ボールが世界を結ぶ

    中田とヨルン


 年間十数回もスポーツのために海外出張をすれば、いろいろな話にでくわす。
「ナカタって、タフ・ガイのことだけど……」
 バスケットボールの田臥勇太(18歳)も選ばれた、新人発掘大会を取材中のことである。彼らのチームの監督は、イタリア人のガンバ氏。自ら五輪選手として活躍し、メダルも獲得した。
 日本から来たとあいさつすると、なぜか、バスケットではなくペルージャのMF中田英寿(22歳)の、話になった。彼はミラノ出身、もちろんACミランの熱狂的ファンではあるが、個人では中田の大ファンなのだ、という。お世辞というには、あまりにも詳しく、彼の野菜嫌いまで知っていたので、あきれてしまった。
 バスケットゴールの真下で? 太陽の照りつけるフロリダで? しかも中田の話だって? まったく奇妙な気分だった。彼は、中田という日本人が見せた力強く勇敢なプレー、精神力にひかれたと言った。
「無口で愛想はないが、責任感とか誠実さとか、彼は日本人の長所をサッカーを通してイタリア人に教えている。ナカタ、の発音はちょっと難しいな」
 彼は笑った。
 中田が移籍してからというもの、ファンは日曜日の深夜、テレビにかじりつき、「何でこんなに弱いんだよ、まったくもう」とハラハラし通しだった。この1週間は特にファンでない人たちまでも、残留に興味を抱いたはずだ。ペルージャという田舎街の存在を知り、イタリアのサッカーまでが、いつの間にか「日常」に入り込んでしまった。
 私たちは、スポーツ選手の名前をちょっと挙げるだけで、知らない国の人たちと会話を楽しめるようになった。互いの国の存在を知り、言葉さえも理解できる、こんな不思議な副産物までもらうことができる。選手の価値は競技におけるパフォーマンスだが、一方では国際親善だとか、相互理解とか、文字にすれば面倒な夢や理想まで、彼らのプレーは一瞬にして実現してしまう。
 中田が昨年イタリアヘ渡ったのと同じころ、日本へ来たサッカー選手がいる。
「16歳から憧(あこが)れのサッカー選手になり、すべては10秒で終わったんだね」
 眼球摘出手術から覚めた時、そう言って泣いた。
「でもその後は一切、自分のことは言わない。自分はいいから試合に集中しろ、と。クラブ関係者に職探しでも頼むか、なんて冗談を飛ばして……」
 関係者の声は震えた。
 先週、J2大宮のFW・オランダ人のヨルン(31歳)が、都内で外国人に左目を刺されて失明した。朝方バーにいたのは選手として不謹慎だが、だから仕方ないという話でもない。
 ヨルンは日本と日本人を心から愛していると公言していた。病室でも連日届く見舞いと、周囲の温かさに、自分の不幸を嘆くようなことは一切しない。
 サッカーに夢をかけて大陸を渡った2人のシーズンは、あまりに対照的である。
 しかし、セリエAに残留した中田にも、東京の病院で絶望の淵(ふち)に落とされたヨルンにも、まだまだ話の続きがあるはずだ。
 それを、祈りたい。

(東京新聞・'99.5.25朝刊より再録)

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