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松本支部には英語のホームページを見て世界各地からメールが届きます。1999年の冬にEVラリーへの参加を呼びかけるメールが届きました。発信地はコスタリカ。実のところ最初はどこにあるのかもわかりませんでした。世界地図を広げてアメリカ大陸がもっとも細くなった中米の真中、北緯10度の熱帯ににあることがわかりました。EVラリー参加まで
主催者APVEのホームページを見ると、ラリーの名前はRally del Tropico 2001といい、EV史上初の "interoceanic rally" だと言っています。確かにカリブ海と太平洋を結んでいますから間違いないのですが、距離はたいしたことはありません。コスタリカのことを調べてみると世界の生物種の10%が存在するといわれる豊かな熱帯雨林がある国で、環境保護に大変熱心だということがわかりました。中米ということで心配される治安のほうも世界で唯一の非武装中立国で、中米で唯一外務省の危険情報が出ていない国ということがわかり、一安心しました。写真は国立公園の入り口です。
(コスタリカについてくわしくはコスタリカ政府観光局、コスタリカ日本人会へ)。
このとき、すでに2000年7月のアメリカ行きの計画はできていました。2001年3月までアメリカに2EVを保管しておけば手続き上の問題もなさそうなので参加する方向で主催者にメールを出しました。
その後主催者からは問い合わせや情報の連絡が頻繁にあり、地球の裏側同士とは思えないほどスムースに計画が立てられました。インターネットの力をあらためて実感しました
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コスタリカは中央アメリカのほぼ真中、北緯10度の熱帯にあり、世界の生物種の10%が存在するといわれる豊かな熱帯雨林を有する国で、環境保護に大変熱心なことで知られています。ラリーの概要
このEVラリーRally del Tropico 2001はカリブ海から太平洋まで、国土を横断して約320kmの距離を5日間で走破するというものです。海抜0mの海岸から標高1200mの首都サンホセを通ってふたたび太平洋まで下りるというコースです。
次の表が主催者から発表されたコースです。
行程 日付 区間距離 標高 (m)Puerto Viejo(プエルト・ビエホ) - Limón(リモン) 2001.3.28 65.6 Km 0 - 0Limón - Siquirres * 2001.3.29 58.9 Km 0 - 250Siquirres - EARTH university* 2001.3.29 20.9 Km 250 - 300EARTH university - Guapiles (その後サンホセへ移動) 2001.3.29 28.75 Km 300 - ?San José(サン・ホセ) - INBio (国立生物学研究所) 2001.3.30 35 Km 1000 - 1000INBio - Alajuela(アラフエラ) * 2001.3.31 19 Km 1000 - 900Alajuela - * - San Ramón 2001.3.31 40.9 Km 900 - 1250San Ramón - Esparza * 2001.4.1 32.7 Km 1250 - 200Esparza - * - Puntarenas(プンタレナス) 2001.4.1 21 Km 200 - 0
*印の場所で充電
ラリーはスペシャル・ステージを設けない公道ラリーで、コマ地図を見ながら指定時間通りに走ることを競うタイム・ラリーです。指定時間から速くても遅くても減点されます。クラスはEV、LSV(Low Speed Vehicle)、バイク、ハイブリッドの4部門に分けられ、同じコースを異なる指定時間で走ります。20-50kmのセクションをEVの場合平均速度40km/h程度で走ります。最高速度60km/h程度で走らないとタイムを守れないので2EVとしては距離、速度ともにぎりぎりの設定です。
主催者からは競技中の食事と宿泊が提供され、充電用の電源とサルベージ、サポート用の車両が準備されます。
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コスタリカに出発する1ヶ月前の2月、7ヶ月アメリカに置きっぱなしの2EVを整備し、コスタリカに向けて船積みするため数年振りの大雪が降った松本からメンバー2名が渡米しました。到着した翌日シアトルはなんと激しい吹雪!!。
吹雪のシアトルからコスタリカの熱帯雨林へ、現地からのメンバーのメールで構成した「珍道中日記」です。まずは1ヶ月前、2月のワシントン州シアトルから。(日時は現地時間です)
- 2月15日、ワシントン州シアトルから第1報
- 2月16日朝、まさかの吹雪
- 2月16日夜、今日は雪なので書類仕事
- 2月17日、点検整備作業開始
- 2月18日、バッテリーの状態は…
- 2月19日、整備は続く
- 2月20日、初めての休日
- 2月21日、2EV船積みへ、しばしお別れ
整備、陸送業者への引渡しも終わって無事帰国し、ほっとしていたところに日本時間3月1日、行ったばかりのシアトルでM6.8の大地震!!。自分達の悪運の強さにあきれ返ると同時にお世話になった人たちのことが心配になりましたが、友人やElectric Auto Associationシアトル支部のメンバーは特に被害もなく無事との連絡が入り、一安心です。
- 3月2日、え、帰りの船が・・・?
