三井の、なんのたしにもならないお話 その六

(1999.11オリジナル作成/2024.3サーバー移行)


 
 
客をつかむ方法、逃がす方法 (続編あり)


 ともかく、世の中不況です。いっこうに良くならないし、暗いはなしばっかし。ものが売れるのは、「二〇〇〇年特需」くらいだったりして。

 ま、それは仕方ないんですが、先日、まことに腹の立つ店がありました。この不景気に、よくこんなことでやっているよ、と。

 あるデパート内のレストラン街としておきましょう。「実名報道」でもいいんですが、あとに出てくるように、「おわび」を受け取っちゃったものですから。

 そこへ、ある休日の夜、家内と入ったのです。「バイキング形式」(いまじゃあどこでもグローバルに「カフェテリア形式」という)の和洋中華いろいろありのレストランで、お一人様2500円ということで、ま、いいかと入ったのですが、混んでいなかったのがよかったどころか、混んでいないのも道理、並んでいるはずの料理が相当部分底をつく状況、全くないわけではないものの、たっぷりあるのはカレーライスとか、「セルフサービス自作用」のラーメンセットくらいで、おなじみの盛りソバさえもうありません。表に書いてあったような、目玉的料理の皿は数えるほどしかなく、その上にも残りわずかです。もう客の波が退いたあと、という風で、確かに座らされたテーブルのすぐ隣には、前の客の残していってくれた皿と食べ残しの山が積まれ、いかにも居心地もよくありません。

 でも、これは閉店間際のことじゃないのです。まだ夜の8時前、ほかの店は相当に混んでいるところでした。もちろん、「もう片づけに入る直前ですので、それでもよろしいでしょうか?」とか、「料理を切らしたものもありますので、2000円で結構です」なんていう話もありませんでした。そして、カフェテリアの内側のキッチンには、ひとりの若いコックが悠々としているだけ、思い出したように、ステーキの追加を焼くくらい(それもあまりうまい肉じゃなかった)です。飲み物も、目につかないような片隅に、ジュースとコーラ類の設備がちょっとあるだけ、あとはコーヒーのみ、いくらフリードリンクといったってひどいじゃありませんか。



 それでさえも、私たちはまだ運のいいほうでした。そのあとから来た客のグループなどは、本当に皿にとるものがなくて、さめたピザをみんなでつまんでいたくらいです。そして、そのあと信じられないようなことがおこったのです。

 なにか追加のものでも入ったかと、カフェテリアへまた行って、様子見していると、となりでごそっと、巻き寿司用とおぼしきマグロやイカの残りを皿からさらっていくのがいる、よく見れば、なんとこれが店のウェートレスじゃありませんか。さっさと自分の皿に盛り、どこかへ運んでいくのです。そう、この店じゃあ、客と従業員が、カフェテリアの料理の残りを奪い合っているのです!

 そういった具合で、彼女らは、いろいろ残りをつまんでさらって、自分たちの夕食モードに入ったようでした。その一方、別のウェートレスがやがてやってきて、こっちの皿を片づけてくれる、それはいいんだが、「9時になりましたら料理を下げます、9時半には閉店になりますけど、よろしいですか?」とのたまうのです。確かこのレストラン街は10時閉店で、この店の入り口にだって、9時半オーダーストップと書いてあったはずなんだけど、妙な言い方です。実際すでに、テーブルのうえの片づけどころか、床の掃除なども始めており、要するに早く出ていってくれ、という訳なのです。

 私たちはまだいいんです、でもあとから入ったグループは、表には「2500円で80分」と書かれている、その時間の半分も店にとどまっていることさえできないということになるんですよ。さすがに、このころには新しい客は断っていましたが、いったいどういうつもりなんだ、というところです。

 もちろん食べ物もまずいし、不愉快だし、まだ8時半過ぎですものの、もう出ることにして、おもしろいことにも気づきました。おかれていた伝票の入店時刻が、汚い字でよく読めないんだけれど、どうしても「19時○○分」とは読めず、「18時」に見えるんですな、これが。これでもって、「時間が短いじゃないか」と文句を言われたら、いやもう十分御滞在ですと、ごまかそうというんでしょうか。

 せっかく楽しく「外食」をエンジョイしたいのに、ここで喧嘩をやって不愉快な気分になるのもなおさらシャクなので、黙って金を払い、帰りました。そして、つくずくと実感しました。「客も従業員も対等」というのは、以前英国の店でもかなり体験させられたけれど、最近はそうでもなくなった、一応「customer first」ということになってきた、そうなると、ここは「客も従業員も乏しきを分かちあう」、「客の勝手より従業員の都合」という意味で、かつてのソ連の店みたいなものか、まさに「ロードーシャの天国」だなあ、と。



