6月21日


シドニー五輪女子マラソン代表・市橋有里
女子5000メートル代表・市川良子
スイス・サンモリッツ合宿へ出発
(成田空港)

お知らせ

増島みどり著
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 シドニー五輪マラソン代表の市橋有里(住友VISA)とアトランタ五輪に続き2度目の出場となる市川良子(JAL、女子5000メートル代表)が、指導する浜田安則コーチ(東京ランナーズ倶楽部)とともに、昨年も合宿地として利用したスイス・サンモリッツでの合宿のため成田を出発した。
 市橋にとっては昨年、銀メダルを獲得したセビリア世界陸上前にも同地での合宿を行い調整をした相性も縁起もいい場所で、8月27日シドニー五輪選手団の結団式まで約2ケ月のロングキャンプとなる。
 今後はレースに出場する予定はなくシドニーのマラソン(9月24日)へ万全の体調で挑むために、8月下旬から9月はさらにもう一度高地に上がり、涼しい気候のところで調整を行なうことになっている。サンモリッツでは、ホテルではなくアパートを借り、自炊をするという。
 なお、女子長距離代表の弘山晴美・勉夫妻もこの日、米国ボルダーに向け出発した。

「ランニングかクライミングか」

 コントロールしなくとも体重40キロ、どこにも無駄な脂肪など一切ついていない市橋の「ズボンがパンパンですから」(浜田コーチ)と表現されてもイメージは沸かない。
 しかし、ここまで長野での山登りで約3週間かけて作り上げた「脚の筋肉」は、充実した練習を形として証明するものであるようだ。
 いよいよシドニーへの正念場となるスイス合宿に出発するまで、蓼科などを週1回から2回のペースで登った。
「太ももがかなりしっかりとしてきました。セビリアの時と比べても見劣りはしないと思います」
 控え目ながら口にした市橋の言葉には、昨年のセビリアを前にほぼ同じ時期、同じ日程で同じ場所に出発すること、つまり「昨年の自分」という明確な比較対照を持った自信が満ちていた。
 サンモリッツの標高は1500メートル前後で、高地というよりは準高地である。心肺機能への絶大な効果を求める高地トレーニングとはいえない高さだが、一方で周囲を欧州有数の山岳地帯に囲まれた風光明媚なリゾート地でもある。
 浜田コーチが市橋のトレーニングに山登りの導入を考えたのは3年ほど前だった。弁当を持って気軽に高尾山クラスの山に登ってみると、その後の練習が非常に効率良くこなせることに気が付いた。「自分でも最初は気が付かなかったんですが、自分には登山を入れることが楽しみにもなりました」と市橋は説明する。高尾、丹沢、駒ヶ岳、と高さを伸ばし、「気がついたら3000メートルを目指してた」と、横で浜田コーチも笑うが、少しずつ少しずつ「高み」に挑戦する姿勢は、若さや勢いを武器にしないでじっくりと力を積み上げようとする自身のマラソン哲学に近いのではないだろうか。
 今回のサンモリッツでも、「入れると入れないとでは見違えるほど」(浜田コーチ)と、山岳練習を週1、2回を加える。同地には市橋がまだ登っていない山も多くあるという。
「去年は行くことのできなかった山を登り、こなせなかった(スピード練習での)本数を増やすことでレベルアップをはかりたい。どのくらい練習が積めるか、自分でも楽しみです」
 浜田氏も、昨年のスイスでの合宿(延べ600キロを走り込んだ)と比較して「15%増しで750から800キロは(月間走行)距離が踏めそうです」と期待を寄せる。市川とともに、山登りでジャムを作るくらいたくさんのブルーベリーを摘んだり、景色を楽しみたいという。自炊のため、料理の本、必携の辞書、「一応」(市橋)ドイツ語の本を購入もした。そしてランニング、クライミングに使用するジョギングシューズ7足。
 数時間かけて初の3000メートル級を制覇したとき、はるか彼方に見えるのはスイスの絶景か。シドニーのゴールか。

市川の話「前回のアトランタでは出ただけでもう舞い上がってしまった面がありましたが今回は、結果を残せるようにしたい。結果とは入賞のレベルですが。(市橋のマラソン練習を)一緒にこなして、5000メートルが短く感じられるようになれば(5000メートルで日本女子で最初の)14分台も見えてくると思う」


女子バレーボール
シドニー五輪世界最終予選
日本×中国

日本 中国
1 25 23 3
29 31
17 25
20 25

 女子バレーボール、シドニー五輪世界最終予選第4戦目で、日本は中国と対戦。第1セットは接戦の末25−23で先取したものの、第2セットは激しいラリーとなり、31−29で中国に奪われた。続く第3セット、第4セットも25−17、25−20と中国に取られ、セットカウント3−1でこの予選中初の黒星を喫した。中国はここまで1勝2敗と不振だったが、この試合で息を吹き返したのか2勝2敗と通算成績タイに持ち込んだ。