- 3月13日、2EV、無事船に乗る
- 3月25日、出発直前だというのに
やっと準備も整ってあわただしくコスタリカに向けて旅立ちました。ここから熱帯のジャングルで繰り広げられる2EVのラリー日記です。
- 3月25日、コスタリカより第1報
- 3月26日、2日目は大修理
- 3月26日夜、歓迎パーティにびっくり
- 3月27日、移動は一大事
- 3月28日、ラリースタート、第1レグ完走
- 3月29日、ラリー2日目、マウンテン・コース
- 3月30日、首都サンホセに戻る、中間報告
- 3月31日、ラリー4日目、最高地点に
- 4月 1日、ラリー最終日、太平洋に下りる
- 4月 2日、ラリーを終えて
- 4月 4日、後日談
- 4月17日、2EV、帰途に就く
- 5月17日、2EV、帰国 NEW
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2001年2月15日 ワシントン州シアトルから第1報
15日15時、寄港地のバンクーバーから46人乗りの それこそバスのようなプロペラ機で当地にはいりました。松本から24時間の長旅でした。さっそく2EVを保管してもらっているガレージを訪ね、2EVの無事を確認するとともに 明日2日目のスケジュールを立てました。
私は前回の失敗に懲りて(なんとイミグレーションでホールドアップされました!)今回はひげをすっかり落とし、身奇麗にして ただひたすらイミグレーションを無事に通ることを夢見ていましたが、なんと今回も何百人のなかで ただひとり別室での取り調べを受けての入国となってしまいました。ほんとうにアメリカって失礼な国です。おみやげのお菓子もすべて開封され元に戻らず、だいなしとなってしまいました。
同行のU氏はは バンクーバー空港でちっぽけなプロペラ機を見て「まさかあれじゃないよね?」と心配顔でしたが予感が的中しました。でも これは私の責任ではありません。
すごかったのは 着陸直前だというのに スチュワーデスはコックピットをあけてパイロットに話しかけるは、そのパイロットはドーナツを口いっぱいほおばって スチュワーデスを振り返っておしゃべりするはで 着陸まで気が気ではありませんでした。ふたりはこのショックを乗り越えて 明日から2EVに全力を注ぎます。
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2001年2月16日朝 まさかの吹雪
二日目の朝がもうすぐあけます。今午前5時です。 なんと昨夜は22時ごろから スノーストームが当地を襲いました。外は20cmぐらいのの積雪です。テレビでは「学校は臨時休校」といっています。 フリーウェイも事故が心配といっています。
2EVの修理に全力を尽くそうとは思っていますが、相談の結果、今日はあまり動かないことにしました。交通が危険なのはもちろん さきほどからたまに「停電」するのです。 スノーストームはまだ数時間は続くとのことです。
9時になったら銀行に行って2EV輸出のための公式書類を作ってもらい(銀行が日本の公証人役場のようなことを兼ねているので)それをサンディエゴのトランスポーテーションエージェントに郵送すれば手続きは整ります。午前4時から起きているのは ジェットラグのためです。
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2000年2月16日夜 今日は雪なので書類仕事
ベインブリッジの1日目が暮れていくところです。今日の課題だった「2EVの輸出用公式書類を作成し公証人のスタンプをもらって それをカリフォルニアに郵送する」は なんとかこなしました。すでにカリフォルニアから日本にファックスで書類は来ていたのですが そこにこちらの公証人のスタンプが要るというのです。
朝いちでカリフォルニアのエージェントのJackに未記入だった車体番号を聞いたところ、聞いたこともない番号を言われました。2EVの日本の車検証の車体番号には 並行輸入車のため日本の陸運局が刻印した「東」という漢字が2個所も入っていて こちらの銀行のワープロでは無理と想像したのでJackに問い合わせたのです。たぶん昨年7月のアメリカ輸入時にシアトルの税関当局が漢字の刻印に困って 日本の陸運がやったようにアメリカ固有の車体番号を付けたと想像しています。これで2EVはリベットで付いている製造時のフランスの車体番号、東という文字のはいった日本の車体番号、そしてアメリカ入国時に付いた車体番号と計3つの車体番号を持った ということになりました。車検も日本の陸運とイギリスのMOTをふたつ持っていることと合わせ、はくが段々ついてきました。イギリスの車検証にはフランスの車体番号がはいっています。
さて午前中に完成した書類を昼前に書留でJackに送ったので 前言をひるがえし午後からホームセンターに出かけ 明日から2EVを修理するための工具やら支度などを備えました。20cmの積雪の割りに道路は比較的よく除雪されていました。日本のような本格的除雪車ではなく中型トラックにプラウをアタッチメントとして取り付けたものです。プラウは黄色いプラスチック性のため破片が交差点にいくとキャッツアイなどに触れて破片が飛び散っているのには笑いましたが 道路を傷めない安心感があるためか除雪中のスピードは時速40マイルを越えるほどでした。慎重に走っている車は除雪車に追いつけないほどでした。でも慎重になるのも無理ありません。往復で50マイルの距離でいくつもの事故を見ました。タイヤはほとんどがノーマルです。いちばん恐かったのは 対向車が蛇行してあやうくこちらに突っ込みそうになったことです。悪運の強さを発揮し今のところ無事です。停電は1時間に1回ていど来ますが消えて瞬間で復帰する状態が続いています。空路は確保されていますが大幅な間引き運行です。1日ずれていたらバンクーバーで足止めだったでしょう。今のところ悪運の強さでもっています。
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2001年2月17日 点検整備作業開始
昨年7月、シートをかけて屋外に置いたきりとなっていた2EVにようやく手が付きました。16日に積もった20cmの雪を取り除き、シートを剥ぎ7ヶ月ぶりの対面を果たしました。リヤウインドにテープで貼っっておいた、ユタの路上で圧死していたヘビの干物のうしろ半分がなくなっていました。何かに食われた?