 それでも、腹が立ったことは事実だったので、レストラン街を入れているデパートの係りに、後日電話しました。そしたら翌晩、担当課長とくだんの店を経営する企業の課長が、菓子折持ってとんできました(信じられないようなことだが、調べたら、当日、その前にあまりに混んで、従業員が食事をとる暇もなかったという事情があったという言いわけ)。ま、その誠意は認めますが、ともかくこれはなんなんだろ、という思いは永遠に消えません。少なくとも、人からゼニとって営む「商売」とはとうてい信じられません。


 このできごとには、いくつか「建設的」な教訓もあるはずです。たとえば、用意した料理が予定外に早くなくなっちゃった、追加分も作れない、それなら店は早じまいすべきでしょう。あるいは「こういった事情ですが、それでもよろしいでしょうか」とか、「特別割引サービス料金にいたします」とまず言える、こういった判断と機転が必要でしょう。知らん顔して、客を入れてしまってからこの始末では、詐欺と思われても仕方ないはずです。

 そして、バイト従業員たちがおなかをすかせているのに、食べるものがないというのなら、せめて料理を下げるふりして、裏の見えないところで自分たちの分をとるくらいにできないのでしょうか。カフェテリアレストランで、客と並んで堂々料理をさらう、それはいくらなんでもないんじゃないの、このくらいのことが感覚としてわからないのでしょうか?

 つまり、当たり前のことですが、「客の立場や気持ち」というものが、まるでわかっていないのです。と言うよりまったく埒外なのです。そして、こういった際にきちんと状況を見て、判断をし、従業員に指示を出せる、客にきちんと応対ができる、そういったマネージャーがいないのです(実際、アルバイト従業員以外の姿はありませんでした)。マニュアル通りにレジで金額を計算して、釣り銭を数えて、「有り難うございました」と頭を下げる、それで事たりるのなら、世の中「商売」なんてこんなに楽なことはありません。ただし、二度と客は来ないでしょう。




 これと対照的な経験を、地方の街でしたことがあります。観光都市でもありましたが、観光ズレしているというより、どこへ行っても、なにを頼んでも、あまりにみんな応対が丁寧で心がこもっているのに、かなり驚きました。そして、やはりその街のデパートで、名産の塗箸を記念の土産に買って帰ろうかと、いろいろ見事なのが並ぶうちから見繕い、箱入りの夫婦箸のセットで手頃なのを店員に見せますと、「お客様、これはお遣いものですか」と聞くのです。いや、自分で使うためなんだけどと申しますと、「それでしたら、これをお買いになることはありません、この桐箱だけでかなりの値段になってしまいます、中の同じものがバラでこちらに並んでいます」と示してくれるのです。確かに、まったく同じ柄のものがそろい、値段は箱入りより500円も安くすみました。

 こちらはただの観光客です。値段のこともよくわかりませんから、箱入りでこの値、まあいいかと、黙っていればそのまま買って帰ったでしょう。それを親切に教えてくれる、しかしそれで店の売上額は500円少なくなっただけのことです。また、私が再びここを訪れるのはいつのことかわかりません。まさしく「一見の客」でしかありません。

 でも、間違いないことは、ここで得られた感動です。この街では、どんな店でも客を大切にしてくれている、自分たちの目先の損得でなく、本当に大事に客をもてなすという心を持っている、このことを肌で体験できた事実です。

 街の居酒屋でも食堂でも、古い屋敷を復元した観光施設でも、どこでも感じた旅先の心地よさを、ささやかな手みやげとともに持って帰ることができました。



 些細なことですが、これが「商い」の原点ではないでしょうか。言い尽くされ、もういやというほど手垢の付いてしまった言葉であっても、やはり、「客への思いやり」、「温かい人情」、これなくして、商売というものはないのではないでしょうか。

 そのあべこべ、客としては、二度と足を向けたくなくなるようなことを経験するのがあまりにも多いこのごろだけに。過ぎてしまってからの菓子折で、客の気持ちが和むわけでもありません。




 似たような話し


 こういった、個人的腹立ち談は、とかく「ホームページ」を飾ることが多く、ために実につまらない自己満足、月並みな話しに陥ることがいつものことなので、「読まされる」ひとたちの立場も考慮して、なるべくやめるべきなのでしょうが、どうしても書きたいことがありました。

