idle talk59

三井の、なんのたしにもならないお話 その五十九

(2021.07オリジナル作成)


 
 忘れられた戦争映画大作『勝利者』(1963)を復元する

 
こんな映画、60年代にあったの?


 

 1960年代から70年代にかけては、世界中で競うように「大作映画」がつくられました。これはある意味、台頭するテレビに映画業界が対抗するため、「テレビじゃ見られない」ゼニかけ、手間暇かけた作品を相次いで出した、その表れとも理解されます。そしてそのうちには少なからぬ「戦争映画」がありました。これらには加えて、第二次大戦終戦後20年という一区切りの中、次第に記憶から薄れ、「歴史的過去」に仲間入りする経験の数々をいまいちどよみがえらせ、まさに「記憶を新たにしたい」という、世界中の思潮の反映もありましょう。
 
 もちろんまったくのフィクション、実際の戦争には到底あり得ないようなお話しをでっち上げ、冒険談として面白おかしくつくったものも少なからずあります。アリステア・マクリーン原作の『ナバロンの要塞』、『荒鷲の要塞』なんていうのは典型ですな。そうではない、史実に即し、これを再現するものとしてつくられたものも少なくありません。題名をあげてみれば、『史上最大の作戦』(The Longest Day)、『バルジ大作戦』(Battle of the Bulge)、『パリは燃えているか?』(Is Paris Burning?)、『空軍大戦略』(Battle of Britain)、『パットン大戦車軍団』(Patton)、『トラ・トラ・トラ!』(Tora!Tora!Tora!)、『遠すぎた橋』(A Bridge Too Far)といった映画がすぐに浮かびましょう。これらは、実際の作戦・戦闘や実在の人物らを対象とした実録的な性格にあり、これを題材に莫大な制作費をかけ、実物の兵器、膨大な人数のエキストラを動員して撮影された、という共通した特徴があります。ド派手な戦闘シーンや砲弾爆弾炸裂、まさに戦場再現というのも「売り」でした。単なる個人的な英雄譚やドラマというより、戦争そのものを描く、というところが顕著です。もちろんその意味では、当時から好戦的だ、勝ち組礼賛だ、という批判もありました。「勝った方」の立場・視点でつくられている、というのも避けがたいところでしょう(程度の差はかなりありますが)。そして、そういった映画を作り、全世界で上映してゼニを稼ぐ力を持っていたのはハリウッドのメジャー映画会社でもありましたし、所詮は「アメリカの立場」の反映であり正当化だ、という見方もあり得ます。こうした「過去」の戦争を描く一方で、当のアメリカ軍はベトナムなど、世界各地で大規模な戦争を仕掛け、膨大な犠牲を出していたのですし(そうした現実への批判的な描写は、70年代後半以降本格的に広まります)。

 世界のうちで見れば、ハリウッドがらみにとどまるわけではなく、上記の中でも『パリは燃えているか?』はハリウッド資本ながら、基本的にはフランス映画です。パリ解放の蜂起が主題ですからね。同様に、「戦争スペクタクル」のかたちをとりながら、「人間ドラマ」性に重きを置いた、フランス映画『ダンケルク』(Week-end a Zuydcoote)なんていうのもありました。また、とりわけ旧ソ連では愛国感情の喚起と維持のために、膨大な数の第二次大戦映画が国策的に作られ続けていました。『ヨーロッパの解放』(Освобождение)なんていうのはその代表格でしょう。ただ、「非スターリン化」後は、国策映画的な色彩は薄れていきます。中国でもたくさんつくられていたようです。
 このころまた、ハリウッド資本とも提携し、ユーゴスラビアでの大国策映画としてつくられた、『ネレトバの戦い』(Bitka na Neretvi, 1969)なんていうのもありました。米英独伊露など世界各国からのオールスターキャストというのもこの時代ならではです。しかしこの映画から20年後、チトー大統領の死をきっかけにユーゴスラビアは分裂、90年代にはネレトバ川の流れるボスニアは悲惨極まりない内戦の地となり、すさまじい殺戮と破壊が行われました。歴史は追憶される遠い過去とはならなかったのです。

 

 さて、そうした「戦争映画大作」の時代に、鳴り物入りで公開されながら、いまではほとんど忘れ去られてしまっているハリウッド映画があるのです。それが、邦題『勝利者』(The Victors)です。1963年公開のコロンビア映画で、オールスターキャスト、3時間近い上映時間、莫大な制作費、多数のエキストラ登場、という「大作」だったのです。

 けれどもそれから半世紀以上、この映画『勝利者』のことは、ほとんどどこででも話題にもなりません。歴史の記憶から事実上消えてしまっています。不思議なことです。その意味では、金をかけながらこけた、失敗作のレッテルを貼られてもやむを得ないでしょう。web上の映画情報サイトで見れば、確かに題名は出てきて、諸元データくらいは確認できますが、「感想」「レビュー」の類いは殆どなく、いかに見ている人間が少ないかわかります。IMDb(Internet Movie Database)でも、reviewが多いとも言えません。日本の国内の検索エンジンにかければ、ユージローの同名映画(1957)の方が上位に出てきてしまいます。
 
 そのうえ、映画製作・封切り上映後にたどった道は、ある意味悲運そのものと言っていいでしょう。今日、もうそれは完全な形で見ることができないのです。オリジナルはどっかに保存されているのかも知れませんが。
 
