2003年6月30日

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サッカー

女子サッカー日本代表
W杯予選プレーオフへ出発
(千葉・成田空港)

 今年9月アメリカで行われる女子サッカーW杯出場権をかけたアジア予選で4位となったためにプレーオフに回った日本代表21選手が、メキシコ代表との「ホーム&アウェー」初戦(7月5日)のために、メキシコシティへ出発した。女子が予選でホーム&アウェー方式をとるのは初めてのことで、試合が行われるアステカ・スタジアムは標高2200メートルの高地にあり高地順化が大きな課題となるほか、高温、時差と(日本からマイナス15時間)、非常に厳しい戦いの中で、4大会連続でのW杯出場切符獲得にかける。
 なお、10番をつけるエース澤穂希は、米国女子プロリーグ、アトランタ・ビートに所属しており現地で集合する。12日には国立競技場でホーム戦となる。

女子日本代表/上田栄治監督「暑さ、時差、高さと、大変厳しい戦いになるが、過去、日本協会が経験してきたノウハウを活かして、4日間(到着後4日目に試合)ぎりぎりの日程でいい準備をしたいと思う。
 勝負の厳しさを先日のアジア選手権で味わうことになったが、今回の真剣勝負の中でどこまで厳しい戦いができるか、絶好の機会でもあるし、こうしたホーム&アウェーでW杯を争うことが今後の選手の大きな自信につながるはずだ。飛行機の中からいい準備をして臨みたいと思う。失点0に抑えること、ここに集中していきたい。日本の女子のサッカーは、高いポテンシャルと向上心を持っている。この予選でそれを発揮できると思う。(アステカ・スタジアムはかつてメキシコ五輪で日本が銅メダル獲得を決めたスタジアムで縁起がいい、と聞かれ)僕はあのメキシコ五輪を見て、サッカーをやろうと決めた世代ですから、初めて行くことに縁を感じてはいます」


「『ブルークラッシュ』」

 東京駅丸の内口に集合した21人の代表が成田空港へバスで到着し、最初に向かったのは、先送りしてあった荷物を受け取る荷物置き場である。ビジネスで遠征する男子の代表とは違い、エコノミーで約16時間かかるメキシコシティに向かうため、チーム全体の用具など私物以外を全員で分担して、大きなバッグをさらにパンパンに膨らませなくてはならないからだ。

 フランスで行われていたコンフェデレーションズ杯とほぼ同じ時期、日本女子はある意味で、コンフェデ以上に注目されなくてはならない重要な大会のために出場権をかけて敗れ、しかし、プレーオフが決定し、慌しく2,200メートルのスタジアム──それは1968年メキシコ五輪で銅メダルの快挙が果たされたのと同じ場所であるが──を目指してメキシコへ出発することになった。

 FIFAのPR不足、日本協会のPR不足のためあまり知られていないが、女子は第一回からW杯連続出場を果たしている。
 最年少は、1985年1月生まれの宮間あや(岡山湯郷Belle)で18歳。最年長は、Lリーグ出場記録すでに200試合を超える小野寺志保(日テレ・ベレーザ)、今年30歳になる女子を代表するGKである。現在もプレーを続ける元ベレーザの高倉麻子(エスペランサ)らとともに、女子サッカーの隆盛を見続けて来た。

「追加召集なんです。でもこういう厳しい舞台に日本代表として行くことができるんですから、出ても、出なくてもベストを」
 ベテランの小野寺は今回、山郷のぞみ(さいたまレイナスF)、福元美穂(岡山湯郷Belle)に続く、第三キーパーとして最後に追加召集された。

 5月、エムボマ選手の取材に訪れたヴェルディのクラブハウスで、車で稲城のヴェルディから平塚にある東海大に行こうとしていたこちらに、丁寧に、しかも交差点の名前から通りまでとことん正確に道を教えてくれたのが彼女で、ちょうど、Lリーグ出場200試合の快挙を達成する直前で、いろいろな話をする、ラッキーな初対面となった。

 彼女は、記事は全部読んでいる、会えて嬉しいと、優しく気を遣ってくれたが、30歳にして200試合を積み重ねる、しかもリーグ最高峰のGKに会えて光栄なのは、実は私の方だった。
 会って200試合の祝福を、と願っていたが長いこと時間がなく、なぜか、わざわざメキシコへの出発する日にそれがかない、コンフェデの帰国後わずか中2日で、またも成田空港へ来ることになった。もっとも、小野寺の記録は200試合ではなく、すでに203試合に増えてしまっていたのだが。

 私たちは、出発までの時間、空港の「スタバ」で、日本代表のコンフェデについて、カメルーン、フォエ選手の悲劇について、コンディショニングがどれほど大切かを教えられた、とか、GKのキャリアや、女子チームのジェネレーションギャップの困難などについて話をした。

「どんな形でも自分ができることはありますよね」
 小野寺は言った。
「ずっと、これだけ長い間サッカーをやってきて、いろんなことがあったけれど、W杯をかけて真剣勝負する中に身を置けるなんて、幸せだと思う。厳しいホーム&アウェーは皆はじめてですから、追加でも、3番目でも、これまでの自分の経験を出し尽くしてチームに貢献したいと思ってます」

 163センチ、52キロ、2人のGKとも10キロ以上違い、フィールドプレーヤーとしても小柄なGKは、手荷物から「機内の時間も順応に無駄にしたくないから」と、栄養素を入れた特別ドリンクや水を出して、高度順化やむくみといった症状への水分補給の重要性を説明する。W杯切符の半券は、行きの飛行機にももう乗っているはずだ、というわけだ。

 この日、成田空港は、午前中にジーコ監督がブラジルに一時帰国し、韓国から柳相鉄が来日し、サッカー界も慌しく出発と来日が繰り返された。女子サッカーの注目度はもっとも低かったであろうし、テレビ取材はなく、もちろん新聞の扱いも大きくはないだろう。
 しかし、W杯出場をかけて、女子サッカー選手たちがどれほど過酷で厳しい、初めての「ホーム&アウェー」の戦いに挑もうと、2,200メートルの高地に向かったのを、スポーツを愛するファンには知っていてもらえればと思う。

 このコラムのタイトルは、話題を呼んでいるサーフィンの映画名で、女性サーファーのひたむきさ、勇気がデーマだという。
 高校生から、30歳の小野寺まで、彼女たちもまた、「ジャパン・ブルー」のジャージに身を包んだ「日本代表」である。映画を見るより前に、日本女子サッカーの「ブルークラッシュ」を先に見ることができるだろう、と、小野寺を握手で見送った。
 手荷物検査場に消える直前、彼女は振り向いた。
「みんなで頑張ってきます!」
 笑顔で大きく手を振って。



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