1月30日


大阪国際女子マラソン
兼シドニー五輪選考会
(スタート:午後12時10分、長居陸上競技場発着42.195キロ)
天候:曇り時々雨、スタート時:気温9度、湿度:74%

 シドニー五輪女子マラソン代表をかけた選考会となったレースは、スタートから5キロを16分41秒と超ハイペースの中で展開される、熾烈で過酷なサバイバルレースとなった。
 すでに競技場を1キロ走った時点で先頭グループはわずかに13人。その中から、ペースが上がり、坂をひとつ越える度に、1人脱落、また2人脱落、という稀に見る高レベルでの生き残りレースが展開された。1万メートル代表の内定を蹴ってマラソン代表にかけた弘山晴美(資生堂)は、最後にリディア・シモン(ルーマニア)に抜き返されたものの、積極果敢なレースで2時間22分56秒、日本歴代3位の好記録で2位となり、シドニー五輪候補に名乗りをあげた。
 競技場直前に、弘山を抜き返したシモンは2時間22分54秒と自らの大会新記録を更新して、大会3連覇の偉業を達成した。

 サバイバルレースの中、3度目の五輪出場のチャンスを狙った有森裕子(リクルートAC)が15キロ手前の小さな坂で先頭グループから遅れる。その直後には、昨年の世界陸上では惨敗し再起にかけた浅利純子(ダイハツ)が、太ももの痛みのために途中リタイア。15キロからも、先頭は1キロ平均3分20秒のペースを刻み続けた。
 集団は20キロ、中間点過ぎから小幡佳代子(営団地下鉄)、初マラソンながら食いついていった下司則子(九州電工)が、少しずつ遅れ始め、35キロからは、弘山、ワンジロ(日立=ケニア)、シモン、アレム(エチオピア)の4人に優勝争いが絞られた。
 弘山は残り5キロの地点から、スパート。ここでトラックのスピードを活かして後続を振り切る。ところが、残り1キロで再度シモンにつかまり、そのまま2位となった。
 女子マラソンの代表にはすでに市橋有里(住友VISA)が内定しており、昨年東京国際では山口衛里(天満屋)が2時間22分12秒で優勝。この日、弘山が、大阪で日本人としては最高の2時間22分台をマークしたことで、残る名古屋に出場を予定する高橋尚子(積水化学)も、2時間22分台がターゲットになる。高橋のタイムによるが、2時間22分でも五輪代表が確定しないという、すさまじいばかりの高速マラソンでの選考となる(選考は3月の理事会で正式に決定する)。

▼優勝を果たしたシモンは、この日の給水で何度も失敗するなど「らしからぬ」ミスがあった。実は今回のユニホームも、シューズもピンクにしたためご主人が気を利かせて、スペシャルドリンクのボトルをわざわざピンクにしたそうだ。
 ところが、テーブルの色がピンクだったためにこれが「同化」してしまい、遠くから走ってくると「全く見えなくなってしまった」そうだ。このために5キロからすべての給水で自らのボトルをパスし、自分のスペシャルが取れたのは、わずかに35キロの1回だった。
 昨年は世界陸上直後に盲腸を切り、また大阪1ケ月前には、足底筋を痛めていた。それでもラストで弘山をかわしてゴール。史上最強の粘りのランナーと称賛される実力を見せつけた。シドニー代表には決まっており、今後ロンドンマラソンに調子が合えば出場し、五輪でのメダルを狙う。
「弘山さんにスパートをかけられても、まだ十分ついていけると思ったし、この勝利は、本当に体が欲した優勝だった。マラソンは42キロ走っても、ラスト100メートルまで勝負はわからない競技。私のほうが彼女(弘山)より少しだけ、根性があったのでしょう」

▼12回目のマラソンでまたも自己記録の小幡(5位)「粘るしかありませんでした。集団には下司さん(初マラソン)がいて、負けるわけにはいかないと思った。ハイペースの中での生き残りは本当に苦しいものだったし、五輪をかけたレースで脱落したのは、本当に残念でした」

