初の決勝進出となった京都は、前半、大舞台の経験の有無から動きにスピード感がなく、序盤から中盤にさしかかる時間帯、15分、ミスから鹿島の小笠原満男にボールを渡してしまい、そこからすばやい展開で柳沢 敦にループシュートを打たれる。GK平井直人が躊躇している間にエウレルに走り込まれて、これがゴールに。痛い失点を背負って試合を進めることになってしまった。
しかし、この1点で、鹿島には「受けて立つ」といったような流れが生まれてしまう。京都はハーフタイムに、この流れから突破を狙い、さらに積極的に試合を展開することを確認。後半立ち上がりから、中盤の松井大輔、黒部光昭と今大会の得点王争いする2人が常にボールを持って前を向く動きからドリブルを展開し、これに鹿島がついて行けずにファールを連続する場面が増える。
後半5分、ペナルティエリア右で得たフリーキックのチャンスに、鈴木慎吾が左脚でゴール前に勢いのあるボールを蹴り込む。これを朴 智星がバックヘッド気味に合わせて、早い時間で同点に追いつく。
この後、鹿島は慌てる場面が多く、これに対して、運動量が後半に入って上がっていく京都がさらに積極的に出る。35分には、またも中央から鈴木が出したボールに黒部が左脚でシュート、自身今大会4点目となる勝ち越しゴールをもぎ取った。その5分後には、勢いに乗る黒部が前線で突破し、GK曽ケ端 準と1対1となる。曽ケ端はこれをファールで止め、退場処分となってしまった。
京都は初出場ながら、若手の物怖じしないプレーで局面を打開して初のタイトルを手にし、関西勢としては90年の松下電器以来の天皇杯制覇を果たした。
元旦に、誰もが「1年の計」を立てる。今年こそ、と新たな誓いを立て、気持ちをただしたとしても、気持ちが維持できるのはせいぜい3日ほどかもしれない。さまざまな初心が交差するこの日、ひとつの「志」(こころざし)と新たな願いは、神社の初詣ではなくて、5万人を集めた国立競技場で見ることができたように思う。
京都の左サイドバック、鈴木慎吾(24歳)のプレーを、ある代表クラスの選手が絶賛していることを教えられた。「間違いなく、代表の左サイドに務められる素材だ」と。
鈴木はこの日、鹿島が牙をむいて追加点を狙う時間帯に、ゴール前へ、まるで京都の気合と若さを象徴するかのような強いフリーキックを蹴り込んだ。このボールに朴が頭で合わせて同点となり、その後も黒部にアシスト。試合後、通路で話を聞くと、静かに笑った。
「試合前、いろいろと考えました。なんだか不思議でしたね、ここに自分がいるんだという感覚が。サラリーマン時代を支えてくれた友達、J2の仲間が新潟からもいっぱい来てくれていることがわかっていました。彼らのためにもいいゲームをしようと決めてピッチに立ちました」
すでに出ているが、鈴木は浦和のユースで将来を嘱望され、トップと契約を果たしたものの1年で解雇。行き場がなく、横河電機に就職をすることになった。競技者としてではなくて、サラリーマンとして、である。その後、J2新潟でチャンスを与えられ、京都へ移籍することになった。
サラリーマン時代、営業部に所属し、パソコンの営業に走る日々を2年も経験したそうだ。伝票の間違いや発注ミスをしないように緊張する毎日があり、5時に仕事を終えて6時から2時間、ナイターで練習をする。終われば寮に戻って、ユニホームなどを自分で洗濯して仕事の整理をする。朝8時半には始業している。こうした生活を丸2年送る中で、鈴木は自分のサッカーに対する純粋な気持ちを確認できたという。
「思い出といえば、本当にいつでも眠かったことですねえ。本当に体はヘトヘトだったんですね。でもあのまま浦和で選手として伸びていたとしても、自分がサッカーを好きだ、とか、仲間のこととか、感じることはなかったと思うんです。恵まれている、恵まれていないではなくて、自分がサッカーが本当に好きかどうかを確認することができたと思います。あれがなければ今日はなかった」
技術的には、代表クラスのある選手がすでに「目をつけて」いたように、日本にとっても魅力ある左脚になるだろう。正確なキックのほかに、ドリブルの突破力もある。4バックの日本代表にとっては、今後、いくらでも人材の欲しいポジションだけに、今後は、新潟に戻るか、京都に残留するかの去就とともに注目されるはずだ。
本人は、1月中旬までには答えを出す、と話している。
JリーグのトップからJFLを経験し、しかし、2003年の元日に頂点に立つ。鈴木がつかんだ「勝利」は、京都の初タイトルや関西勢の12年ぶりの優勝とは違う、じつはささやかなものであり、誰もがつかめるのかもしれない。そんな、思い続ける力を、鈴木はシンプルに伝えていたのかもしれない。
「苦労しなければ何事も報われません」
京セラ・稲盛名誉会長はそう言ってスタジアムを後にしたそうだ。出家した稲盛氏のコメントは、優勝コメントとしては何だか重すぎる感があるが、鈴木にはもっともふさわしい祝辞だろうか。
ロッカーを出たところで鈴木は携帯を見つめて立ち尽くしていた。携帯に残っていたメールの数が、じつに20件以上。サラリーマン時代を、J2でのサッカーを、支えてくれた仲間たちからのお祝いである。
京都は、前を向き、鹿島にぶつかっていった。気負いもなければ、恐れもない。そして、ベテランと呼ばれる域に入った中村 忠が、ホイッスルの瞬間までベンチ裏でピッチを見つめながらアップを続けていた姿がファンに見えていたことを願いたい。こうした「プレー」も間違いなく優勝を支えたからだ。
新年にとてもマッチした、清清しい、という言葉が頭に浮かんだ。