2EVのアメリカ日記
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はじめに
2002年に21世紀初となる冬季オリンピックがソルトレークシティで開催されます。20世紀最後の冬季オリンピック開催地となったわれわれの地元ナガノからの「国際環境メッセージ」をソルトレーシティまで化石燃料に頼らずに届けようというプロジェクトがナガノをスタートしたのは1998年4月のことでした。冬季オリンピックはコース作りなどにおいてどうしても環境破壊を避けて通れないため いつも心のどこかに環境に配慮する気持ちを持ち続けながらオリンピックを完遂しようというメッセージです。
日本国内ルートは長野市から清水市までが自転車ルートとなりました。NASL(ナッスル)長野、ソルトレーク国際環境使節団自転車隊がこの途中 われわれの本拠地 松本市 を通過した際 に趣旨に賛同した当支部代表が2EVで松本市内を伴走しました。このことがきっかけとなって2000年7月に自転車隊が走破を予定しているアメリカ国内ルートのうちもっとも過酷な ネバダ ユタ砂漠ルートを2EVが走行するプロジェクトが決定しました。
海路については清水港から東京港までが小型ヨットで、東京港からサンフランシスコ港までが帆船海王丸で1999年夏までにすでに終了しているためNASL自転車隊の残すルートはサンフランシスコからソルトレークシティ間の1600kmの陸路だけになりました。
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あらすじ
2EVは2000年6月にアメリカ側協力者のいるシアトルに海路運ばれました。7月10日空路シアトル入りする先発隊は砂漠まで2EVを搬送するトランスポーターの手配をし、過酷な砂漠走行の準備を整え、7月中旬にネバダの山岳地帯でNASL自転車隊と合流した後 いよいよ2EVでの数百キロにおよぶ砂漠自走がはじまりました。一日の走行距離はバッテリー能力と発電機での充電の関係上100キロ以下です。1999年夏の下見の際道端でコヨーテ(小型オオカミ)の死体をいくつも見たためテント泊はできません。また200kmちかくも建物どころか1本の木もはえていないという過酷な自然環境です。2EVの背景はネバダ州の砂漠地帯です。はるか先まで荒涼とした大地が広がっています。
2000年7月23日、砂漠地帯を無事走破すると その先はユタ州の州都ソルトレークシティです。翌24日は全米3大パレードのひとつパイオニアパレードが市内の目抜き通りで華やかに開催されます。沿道には何万人もの見物客が押し寄せ テレビの全米中継まではいるほどの大パレードです。
このパレードで はるばるナガノから環境メッセージを自転車、徒歩、ヨット、帆船で運んできたNASLの連は注目を集めました。
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2EVをトラックに載せて砂漠の旅へ、アメリカからのメンバーのメールで構成した"珍"道中日記です。
- 7月11日、ワシントン州シアトル、第1報
- 7月12日、ワシントン州シアトル、現地のEVフリークと会う
- 7月13日、ユタ州ボンネビル、2EVパンク!!
- 7月15日、ユタ州デルタ、いよいよ砂漠へ
- 7月16日、ネバダ、ユタ州境、充電中
- 7月17日、ユタ州デルタ、砂漠を走破する
- 7月20日、ユタ州ニーファイ、砂漠走行終わる
- 7月21日、ユタ州ソルトレークシティ郊外、ゴール地点への走行準備
- 7月22日、ユタ州ソルトレークシティ、ゴール前日
- 7月23日、ユタ州ソルトレークシティ、いよいよゴール
- 7月24日、ユタ州ソルトレークシティ、パイオニア・パレード
- 7月24日、ユタ州リトル・サハラ、砂漠で打ち上げ
- 7月26日、ワシントン州シアトル
- 7月27日、ワシントン州シアトル、2EVアメリカに残る
- 7月28日、ワシントン州シアトル、帰国へ
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2000年7月11日 ワシントン州シアトル
きのう1日目はトラックのレンタル、砂漠走行に必要な携行品の調達で終わりました。夜は、ソーラー関連のエンジニアをしているクリストファーと会いました。彼はEVはポルシェ914、なんと84Vの二輪などを作ったそうです。今日は2EVを通関業者から引き取り、夕方からガスワークパークで行われるシアトルEVAの月例会に出ます。
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2000年7月12日 ワシントン州シアトル