まずEVとは無関係の部分でてこずりました。ギヤがリバースにはいらないトラブルは、トランスミッションをばらしシフトリンケージを調整することで直しました。EVですからリバースコンタクターさえ装備していればリバースギヤなんてどうでもいいことなのにまったくもう、、おまけに整備中にスプリングをミッションの中に落としてしまい、これを探すのに1時間!!いつもこんなことばっかです。
さてギアは直りましたが、コンタクターが作動しません。イグニションSWの接触不良でした。また電圧計が動きません。これもどこかの接触不良でしょう。東京からメールで指示をもらいながら明日対処します。EVといえどほったらかしたらこういうことです。あとはバッテリーです。DC-DCはないので12Vバッテリーを使っていますが、これが充電前6V、充電しても11V台なので明日新品を買います。新品といえば預けてあるガレージが2CVパーツの世界一の通販業者なので傷んだパーツを次々に交換しています。パンパー、テールレンズなど輸送中にトラックか船内で傷んだパーツの交換ですが主人のベンにいうと10秒でパーツが出てきます。パーツ倉庫内で作業をしているのです。極端でなく新車の制作さえ可能です。
さていちばん心配な半年放っておいた駆動用バッテリーは・・・、明日報告します。
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2001年2月18日 バッテリーの状態は…
本格的な2EV修理の2日目が終わりました。バッテリーは充電後に32個すべて個別に電圧をあたったところ、1個が10V台でした。残り31個はオーケイでした。2EVは8個直列を4セットという構成です。1個だめでもその列はすべてダメですから このままでは15kmかける3セットの45kmしか走れません。コスタリカでは航続距離が60kmは欲しいですからどうしてもサイクロンGを1個なんとかしなければなりません。ところがサイクロンGはアメリカで簡単に入手できませんから松本の手持ちをコスタリカまで手荷物で持ち込むしか方法はないでしょう。それから電圧計はメーター裏まで電圧がきているのに針が動かないことから「メーター不良」と結論付けました。これも松本に帰ってからKTAに発注かけてコスタリカに手荷物で持ち込みます。![]()
さて今日は最後に路上で2EVを走らせました。発進のたびにゴットンと大きな音がするので調べたら トランスミッションマウントのゴムが切れていました。ガレージに戻りまたまたミッションと格闘で油まみれでマウントを外しました。あしたは この交換が一仕事です。
ところで試走でベンのガレージの隣にある高校の敷地内を走っていたら 女性に止められました。Real electric car?ときかれたので そう、自分たちで作ったんだよ と答えたら Ialso have a electric car.というのです。聞き直すと Toyota Puriusと自慢げな答えが返ってきました。
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2001年2月19日 整備は続く
今日は 車体に関してはまずトランスミッションマウントを交換しました。合計100kg以上のモーター、ミッション、ドライブシャフト、インボードディスクをジャッキなしで持ち上げて再セットするのは ふたりがかりでも本当に大作業でした。あとブレーキパッドを交換しました。取り外したものはペラペラの薄さでした。コスタリカには1000mの一気くだりがあるので 気が付いて本当によかった!!
さてテスト走行後のバッテリーチェックでまた不良を1個見つけました。12Vと合わせ33個のうち3個が不良でした。12Vはカーショップで代用品を購入しましたが駆動用は前述のとおりどうにもなりません。在庫が松本に数個あるので2個を航空手荷物でコスタリカに持ち込みます。事務局によるとサイクロンGはもともと航空機用なので大丈夫とのことです。ただ2個で20kgありますからそれがね・・・。
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2001年2月20日 初めての休日
今日は 究極のEVを見てきました。ボーイング社関連の航空博物館にあるアポロ計画で使われた「月面作業車」でした。ネットでできたタイヤに触ってみました。これはサスも兼ねているのでです。すぐ横に「月の石」もありましたが私たち以外は誰も興味を示していませんでした。時の流れなのでしょうか?「地球以外では内燃機関は役に立たないので将来を見越してEVの道を極めましょう!!」。ところでこの月面作業車にステッカープライスを付けると「800万ドル」とありました。
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2001年2月21日 2EV船積みへ、しばしお別れ
たったいま、2EVはトラックに載せられ、コスタリカに旅立っていきました。まずはカナダ国境に近いここベインブリッジ島からメキシコ国境に近いカリフォルニアのコンプトンのトラックターミナルまで1回のトラック乗り継ぎで陸送されます。そこから先も何回かの乗り継ぎでフロリダのタンパ港まで陸送されす。アメリカ大陸、縦断&横断7000kmの旅です。タンパ港からコスタリカのプエルトリモンへは海路です。キューバのに西を抜けて3月19日にプエルトリモン着です。通関に1週間みています。3月26日に空路サンホセ入りするわれわれと プエルトリモンで3月27日に対面します。そして28日から4月1日までのコスタリカEVリーに参加します。
![]()
心配はトラックの乗り継ぎで 荒っぽいトラックドライバーに普通の車のように運転されて駆動系を壊されることです。はじめはこれが心配で自分たちでフロリダまで陸路搬送する計画を立てていました。日程や経済的事情で業者にまかせた今はもうステアリングに貼った運転注意書きをドライバーがしっかり読んで慎重にアクセルを踏んでくれることを祈るばかりです。
こうして今回のミッションはすべて終了しました。 それでは3月にまたコスタリカから発信します。
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2000年3月13日 2EV、無事船に乗る
陸送業者からメールが入り、2EVはぶじアメリカ大陸内の陸送を終えて船に乗り、13日火曜日にコスタリカにつくとの連絡がきました。
フロリダでの船積みのときに発電機用の予備燃料缶が危険物とみなされて下ろされてしまいました。コスタリカで買ってくれとのこと。EVなのでまさかガソリンが問題になるとは思っていませんでした。ちょっと困りますが、笑い話の種ができました。
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2000年3月2日 え、帰りの船が・・・?
