11月20日

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サッカー

キリンチャレンジカップ2002 −Go for 2006!−
日本×アルゼンチン
(埼玉・埼玉スタジアム2002)
天候:曇り、気温:12.1度、湿度:62%
観衆:61,816人、19時22分キックオフ

日本 アルゼンチン
0
ボール支配率:
43.5%
前半 0 前半 0 2
ボール支配率:
56.5%
後半 0 後半 2
 
ソリン:47分
クレスポ:49分

<交代出場>
■日本
 55分:中山雅史(鈴木隆行)
 58分:三都主アレサンドロ(中村俊輔)
 62分:山田暢久(名良橋 晃)
 67分:遠藤保仁(小笠原満男)
■アルゼンチン
 65分:C.ゴンザレス(C.ロペス)
 73分:サビオラ(オルテガ)
 83分:ソラリ(クレスポ)

 89分:ポチェッティーノ(キローガ)
 98年、フランスW杯予選リーグ初戦以来となるアルゼンチンとの対戦に、日本は奇しくも、秋田 豊、名良橋 晃(ともに鹿島)、中西永輔(市原)と当時の経験者3人がDFに入り、落ち着いた判断力とテクニックでチームをリードをしながら、試合を静かにスタートさせた。
 前線からの正確な押し上げと、中盤とのマークチェンジを素早く繰り返すことで、日本の守備陣はアルゼンチンにエリア内でのシュートを打たせないよう徹底。さらに、左サイドのソリン(ラツィオ)、右サイドのサネッティ(インテル)に対して、ダブルボランチ2人からパスコースをふさぐなど、アルゼンチンの中盤と前線を遮断する形を取った。長旅の疲労からか、スピード以上に、判断が遅れがちなアルゼンチンのミスを、日本は運動量で拾いながら前半19分、ベロン(マンチェスターユナイテッド)が一度クリアしたボールを名良橋がエリアギリギリにいた高原直泰(磐田)へ強いパスを送る。高原はこれを振り向きざまにシュートし、絶好のチャンスを生む。このプレーによって、前線の中村俊輔(レッジーナ)、鈴木隆行(ゲンク)、高原の動きが回転を始める。直後の21分には、左サイドを早いターンから抜け出した鈴木が、中を走り込んで来た高原へ。DFに潰されたものの、相手守備を崩してチャンスを作った。前半は、日本が流れを作って0−0で折り返す。
 同じメンバーでスタートした後半、高原はわずか20秒で右サイド小笠原満男(鹿島)からのボールに合わせるが弾かれる。2分には、左サイド中村からのボールをまたも高原が飛び込んでシュートするがこれはGKに止められる。チャンスを2本続け、やや勢いに間を置いたゴール前、右からオルテガ(フェネルバフチェ)に入れられたボールに、DFがつられてしまい、ここでソリンがノーマークに。ソリンは振り向いて左足で冷静に決めて、日本は先制点を奪われてしまう。
 2分後も、右サイドのオルテガに中西がついたが、外に開いたC.ロペスにマークが2人ついたところを、クレスポ(インテル)がオルテガからのボールに飛び込み、これをノーマークのヘディングで決められ、わずか2分のうちに2−0と引き離されてしまった。その後、日本は鈴木に替えて中山雅史(磐田)を投入し、高原との磐田コンビネーションで得点を狙う。24分には、左サイド遠藤保仁(G大阪)からのボールに中山がヘディングで飛び込み、また29分には、高原が胸トラップで左足からシュート、さらに高原がヘディングを競り合い中山にチャンスボールを落とすなど、FW2人の、日頃のコンビネーションの安定、積極性から打開を試みる。
 結局、日本は相手を上回るシュート数ながら、試合は0−2のまま。ジーコ監督不在の試合で初黒星、勝利のないまま代表は2002年を終了した。

