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増島みどり著
『醒めない夢』
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前半10分過ぎ、横浜の中村俊輔がハーフライン内側でフリーになった。マリノスの最初のカウンターがまさに始まろうという瞬間、磐田DF鈴木秀人、田中誠のバックラインは中盤のマークをしていたために猛然とドリブルをする中村をマークすることが出来なかった。
中村がGKと1対1になりかける。
そこへ猛然とダッシュで飛び込み、22歳の中村のボールを奪ったのは、夏が終われば33歳になる井原正巳だった。ともに足は遅い。スピード感はない。しかしだからこそ、2人が走ったコース取りに様々な技術と思考がにじんでいる。
井原はこのとき、田中、鈴木の少し後ろに立っていた。中村にボールが出たとき、足の遅い中村が取るであろうコースの最短距離を見抜く。中村が得意のドリブルをするたびに、その距離が短縮されて行く。ついに中村を捕らえたとき、マリノスにはもう最初のビッグチャンスで選ぶべきカードを完全に失ってしまっていた。
直後にも、FWエジミウソンのサイドラインの突破にスライディング。まるで教本のように、相手の足に一切触ることなくボールだけを蹴りだしてピンチを救った。
そして迎えた33分、中山雅史は狙っていたのだろう。トドメを刺すことを。
奥のスローインに高原がダミーで跳び、そこで落ちたボールを右足で回しこむようにシュート。連携がわずかにずれたマリノスのDF陣、そして経験のないGK榎本達也と、全員の一瞬の迷いを嘲笑うかのようなシュートで先制してしまった。試合後はハットトリック不達成を残念がっていたが、この1点の価値は、彼が一番よくわかっていたはずだ。
32歳の筑波大同級生コンビに、もう今更何の感慨もなければ、感傷的なものなどないはずだ。つい最近、意外にもユース時代以来となる10年ぶりほどの相部屋でホテルに泊まった夜を、井原は「楽しかった」と笑い、翌日の試合で2点を奪った中山は「また井原と一緒が縁起いいか」と笑っていたとう。
ただただ感服するのは、2人が見せるサッカーへの愛着である。圧倒されるのは、彼らがこれまで味わってきた敗戦をひとつたりとも忘れようとしない執念にも似た精神力である。かつて中山が「俺たちは同じ世代のみんなが好きなサッカーを辞めて行かざるを得ない中、2人で続けている。それを幸せに思わなければバチが当たる」と話していたことを思い出す。
アップに出て来た2人は、誰よりも若々しく見える。真剣であるだとか、真面目なのだとか、そういう表現ではない。
1本のパスも正確に、5メートルのダッシュでも手を抜かない。彼らよりも10歳もあるいはそれ以上も若い選手が同じピッチに立ちながら、そうした若く才能にあふれたはずの選手は5割程度で流しているように見えるから不思議である。なぜ彼らの若々しさが際立つのか。
井原がユーモアを込めて言うには、「それはいつでも自分たちが下手だと思っているから」ということになるらしい。いつでも下に落ちるかもしれない、そういう危機感と常に戦いながら自分の立ち位置の定める方法にあるのだという。
前日は、京都の練習取材に行った。
炎天下での練習で先頭を切るのは三浦知良だった。モモ上げひとつでも、彼は股関節のギリギリまで使って足を引き上げる。今に始まったことではないが、手抜きは一切しない。若手が後を追うが、しかし、余裕などまったく漂わせることのないその後ろ姿は、常に「危機感」を強烈に主張し続ける。
不本意な形で「若手との世代交代」とやらを強いられ、一度も争うことなくサテライトにいるGK松永成立も同じだった。
「オレは今でも本当に上手くなりたい。日本で一番下手くそだから」と、20歳も違うような選手に混じって言った。
彼らの偉大さは、本当はもっと高い評価を受けていいのではないだろうか。
同時に五輪世代にせよ、2002年を狙う若手たちにせよ、「彼ら」を本当の意味での競争で倒して国際舞台に立つには、相当の覚悟がなければ不可能ではないか。他人が何と言おうと彼らは自分のサッカーを、要するに哲学を貫き通してすでに10数年を走り続けているのだ。
先週末は、今更ながら、彼らの勤勉さに圧倒された。
12日、ジュビロの選手がロッカーから気合の入った掛け声とともにピッチに飛び出してきたとき、磐田スタジアムにはゴールとゴールを結ぶように大きな虹がかかっていた。
先頭を切った中山雅史、次を走って行った井原正巳の目にそれが見えていたのかはわからない。
けれども彼らの虹がどうか2002年W杯にもかかるように。虹にそう願いたくなった。