今はシアトル3日目の午前4時。きのう(11日)は通関業者から2EVを引き取り夕方からは公園でのシアトルEVクラブ(全米組織EAAのシアトル支部でもある)の月例会に招待されました。いやー、考えていることはスキモノはどこでも同じだなというのを強く強く感じました。だって日本EVクラブで話題になっているEVモーターサイクル、EV自転車から私たちと同じ古いフランス車改造EVまであったんですから。自転車はなんと24Vで見ているのが恐くなるほどの加速でした。モーターサイクルにはきのうは来ていませんでしたがなんと156Vのドラッグレーサーがありゼロヨンは13秒台、最高速は150kmとのことです。またRX-7ベースで12秒台がコンバートEVの最高記録だそうです。今週末はラスベガスでEVドラッグレースがあるそうです。またEAAではクラブ員のEVのリレー方式でアメリカ横断のアイデアまであると聞きました。これなんかわれわれもすぐ導入できそうですね。
そんなこんなで楽しい交流をしてモーテルに帰ったのは昨晩11時半でした。もうどこのレストランもやってなくて(なんとここはシアトルのダウンタウンからフェリーで25分の島なんです!)モーテルの前の24時間オープンのスーパーで仕入れた食料品で遅い夕食となりました。1日中飛び回っていてよく考えたらものが口に入ったのは朝以来だったことに気がついたのはしばらく経ってからでした。今日3日目は明るくなったらトラックに2EVを乗せる友人特製の木製桟橋のアジャストがもう少し必要なので(きのうは危うく2EVを桟橋から落とすところでした)大工仕事をしてからいよいよトラックで砂漠方面に出発です。今日はアイダホ州のどこかに宿泊となるでしょう。
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2000年7月13日 ユタ州ボンネビル、2EVパンク!!
この日は2EVをトラックに載せてスピード記録で有名なボンネビル・スピードウェイに行きました。スピードウェイといっても見渡す限りの塩の大平原があるだけで施設があるわけではありません。最初は記録を出してみようかとも思ったのですが、助走路をフル加速するだけでバッテリーがなくなってしまうのであきらめ、記念写真を撮ろうと塩の上に入ったとたん、前輪がパンクしました。不思議なことにネジならぬ釘がたくさん落ちていたのです。スペアに交換したのですが、2EVは125-15という特殊なタイヤなのでもう1度パンクすると後がありません。どこかでパンク修理しないと・・・。
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2000年7月15日 ユタ州デルタ、いよいよ砂漠へ
メンバー全員元気です。
砂漠の気候はもちろん快晴、気温は高いのですが乾燥しているので東京のように暑く感じません。2EVは少し走らせただけですが、ミッションマウントのゴムの亀裂が発見されました。走行に支障はありませんが、部品を日本の業者に手配し、後発のメンバーが手持ちで持ってくるように手配しました(まるでF1みたい)。
充電ではさっそくモーテルの自販機のブレーカを飛ばしました。充電は発電機を使うことにしました。

さて、旅の方ですが、
シアトルを12日早朝に発ってトラックを運転し続けてアイダホ州ボイスに着いたのが23時。翌13日も朝6時から23時まで運転し続けてネバダ州イーリーに着きました。2日で1600km走破するという、まさにトラック野郎の強行軍でした。
14日、イーリーを発って400km先のデルタへ、この当たりが一番過酷な砂漠地帯です。この日、デルタでサンフランシスコから自転車で走ってきた長野のメンバーと合流することができました。15日(日本時間16日)は自転車といっしょに2EVで80km先のニーファイという町まで自走します。途中でバッテリーが切れますので自転車との旅は「うさぎとかめ」になりそうです。
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2000年7月16日 ネバダ、ユタ州境、充電中
きのう15日は同行の自転車隊のサポートのためデルタから83kmの自走を敢行し無事に走りきりました。2EVの新記録です。もちろんバッテリー切れ、充電の繰り返しの走行です。16時にたどり着いたニーファイという町で宿泊。翌朝トラックでネバダとユタの州境にある「ボーダー・イン」というモーテルに戻りました。1日かけて充電です。

明日17日はいよいよ今回の砂漠走行のハイライトである、ネバダ州境からデルタまでの89マイル(142km)の走行に挑みます。15日の83km走行で余裕があったので一気に走りきる自信がつきました。午前5時スタートで午後9時にゴール予定です。14日の下見で山猫ボブキャットやコヨーテや蛇を何回も見ました。これらにも注意をはらい、完走を目指します。
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2000年7月17日 ユタ州デルタ、砂漠を走破する
