ひざの痛み

足切断、難病、下半身まひ
入院で出会った人は今


 冬になると、左ひざが痛む。
 駅の階段を下りるのも容易ではないが、痛みが、日々慌ただしく走り続けるだけの自分に、何かを思い出させてくれる時もある。
 学生時代のスポーツで、二十年前、左ひざの手術をした。手術といっても整形外科の、しかも言ってしまえば不注意のせいである。ほかの患者さんの苦しさとは比べられない。
 下半身麻酔を打つため手術室に入ったとき、先生に「海老のようになってください」と指示された。体育会系思考の私は、海老と言われた瞬間、条件反射的に背筋のトレーニングで通称する、「海老反り」を手術台の上で披露し、手術室は爆笑に包まれた。
「プロレスじゃないんだからね。それは海老反り。海老は、ひざを抱えて横向きで丸くなることです」
 自分の足はライトの反射で見えていたので、薄れて行く意識と、ひざがパクリと開かれた現実に、不思議な感覚がしたと思う。

 病棟には様々な患者さんがいた。まだ大学一年だった自分にとって、最初に触れた「実社会」でもある。
 何度も手術をしながら、結局足を切断した人がいた。私が術後の痛みに眠れぬ夜を過ごしたと話すと、「痛むだけうらやましいさ」と笑われた。
 せきついの難病だった女性は、何年も続く入院生活で娘さんと離れて暮らさねばならない。写真や幼稚園での絵を見ながら、娘さんが自分を必要としなくなったらどうしよう、と泣いていた。
 交通事故で下半身が麻痺した同じ年の男の子には、一緒にリハビリしながら、将来の夢やガールフレンドの話を聞いたものだ。
 だから健康な自分は恵まれている、などという人生教訓ではなく、本当に様々な人々とその生活を、私は二か月近い入院生活で見ることになった。
 寒さと共にひざの痛みを覚えると、あの人たちは今どうしているのだろう、と、心がふと立ち止まる。

 今年の冬は右肩痛にもいじめられている。
 シドニー五輪の男子柔道、滝本誠選手が金メダルを獲得した会場で、イタリア人のおばあさんが階段から落下。運が良いのか悪いのか、すれ違った私の腕をとっさにつかんだために、右肩だけでおばあさんを支える格好で、肩を捻挫した。彼女はひざをすりむいただけで、救急隊員にはひどく感謝されたが、しばらくはパソコンを叩くのも苦労した。
 肩が痛むと、寝不足で走り回り、原稿と締め切りを抱え、まるでおばあさんを支えた隣間のように「何とか踏みこたえた」シドニー五輪が蘇る。
 あの時の締め切りを思うと胃までズキンと来るので、あまり思い出したくないのだが。

(読売新聞・2001.3.11朝刊より再録)

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