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 ニュー・ルック戦略による戦略空軍重視の軍事費割り当てには陸軍、海軍およぴ海兵隊から強い反発を買いました。そして空母が戦略兵力として大きな力を発揮しうるという自負がある海軍と戦略空軍の間で、Bー36爆撃機の戦略攻撃能力についての論争となりました。この件について下記の文献を引用します。

アメリカ空軍(AJ Custom)

航空ジャーナル 1977年 9月号臨時増刊(株)航空ジャーナル社 発行

戦略航空軍団 SAC

藤田勝啓 著

 ー空母か爆撃機かー(Pー31)

 〜SACの次代の爆撃機としては,大戦中から6発の大陸間巨人爆撃機コンソリデーテッドB‐36の開発が行なわれており,それに加えて全翼式の大型爆撃機ノースロップXB‐35(のちにこジェット化したB−49に発展)も並行して試作され,ジェット爆撃機としては6発のボーイングB一47,マ一チンB‐48の開発が進められていた。また,ジェット爆撃機実用化までのつなぎ的存在として,B‐29の発達型であるボーイングB‐50が発注されていた。

 1947年7月トルーマン大統領は“統合的な国家航空政策”を立案するための委員会を組織させ,12月にその報告を受け取った。その中で,米空軍は1950年までに70個航空群を整備し,そのうちSACはB‐36航空群5個,中型爆撃機航空群(B‐29およびB‐50)16個を備えることが提唱されていた。アメリカでいかにSACが重視されていたかが,ここにうかがえる。

 しかし,大戦後の軍備縮小期に、これだけの部隊を揃えることは財政的に大きな負担となった。当時の空軍予算のレベルからすれば、1950年までに備えられるのは48個航空群どまりと考えられ,それとても航空機と人員を完全な実働状態に保つには不足ぎみであった。空軍の中核と認められていたSACは,その中心戦力となるBー36の整備にカを入れるが,この高価な巨人機を購入するため,空軍は60機発注していた戦術爆撃機B一45Cのうち 50機をキャンセルして,その金をB‐36に回すなどした。

 空軍はB‐36に力を入れてその威力(核兵器と航続力)をPRしたが,風当りも強かった。その先頭に立ったのは海軍で,第2次大戦で大きな成果をあげた空母部隊の強力化を図り,大型空母“ユナィテッドステーツ”の建造を計画したものの,予算不足を理由に1949年4月に建造がキャンセルされてしまったため,その原因となった“金食い虫”のB‐36にかみついたのである。

 海軍には空母が戦略兵力として大きな力を発揮しうるという自負があり,艦載攻撃機への核爆弾搭載,艦載機としては異例の大型長距離攻撃機ノースアメリカンAJ,その後継となるジェット攻撃機タグラスA3Dの開発を進め,さらには核爆弾搭載のロッキードP2Vネプチューンを空母から発進させるという,ドーリトルのB一25東京爆撃まがいの構想まで立てて,核攻撃能力の強化を図っていた。海軍はB一36の能力に疑問があると主張した。B一36程度の速度では,新しいジェット戦闘機iこ簡単に捕捉されてしまい,目標まで到達できないというのが,その論点であった。空軍側がB‐36の高々度性能を誇ると,海軍はF4U一5コルセア(レシブロ機!)とF2H‐1パンシーによる要撃テストを申し入れるなど,論争が続いた。

 議会は特別な委員会を作ってB一36の調査を行ない.空軍は必死に弁明を試み,無事にB‐36を守り抜くことができた。B‐36の両外翼下にJ47ジェットエンジンを2基ずつポッド式に装備し,戦闘時の性能向上を図る試みが成功して,進攻能力がいくぶん強まったことも一因であったろうが,たとえ大型の艦攻を搭載しようとも,空母の搭載機数とその搭載機の能カでは本格的な戦略攻撃には不充分で,いくらか進攻能力に疑問があるものの,戦略攻撃を遂行できるのは長距離爆撃機だげと認められたのてある。〜

つづく