 別の店、実はすでに「倒産した」はずの某スーパーでのことです。

 私自身もそういったところの「閉店セール」、超安物をねらいにいって(私は安物を買うのが大好きなのです)、いかにもの夏用の安楽スラックス二本を手にしました。それでレジへ行くと、大して客の影もないのをいいことにか、二台のうち一台には「ただいま使用停止しておりますので、他のレジをご利用下さい。」の札がおかれ、ところがそのもう一台の開いている方では、店員のと客がなにやら騒ぎになっています。どうも、クレジットカード支払いか何かで、操作がうまくいかず、キャッシュレジスタが動かないらしいのです。他の店員も駆けつけてきて、この機械がダメだとなるや、停止中の方の機械に回って、キーを入れて手続きにかかろうという具合、それでもこれは順番ですから、私はその後方で、開いているはずのレジのところで、商品を手にすべてが終わるのをじっと待っていました。

 あっちこっちから飛んできた店員総掛かり、4人もかかって、ああでもない、こうでもないとやりながら、機械をいじり、伝票をひっくり返して眺め、超スローながらそれでなんとか支払い手続き作業を進めているようです。それは我慢もします。しかし、この作業が一段落しそうになると、この本来「使用停止中」の札がおかれた方のレジに、店員の群がっている姿だけ見て、別の客が商品を抱えてやってきます。いやな予感がしました。そしてその通りに、店員はさっさとそちらの客の商品を受け取り、金額を入れ、金を受け取ってと、始めるわけです。続いてもう一人の客、さらに別の客も来る、これには私は完全に「切れ」ました。

 自分の順番が来るまで、この騒ぎを辛抱強く待っていた、「使用停止中」ではないはずのレジに並んでいた私の存在は、完全無視をされたのです。あんなとこで、なに突っ立ってるんだろ、と思われていたのでしょう。

 こうした際、ほかでなら私は、要するに「あんたに売る商品はないよ」ということなのだろうと解釈して、その商品をそこにおいてサッサと店を出るわけですが、このときは、そのスラックスを買いたいということもあったし、それ以上にこの「扱い」にケジメをつけなくてはとうてい気持ちが収まらないので、一挙に行動に出たわけです。手をぐいと伸ばして、向こうのレジの台の上の「使用停止中」の札をとりあげ、こちら側におき −そういうことでしょう、実際にはこの私の並んでいた方のレジが実質「使用停止中」であるわけですから− 、そのうえで、私の手にあるスラックスを無言でバンと、そちらの台におきました。「私の方が先の番だぞ」とか「ずっと待っていたんだ」などと言う必要もありません。私がこの5分あまり、静かに待ち続けていた、それを4人もかかっていた店員連中は完全無視をしたわけです。

 とたんには、この4人の女性店員たちは、何が起こったかよく理解できないようでした。いま自分の買い物をおこうとしていた、三人目の女性客の方がたじろいで、「あ、この方の方を先にしてください」と告げました。ようやく店員が私の方の商品を手にしようとしたとき、私の口からはかなりの怒りの言葉が出ました。「あんたたち、何やってんだよ」、「4人もいて、いったいどこを見て仕事してるんだ」、「客の方が見えないのか」、ここまで言うと、ちょっと怒りにまかせての捨てぜりふかという気もし、あとで少なからず自分自身が不快な気分ともなりました。


 この些細なできごとは、些細なこと、計3千円ほどの買い物で、「切れた」自分自身への反省という思いも残りましたが、店と接客のあり方という意味では、あまりにわかりすぎの教訓ではありましょう。ともかく、終始一貫、客の姿が見えていなかったのです。ほとんどお友達同士(みなさんパートでしょう)、烏合の衆のノリで、みんなでわいわいがやがややっている、思いつきで仕事をしている、その合間に、客が来たらそのつど適当に相手をする、これでしかありません。客からカネを払ってもらう、仕事をして給料をもらう、そういった姿勢にはとうてい思えません。自分たちがいま、なにをやっているのかさえ、よくわかっていないんでしょう。ま、気押されてさすがに「お待たせして済みません」くらいは一言ありましたが、基本的に最後まで、私がなにに怒ったのか、4人そろってよくわからなかったようでした。単に「怖い客がきたもんだ」くらいに思っていたのでしょう。

 つぶれる店だからこんな具合なんだとか、これだからつぶれたんだとか、そういった理解もありましょう。実際私もそう言ってやろうかともその場で思いましたが、あまりに月並みなので(たぶんもう、さんざんに言われてきているでしょうから)、あえて口にしませんでした。

 ですから、ここまでひどい店はそうはないもんだという気もしますが、いや、だいたいそんなもんよというようにも思えます。仕事のすすめ方、手順、接客の基本、売り場での責任者と指示系統、トラブル対応の心構え、そういった当たり前のことが当たり前でなくなりつつある、これがニッポンの現実なのでしょう。



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