さてコスタリカラリーの主催者から車両の返送をどうするかの問い合わせがきました。心配していたとおり、帰りの船便にはラリーの冠スポンサーはつかないらしくシッピングコストは行きの3倍でした。それも行き先はマイアミかデラウェアの二者択一です。そこから先の陸路も今度はノー冠スポンサーです。このようにアメリカに再入国させたところで金がかかるばかりです。行きはよいよい帰りは・・・を地で行くことになってしまいました。苦し紛れにラリー主催者に「ラリー後も2001年いっぱいはコスタリカに置きたい。とのメールを送ったところ、3ヶ月以上保管するときは税金がかかるとの返事がありました。今、費用を確認中ですがどうなることか。
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2001年3月25日 出発直前だというのに
ラリー主催者からのメールが途絶えて3週間。最後のメールは3月はじめの「あなたのEVが充電に使う電気の種類は?」というものでした。何のこっちゃ?と思ったら、コスタリカはなんと街によって電圧が違うと言うのです。アメリカ方式の120Vとヨーロッパの230Vが混在しているとのことです。
さて、出発前日になっても、連絡がないので、25日夜10時に首都のサンホセに着いても、どこへ行ったらいいのかもわかりません。ベインブリッジ島で受けたメールでは、何日の何便で着くか知らせてくれたら、迎えに行くとなっていましたので、今となってはそれを信用するしかありません。
心配していたら家を出る直前にメールが届きました。打ち合わせどおり、空港にピックアップにきて、予約してあるホテルまで連れていってくれるとのことです。少し安心して25日の便に乗れます。関空からの1名とはダラスで落ち会います。トランジットタイム2時間で、サンホセ行きに乗換え、日本時間26日昼頃、サンホセ着です。
そういえば、2EVはフロリダのタンパ港を出たまでは消息がつかめていますが、その後はどうなっているのか?。
・また、もしコスタリカにちゃんと着いていたにしても、通関できたか?
・1年置きたいというこちらの希望は伝わっているのか?
・その際はTAXがいくら発生するのか?
確認したいことは山ほどありますが細かいことは現地についてから話すということなので着いてからのお楽しみです。
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2001年3月25日 コスタリカより第1報
25日午後、コスタリカの首都サンホセに着きました。写真はホテルから見た眺めです。準備の慌ただしさでパソコンを持ってくるのをしっかり忘れたのでレポートは国際電話で東京事務局に口述で送ります。まるで新聞記者です。このレポートも最初はホテルからFAXで送ったのですが、ラテンの本領発揮で届いていませんでした。合流するメンバーもパソコンを持ってくるはずなのでうまく行けばつなげるかもしれません。
今、夜中の2時です。時差ぼけで眠れません。さて、じつはパソコンを忘れなくてもあまり状況は変わりません。人間の方は26時間の空路を無事コスタリカの首都サンホセに着いたのですが、荷物は飛行機に積めませんでした。飛行機の出発直前まで成田で航空会社と激論していたのです。原因は持ち込もうとしたバッテリーでした。バッテリーそのものは空輸できることを確認していましたし、安全証明書まで用意したのですが、結局NGということになりました。アメリカの規則で電動車椅子のパーツとしてでない限り飛行機にバッテリーは持ち込めないということでした。おかげで荷物は積み込めず、24時間遅れで到着することになります。
2EVとはまだ対面していませんが、無事サンホセに届いているそうです。修理しようにもミッションオイル(これももめた)や愛知支部から提供してもらった電圧計も手元にないのであまりできません。バッテリーを持ち込めなかったので不良の2個を取り外して4列のうち1列を72Vにして使うしかありません。明日作業にかかります。
まだ他のチームは来ていないようなのでブリーフィングまで時間ができました。明日はここから太平洋岸のプンタレナスまで、後半のコースをレンタカーで試走してみるつもりです。前半のコースはスタート地点までの移動で走れるので一応全コースの下見ができそうです。
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2001年3月26日 サンホセ、2日目は大修理
ラリー前日です。高地にあるサンホセは気温は20度くらい。くもっていてすごしやすい気候です。別れてしまった荷物はなぜかペルーのリマへ行っていました。今日届く予定です。関西から駆けつけたメンバーのパソコンがつながり、メールは出せるようになりました。なんと、コロンビア経由です。中南米が身近になる毎日です。
朝10時、ホテル近くの体育館に保管されている2EVと再会しました。まず不良バッテリーのつなぎ直しです。アメリカでマークしておいた2個を取り外し、整備しやすいC列に移します。B,Dの2列は問題なし。残るA列は輸送中に使われたため電圧が落ちていていますが、充電器の調子が悪く、再チェックが必要です。
さて、2EVと対面したときからなにか違和感を感じていたのですが、やっと理由がわかりました。フロントが下がっているのです。船に乗るまでアメリカ大陸をトレーラで運ばれたときに固定するワイヤーの張りが強すぎてフレームが曲がってしまったようです。このままではハンドルが重くてしょうがないので修正します。車庫の近所の金物屋さんでワイヤーロープとターンバックルを買ってきて、フロントガラス上部からつり下げる仕掛けを作りました。 ところが、この仕掛けは、締めすぎるとハンドルが重くなりすぎてとても運転できる代物ではないとので、微妙な調整となりそうです。
なんだかんだで終わったのは午後6時になっていました。コースの下見どころではありませんでした。これから食事をしながらブリーフィングです。明日はスタート地点までトランスポーターとバスで移動します。
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2001年3月26日夜 歓迎パーティにびっくり
26日夜、ブリーフィングを兼ねたパーティがありました。チーム同士の親睦会だと思っていたので海外からの参加者はみんなラフな格好で出たのですが、正装した紳士、淑女がたくさんきていてビックリ。政府主催の晩餐会だったのです。観光大臣、環境大臣、エネルギー大臣といった閣僚が来賓として列席されていました。アメリカのディスカバリー・チャンネルのカメラ・クルーも来ていました。
