ひな祭り

女の子らしい季節感を
母と祖母の愛ひしひし


 なぜ、ああいう言い伝えがあるのだろう。
「おひな様をしまわないと、お嫁に行き遅れるから三日過ぎたら早くしまうのよ」
 今年九十四歳になる祖母はいつも、ひな人形を出すなり、しまう時の心配ばかりしていた。父の実家には、祖母の嫁入り道具だという年代ものの立派なひな人形があった。
 私も妹と祖父母の家に遊びに行っては、桃や菜の花で飾られたひな壇の前で、木箱から樟脳(しょうのう)の匂いとともに顔を出す人形に注意深く、冠だの、扇子などを飾り付けしたものである。
 私は小さいころ、祖母に「毎年箱から出すたびに同じ配列では面白くないので、たまには一番上に三人官女を置いてあげたらどうだろう」と提案したことがあるが、「どうしてそういう変わったことを言うのかねえ。お内裏様とおひな様は一番上と決まっているのよ」と、却下された。

 外で泥んこになって遊んでいた私たち姉妹にとっては、「女の子らしい」数少ない思い出である。今年もひな祭りが近づいて、母にあのひな人形はどうなったのかと聞いてみた。
 祖母は二年前に入院し、飾ることももうなくなったはずだ。
「あれは幼稚園に寄付したの」
 母はそう言った。
 自宅には豪華なひな人形はなかったが、伝統的な年中行事や季節感を大切にする母は、私たちが社会人になってずい分とたっても、ひな祭りを特別に扱っていたように思う。鮮やかなちらしずしに、蛤(はまぐり)のお吸い物を作っては、伝統的な行事などお構いなしで、当時はまだ男性ばかりのスポーツの世界で仕事をする私に、季節感を教えてくれた。

 スポーツ新聞で、プロ野球の巨人担当をした年がある。
 とにかく出張ばかりだった。年間三分の一以上は出張で、ひな祭りどころの騒ぎではない。当時の巨人はまだ二月にグアムキャンプを行い、帰国してから宮崎に入る形式だった。恐らく出張先のホテルヘのファックスだったと思うが、母がこんなメッセージを送ってくれたことを覚えている。
「きょうはひな祭りです。出張でいないので残念だけど、帰ってくるまでひな人形はちゃんとそのまま飾っておきますから。戻ったら、おすしもお吸い物も作りますね」
 三月三日になると、巨人担当などというとんでもない仕事をしながら、それでも、いやそれだからこそだったのだろう、母がひな祭りを大事にしていたことを思う。
 出張から戻るまで人形を飾っておいてくれた母とともに、「早くしまわないと、お嫁に行き遅れるのよ」と、昔からすでに危機感を抱いていた祖母を思い、可笑しくなる。

(読売新聞・2001.3.4朝刊より再録)

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