▼日本陸連シドニー五輪特別強化委員長の桜井孝次氏「弘山さんは最後の最後、あと1キロで抜かれてテープを切られただけの話で、非常に動きが良かったし、また積極性のあるいいレースをしてベストを尽くした、と思う。山口さんが(昨年11月の東京国際で)2時間22分台をマークしたとき、もうこれだけの記録はでないだろうと思ったが、それがもう一度出たことに、驚きと改めて女子マラソンのレベルの高さを感じている。名古屋もこうしたレースになることが考えられるが、あくまでもすべてのレースを終えた時点で評価をし、理事会で決定をすることになる」

▼有森一問一答(会見から抜粋)
──レースを振り返って
有森 今回は仕事の準備不足を感じることになりました。もう少し30キロくらいまで(先頭で)通過する力を持っていればよかったのですが……。終わってから何を言っても仕方ないし、反省なら誰にもできる。
 15キロまでの自己記録のペースで行ってもう一杯一杯だった。当初は自分のペースで入ろうとも考えました。しかしそれが何の意味があるのか、現在のレベルにどこまで自分がついていけるのかを知るためにも、あえてついて行くことにしました。これで、足りないこと、やるべきことが見えてきた面もある。
──悔しいといういうよりは、むしろさっぱりとした(充実した)様子に見えますが
有森 悔しくないこともありませんが、全力を出し切ってしまったので……。レース前のことには色々と悔しい面(準備不足)も残っていますが、レース中はもうギリギリ、パタパタと走っていましたので、こういう結果を何か悔しがっても仕方ない、と思う。
──3大会連続の五輪出場は果たせませんが
有森 周囲が期待するほど、自分にとって「五輪に3度連続で」という価値観はありませんでした。チャンスがあるなら、と思いましたが、これは逃がしたわけで、オリンピック以外の別のレースを目指してがんばりたい。
──沿道の応援はどうでした
有森 こんなに応援をしてもらったのは初めてでした。こんなに応援をいただいていいのか、というくらいの声援で、あの応援を無駄にしないよう次につなげたい。
──レース中は何を考えていましたか
有森 自分で練習で出来なかったことばかり考えてしまって、ならばこのくらいしか走れない、などと思ってしまう瞬間もあった。そうなると粘りもなくなってしまうし、弱気になる。今回は練習ができなかったことが原因ですが、メンタルでそこをカバーすることもできると思う。今後、そういうことも課題にしたい。
──これで22分台が2大会連続になりました。高速レース化についていけると思いますか。
有森 今回、もし万全な準備や走りができて臨んだ結果がこれならば、高速化には、もうついていけない、ということになるけれども、そうではないし、時代が違うとは思わない。ハイペースで今回は15キロまで行ったのだから、練習を考え、内容を考えればそれが25キロになり、最終的に伸びることができるかもしれない。そう考える。

▼棄権した浅利を指導するダイハツ・鈴木監督「原因はわからない。15キロ地点で顔を見たら、ダメということだったのでやめさせた。両方の太ももがつった状態だった。まだやれるし、名古屋かシドニーをあきらめるのか、これから考える。浅利は、すみません、と涙を流していた」

「グッドジョブ!」

 有森はレース後笑ってこういった。「一杯一杯でした。やってきたことからすれば、こんなところです」。
 しかし、こんなところ、がレベルの低い話だったかどうか、それは違う。ともに時代を乗り越えてきた山下佐知子氏(第一生命監督)は、この日、「ファンとして」観戦に訪れ、有森とレース前に話した結果「40キロで声をかける」と約束をしていた。約束通り、40キロで声援を送り競技場に戻って来た山下氏は、このページの特別客員教授として、以下のような話を聞かせてくれた。
「いい仕事をしたと思います。『グッドジョブ!』、そう言ってあげたいと思います。今回のレースは、史上稀にみるレベルでの高速マラソンで、しかもサバイバルですから、落ちた時点で終わり、という大変な緊張感を強いられるし、ある意味での覚悟も必要だったと思うのです。