パーティーの席で参加者の内訳がわかりました。外国からはカリフォルニア大学リバーサイド校のフォード・ピックアップをコンバートしたEV。荷台にフォルクスワーゲンのフラット4エンジンを積んで発電機を回すハイブリッドになっています。テキサスナンバーのスリー・ホイーラー(右下写真)はコントローラー・メーカーのオーナー、コーラー氏の手作り。ゴルフカート風の車が2台。これは一見大した事ないようにみえますが、Ni-MHバッテリーを搭載した韓国、CT&T R&Dのワークス・カー。そしてわが2EVの計5台です。ほかに国営電力公社から参加の電気バスと軽トラックとピックアップベースのEV2台。この国営電力公社の敷地が充電ポイントに開放され、総勢25人の電力公社の職員が参加者の充電用電源を設営します。それから地元のマニアが製作したスポーツカー風のスペシャル。トヨタ・プリウスなど地元からEVとハイブリッドが10台、電動スクーターが12台、計27台です。ハイブリッドとピュアEVはクラスが分けられています。
ブリーフィングによると、コマ地図による本格的なラリー形式で行われます。指定場所以外での充電は禁止。サルベージ用のトラックに追いつかれたら収容されてそのステージは得点なしになります。コマ地図は距離と目標物、方角だけ記された本格的なもので、これは困ったことになりました。2EVにはトリップメータがなく、100m単位の距離はわかりません。ドライバーとナビゲーター以外のチーム・メンバーはバスで移動します。お遊び程度と思っていたのでナビゲーション機器など持ってきていません。
初日のコース60kmは何としても完走を狙います。不良バッテリーの代用に普通の車用バッテリーを2個買うつもりです。明日はトランスポーターとバスでスタート地点のプエルト・ビエホに移動します。
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2001年3月27日 移動は一大事
時計はすでに0時を回り、28日になっています。外は時折スコールが襲い、真夜中だというのに蒸し暑く、国際電話をかけながらふと上を見上げれば、ロビーの壁や天井には無数のヤモリが這い回っています。軽井沢の夏のようで快適だったサン・ホセと違ってここプエルト・ビエホは文字どおり「熱帯夜」です。
今日は朝サン・ホセを出てトランスポータとバスでパナマ国境に近いカリブ海沿いの田舎町、プエルト・ビエホに4時頃までには移動してゆっくりディナー、のはずでしたが、全てが遅れに遅れてバスがホテルに着いたのは夜の10時すぎ、バスは雨の中、未舗装の悪路をレストランを求めてパナマとの国境近くまでさまよいましたがまだ夕食にありつけません。
参加車両を運んでいるトラックはまだ到着していません。2EVはサンホセで大体作業を終えていますが、韓国チームはここでバッテリー交換を予定していたので徹夜になるようです。駐車場に屋根はなく、熱帯の嵐の中、それも深夜の作業は危険極まりないものになりそうです。手弁当でわざわざ外国から来ているなんていうのはわれわれ2EVチームくらいのもので、他はほとんど企業のワークスかスポンサーをつけたチームです。ホテルの前にはバッテリーメーカーなどのサポートトラックや関係者の車、バスが集結し、結構本格的な「国際ラリー」の雰囲気が出ています。地元FM局のラジオカーも来ていますので中継があるのかもしれません。
それにしても今夜、なにか食べられるのでしょうか。車は無事でしょうか。
明日28日のスタート時刻は昨日の到着が大幅に遅れたために遅らされます。パナマとの国境近いプエルト・ビエホからプエルト・リモンまで海岸沿いを走る66キロのコースです。2EVのレンジはがんばっても60kmのため、主催者と交渉した結果、途中での充電が認められました。それは良かったのですが、ちょうどバッテリーがなくなりそうなゴール、プエルト・リモンに入る手前数キロというあたりがもっとも治安が悪く、危ない場所なんだそうです。スタート時刻が遅くなると充電中に日が暮れてくる可能性もあります。みぐるみはがされてもいいように財布や荷物はバスで移動する仲間に預けて、覚悟を決めてスタートラインに並びます。
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2001年3月28日 ラリースタート、第1レグ完走
初日、第1レグは海岸沿いのコースに合計4つのセクションが設定されています。昨晩、とうとうEVを積んだ大型トレーラーは到着しませんでした。ホテルを見落としたトレーラーはパナマ国境近い町外れに行ってしまい、路肩の砂地にタイヤがはまってスタックしていたのです。その上朝から激しいスコールに襲われたため身動きできず、トレーラーを救出してスタート地点に車が着いたのは昼近くでした。
このため肩慣らしのために設定された5.2kmと短い第1レグはキャンセルされ、58.2kmともっとも長い第2レグのスタート地点からラリーが始まりました(左写真)。1分おきに各車スタートし、海岸沿いの道をタイムを管理しながら走ります。指定時間1時間15分は2EVにはきついので遅れ覚悟で遅めに走り、1時間30分で完走。キャンセルがレンジ60キロの2EVに味方しました。この時点でバッテリーの90%は使っている様子でした。
残る第3、第4セクション(合わせて2.8km)は日が傾いてきたため、キャンセルされました。安全が確保できないという理由ですが、私たちがパトカーに警護されて列を組んで走りはじめてすぐ理由がわかりました。沿道の普通の住宅や商店の周りに鉄格子や高いフェンスが張り巡らされているのです。ゴールのプエルト・リモンはきれいなリゾート地ですが、このあたりにはもちろん観光客の姿はありません。後から聞いたところではもっとも危険な地域とのことでした。
ゴール地点に着いたときにはバッテリーは使い切られて這うようにしか走れなくなっていました。もし途中で止まってパトカーから遅れたらと思うとぞっとします。
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2001年3月29日 ラリー2日目、山岳コース
昨晩はスポンサーになっている電力会社の敷地に車を停め、充電しました。夜一人で行動するのは危険なためオフィシャルが付いていてくれます。ハンバーガーを食べただけで夕方から23時頃まで充電しました。