充電完了を待ってモーテルを11:15に出発、89マイル先のデルタを目指します。荒涼とした砂漠を貫いて走る国道を40km/h程度のスピードでひたすら走ります。ほぼ平坦ですが、多少の上り下りがあります。いくら走っても風景がほとんど変わりません。10数キロ走っては短時間充電、これをひたすら繰り返しています。EVにコンバートして5年の間に過大トルクで痛めつけられてきたトランンスミッションにとうとう限界が来て、しばらく前からバックに入らなくなりました。前進あるのみ?、なのでミッションオイルを交換しただけで走行を続けます。気温はたぶん35℃を超えているでしょうが乾燥しきっているので日が当たらなければクーラーのない車に乗っていても耐えられます(そのかわり水を飲まないと倒れますが)。

町が近づいてきた後半では5km走って30分充電を繰り返すペースになりました。デルタの町に着いたのは日が暮れた21時30分、走行距離89マイル(134km)でした。もちろん2EVで自走した最長距離です。こうして長い1日が終わりました。
ここからソルトレークシティまでは高速道路になってしまい、EVでは走れませんのでトラックでの移動区間となります。
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2000年7月20日 ユタ州ニーファイ、砂漠走行終わる
2EVの砂漠自走は自転車隊のサポートとして走行した15日のDELTA NEPHI間84km(所要時間9時間9分)そして16日にはネバダ州境にトラックに積載で移動し午後7時30分から8時31分まで登りを33km走行しバッテリー切れ、積載で州境のモーテルに戻り 17日の午前11時15分まで充電後、前日の地点より再スタート。走行、充電を繰り返し午後9時30分に115km走行しDELTAにライトをつけながら無事完走を果たしました。3スティント合計の走行距離は232km、所要時間は20時間25分でした。以上が今回の砂漠走行のすべてです。
さて23日は再び自転車隊と合流しソルトレークにはいります。きのうまでは充電で夜はまともに寝むることができなかったのできょうははじめてまともな時間にベッドにはいれそうです。
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2000年7月21日 ユタ州ソルトレークシティ郊外、ゴール地点への走行準備
砂漠走行を完遂した2EVティームにはまだ残された大仕事があります。23日に自転車隊と再び合流しソルトレークポリスの先導でダウンタウンに入ります。そして24日は全米三大パレードのひとつパイオニアパレードへの参加です。それに備えて明日22日には後発隊がSFからアムトラックで合流してきます。到着を待って早速テスト開始です。充電時にバッテリーと充電器の間のコネクターが過熱して充電量を制限してしまっているようなので こちらのホームセンターで調達したコネクターと入れ替えてみます。それで充電効率があがれば1日200kmの走行は十分射程内です。115kmを記録したあの日は前夜からの充電が長引いてやむなくスタートが午前11時15分にまで遅れてしまいました。夜明けは6時ですからあの日は日が昇るとともにスタートしていれば日没の9時半までに150km走行が可能でした。惜しいことをしました。こういう数字がでてくるとまたEVで旅をしたくなります。
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2000年7月22日 ユタ州ソルトレークシティ郊外、ゴール前日
後発隊が今朝3時50分にSFよりアムトラックでSLCに到着しました。さっそく問題のコネクターをとりかえ充電しています。まだ朝9時というのにすでに気温が33℃を超え、強烈な日差しが降り注いでいます。モーテルの部屋の窓枠に網戸がはまっていてコードが取り出せませんでしたが 強引にはずして充電しています。まわりのひとが何事かと注目しています。あと30分でチェックアウトタイムですが keyをかえしたあとも窓から部屋に出入りして 電気をもらおうと意見が一致しました。
充電後、午後から明日のパレードに備えて市内で走行テストです。ホテル近くの交通量の少ない美しい住宅街を走りまわり、ホテルからスタート地点までの走行が可能であることが確認できました。道路が広く、交通量が比較的少ないので40km/h程度の速度で走っても邪魔になりません。
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2000年7月23日 ユタ州ソルトレークシティ、いよいよゴール
今日はいよいよ今回の「自然エネルギーによる親善使節団」のゴールです。西海岸からはるばる自転車で砂漠を越えてきたメンバーをエスコートして2EVもソルトレーク市庁舎を目指します。ソルトレーク市長も自転車で走るため、パトロールカーの先導が着き、赤信号フリーパスでVIP並の待遇です。しかし、昼間の気温は40℃にもなります。上り坂が多いコースなのでノンストップは自転車にはきつかったようです。抜けるような晴天のもと、静かな市庁舎前広場に到着。記念写真を撮り、長い旅は終わりました。
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2000年7月24日 ユタ州ソルトレークシティ、パイオニアパレード
