方向感覚

地図くるり回す「音痴」君
話聞かず走るのは女の私


 サッカーのキャンプやマラソン選手の合宿などは、都会を離れ郊外で行われる。このため出張、時に海外であってもレンタカーを借りて自分で運転することが多い。
 スポーツの現場で働く人間は皆タフで、初めて行った土地で、たとえ言葉が分からなくとも、「地図とカンと度胸」の三点セットで、サッカースタジアムやボールパーク(球場)になら、絶対にたどりついてみせる。
 基本的な方向感覚があるからだ。しかし最近「基本的な方向感覚」が不自由な人々、いわゆる「方向音痴」の共通点を発見した。
「今、どの辺を走っているのかな」。先日、地方出張をした際、ナビゲーター役のはずだった男性に聞くと、いきなり地図をクルリと回した。交差点を曲がる度に、地図を自分の進行方向に合わせて回すのである。

 何で地図を回さなきゃならないの。今どっちに向かっているか分かるでしょう」。「なんで分かるんですか」。私はすぐさま、彼から地図を取り上げた。
 米国出張をした編集者も完璧だった。彼は来た道を戻るだけの「ヘンゼルとグレーテル」級のドライブにも苦心していたし、密かに地図を回していたのを目撃した。今思えば、方向音痴に、左ハンドル右側通行という、過酷なリクエストをしたと思う。
 母はいつも「私は戌年だから道には迷わないの」と笑っていたが本当だった。私も人生にはよく迷うが、道には迷わない。地図さえあれば大丈夫だ。
 出張先では、走る。先日は、女子マラソンの弘山晴美選手とご主人でコーチの勉氏(資生堂)を取材し、成り行き上、素人には無謀な起伏を走って極度の筋肉痛に陥った。
 日ごろから、若い人の意見は謙虚に聞こうと心がけているので「こんなにひどい筋肉痛は初めて。どうしようか、きょうのランニング?」と、一緒に歩く編集者に尋ねた。

 彼は、無様な姿で這うように歩く私を、真面目に心配してくれたのだろう。「無理せず、ゆっくり歩いてホテルヘ帰ったほうがいいですよ。付き合いますから」
「そうだね、分かった」
 そう言った瞬間、なぜか弘山選手が「私たちもひどい筋肉痛になるけれど、走って治すんです」と話してくれたことを思い出し、急な板をいきなり駆け出した。
「人の話を、全然聞いちゃあいないじゃないですか」。彼は、私の後ろ姿に舌打ちしたはずだ。私の周囲はつまり、こういうことである。
「地図が読めない男、話を聞かない女」
 ベストセラーも、確かこんなタイトルだったと思うのだが、違いましたか?

(読売新聞・2001.3.18朝刊より再録)

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