他のチームも充電するのですが、人数もいるし充電器も自動なのでスイッチを入れるとみんな帰ってしまいます。競技が始まってわかりましたがみんなほんとのワークス体制です。二人だけで電圧をチェックしてメモ用紙に記入しながら手動の充電器を深夜まで調整しているなんていうのはうちらだけです。そのすがすがしいまでの"ど"アマチュアぶりにみんなにあきれられ、また感心されてもいます。車のボロさも「アメリカ大陸を横断してきた(全部自走じゃないけどウソじゃない)」というと納得してくれます。ハイテクニッポンのローテクぶりもウケています。
競技に入ればみんな真剣ですが、普段は工具を貸し借りしたり、いろいろな話をしたり(なにせ充電時間が長い)と和気あいあいの楽しい雰囲気で、大金がかかっているプロのモータースポーツとはちがいます。
明けて2日目、第2レグ、最初の第5セクションは距離58.9キロ、指定時間1時間13分。ラリーは海岸線を離れ、山岳地帯に入ります。標高差は約300m、もっともきついセクションですが1時間30分で完走を果しました。ゴール直前でドアを開けて足で漕ぐという状態でぎりぎりまでバッテリーを使いました。初日、トップだったカリフォルニア大学のピックアップは充電用エンジンのスターターが壊れ、大きく後退しました。
ここで1時間30分の充電タイムの後、20.9キロの第6セクションに臨みました。このセクションはほぼフラットです。1時間30分の充電はこの距離にぴったりでぶじ完走を果しました。
第6セクションのゴールは環境専門の大学、EARTHのキャンパスでした。ここで展示を兼ねて2時間の充電時間が与えられました。続く第7セクションは、28.75キロあり、平坦なコースでしたがさすがに2時間の充電では足りなくて18.5キロ地点でストップ、充電を始めましたが(写真)オフィシャルの指示で牽引されてのゴールとなり、初めてポイントを落としました。この日のコースはさすがにきつかったらしく、他にも最後のセクションを落とした車がありました。
標高1000mのサンホセまでの登りはさすがにEVでは無理なのでトラックによる移動区間となり、その日の夜、首都サンホセに戻ってきました。
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2001年3月30日 首都サンホセに戻る、中間報告
朝からいい天気です。昨日はバッテリーを使い切ったので夜半から始まった充電は深夜におよび、夕食は逃しました。今日はサンホセ市街から郊外への28.25キロのコースですが、行事がたくさんあるため、競技としての第3レグはキャンセルされました。
朝9時から歓迎式典。高地とはいえさすが熱帯で昼間は日本の夏のように蒸し暑く、日射は強烈です。炎天下で市長の演説を聞きながら倒れそうになりました。その後、CNNとディスカバリー・チャンネルのテレビ取材を受けました。長野ー−ソルトレーク−コスタリカという環境をキーワードにした一連の旅をアピールしました。
警察が交通を遮断して市内をパレード、その後コスタリカ大学構内で展示。午後、会場を国立生物学研究所の駐車場に移し、午後いっぱい展示しました。
今日はのんびりできたので他のチームといろいろ話ができました。
ラリーの状況と合わせて報告します。
カリフォルニア大のフォード・ピックアップは発電用エンジンにトラブルが続出し、順位を落としています。メンバーの一人が熱帯の気候で体調を崩すという不運にも見舞われました。
韓国チームはマネージメントが良く、LSVクラスの上位にいます。彼らはCT&T先端技術研究所からの参加で、車はゴルフカートでもNi-MHバッテリーにACモーターというハイテク仕様です。いろいろ最新の技術について話を聞けました。
テキサスから参加のコーラー・コントローラーチームのスリー・ホイーラーはRX-7をコンバートしたEVで0-400mの記録を作ったエンジニアが製作したもので、EV-1に使われているパナソニックの最新型鉛バッテリーを使っています。成績無視で目いっぱい飛ばしているので順位は高くありませんがとにかく速い車です。
地元のリカルド氏はアルミフレームにロータス風のFRPボディを架装したワンオフのスペシャル(写真)で参加しています。48VのDCモーターという仕様ながら超軽量なためビックリする程よく走ります。こちらもアマチュア・チームなのですが、われわれと違って揃いのシャツを着たメカニックが何人もいて、パーツ・メーカのサポートカーが何台も付き、ゴール地点には自家用のホスピタリティ・テントがあるという違う世界です。車を見てもお金がかかっていることがわかります。
スポンサーにもなっている国営の電力会社から参加しているのはNi-MHバッテリー登載の小型バス、ソレクトリアで製作したフォード・ピックアップとスズキ・キャリィ軽トラックの3台。いずれもACモーターです。初日にミスがあったほかは完璧なレース運びで上位につけています。
トヨタ・プリウスは地元のトヨタ・ディーラーからの参加、このイベントのために日本から中古車を輸入したとのこと。旧型でディスプレイは日本語のままでした。このディーラーはLSVクラスにもゴルフカートでエントリーしています。
2EVはというと、指示速度を守ると完走できないので常に遅めになるためEVクラスの最下位に付けています。それでも他車に大きく遅れをとることはなく、お金持ちアマチュアチームと伍して走っています。装備もお金もありませんが伊達にネバダの砂漠を200キロも走ったのではありません。十分なテストと経験を積んでいるためマネージメントにミスはありません。
今みんなと話してみてわかったのですが、25Ahの中古バッテリーでコンピューターも持たずにやってきた2EVが付いてこられると思っていなかったようです。はじまってみると深夜まで充電しながら長いセクションをきちんと完走してくるのでだんだん見る目が変わってきました。本当のアマチュア・チームとしてテレビ取材の時は他のみんながうちのチームをインタビューするように勧めてくれました。
夕食の席でなにかと世話を焼いてくれた主催者側の気さくなおじさんと話をしたら、なんと前農林大臣とのこと。こんな人が何人もいるようです。どうりで政府や警察のバックアップがあるはずです。この元大臣、電動スクーターで競技にも参加しています。
明日は19キロの緩い下りコースの後で1時間半充電し、標高差300m、41キロの登りコースになります。途中の充電時間が短いため41キロを完走するのはちょっと無理かもしれません。
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2001年3月31日 ラリー4日目、最高地点に
