お知らせ
増島みどり著
『醒めない夢』
発売中
詳細はこちら

|
48キロ級・田村亮子(トヨタ)、52キロ級・楢崎教子(ダイコロ)らメダル候補が揃う女子柔道が、五輪開会まで1か月となった(開会式は9月15日、柔道は16日から)全体合宿としては最後になる尼崎合宿で公開取材に応じた。
ここまで「体調はこれまでになりほど好調」と話していた田村だったが、16日の午前の練習で、左脚のふくらはぎを打撲。この日は大事を取って午前中の練習を休み、関係者を心配させた。しかし、テープをあてる簡単な手当てだけで午後の練習には戻っており、合宿でもっとも厳しい期間の故障を、前向きに「無理をし過ぎるなということ」と捉えていた。
各選手のコメント:
●72キロ級の阿武教子(前回のアトランタでは、ブラジルのシルバにわずか30秒で敗戦)
「手首は簡単な手術を行なって現在は、多少痛い程度。4年に一度の大会なのだから、相手もキツイんだと言い聞かせて、もっともっと自分を追い込んで行きたい。アトランタでは30秒も畳に立っていることができなかった。今回は勝って笑顔で戻りたい」
●63キロ級の前田桂子(キャリアは浅いが、昨年の世界選手権V、背負い投げのスペシャリスト)
「最初に怪我をしたので出遅れてしまった。今回は試合までの時間がもう少ないと思うと焦ってしまう面もある。私には背負い投げしかない。これまでの一発でかかる背負いから、足技を組み合わせてからの背負いへ今研究をしています」
●52キロ級の楢崎教子(前回アトランタの銅メダリスト、主婦として初代表、初メダルの期待がかかる)
「痛めたひざはもうテーピングなどもぜずやっている。前回の経験を活かして調整していきたいし、自分の納得する柔道をしたいと思う」
この日田村が練習を休んでことで、詰め掛けた報道陣は慌てた面もある。しかし練習は休みながら会見には出席。いつもと変らぬ笑顔と明るい声で対応していた。左脚の打撲については「昨日の練習中にふくらはぎを打ってしまった。多少痛みがあったので午前中は大事を取りました」と自ら説明した。手当て自体も簡素なところを見ると、大事ではないようである。
「この4年で成長した点は」
会見ではこんな質問が飛んだ。田村はゆっくりと答える。
「心技体、それぞれがどれもこの4年で成長したと思う。25歳で迎える今回のオリンピックがその成長し続ける自分のひとつの頂点になればいい」
彼女が福岡国際柔道に初めて出場しそして優勝をさらった頃、大きなしかもごつい男性記者に囲まれ、ふと気が付くと背伸びをしながら質問に答えていた姿。将来の目標を聞かれ、本当に何十秒も沈黙してからやっとの思いで、それも消え入りそうな声で「いつかオリンピックに出たいです」と言ったこと。これらが、もう何年も前のようにも思うし、ついこの間のことのようにも思える。田村と話すと、どうしてこうした成長を、勝負師としての凄まじいばかりの闘争心や集中力を隠し通せるのか、と思う。
スポーツにおいて、よく、倒すべきは自分自身、という言い方がされる。確かに真実だろう。しかしこうも思う。陸上や水泳などの記録競技なら時間を相手にする、自分と戦う意味がわかるが、ボクシング、柔道といった格闘技では自分ではなく相手を、その物理的な意味においてまず倒さねば試合は終わらない。相手を畳の上に投げ飛ばさねばならないときに、自分と戦っている余裕などあるのだろうか。だから格闘技の場合は、相手と自分の争いではないのだろうか。
「自分に克つ、というとき、それは相手には負けたくない、という気持ちなのかもしれません。でも勝負というのは面白いもので、強気だから勝てるわけではないし、弱気でも勝てる。人間は追い込まれると、自分の一番得意な技に出るんですね。ですからわざと追い込んで追い込んで、一番得意なことをさせようとして、そこを仕留めるわけです。ですから相手と自分に勝つバランス半々じゃないかと私は思ってます」
勝負師・田村の答えは重い。昨年の福岡国際柔道10連覇の際には、小指が90度曲がった状況で、それでも相手のサボンにそれを悟られなかった。自分との戦いであり、相手との戦いである。
この日、田村は痛めた左脚を多少引きずりながら、しかしテーピングわずか1枚を当てただけで、足全体を見せていた。テープをもう少し頑丈にすることも、足の故障自体を隠すこともできた。それでも堂々と自ら故障を語り、歩き、対応する姿に、何でもないのだとこちらに強調するかのような気迫もあった。
自分に克つのか、相手に勝つのか。シドニーで見せてもらえるのだと思う。