7月15日


女子マラソン代表の高橋尚子会見、現地取材
ボルダー(米コロラド州)
(天気:晴れ、気温:35度)

 シドニー五輪女子マラソン代表の高橋尚子(積水化学)が、高地トレーニング中のボルダー(標高1,600メートル)で会見を行い、脚作りがようやくスタートしたこと、3,000メートル地点での超高地トレーニングに計画通り挑むことなど現状を解説した。小出義雄監督によれば怪我もまったくなくいい状態が続いており、このままで行けば……と話すなど師弟で五輪への揺ぎ無い自信をうかがわせた。

 現在は体重が3キロオーバーしている状態だが、これを「あえて」そのままにするいわば減量禁止令が出されているなど、3人の代表の中でももっとも高い超高地にいるだけに、ユニークな調整も行なわれている。このままボルダーに残って、シドニーに入ることになっており、今後五輪まで取材などは一切行なわれず、五輪72日前、いよいよ後戻りのできないスタートラインに立った。

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 デンバー空港から車で1時間半、練習環境や高地であることなど全ての点から「ランニング・メッカ」「ランナーの聖地」と呼ばれるボルダーでの会見には、日本から50人を超える報道陣が集まった。7日に日本を出発したばかりだけに、そう大きな変化はないと予想されたが、実際は「大きな変化」の兆しが高橋に訪れているようだ。「今年に入ってから、もっともいい練習ができた1週間だったんじゃなかな。久々に高橋が戻って来たという感じがする。脚がまだまだなんて日本では言っていたけど、どうして、どうして、昨日、おとといはすばらしい練習だったね」

 日焼けした小出義雄監督の表情には嘘やごまかし、あるいはハッタリなどはない。単純な話ではあるが、平地で1キロを3分30秒で走れたとして、高地と呼ばれる1,600メートル以上の地点に上れば、同じ距離を走ってもこのタイムは出ない。しかし高橋はこの2日間、2,500メートルほどの地点で距離を踏み、予想をはるかに上回る記録を出すことができたという。監督自身は同走しようにも10メートルつくのがやっとだったと笑う。

 実際、高橋がここボルダーで戦っているのは、史上最強といわれる女子マラソンのメダルを争うライバルたちとではない。まして、毎朝挨拶を交わし「火花が散っている」と監督がからかうシモン(ルーマニア、ボルダー在住)でもない。去年の自分である。


取材に答える高橋(撮影・MM)
 昨年絶好調で迎えるはずだったセビリアの世界陸上にいたるまで、高橋は練習メニューにタイム、天気、一言コメントと実に細かな日記を書いていた。
「今も、その日記を毎日開いては、ああこんなんでいいのかな。あの時に自分に少しでも近ずかないといけない、体重も練習量も全然ダメだ、と考えるんです。ライバルのことなど全然考えたことがないんです。でも昨年の自分には勝たなきゃ、って思うんです」

 昨年、レース前に調整するロードでのタイムと今でも単純に比較すると4分も悪い。心の中では、昨年と同じボルダーに来て見ているのは、昨年の自分の影である。しかし、昨年の最高の出来だったはずの自分も8月上旬、足を痛めてからは影さえ消えている。日記を書くのは昨年の12月まで辞めてしまったからで、昨年の強かった自分をいくら追ってもスタートラインにはたどりつけない。そこに高橋の抱える矛盾と可能性両方がある。

「確かに昨年はあんなに良かったのに結局出られなかった。だから今回はどうすればいいのか考えているんですが、やはり昨年の日記を見ては監督に、こんなのでいいのですか、もっとやらなくては、と聞いてしまう」
 逆に監督の目的は、白紙になった部分からを埋めることにある。だからあえて上げない。調子を抑える。体重も「今落とすと苦しいし、消耗する。いいから食べろ、しっかり食えと毎食隣に座って食事をしてる」というほど、余裕を持たせることに専念している。

 いくら調子が良くて書き留めた日記でも、途中から4ケ月以上も白紙になっては意味がないのだということを、高橋はこの合宿で十分に知るはずだ。
 怪我も不安もない状態だが、それでも小出監督は過去2度の経験から「1か月前からの精神的な不安定をどうするか」を課題にする。

 言葉使いも人への対応も、今からじっと見て、折りに触れて「そんな風に人様に言うものではない」と注意することもある。
 昨年は故障で高橋を欠場させとことん懲りた、という監督の今回のテーマは、「石橋をたたいて渡りながら大胆に」である。そんな矛盾はあるのか、と聞くと、小出は「できっこないよな、そんな芸当」と笑う。

 しかしこの人ならやりかねない。いや、絶対にやるのだと思ったほうがいいだろう。100%、マラソンだけに集中したいと言う高橋の希望で、会見はこれが最後となった。次に高橋が「公に」出てくるとすれば、それはシドニーでのレース前の会見になる。

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