4日目、熱帯の強烈な日射と東京や名古屋の真夏のような蒸し暑さ、それに標高1000mの低い気圧で、日本一日射の強い標高600mの松本の住人にもきつい環境です。
今日は地元のテレビ局とマイアミのテレビ局の取材を受けました。最初のセクション10は19キロの緩い下りコース。これは楽にこなしました。到着地点での充電時間には地元の学生や子どもたちが歓迎行事を開いてくれます(写真)。どこでもたくさんの見物客でおおにぎわいです。ここで与えられました充電時間は90分でした。しかし、2EVに3台搭載している充電器の2台が炎天下の酷使で完全に故障。残る1台も出力が低下してし、バッテリー1列を充電するのがやっとでした。
この状態で臨んだセクション11はラリーの最高地点1250mまで登る40.95キロを間に2時間の充電を挟んで走るコースです。中間の充電ポイントの手前でストップし、牽引されました。不十分な充電でスタートした後半20キロは10キロを残してストップ、再び牽引されてゴール。今日はいいところがありませんでした。
前日エンジントラブルに見舞われたカリフォルニア大学チームは発電エンジンを制御するコンピュータのトラブルが回復せず、この日でリタイヤしました。
今日もパーティがありました。私の斜め後ろの席のなんとなく場違いな背広姿のおじさんのところにみんな挨拶に来るので近くの人に聞いてみたら前大統領ということでした。徹夜に近い状態で充電してラリーで神経使いまくって終わったところでけっこうフォーマルなパーティがあるので、食事やアトラクションは楽しいのですが結構疲れます。
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2001年4月1日 ラリー最終日、太平洋に下りる
ラリー最終日です。最初のセクション12は1250mから一気に1000mを32.7キロかけて下るコースです。スタート前にブレーキについてくどいほど注意が与えられ、ブレーキにぶっかけるための水5リットルの携行が義務づけられ、「ブレーキに不安を感じたら自己責任でリタイアするように」と指示されました。
実際には2EVは松本で2000mから17キロで1400m下るという過激なテストをやっているのでこの程度は下り坂のうちに入りません。主催者の心配はありがたかったのですがブレーキには絶対の自信がありました。
充電器の故障により充電が十分でないこともあってチーム内でもブレーキテストに参加していないメンバーから出走に対して不安の声が上がりましたが、ここまで来てリタイヤするのも悔しいのでスタートすることにしました。サポートカーなしで戦っている私たちの安全確保のため、スタッフの車がサポートに付いてくれました。事実アメリカで交換したブレーキパッドはフェードの兆候すら見せませんでした。しかし、下りとはいえ、峠道のため登りもあり、結局途中でバッテリーが尽きて牽引されました。このセクションのゴール付近でついに太平洋が見えました。2時間の充電の後、最後のセクション13、21.1キロに臨みましたが、海岸線に出る手前10キロを残してストップ、牽引によるゴールとなりました。
2EVは落としたセクションが4つあるため完走扱いにはなりませんでしたが、結局全コース322キロの90%を自走しました。出走したEV10台のうち、ポイントを取って順位が付いたのは4台という厳しいものでした。プライベート・チームで完走はありません。
リザルトは、
MOTOクラスが地元のピザ・ハット・チームの電動スクータが1-2フィニッシュ。
ちなみにこれは配達用バイクではなく、台湾製の電動スクーターです。
LSVクラスは韓国チームのゴルフ・カートが1-2。
EVクラスは国営電力公社から参加したトラック2台とバスが、マネージメントの良さとコースを知り尽くした強みでトップから3位まで独占。彼ら電力公社のクルーは充電ポイントの設営に大活躍しました。ポイント無視で飛ばしていたテキサスのスリー・ホイーラーはトラブルなく完走したため4位に入りました。
ゴール後のセレモニーには現職の副大統領が出席していました。「日本から良く来てくれましたね」という調子で気さくに声をかけてくれます。参加者同士は1週間も一緒にいるので連帯感が出てきてすっかりうちとけています。このラリーは来年も開催されることが決まりました。パーティではもう来年の話題で持ちきりでした。パーティはオフィシャルの元農林大臣の「さあ、みんなこれからニカラグアまで行くぞ!!(ここから結構近い)」というジョークでお開きになりました。
ラリーを取り仕切っていたのは明るいラテン系の30代の女性、Muniさんでした。なんと、初代大統領の孫だそうです。ラリーの後、2EVをどうするか決まっていなかったのですが、とりあえず彼女に預けることにしました。
コスタリカの自然は本当にすばらしいものです。初日のカリブ海沿いの道なんか最高だったのですが、残念なことに時計と電圧計と充電器をにらんでいる時間の方が長く、景色を楽しめませんでした。今回のドライバーもナビも元レーサーでモータースポーツは大好きなのですが、やっぱり2EVにはマイペースでのんびり旅をするのが似合っているようです。
2EVを預かってもらって来年はのんびり自然を堪能しながら旅ができたらと思います。
名残惜しいのですが明日帰国します。マイアミ経由で日本時間4日の夜に帰国です。
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2001年4月2日 ラリーを終えて
ゴール後のパーティで来年もラリーが開催されることが発表されました。今回参加台数を増やすために混走したハイブリッドは禁止され、ピュアEVだけの競技になります。このラリーは公道ラリーのためスピードはそれほど要求されませんが、完走するにはそれなりの高いレベルが求められます。
それは
・最高速度70km/h以上、平均40km/hで60キロ以上のレンジ
・2時間以内で30キロ以上走れるだけの充電ができること
というところです。
プライベートで行くのならバイクがお勧めです。
輸送費も安く、相手は市販の電動スクータばかりですから結構いけるのではないでしょうか。
もちろん参加されるときにはお手伝いします。とくに日本EVクラブのみなさんには、2EVが先鞭をきりましたので、2002年の参加を是非ご検討いただきたく、お願いいたします。
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2001年4月4日 後日談
