10月23日


ペルージャより
天候:晴れ、気温:22度

午前練習のみ
1.サーキット体操20分
2.シュート練習40分
 サイドからのセンタリングに中央が合わせてゴールするものそれと、中央から2人でショートパスをつなぎサイドに展開。ペナルティエリアに入った地点 から打つものと、2種類のシュート練習を行った。
3.紅白戦約30分

 金曜日の夜から試合に向けて合宿に入るため、この日は紅白戦を行い午前1回で練習を終了した。
 中田は練習後、「パルマは守備のいいチームだからこちらも何とか得点できる工夫をしないとならない。同時にやはり守備も重要なポイントになる。みんなでがんばりたい。あとひとつ勝てれば、きっとチームにも自信がつくと思うんだ」と、チームの中心選手としての意気を感じさせるコメントをした。 
 パルマにはアルゼンチンのベーロンがいる。「ベーロンのプレーというよりもアルゼンチンの戦術として彼の役目はサイドチェンジを正確に行うことだったから、パルマでの動きに参考になるかどうか…」と、W杯での動きとリーグは別物であるという考えだった。
 この日の練習には、昨日、移籍期限一杯にベルナルディーニとの交換レンタル移籍が成立したサレルニターナのMFテデスコ(27)も早速合流し、コンビネーションの確認などを行った。テデスコは「監督が起用するというのなら自分はベストを尽くす。スピードが持ち味のひとつなのでがんばりたい」と出場に意欲をのぞかせる。これで開幕から6試合目にして、2人抜け2人が加入することになった。

中田の記者会見

 午前練習の後には、毎週恒例となっているスポーツ新聞との会見が行われた。
 これは、まず練習中に新聞記者が紙に質問を書き出し、これを田村信之通訳に練習後渡す。これを受けた中田はストレッチ終了後に内容を見て、答える質問とそうでない質問に記しをつけるそうだ。この日出された質問は20くらいだったが、質問として「採用」されたのは5つ。地元の記者も出席する。
 尚、質問は田村通訳が読み上げて、中田が答える形だった。

−−パルマ戦に向けての抱負は?
中田 DFが強いチームということなんで、何とかして点を取りたいと思う。前回のゲーム(ベネチア戦)で勝ったので、ここで勝てればチームも調子に乗ることができると思う。
−−きょうはベルナルディーニが去ってテデスコが加入し、今週はトバリエリが解雇と、ともにチームの中心選手が抜けてしまった。それをどう思うか、またセリエのこうした激しい人事異動については?
中田 自分は移籍がこうしてできることはいいことだと思っている。やはり自分を欲しいと言ってくれるところでやれるというのはいい。だからこうやって移籍がどんどん成立するようなやり方が自分はいいと思っている。
−−パルマにはW杯で対戦したアルゼンチンのベーロンがいますが、その印象を?
中田 サイドチェンジの上手い選手というくらいの印象しかない。
−−試合後日本に帰国する強行日程ですが、3か月ぶりの日本で何かしたいことは?
中田 特別にはないし、時間もないだろうから。とにかく(トルシエ監督の)初めての試合なんで勝ちたいと思っている。

 という内容だった。

「WHO’S WHO」

田村信之(たむら・のぶゆき) 
 試合後、中田の後ろにいつもチラリと映っている日本人通訳。現在、中田専属通訳を務める25歳。ジャーナリストを目指してペルージャにイタリア語留学をした。サッカーももちろん好き。ペルージャのクラブ情報は歴史もふまえて非常に詳しいので、イタリア人ジャーナリストも一目置いているとか。
「ペルージャはのんびりして本当に好い所です。私自身は最初、ガゼッタ(デル・スポルト=スポーツ新聞)のこの位の記事(5センチ四方くらい?)を3時間もかかって読んでいたこともありましたが、今では、こちらでジャーナリストになりたいと希望しています。中田選手はいつも心にゆとりを持ったすばらしい人で、信じられないほどの早さでチームメイトから信頼を得ていると思います。語学の進歩は、こちらも、語学留学した自分よりも早くて…」と笑っていた。チーム全体の用具係の手伝いもし、日本記者との間に入り折衝もするなど多忙である。

