※無断転載を一切禁じます Special Colmun 「聴く仕事」 私は彼女が好きだった。彼女の仕事も好きであったし、心強かったし、現場では教えられた。 24日、ラジオ日本の、というより、長嶋茂雄氏を密着取材する女性としてテレビでも知られていた岩田暁美さんが亡くなった。 長嶋氏への密着でよく知られるようになったが、多くの取材の場合、必ず、選手や監督の話を「隣」で聴いていた。集団の中にあって、ああいう好位置をしっかりと取り、つまり正確なポジション取りで自分の質問に対して選手に答えさせているわけだから、いかに繊細な仕事をしていたかは明白であるし、選手のコメントはどうしても確認させてもらわなくてはならないことが多かった。 「あけみちゃん」と呼んでいたのだが、「あけみちゃん、ごめん、ここんとこ聞こえなかったんだけど」「何て言ってた?」と助けを求めると、彼女は一字一句、本当に間違いなく、教えてくれた。 新聞記者やスポーツライターには、コメントを取るという、いわば「買い物」において、良し悪しとは別のそれぞれの方法がある。中には他人が取ったコメントだけで原稿を書く器用な人もいるし、メモを取らないで、友人のような会話だけを覚え書きする記者もいれば、自分が書きたいストーリーを前提にしての質問をしている者もいる。 未熟な取材者は常に「聞く」ことばかりに執着し、自分がいかに「聞いた」のかを誇ろうとする。しかし私が尊敬する彼女の仕事はこれとは正反対のところでその輝きを放っていた。 最後にコーヒーを飲みながらゆっくり話したのは、昨年の巨人・宮崎キャンプだと記憶する。相変わらず最前線で、その日を、その年を動かすかもしれないささやかなコメントを拾い上げ、それを丁寧にメモしている姿に「偉いよ、ほんと」と言うと、「何をおっしゃいますか」を笑っていた。 今、柔道世界選手権に向けての合宿取材のために釧路にいる。彼女に無言で教えられた事を想いながら、これから始まる田村亮子のインタビューを行い、せめて冥福を祈りたい。
──岩田暁美さんを追悼する──
あらためて思い返すと信じられないが、もう20年近く、葉書で季節の挨拶はしてきたし、現場で会えばなんだかんだと話し込み、時間があればお茶を飲んだ。女性記者という狭苦しいくくりがもし存在するならば、その中において、彼女と私はかなり古株として、同じ年代にキャリアを──もちろん彼女のキャリアの充実ぶりは言うまでもないが──積んで来た。
41歳、同じ年の生まれで、私が日刊スポーツ新聞社に入社した時、彼女は写真部でアルバイトをしていて、やはり同じ歳生まれのかなりオンボロの会社ビルの廊下や階段で、よく立ち話をしたことを思い出す。まだプロ野球に女性記者などいなかった時代、それはわずか10年ほど前のことに過ぎないが、そんな頃に岩田さんはラジオ局の記者となり、会社が出張させられないと言えば自腹を切ってでも遠征をしていたし、私は、自分の意欲や能力とは無関係に、番記者として巨人担当に配置され、「現場」を駆けずり回った。意外にも接点は多かった。
野球ならばスコアブックに、ほかの現場で取材する際には大きなクリップボードにレポート用紙を挟んで、相手の言葉をびっちりと、正確に書き込む。
今では、パフォーマンス直後で息が上がり、興奮している選手の口元に名前も名乗らず、レコーダーだけ突き出し、自分が不在の現場にレコーダーだけ置いていく、実に効率的な手法も多くなった。
「不特定多数」が大変な勢いで迫ってくる現場取材では、選手にとっても恐ろしい状況になっているはずだ。自分が話した覚えのない相手から、覚えのないコメントが一人歩きする可能性があるからだ。
とにかく「聴く」からである。それも徹底的にアナログで、聴いた話を丁寧に、繊細に記していく。メモを取るのは、実は簡単ではないし、自分でメモしたものが後でまったくわからないなどという混乱も、騒然とする現場ではしょっちゅう起きる。
しかし彼女は、スタジアムがどれほどうるさくても、渦中の人間がどんな状況に置かれていても、自分がどれほど疲れ、集中力が途切れそうでも、とにかく聴く。相手の言葉をもらさまいと聴いて、書く。この商売なら基本であるべき「自分で聴く」ことへの良心、誇りや選手への愛着を常に持っているプロだった。だから、信頼を得ていた。
スポーツの現場で何かを書こうという者にとって、彼女が取るコメントの重みや個性は、特別なものであった。ともすれば「無法地帯」と化すような仁義なき現場取材にあって、彼女は常に仁義を守る女性であり、彼女の仕事にはいつも覚悟とか潔さが伴っていた。
また現場で会えると疑うことなく別れたが、長嶋監督、もっとも注目を集めるプロ野球という業界で女性が、彼女のようにキャリアを積むことは決してたやすいことではなかったとよくわかっているし、体力的にも精神的にも本当に厳しい現場だったと思う。
しかしそこを一歩も引かずに取材をしていた姿を決して忘れない。
遺志によって、密葬だという。シーズン中の関係者に配慮しての、どこまでも彼女らしい、「最後の仕事」である。
「現場」で取り続けた膨大なコメントとそれを記したメモは、どこにあるのだろうか。混乱し、雑然とし、涙や笑顔や時には怒号が響くような現場で「一言」を聴く。聴いた一言を大切に扱う。
彼女が現場で格闘し、そして残したのは、「リアリティ」という、スポーツの骨と宝だったと思う。
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