次大戦の空母の働きから見て納得出来ず,核爆弾の搭載出来る大型攻撃機とそれを運用出来る新空母を完成させようという試みを妨害されただけに余計に憤慨し、時の海軍長官は直ちに辞表を提出,レシプロ戦闘機のF4U‐5コルセアとジェット戦闘機のF2H‐1バンシ一によるB一36の要撃テストを申し込むなど空軍を攻撃した。この海軍の狙いは,平時の乏しい予算の取合いに,空軍が核戦略の唯一の担い手として優遇され予算を取られるのに歯止めをかけるのと、空母の核戦略能カを認めさせる点にあった。海軍が心配するだけにB一36の巨体は金を食い,B‐36の最初の95機は1機当り6,248,628ドル,次の75機は1機当り4,732,939ドルで,アメリカのような巨大な国力がなければ装備出来ない超重爆撃機だった。

 これだけ騒ぎが大きくなると議会の方でも無視出来なくなり,特別の委員会を設けて,3軍の参謀長やSACの司令官などを召喚して公聴会をこの年の夏から開いた。公聴会では前SAC司令官のケニー将軍は以前からのB一36反対派の立場から「B一36は夜間爆撃機だ。私は昼間爆撃に使用しない」と証言,現SAC司令官のルメー将軍はB‐36は昼夜を問わず作戦可能で,敵は爆弾が破裂して初めてB一36の存在を知るように出来ると証言するなど賛否入り乱れたが,空軍首脳陣はB一36に信頼を表明した。委員会はまず8月に本機の選定に賄略が使われたという容疑はないと疑惑を晴らし,次いでB‐36は軍指導部が最善の爆撃機として選んだものであり,国はこの点で軍の指導者の判断に信頼を置かねぱならないと報告書をまとめた。これで空軍はB‐36の防衛に成功したが.空軍が核戦略の唯一の担い手という点では明解な結論を出さず,海軍はその核報復能力の開発・維持に努力を続げることになった。

つづく