さきほど、5日午前0時半に松本に帰ってきました。帰国は途中マイアミで一泊しないと空路がつながらなかったため、なんと46時間半もかかりました。さっそく日本EVクラブHPの掲示板を見てみましたが、みなさんにとても御興味をもっていただき、また御心配をおかけしたようです。ご声援いただきましてありがとうございました。
2EVはもう車体がガタガタで来年の参加はとても無理です。なにしろアメリカ大陸からの酷使で、シャシーがフロントアクスル前で折れてしまい、ちぎれる(!)寸前です。ラリー最終日5日目は激しい下りで標高差が1250mということもあり、チーム内で出走派と辞退派で激論がかわされたほどです。
帰りに飛行機の中で、コスタリカの英字紙を見てびっくりしました。町中大騒ぎだったワールドカップ・サッカーの予選勝利でなく、EVラリーが1面を飾っていたのです(写真)。
ラリーの実質面を取り仕切ったMuni Figueres(建国の英雄、Figueres大統領の孫で、前大統領の姪)の言葉として、今回のラリーの総費用は45万USドル、そしてそのうちの40万ドル(約5千万円)が、なんとロックフェラー財団から1年も前に拠出されているというのです。目的は「コスタリカでのEVの普及とその発展」というものです。
地元の国営電力公社から出場した、2台のソレクトリア製のトラックと中型バスの購入には、このロックフェラー財団の拠出金が充てられたということです。 そしてこの中型バスは、1996年にクリントン前アメリカ大統領がコスタリカを公式訪問した際、「首都サンホセでの足」として、使われたものだそうです。いわば「エアフォースワン」のバス版です。1996年のアメリカの最新テクノロジーで作られたEVということです。どうりで、バッテリー量やら回生ブレーキやら、また醸し出す雰囲気やらが、ただものではありませんでした。電力公社の塗装に変えられる前は、白地に青の大統領専用機、エアフォースワンカラーだったのでしょうか?
コスタリカは、北はアメリカと敵対するニカラグア、南はノリエガが支配していたパナマ(ノリエガはCIAによってアメリカに強制連行!されました)、さらにその南は、左翼軍事勢力が台頭してきたコロンビアです。このような地域でコスタリカは「非武装中立」を国是に環境立国を目指しているのです。クリントンの公式訪問と、それに続くロックフェラー財団の拠出金、今回のEVラリー開催が見事に一連の流れとして繋がりました。EVラリーを飴にして、アメリカは政情不安定なラテンアメリカ地域での「コスタリカ取り込み」を狙っているのです。 大統領ファミリーが取り仕切ったラリー、現職閣僚が3名も出席したオープニングパーティ、元大統領や現職副大統領が出席した到着地での歓迎式典やパーティー、CNNやディスカバリーチャンネルの張り付きの取材、などなどは、アメリカのラテンアメリカ政策と密接な関係があったのです。
テキサスのコーラーコントローラーチームは、アメリカの威信にかけて、来年は専用マシンを制作してくるそうです。地元の有力者リカルドのチームもセクションをひとつ落とした悔しさで、さっそく現行マシンのグレードアップにとりかかるそうです。 まだコスタリカにエージェントを持たない韓国大宇グループは、近い将来の販売開始に備えてのイメージアップのため、来年はアルミボディのニッケル水素車を持ち込んでくるかもしれないとのことです。そうなると、今年のようなコース設定では、同着が続出してしまうので、よりハードなコース設定になるでしょう。
さて、日本EVフェスティバルの1時間ディスタンス・チャレンジで表彰台に上がったか、同等の実力を持つ車両なら、これらと対等以上に渡り合える可能性があることを肌で感じました。 成績上位を狙うもよし、手つくりバイクでカリブを堪能するもよし、日本からのエントラントのために、来年のレギュレーションを真っ先に知らせてくれと、Muniに言っておきます。
そうそう、この国の将来を背負ってたつ人材であるMuniやリカルドとのコネクションを深めたり、アメリカのトップチームや大宇の研究所、カリフォルニア大学チーム、台湾製スクーターで1,2位を占めたピザハットのふたり、バスの運転手のフランクリン、張り付きで取材していた新米ジャーナリストのジョアンナなどなど「人間との交流」が今回の最大の収穫でした。
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2001年4月17日 2EV、帰途に就く
コスタリカの主催者よりメールがはいり、2EVが今、太平洋上ということがわかりました。
4月11日に出港した船に載せたとのことです。航路は24日かかるとのことです。
名古屋港着は5月17日とのことです。通関を通れば名古屋港に取りに行く、ということになるでしょう。
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2001年5月17日 2EV、帰国
5月17日に船会社より入港したとの連絡が入りました。
通関が終わり、25日に1年ぶりにアメリカに向けて旅立ったときと同じ名古屋港の保税倉庫でコスタリカで別れてから1ヶ月ぶりの対面となりました。
後ろのバンパーが脱落し、フレームが折れ、傷痍軍人のような哀れな姿での帰国です。
アメリカに向けて送り出してから1年ぶりの対面となりました。
(左写真は松本の棲み家に戻ったところ)
よく見るとフロントフレームだけでなく、後ろもなんとなく下がっているような気がしてきました。送り出す前の写真と比べてみると、明らかにホイールの見え方が違っていることがわかります。
1年間にわたって約350キロのバッテリーを搭載しつづけてアメリカ大陸を旅した負荷がサスペンションを劣化させて車高が下がってしまったようです。
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送り出す前(2000.6)
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帰国後(2001.5.17)
その日のうちに生まれ故郷の?松本に戻りましたが、休む暇なく日本EVクラブ総会に展示のため翌日深夜には神奈川県大磯に向けてトラックに乗って出発したのでした。
27日の年次総会ではスライドを使って旅の報告を行い、今回の旅を締めくくりました。
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