    ◆試合後のコメント

山本監督代行「代表がW杯で初めての勝ち点を挙げた聖地ともいえるスタジアムなので、何としても勝ちたかった。一瞬の隙を突かれてしまったのは確かだったが、向こうはすでに4年以上もチームを組んでいて、こちらはまだ2試合目だと考えれば、チームの完成度の違いが出た格好だった」

    ──ジーコ監督は、交代よりも長く組ませると話していたが
    山本氏 (会見で言った話は)聞いていなかったが、監督との引継ぎでは45分、45分のメンバー交代だった。後半始めから替えなかったのは、流れがうまく行っていたからで、本来ならば途中で交代したメンバーは後半頭からの予定だった。

    ──課題は
    山本氏 最後のフィニッシュのところで、研ぎ澄まされた中でのプレーができない。

    ──ハーフタイムの指示は
    山本氏 アルゼンチンはシステムを変えなくても、メンバーはいじってくるだろうと思っていた。相手の途中交代とリスタートについてはマーキングをしっかりしろと指示はしていた。2点をやってはいけないところでやってしまったことは反省するべきだが、1点を取るか取らないかで試合は大きく変わってしまうこともある。崩されてはいけない局面だったが、中盤は中村以外すべて新しいメンバーだったこともあり、(ああいう状況になると)コンビネーションの差は大きく出る。

    ──ジャマイカ戦に比べて
    山本氏 いい動きができたと思う。(アルゼンチンはW杯で負けたのになぜ攻めなかったか、と聞かれて)負けたといっても、世界トップクラスの力に何ら変わりはないでしょうし、攻めなかったのではなくて、エリアを広く取られると非常にやりにくいので組織的な部分で守っただけの話。(シュート12本で)攻めなかったと言われても。

試合データ
日本   アルゼンチン
12 シュート 10
10 GK 10
4 CK 5
12 直接FK 16
3 間接FK 6
0 PK 0
鈴木隆行
(ゲンク)「いいチャンスは作れたと思うが、結果につながらなくて残念でした。まあ仕方がないし、(高原は)非常に強い選手なので、まわりにボール(競り合ったこぼれ球)も落ちてくるし、とてもやりやすかった。アルゼンチンはそれほど厳しいわけではなかったし、十分やれていた手応えはありました。すぐにこの差が逆転できるものではないけれど、でも、あとは経験を積んでいけば何とかなる差だとも感じた」

名良橋 晃(鹿島)「積極的に(前に)行っていいと監督からはGOサインが出ていたし、ボランチの福西君が、どんどん行ってもらって僕がカバーに回りますから、と連携をしてくれていた。ソリンは中に絞っていたので、それが出るチャンスにつながったと思う。今日の試合で得たものは大きかったが、企業秘密です」

中西永輔(市原)「一番やってはいけない時間帯にああいうことをしてしまって非常に悔しい。1−0にならなければ、2−0にはならなかった、それがはっきりしている失点。あそこでもう少し集中してオルテガのところにボールを止めに入ればよかった。ただ、その後もチャンスはあったし、チーム全体に落ち込んだこともなかったことは大きな収穫だった。代表の試合は久しぶりで、当たりの激しさとかちょっと間隔があいてしまった気がしていた。アルゼンチンは4年前より強かったし、状況は違ってものびのびとやらせてしまった」

高原直泰(磐田)は積極的に敵陣へ攻め込むも、ゴールは奪えず。
高原直泰(磐田)「前線の起点にならないと攻めの形ができないことを意識していた。そこは対等に戦えた実感がある。後半の失点は本当に不本意で、集中していかねばならないときにリスタートでやられてしまったのは悔しい。でも、合宿も2日だけで、チームが集まって時間もない。自分たちのコミュニケーションだけで試合をしているし、ただ、それでも理解力があることでここまでやれている。当たりの強さでは負けているとは思わなかったんですが、アジャラにヒジ打ちでたんこぶを作られてしまいました。やり返すチャンスは狙ったんですが(笑)。試合中、これは1点取れるな、とずっと思ってやっていた。後半はちょっとイライラしてしまった部分を反省したい。(ボカジュニアーズ時代のチームメイトだったリケルメにひとこと、と聞かれ)今週末にはクラシコ(スペインリーグ、バルセロナ×レアルマドリー)がある。リケルメも出るだろうし、そこでどうかがんばってください。応援をしています」

