2003年8月5日

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サッカー

磐田・藤田俊哉オランダへ出発
(千葉・成田空港)

 磐田のMFでJリーグMVPにも輝いた藤田俊哉が5日午前、成田空港からオランダに向けて出発した。藤田は第1ステージが終了したことで、かねてから交渉を行っていたオランダリーグのユトレヒトに移籍する運びとなり、この日、磐田の辻強化部長とともに現地に向かった。明日から契約についての細かい交渉を詰めていくことになる。現時点では移籍金や、クラブ側の強化プランなどは明らかではなく、成田空港で辻氏は「行ってみないとわからない部分ばかりなので私の帰国日程も未定。正式な紙で(契約書)何かを交わした段階ではないので、まずはクラブ側の意向とこちらと本人の考えを出し合って行く」とし、到着後の話し合いが重要になると話した。オランダリーグの開幕は17日。

藤田俊哉「上位3チームが強い印象があるが興味深いリーグだと思う。Jリーグでやってきたプレーがどれくらいできるか楽しみにしている。(小野について)プレーはよくみているし、(清商の)後輩でもあるしライバルでもある。磐田のチームメートからはとにかく思い切ってやって来いと言われた。いろいろとあると思うが、サッカーを楽しめるように、置かれた状況でベストを尽くして、自分の技術がどれ程通用するかを知りたい」


「いってらっしゃーい!」

 残念ながら身体はひとつなので、ほぼ毎日、「選択」をしなくてはならない。
 どこへ行くか、である。
 しかも「2兎を追い何とか3兎を得ようする」横着で、そして綱渡りのような日々では、ダブルブッキングをいかに避け、なおも取材を充実させようかと考える。まるでゲームのようでもある。

 例えば8月5日、私はもし午前の取材を取れば、ある選手のインタビューは夜に設定すると言われ、もし夜の取材を優先すれば、インタビューは午前中に設定すると段取りをもらっていた。
 午前の取材は藤田俊哉の出発で、夜の取材はFC東京とレアル・マドリードの試合。
「ベッカムを見ないなんて、バッカじゃないの」と、友人たちには罵倒されたが、迷うことなく、早朝から成田空港へ車を走らせた。

 自分の家族としばしの別れを惜しもうと思っていた藤田には、思いのほかだっただろう。
 出発カウンターには見送りの友人のほか、5台のカメラと地元から取材に来ていたメディアなど30人程が集まっていた。カメラの列に照れくさそうに、「すみません、写すのはちょっと待ってください。上着を着てないんで」と、シャツ姿で汗だくとなりながら会釈し、ベンチで涼みたい、と腰かけた。

 声をかけると、「もうドタバタでね、夕べは眠れなかった。それにしてもこんなに沢山来ているなんてちょっと驚いた」と照れたように笑い、ジャケットを羽織ってようやくインタビューが始まった。

──今はどんな気持ちですか
藤田 ドキドキしています。

──サッカーで、自分の扱いも、環境も、ポジションも決まっていないなんて状況は子供の頃からの競技人生で考えても……
藤田 ないですね。何が起きるかわからないドキドキした気持ちですね。

──思い切りやる、というのと不安にどうやって対応しますか
藤田 (チームメイトからは)とにかく思い切ってやって来いと言われている。行って、見てみないことには何が起きるかわからないけれど、それもまたサッカーだから。

──どこまで通用すると想像するか
藤田 とにかくジュビロでやるようにやりたいし、いろいろなことに、いろいろなところで順応をしたいと思っている。

 藤田からは2度「遅すぎるかなあ」と聞いたことがある。日本代表の合宿中と、磐田が第1ステージ優勝を果たした2001年と2度。試合後立ち話でいろいろな話を聞きながら、自分も実は海外に行きたい、だけど年も年だからもう無理なんだろうか、そういう自問自答だった。
「無理だろうか」「いやそんなことはない」。この何年か、この繰り返しだったと思う。こうした激しい振り子の揺れを支えた主柱は、賞味期限のない夢の存在だったはずだ。

 これまでの若手選手たちのどんな移籍とも違って、今回は「移籍」という輪郭はぼんやりしているし、不確定な要素が現地入りする以前にまだ多く残っている。おそらく、アムステルダムの空港を下りてから困難はつきまとうだろう。
 しかし、勝手な言い分だと承知の上で、キャリアを積んだ選手たちが叶える夢は完璧ではなくて、どこか不完全だからこそ、より強い光を放つ。
 44歳で、独立リーグから再びメジャー(ドジャース)に復帰した名選手リッキー・ヘンダーソンは最近のインタビューで「年を取って、経験を積んで、プロの世界はビジネスなんだ、なんてわかったような顔で言う選手になりたくなかった。夢はいつでも隣にあって、できれば一生、一緒に歩きたい」と話していた。

 さて、藤田が一緒に持ち歩くのもやはり、30歳を超えても捨てなかった賞味期限なしの夢と5足のスパイク。そして家族の写真。
「じゃ、行ってきます!」
 混雑するロビーで、藤田はそう言って税関へ向かった。

 ロビーには「サッカー選手がいる」と聞きつけただけで「ウソ、ウソ、ベッカムなの?」と騒いでいた女性も数人いたし、とにかく騒々しかった。
 その時、どんな声に負けない、可愛らしい、だけど、とても力強い女性の声がロビーに響いた。彼女にはもう雑踏に入った藤田の姿は見えていなかったが、とにかく天井に向かって思い切り叫んでいた。
「パパア! イッテラッシャーイ、ガンバッテネェ!」
 藤田は声の方向を探し、それも見つけることはできなかったが「ハーイ!」と大きな返事をした。
 見送りに来ていた5歳の琴乃ちゃんの、なぜか腹にしみるような大声を聞いた時、8月5日の選択は正しかったと確信し、夜の取材に向かうことにした。Jリーグの、我らがMVPに幸運を、と心から祈りながら。



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