6月27日(エクスレバン・フランス)
晴れ、選手の表情曇り時々雨


 日本代表はすべての日程を終了し、この日午後、約3週間滞在したエクスレバンからパリに移動した。
 目標だった1勝1敗1分けは果たせず、得点も1点のみ、という結果に、日本代表・岡田武史監督は27日午前、会見を行い,自らの去就について、「どんなことがあっても続けることはできない」と、7月の契約切れ退任することを明らかにした。今後は、決勝トーナメントを視察しそのレポートを作成するためにフランスに残る。
 岡田監督は26日夜、選手にまず「ここまでよくついてきてくれた。結果は自分が全責任を追うことなので、みんなは堂々と日本に帰るように」とミーティングを行ったという。その後、大仁強化委員長と話し合いを行い、自らの辞意の理由について、結果への責任を取るということ、家族など自らの生活環境が激変した心労などについて理由を説明した。

 大仁委員長は「ここまでの手腕について評価はしているし、2002年を目指しての強化をしてもらいたい。3敗はやむ得なかった」と、続投を要望。
 長沼会長は、「岡田監督の辞意は聞いた。しかし、ここでそのまま了承します、というものではない。岡田監督のやってくれた仕事を最大限評価した上で、次をどうするのか現場が考え、それを支持したい」と、監督の辞意は一時預かる形で、7月の帰国後、まず2、3日前後に強化委員会、理事会にはかる方針を示した。監督の辞意が翻ることは現時点ではないため、大会終了後、退任が受理されることになる。

「岡田監督の後任は?」

 岡田監督が、代表を退くことになり、8月のブラジル戦をどう戦うのか、注目される。
 W杯期間ということもあり、海外の監督との交渉については難航が予想される。国内での監督にしてもJリーグからの招聘は契約期間のこともあり困難。そうなると、代理監督で1試合をしのぐなどの応急手当となるが、W杯初出場を果たした国の監督が一時的にも「代理」ではあまりに情けないことになる。ここ2週間の協会の対応には注目したい。

「岡田監督会見抜粋」

 W杯が決まってから、この半年、最初は4バックでやることを考えたが、やはり強豪相手には3バックでやっていかないと勝機はないと思い変えた。選手は飲み込みがはやくていいパーフォーマンスをしてくれた。
 今回の3試合について、まずはDFラインからダイレクトに縦パスを入れ、それをさらにダイレクトで前線に送るという、いわゆる「フリック」というやり方、次に中盤の横のパスもダイレクトにたたいて行く、これとサイドチェンジ、この3点をテーマに戦って来た。選手はこうした課題に100%答えてくれたと思う。
 私自身この半年、プロの監督として思い通りにやった。常にリスクを負ってやって来たし、そのことだけに自信を持つしかなかった。だから安易な道を選んで(監督を)続けるということはできない。そういうことをしたら、選手にも信じてもらえなくなるでしょう。
 ジャマイカ戦については3バックしか考えていなかった。かれらは決して弱いチームではないから、4バックでぽんぽん入れられたら、とリスクをまず考えた。しかし、勝てた試合に勝てなかったし、自分の意識付けが選手に上手く浸透しなかった。これも自分の責任。
 サッカーには色々な考えがある。どれが正解とは言えないでしょう。ただ自分のやった選択には悔いはない。正しいか、間違っているか、と言われればそれはどちらでもある。
 今後についてはまず自分で協会にレポートをだすが、強化方針、というものについては4年の長期に渡って1人が見ていくのがいいのではないか。あくまでも個人的な考えになるが。
(監督は選手とは同行せずに試合視察に回ることになる。午後12時8分、選手を乗せたバスが出発する際、監督はバスに乗る前の選手全員に握手をし、バスの中に入って選手に一礼。バスを見送った)

「戦いすんで」

 右足ひ骨骨折をしたFW中山雅史(ジュビロ磐田)は、杖をついて会見に出席した。痛くて眠ることができなかったという。
 「1点を取っても勝ちにつながらなかったらそれは喜ぶことではなかったし、もう1点何としても欲しかった。交代が3人出た後でひどい痛みになって、耐えるしかなかった。ただし、汗より脂汗ばかりかいて、なんで動けないのか自分がふがいなくて腹が立った」