今日は全米3大パレードの一つ、パイオニア・パレードの日です。観客の車で周辺は大渋滞です。ユタ州各地の学校のマーチングバンド、凝りに凝った山車、クラシックカーや馬車などが2時間に渡って行進します。残念ながら2EVの参加は認められませんでしたが、長野から環境メッセージを自然エネルギーのみで運んできたNASLの倉島団長と塚田長野市長が、砂漠を越えてきた自転車隊、サポートの電気自動車隊を代表して馬車でパレードに参加しました。
パレード見物後、2EVで市内のシトロエン・エンスージャストの家を訪ねました。アメリカではシトロエンの輸入は25年前に終わっていますが、熱心なファンが大勢います。今回訪問したカール氏もその一人で、同じ車に乗る同士、話が弾みました。
最後に市内の公園で開かれている地元の日系人による松本市からの使節のウェルカム・パーティに参加しました。ソルトレークシティは明治時代から日本人が炭鉱労働者等として移民し、第二次大戦中の強制収容所が近くに設けられた関係で現在でも多くの日系人が住んでいます。彼らが姉妹都市である松本市からのホームステイの高校生などを歓迎して毎年この日にパーティを開いてくれます。駐車場に2EVを展示し、歓談に花が咲きました。 このパーティの後、2EVをトラックに収容し、2EVの”公式行事”はすべておわりました。
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2000年7月24日夕方 ユタ州リトル・サハラ、砂漠で打ち上げ
砂漠といってもアメリカの砂漠の多くは岩が転がる荒地に潅木が生えているという光景で、我々がイメージする砂漠とは違います。しかし、リトル・サハラと呼ばれる地域だけは名前の通り、砂丘が連なる砂漠らしい砂漠が広がっています。
本物のサハラ砂漠よりはだいぶ小さいのですが、それでも向こうが見えないほどの広さです。鳥取砂丘とは比較になりません。この地域はレクリエーション・センターになっていて、砂漠の真ん中に立派なビジター・センターがあり、水道!と水洗便所!!が完備され、キャンプできるようになっています。我々はこの場所を打ち上げの会場に選びました。昼間は灼熱地獄の砂漠も日が落ちてくると涼しく、快適です。壮大な砂丘への落日を見、降るような満天の星を眺めながら焼き肉とビールで打ち上げです。
翌25日はソルトレークシティを発ち、シアトルへ向かう移動日です。
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2000年7月26日 ワシントン州シアトル
今日26日はアイダホ州ボイスからワシントン州シアトルまで507マイル(約800km)をトラックで移動してきました。午前8時にボイスを出てシアトル到着は時計で午後7時半でしたから休憩を入れて11時間半かかりました。到着後に1時間の時差の補正を忘れてしっかりフェリーに乗り遅れました。2EVのアメリカの拠点はシアトルからフェリーで30分のベインブリッジ島にあるのです。
2EVを来年のコスタリカに備えて島においていくため弱ったバッテリーをモーテルの部屋からコンセントで充電していたらごていねいに「怪しいことをやっている輩がいる」と警察に通報したやつがいてさっき警官が部屋に尋ねてきました。事情を話したらすぐにわかってくれました。それにしてもガンガンとノックされてドアをあけたら警官2名がいたのにはほんとにびっくりでした。
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2000年7月27日 ワシントン州シアトル、2EVアメリカに残る
シアトル市の対岸、ベインブリッジ島の友人宅に2EVを保管してもらうために現地で酷使したバッテリーを充電しました。容量オーバーで酷使した充電コネクタが音を上げてとうとう炎上しました。家の電力計が動いていないのに気付いてトランクを開けたらコネクターが炎を上げていました。バッテリーがショートする寸前、危ないところでした。島内のスーパーマーケットを探し回り、やっとの思いでコネクタを入手、修理して午後にはすべてのバッテリーの充電が完了しました。
機材を整理し、カバーをかけて作業は終わりです。3月、コスタリカに送り出すまで2EVはここで休む事になり、私たちともしばらくお別れです。
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2000年7月28日 ワシントン州シアトル、帰国へ
今日はフリーです。レース好きの3名がドラッグレースの見物、航空ファン2名がボーイング社関連の航空博物館へ、とそれぞれの好みに合わせて休日の観光を楽しみました。
今回の旅で借り出したレンタカーの走行距離は4000マイルにもなりました。アメリカという国の大きさ、豊かさを肌で感じた旅でした。また、同じ趣味を持つ多くのアメリカの友人の協力により砂漠をEVで走るという”暴挙”を成功裏に終わらせることができました。これからもこの友情を大切にしていきたいと思います。
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