12月28日

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★Special Column★

失ったものを取り戻す旅

 元日本代表のMF・山口素弘(前・名古屋)のJ2新潟入りが28日決定し、クラブからも正式に発表されたという。
 彼と親しい新聞記者を通じて、「若返り」を理由に戦力外通告を受けてからずっと去就を案じていた。
 J2では、J1よりもリーグ戦の試合数が多い。しかも移動の厳しさ、日程の過酷さはJ1を遥かに凌ぐだろう。さまざまな形で複数のクラブからのオファーがあったなか、すべての条件が困難となる舞台を、J1を、あるいは世界の最高峰を経験してきた33歳の山口があえて選んだ理由は何だったのだろう。日本代表を経験した選手が、キャリアの仕上げの段階で選ぶ場所としては、おそらく想像以上の苦労を伴うのではないか。

 28日、記者に教えてもらった話によれば、山口は電話で嬉しそうにこう言ったという。
「本当に久々に、サッカークラブを作るということに関して熱い話ができた。とても気分がいいね」と。
 98年、日本代表がW杯初出場を果たしたフランス大会が終わったあと、山口を待っていたのは、信じられないような出来事であった。横浜フリューゲルスの消滅と、横浜マリノスとの合併。ようやく踏み締めた夢から、自らの力ではどうにもしようがない、クラブの消滅。あまりにも落差の激しい両極面を味わったあと、名古屋への移籍を決めた際、「本当に寂しい。もう帰るところはないんだね」と、静かに微笑んでいたことを思い出す。

 心の中には、プロであればどんなに最悪の状況であっても最大限の努力をする良心があったのだと思う。だからこそ王者を狙える名古屋を選んだ。一方では、あのとき失ってしまった「何か」をいつも、心のどこかで探し求めるような、長い旅への一歩だったに違いない。その喪失感だけは、名古屋でどれほどの待遇を受けたとしても、キャリアを経たとしても埋めようがなかったとも思う。

 J2新潟は、スタジアムのW杯後の利用を憂慮する間もないほど、熱く、クラブを愛するサポーターに支えられて上昇を続けている。オファーの詳細はわからないが、山口が肉体の過酷さをあえて選んで手にしようとしたものは、記者に教えられた「久々にサッカークラブを作るということについての熱い話」で理解できた。サッカークラブを自分の知らないところで「潰されて」しまった経験を持つ選手だからこそ、心の底から湧き出た言葉ではないだろうか。「あの年」の12月とはまるで違う状況である。
 新しいものを生み出す勢い、多少不器用でも体温の感じられる話が、クラブを愛するという本当の心意気が、山口を動かしたのだろう。

 4年前に失ったものを、若手とのプレーによって、サポーターとの交流によって、フロントとの話し合いによって、もしかすると取り戻せる、いや、取り戻してさらに上を目指せる。喪失感を「やりがい」に替えて、2003年もピッチに立つことを選んだ。
 果たしたいのは当然、J1昇格である。しかしそれだけではないはずだ。苦闘し、何度も困難を乗り越え、選手とチームが連帯し、苦しみの分だけ深い愛情を抱く「愛するクラブ」を手にしたいのだ。もう一度。



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