 有森さんはそんな中で、きっちりと先頭についていったのです。それはものすごいことです。10キロ手前で、画面で見ていても少しだけ腕がブレ始めたので、ああ、苦しいだろうな、辛いだろうな、と胸が締め付けられる気がしました。やはり、少しの上りで置いて行かれてしまいましたが、15キロまで自己記録で行くんだというあの意気込みは本当にものすごいものです。
 レース後、ロッカーで会いました。あいにく40キロの声は(大観衆で)届かなかったそうですが、私はもう現役を引退していて、彼女は走っている。この凄さは、私はよく分かるんです。彼女は、もう最初から一杯一杯で、それどころじゃあ……と笑っていましたが、けれども、プロとして走り、何にこだわっているのか、私にはそれがよく分かりました。だから、こうした厳しい条件の中でも、本当にベテランのキャリアと生かすものをしっかりと出したと褒めたいと思います。いい仕事をしたね、私は心からそう思います」

▼安部を指導する宗猛氏(旭化成)「誰が22分から落ちるかというレースで、最後に残ったのが弘山とシモン、そういう展開だった。有森にしても15キロまでのペースについていったわけで、あれはたいしたものだ。いずれにしても22分というタイムを出さなくては戦えない、ということがはっきりした」

「堂々の候補選手」

 シモンに最後の最後にかわされたことで、弘山の結果に、シドニー「当確」がつかなかった、という声がレース後あがった。
 また夫でコーチの勉氏にも、「あそこで(37キロ)飛び出さずに、もっと勝負に徹してトラックまで我慢していればよかったのでは」という質問も飛んだ。
 しかし、これはこのレースの「本質」とは違うところにある。
 レースは選考会で、しかも、記録と勝利、その両方を手に入れなければならない、とてつもなく高いハードルを掲げられていた。
 残り5キロの地点で、1キロのペースはそれまでの3分20秒から落ち始めていた。あのまま弘山が先頭集団で、単なる勝負にこだわっていた場合、23分、悪くすれば24分台にまで落ち込んだ可能性が高い。そこで、弘山は「飛び出して」記録と勝利、その両方を手に入れるための5000メートル走にチャレンジしたわけだ。

 最初から22分でゴールしなければ何の価値もないというレースで、弘山はすさまじいばかりのプレッシャーと、先頭集団の中でのせめぎあいに最後まで戦って、ゴールを目指した。記録は歴代3位の22分56秒。これ以上、どんな「成果」が望めるというのか。日本最高記録を持つ高橋が出場する名古屋の結果は当然のことながら待たねばならないが、文句なしに、堂々の「候補」となったことは間違いがない。
 弘山はレース後「最後に勝てればよかったのですが、残り1キロでシモンが来てる、とわかったときには、もう苦しかったし、トラックでは足が動かなかった。30キロまでは何もつらくなかったし、最後まで絶対にいけると信じて走った。勝ちたかったが、これも仕方ないですし、1万メートルを蹴って出て来たことには悔いはない」と話した。
 五輪というこれ以上ない「にんじん」を目の前にぶら下げられながらも、それをあえて拒否してもなお、マラソンの厳しい道を走ろうとした夫婦にとって、これはこれで、ひとつの「勝利」なのではないか。2人には、そう思ってほしい。

    順位 選手名 所属 記録
    1 リディア・シモン ルーマニア 2:22:54
    2 弘山晴美 資生堂 2:22:56
    3 エスタ・ワンジロ 日立 2:23:31
    4 エルフェネシェ・アレム エチオピア 2:24:47
    5 小幡佳代子 営団地下鉄 2:25:14
    6 安部友恵 旭化成 2:28:01
    7 下司則子 九電工 2:29:23
    8 ソニア・オベレム ドイツ 2:31:03
    9 有森裕子 リクルートAC 2:31:22
    10 スーザン・ホブソン オーストラリア 2:32:37

BEFORE LATEST NEXT