GK川口能活(横浜マリノス)
「個人的には本当に勉強になった。しかし夕べは悔しかったのと、色々と考えることがあって眠ることができなかった。FWの決定力のなさについては、やはり世界との差を一番感じた部分だった」

DF井原正巳(横浜マリノス)
「泣いたのは、悔しかったこととジャマイカに2失点されたことからだった。勝てる試合だった。FWの決定力不足を言っても、仕方のないこと。差があることはわかっている」

DF小村徳男(横浜マリノス)
「DFの裏を取られる場面が最初から多くて、このままではまずいと思っていて失点した。ゴールに飛び込もうとしたシーンではハンドでした。審判のどうしようかな(結局取られなかった)、という間があってちょっとおかしかった」

DF秋田 豊(鹿島アントラーズ)
「本当に長い戦いだった。精神的にも一番きつかったのは、アルゼンチンとクロアチア戦の前。悔しいという気持ちを今表現することはすごく難しい。Jで少しずつ気持ちを整理する」

DF中西永輔(ジェフ市原)
「クロアチアのスーケルに食らった肘鉄は今もまだ痛いほどです。この痛みを忘れないようにしたい」

DF斎藤俊秀(清水エスパルス)
「テレビで見ていたW杯とは違っていた。4年後には必ず試合をしたい」

MF服部年宏(ジュビロ磐田)
「アルゼンチン戦でも0−0で行っていれば自分も出られたはず。いつも点を取って欲しいと願っていた」

DF市川大祐(清水エスパルス)
「ぼくにとってのW杯は2002年だったんですが、こんな経験をさせてもらって、自分はどんなことがあっても2002年につなげなくてはいけないと思う。22人枠から落選した日、監督に残りたいというのは勇気がいりました。でもよかった」

DF名良橋晃(鹿島アントラーズ)
「あと1点に届かなかった。もっとも違いを感じたのは判断のスピードだった。鹿島でまたやり直す」

DF相馬直樹(鹿島アントラーズ)
「届きそうで届かないものが何なのか、それをしっかり見極めてこれからの糧にしたい。大変だができるだけ早く気持ちを切り替えたい」

MF伊東輝悦(清水エスパルス)
「スタジアムには日本のサポーターが沢山いてホームのような気がした。次は必ず出たい」

MF小野伸二(浦和レッズ)
「ユニホームの交換は点を取ったウイットモアとしました。ピッチに立ててうれしかったが、もうあと何プレーかしたかった」

MF山口素弘(横浜フリューゲルス)
「夕べは眠れなかった。この代表でのベストゲームは結局イラン戦だったように思う。今まで何故オリンピックの選手が4年に執着するかわからなかった。でもきょう初めて4年という期間の意味と、柔ちゃん(女子柔道、アトランタ銀メダリスト)の気持ちがわかった気がする」

MF名波 浩(ジュビロ磐田)
「点だけがほしかった。決められなかったのは、何故か、今も悔しい」

MF中田英寿(ベルマーレ平塚)
「大会に出られたことが収穫。違いとか差とか自分はそう感じていない。ショックを受けるようなこともなかった」

MF森島寛晃(セレッソ大阪)
「出られない、というのはこんなにしんどいことかと思った。1か月アップをしてる時間の方が長かった。それでもこれ以上の経験はない」

FW岡野雅行(浦和レッズ)
「世界レベルというのは、常に緊張と厳しい視線にさらされているものだと痛感した。レッズでもまあ野次はあるんですが、そういう厳しい目線というのを常に自分に持たなくてはならないですね」

FW呂比須ワグナー(ベルマーレ平塚)
「結果が出なくてがっかりしている。何が足りなかったのか…しばらくゆっくり考えたい」

FW城 彰二(横浜マリノス)
「結果がでなかったのは何もいいわけができないし、するつもりもない。これからは、海外の下の方でもいいから一から出直して自分を鍛えたい」

GK小島伸幸(ベルマーレ平塚)
「川口はよくやったと思う。W杯で惜しかった、と勝つことの間にはいかに大きな違いがあるか、自分もみんなも痛感している」

GK楢崎正剛(横浜フリューゲルス)
「ベンチで見ていてレベルの違いは感じたけれど、やれる部分もある。中盤のパス回しは世界に通用していた。後は点だけ」

BEFORE
HOME