「サッカーと過ごす普通の一日」

 ペルージャのバスは、葡萄畑の並ぶなだらかな丘陵地帯を抜けてマルシアーノの街に向かっていた。
 この辺りは、オリーブ油と葡萄の産地で、近くにはイタリアでももっとも評価されるワイナリーもあるという。
 赤と、シルバーのチームバスが坂の上のグラウンドに到着すると、1時間以上は待っていた子供たちが、駐車場の砂を巻き上げながら歓声とともにバスを追いかける。
 白髪の、クラブ責任者は「日本からようこそ。どうぞゆっくり楽しんでくださいな」と、スタンドに通じる通路のカギを開けてくれた。
 ペルージャは毎週木曜日に、近郊にある地元アマチュアクラブとの練習試合を行う。カルタニェル監督によると、大きな狙いは2つあるそうだ。ひとつは、セリエCらでは日程も取りにくく、なかなか対戦が組むことができない。攻撃の確認をするには、アマクラブが最適、というもの。もうひとつは、今年セリエAに上がったペルージャにとって、アマチュアとの試合は地域やファンと触れ合う重要な場所になるからだからという。
 こんなマイナーな練習試合の取材をできたのは幸運だった。
 中田が何をするか、チームが勝つかどうかなどという緊張感はまったく除外して、素敵な一日を味わうことができたからだ。
 22日の相手となったスポーツクラブ「ネスター」の歴史は、すでに100年近い。施設はお世辞にも立派とはいえない古びたものだが、サッカーグラウンドの横では、黒帯をつけた柔道選手がランニングをし、ぼろぼろのハードルを懸命にまたぐ陸上選手の姿も見える。地域の立派なスポーツクラブである。
 ウイークデーの昼間だというのに、試合開始の3時半には、子供たちから乳母車を引いた主婦、作業員風の人々、あるいはアマだとはいえ「ネスター」をずっと見守って来た老人、彼らが続々とやって来る。簡易スタンドはあっという間に満員になった。中田お目当ての女子学生も大勢いる。
 良し悪しではなく、こういう生活のリズムは、日本人に真似できるものではない。平日の昼間、大人たちが仕事を中断し、Jリーグの、しかも練習試合を応援になど見に行く余裕を持っているだろうか。ない。セリエAに上がったばかりのクラブと、自分たちの町のささやかなクラブとの練習試合を、あんなに愛情を持って見るゆとりがあるだろうか。できない。地域に根ざしたクラブ、というのはそう簡単にできるものではない。
 少なくても、日本にはまだないものが、名前も知らない小さな街にはあるように思った。
 アマクラブは、文字通りのアマでセリエCにも属さない、地域のスポーツクラブでサッカーをする人たちの愛好会である。選手はもちろん全員が職業を持っており、この日わずかだが聞いたところでは、銀行員、事務員、学生、食肉店経営者もいるという。彼らは特別な試合の日、3時までに仕事をかたずけグラウンドに集合する。もちろん家族と一緒に。
 試合中も、中田のパスに沸き、PKに拍手し、もちろんネスターのチャンスになれば、木造のスタンドが揺れる。ボール拾いは自発的に子供たちが走り回って選手に手渡す。パトカーのボンネットに座る警官、白衣を来たまま控えるドクターも、楽しそうに戦況を見つめている。
 西陽が強くなり、ベンチ側が日陰になるころ、試合が終了する。子供たちは中田のサインをもらおうとバスに乗り込み、ペルージャのドライバーがこれを追い出す。また少しすると、子供たちが隙を見てバスに乗り込み、ドライバーがまたもや大声で叱りながら駆けてくる。
 傍らでは、試合後の「パ―ティ」の準備が始まる。
 欧州のクラブではほとんど同じ光景を見ることができるのだが、試合後には必ず、両チームが混じって簡単なパーティが行われる。スタジアムの中にはこうした集まりのための部屋が、クラブの歴史を彩る品とともに設けられている。
 ネスターに「部屋」はなかったが、グラウンドに置かれた木の机に、街のピザ屋と、ケーキ屋が無料で提供するピザとケーキがずらりと並ぶ。カスタニェル監督も、相手監督と談笑し、クラブの責任者も選手のコップに水を注ぎながら回る。素朴なスナックを、観客も選手もジャーナリストも一緒になってほおばり、笑い声が静まる頃、パーティも終る。
 太陽は、丘陵のかなたに沈み始め、バスは夕日を受けながら、ペルージャに戻る。子供たちは、またバスを追いかけ、選手が手を振る。中田はそのバスの中で景色を眺めている。老人たちは遠くからバスを見送ると、杖を手に、坂道をゆっくり、ゆっくりと下ってゆく。
 何も特別なことが起きない一日。
 街の古いサッカーグラウンドが一杯になる日。
 中田が、ペルージャに来たおかげで味わうことのできた、名前も知らない田舎街での「幸せな一日」。

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