「エースの幻影」


セットカウント3−1で勝ち、喜ぶ中国女子チーム(手前)と、愕然とする日本チーム。21日夜、東京体育館で。(撮影・KM)
 葛和監督は試合後、「中国のやろうとしていることは考え抜いた。すべてを読んだつもりだったが……」と自らの唇を強くかみしめて悔しさを表現した。3連勝中の日本にもしもほんのわずかな、小さくて狭い落とし穴があったとすれば、ネットを挟んで対面してもなお見えぬ「エースの幻影」であった。中国のエース・孫月の幻影に翻弄されたと言い換えることもできる。

 この試合、葛和監督は昨年の対戦で孫月のスパイクを止め続けるなどもっとも相性の良かった満永ひとみ(オレンジアタッカーズ)を3回当てる(ローテーションで対面する)ことを戦略とした。この大会ここまですでに2敗、後がない中国が日本を倒すためには必ずや、温存したはずの孫を投入し加勢してくるに違いない、そう読んでいたからだ。
 しかし、孫月の名前は先発にはなかった。これが最初の「読み違い」である。孫月の代わりに入った(同じポジションに、ではないが)のは、国際大会での経験がほとんどない殷(イン)だった。

「孫月シフト」で流れを早くからつかもうとした日本に次の「読み違い」──いい意味での──が起きる。孫用に敷いたはずのシフトに中国のほうが困惑し日本のブロックにかかる。おそらく、中国は中国で、日本は孫がいないときのシフトで来る、と読んでいたはずだ。孫がいないにもかかわらず組んだ「孫シフト」が功を奏し、満永の活躍を牽引役に第1セットを25−23でものにする。

 第2セットを前に、葛和監督は考える。
「もう孫月を出してくることはないだろう。ならば、孫月がいないシフトに戻す」と、フォーメーションを「孫不在シフト」に戻した。これが3番目の「読み違い」である。
 しかし、日本が1セット先取し16−13とリードし優位に試合を進めているはずの局面で孫月が初めてコートに登場する。ヒザの故障上がりでもある彼女の状態ではエースという働きをすることは困難だった。しかし、彼女がコートに立って最初のサーブから16−14。
 31点までもつれ込んだ凄まじい第二セットの中国の猛反撃は、ここから始まった。中国の胡監督にしてみれば、エースのスパイク決定率など求めていなかったに違いない。孫がいると思って先発を組んだ日本が、孫はもう来ないと踏んで元に戻した途端、孫をコートに送り込む。こうした「威嚇」の役目だけで「きょうの孫は非常にいい働きをしてくれたと思っている」と試合後は満面の笑みを浮かべていた。

 もっとも単なる「読み違え」などとと表現するのは適切ではないはずだ。ラリーポイント制では、流れと読みが以前よりもさらに高度なレベルで求められる。
 一方で、ささいなことからジワジワと流れを奪われてしまう。孫が出ると読んだ日本、孫を温存するかのような素振りで、実際には日本の裏をかいた中国。先発メンバーだけではなく、こうした目に見えないやり取りの応酬こそ、五輪最終切符を争う大会での壁である。簡単なことではない。まして全勝で切符を奪えるような大会ではないし、一瞬の読みと読みの凄まじい激突に勝たねばならない、そういう競技だ。
「そうです、私は孫が出て来る、と踏んだんです。中国にはもう後がないですから。第1セットを取ったのに、孫が出ていないシフトにわざわざ戻す必要があったか? 彼らのやってくることは読みきったつもりだった。殷の読み(動き)はそう簡単なことじゃありませんでした」
 葛和監督は試合後、悔しいと顔をゆがめた。しかし真正面から敗因を受け止めたコメントは、イタリア戦への流れを再び呼び込むはずである。

 セッターの竹下佳江(NEC)は、試合後の会見で「センターが使えなかった」という指摘と、「負けてはいけない相手だったはず」という記者からの質問に、悔しさがこみ上げたのか天井を見上げて涙をこらえ続けた。
「日本はストレート勝負でなければ勝てない。セッターとして私のトスが伸びていなかった、それがいけない」
 大縣郁久美(NEC)は、22日のイタリア戦に気持ちを切り替えた。「サーブで崩すことが基本。きょうの中国ほどの粘りはないと思うので、もっともっときょう以上にこちらが粘ってみせる」

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