中田浩二(鹿島)「DFとボランチの修正を繰り返したので、前半はしっかり守れていたと思う。後半に入る前に、点を取りに行け、と言われて、前がかりになった部分があったかもしれない。アルゼンチンは速く、巧かった」

松田直樹(横浜FM)「あそこだけ、というのは世界との決定的な差。ただ、フランスの時(昨年の親善試合、0−5)には1点取られるごとに『もうやりたくない、早く終わってくれ』と思ったが、今日は違った。点を取られても『まだやりたい、まだ時間がほしい』とずっと思っていたし、90分が(攻められた試合で)こんなに短いとは思わなかった。今日の経験は本当に大きなものにつながると思う。最初の10分、あれが本当にいけない。クレスポなど、1歩2歩でウラに抜けるスピードがすごかった。これでしばらく代表の試合がやれないのが、すごく悲しいです」

福西崇史(磐田)「もう少し中盤でしっかりとボールを回せていたら、と思った。ベロンがあそこにいることで、僕らの位置がどうしても少しずつ下がっていってしまった。ただ、全般的には、慌てたところもなく、取られたあとも声は出ていた。次につながる試合だったと思う」

中山雅史(磐田)「とにかくDFは汚くて巧い。アジャラに足を踏まれて、『テメエ、痛いんだよ』と言ったら、今度は向こうが逆ギレしてこちらをどついてきた。『お前が先にやったんだろ』って別に熱くなったわけじゃありませんが、まああのくらいのファイトはしないと。タカ(高原)とさっきロッカーで見たら、同じ場所(あばら骨)に大きなアザがありましたから(アルゼンチンのDFのやり方という意味)。チャンスは作れていたし、攻めていなかったというのは全然違うでしょう。ただ、あとは個人がどこまで冷静に最後まで持っていけるか、それだけです。4年前はリアクションサッカーだったが、今日は自分たちのアクションをしたということで、こちらの成長も確認できた。もちろん、状況、大会、コンディションと違いますが」

秋田 豊(鹿島)「体を入れてしっかり守ることはできていたが、セットプレーでつかれたのがすべてだった。あの立ち上がりの5分、わかっているのに集中力がなかった。しかし、欧州組がいなくてもあれだけ攻めていたし、個人的にはセットプレーくらいしかチャンスがないかなと思っていたが、そんなことはなかった。後ろから見ていて非常によくやっていた。マークがスライドして行ってフリーを作ってしまったのは課題になる」

楢崎正剛(名古屋)「立ち上がりはよく守れたと思う。後半の早いうちに失点をしないで、10分をしのごう、そして競り合いに持ち込もうと話していたが、反対の展開になってしまった。一番集中すべき時間にリスタートからやられたのは、GKとして悔しい」

三都主アレサンドロ(清水)「0−2からだったので、どんどん積極的にドリブルをして上がっていいと言われていた。スペースをとっていたんだけれど、最後までうまくフィニッシュできなかったので、とても残念」

中村俊輔(レッジーナ)「負けたら納得はいかない。向こうは長時間かけて来ているわけだし、こっちはホームだから。前半は悪くない。個人でシュートまで持っていく力がアルゼンチンは上だった。気持ちを切り替えてアタランタ戦で勝ち点を取りたい」


「自信と名誉の、大たんこぶ」

中盤を縦横無尽に走り回るベロン(マンチェスターユナイテッド)。左は福西崇史(磐田)。
 ミックスゾーンに出てきた高原は、左の額に本当に大きな「こぶ」を作っていた。たんこぶは話している間にもみるみる大きく、赤く腫れていく。アイシングしなくっちゃ、と笑いながら高原は話す。
「アルゼンチンの強さは別に驚きませんが、アジャラにやられて、試合中、絶対に(報復ではなくて)やり返してやろうと(笑)ずっと狙っていたんですけど、ダメでした」

