年の話

若さ、と若々しさは違う
不惑目前、つくづく実感


 風邪の神、いとじりまわる──。小さい頃、くしゃみやせきをした瞬間、よく母にこう言われたものである。よく食べて栄養をつければ風邪の神様も逃げ出すという意味だそうだ。
 不惑目前のせいか、最近、風邪をひく代わりにこんなことを考える瞬間がある。
 階段ではなくエレベーターを選んだ瞬間、歩かずにタクシーに乗った瞬間、空いている席にふと気がつくと座っている瞬間、「あれ、今、年を取ったのかもしれないな」と。
「お元気ですか。仕事もここまで三十年、本当に健康でよくやり遂げられたと思います。これからは、自分の好きなこと、やってみたかったことに挑戦しますね。手始めに、スキー場に来ています」
 年間三分の一も出張する生活はただ慌ただしく消費するだけである。しかし一方では全国に多くの知り合いができ、いつも気にかけてもらえることは、私の少ない「財産」だと、自分に言い訳をしている。

 宮崎で、郷土料理店を女手一つで切り盛りして来た川野たみさんにももう十年、そんなお付き合いでお世話になっている。六十歳半ばで店を譲ると聞いた時は驚いたが、「これからは好きにやらせてもらうわ」と、見せた笑顔は輝いていた。
 そして早速スキーである。南国育ちだから一度本格的に滑りたいと話していたが、まさか本当にやるとは思わなかった。今になって誘う友人はいないだろう。しかし一人で小樽に近いスキー場でレッスンを受けたそうだ。
 参りました、正直に。新しいことを思い切って始めることがどんなに勇気がいるのか、よく分かる。それがスポーツとなれば、若い時には考えないような、肉体との相談を慎重にしなければならないだけに、尚更である。
 若さ、と若々しさは違うのである。
 私も、仕事のお陰で世界一流の女子ランナーたちから厳しいコーチを受けて走っている。コーチ陣は一流だが、なにぶん体は三流である。指導の割には一向に成果が表れず、情けない思いをしている。

 そんなわけで練習量を増やそうと近所を走っていると、「がんばって下さいね」「マイペースで」などと、情けないことにおじいちゃんたちに励まされ、さらに悔しいことに、抜かれる。私は彼らよりずっと若いが、彼らは私よりはるかに若々しいのだと納得し、にこやかに、微笑みを返すことにした。
 ジョギングコースは、都内でも桜の名所で有名な川沿いにある。
 桜が咲くのが先か、わずかに進歩した私がおじいちゃんを抜くのが先か。日に日に大きくなる蕾を見上げて走りながら、年は誕生日に取るのではないと、気が付いた。

(読売新聞・2001.3.25朝刊より再録)

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