 中山があとで明かしたように、後半の2トップともあばらの同じ箇所に大きなアザがあったというから、DFはフル出場した高原に対して、90分を通じて彼らアルゼンチンの「正当流儀」を貫くほどに対等の扱いをしていたことになる。アジャラへの雪辱は果たせなかったが、心の中にずっと抱え続けた「個人的雪辱」のうちかなりの部分はしっかりと果たしたのではないか。

「チャンスは作ったというのは、自分にとって何の評価にもならないと思うんです。やはりチャンスをものにしないと。そこは全然違います。今回は、積極的にやり通したいと思っています」

 高原はこの試合前に、シュートゼロに終わったジャマイカ戦を「納得がいかない」と振り返り、抱負をそんなふうに話していた。実力を認めさせるために歯を食いしばって耐えたボカジュニアーズでの苦しさ、ちょうど1年前、トヨタ杯メンバーには選ばれなかった無念、W杯直前の病とW杯不出場、さらにアルゼンチンの経済破綻からのクラブ経営状態悪化による緊急帰国、1年遡っていけば数え切れないほどの困難を本当の意味で振り払うことのできる1ゴールはならなかったが、それでも「十分にやれたという手ごたえが持てた。対等に戦えたことが嬉しかったです」と、穏やかな笑顔と、静かな口調でミックスゾーンをあとにした。

 アルゼンチンが日本での試合にチームとしてのリスタートをかけたなら、高原はこの試合に個人的な再戦をかけていた。果敢にヘディングでの競り合いに飛び続け、接触しながら作った「たんこぶ」は、高原に様々なものを思い出させ、リスタートを切るための本当の確信を抱かせる「名誉の負傷」だった。
 この日、高原の動きを移籍話が浮上しているフェイエノールトの関係者が見守り、満足気な様子で引き上げていったという。

 98年を経験した秋田、名良橋、中西は、アルゼンチンとの距離をそれぞれ「間違いなく縮まった」(秋田)、「以前よりも強いと感じた」(中西)、「それぞれの要素で違う」(名良橋)と、違った感覚で捉えていたようだ。
 ベロンは言う。
「試合のどこに何があるのか注意深く探すことだ。今日、我々は世界中のバラバラな時間、場所、サッカーから集結しながら、同じ瞬間をつかまえた。それが再起への最大の収穫だった」
 無論、後半の2分で奪った2点を指している。そこで見せた集中力の凄まじさは、個人のテクニック、戦術、こうしたものとは一線を画す強さだった。日本は1点取られた後に、すでに気を抜いていたところへ落胆も加えて、わずか2分で試合を落としてしまった。
 サッカーにも「精神年齢」ともいうべき年齢があるのかもしれない。

 日本は体が立派に成長し風貌も精悍ですばらしいフィジカルを持ちながら、一方では精神年齢が並行していない、そんなアンバランスは4年ほどでは埋めることができない現実を見たように思う。ベンチも同様で、選手交代は「ジーコ監督に言われた通りならハーフタイムで変えるところだがリズムがあったので少し引っ張った」(山本監督代行)と、不在の監督が事前に出した試合プランと、目前で起きている現実と、山本代行はどちらを優先したのかはっきりしなかった。
 同じ時間、ブラジルは韓国との親善試合で、先行され続けた試合をロスタイムに逆転し勝利を収めた。W杯ベスト4の韓国と、優勝のブラジルの間にも、日本とは違う次元の「一瞬の差」があるということだろう。
 ジーコ監督が2006年に向かって描く青写真のピントが、どこにフォーカスされているか、されるべきか、この日の試合はそれらをはっきりと浮き彫りにしたことだけは間違いない。



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