 その経過はなにを物語っているのか、この映画の受けた扱い、たどった運命も含めて、興味深い考察対象と思います。間違いないことは、多年ハリウッド映画の数々の脚本を書き、多くのヒット作を出してきたカール・フォアマン(Carl Foreman, 1914-1984)がこの作品を生涯唯一監督し、明らかにここに全身全霊を傾けた、しかしその努力が報われたかどうかは、半世紀の歴史を見ればあまりに明らかでもある、この厳しい歴史的事実でしょう。彼の名は、『真昼の決闘』(High Noon, 1952)の脚本で知られ、また上記の、「戦争冒活もの」の典型である大フィクション・大ヒット作の『ナバロンの要塞』(The Guns of Navarone, 1961)の脚本も書いているのです(デビッド・リーンの『戦場にかける橋』(The Bridge on the River Kwai, 1957)の脚本も、実際には彼の手によるものとされています。ハリウッドレッドパージの矢面に立たされた彼は、名を出すことができず、公開当時は原作者ピエール・ブールが脚本も書いたことになっていました)。おそらくは、こういった「うけねらい」映画に自分自身嫌気がさしていたからこそ、それらの稼ぎを全部つぎ込み、全精力を傾けて、『勝利者』を作ったと言えるのではないでしょうか。戦争とは、軍隊とは、そして戦時下の市民とはどうであったのか、これまで描かれることのなかった真実をあえて描き出したいと。
 
 

カットされた数々のエピソード

 
 日本公開時、映画館発売のプログラムには上映時間が記されていないのですが、映画誌『映画の友』1964年2月号には、「2時間54分」と記されています。174分、従って現在入手可能な市販DVD(といっても、日本では発売されたことがなく、もちろん日本語字幕などありません)の153分とはだいぶ違い、20分は足りないことになります。IMDbでも「2h 55min」と記されているので、これがオリジナルの長さと考えて間違いないでしょう。ここではまた「alternative versions」として、「156min」とも書かれているから、そのDVD版の長さを指すものと考えられます。

 
 この短縮版に至った事情をIMDbの投稿ではこう記されています。

This film opened in London in the winter of 1963 at a length of 175 minutes and was universally criticized for being too long. It did not generate much box-office interest in this initial engagement and, by the time it went out on general release several weeks later, it had been trimmed by a little over a quarter of an hour. As it was a film filled with brief (or prolonged) episodes of war rather than one continuing plot-line, it was easy to shorten the film by taking out one episode in its entirety - a story concerning a young French orphan who is unofficially adopted by the platoon, and who, as the soldiers are horrified to discover, has survived the German occupation by becoming a child prostitute. This role was played by the French teenage actor Joel Flateau, who was still prominently billed on the film's posters and in the opening credit sequence. The film did no better at the box-office, and vanished from sight in Britain for many years, until, in 2004, it began to appear again on British television, and also got a DVD release in the same period. The episode was not restored, however, and Flateau's name was now excised from the credits. The film was also now missing other scenes, notably a brief one where some British soldiers, finding a piano in a ruined building, sing the traditional army song, "The Long And The Short And The Tall" - not in the usual bowdlerized version, but with liberal use of the F-word, which here was used for the first time in an English-language film.

 
 つまり、決定的になくなってしまったのは、フランスの少年をめぐるエピソードで、映画の主人公の米軍分隊の兵たちになつき、可愛がられた彼は、実はドイツ占領下以来の「男児娼婦」だったというわけでした。この「戦争と軍隊」「性」の実相をあからさまに暴き出した映画の中でも、特筆されるべき物語だったが、それだけに後世ヤバいものとされ、全部切り取られてしまった(「児童虐待だ」という理屈のもとに)というのは十分想像できるところです。ただ、この解説だと当初からこのエピソードが切られてしまったようにも読めますが、1964年の日本公開時にはちゃんとありました。私ははっきり憶えています。

 あとは、ここに指摘された、廃墟の建物とピアノ、英兵たちの歌という場面がなくなったとなるわけですが、このエピソードは私の記憶にも殆ど残っていません。さらにないのはエンドタイトルの後で、再び行進場面などが続いていたはずなので、そちらも切られたのは十分に想像可能です。こっちは幾分蛇足気味でしたし。


 
 IMDbの解説にもあるように、この映画はいくつものエピソードをつないで構成されており、それにかかわるのが登場人物としての同じ分隊(squad)の兵士たちであるという縦糸なので、時間の経過と転戦する各地の移り変わりを示していくという手法であるとはいえ、映画自体を部分カットしてしまうのは実に容易であったわけです。映画のテレビ公開が本格化した時代には、放映時間に合わせてカットするというのは当たり前のように行われており、もとを見ている立場からすると、実に腹立たしい、フラストレーションのたまる状況だったものの、このようにエピソードがまるごとなくなってしまえば、見るひとには基本的に違和感がないのです。通常のお話しだと、カットによって話が飛んだり、いろいろ無理や矛盾が生じるものなのですが、こうなると「切られた」こと自体意識されなくなってしまうのですから。

 実際、『勝利者』はテレビ公開時、ひどいことになっておりました。おそらく80年代あたりと思いますが、日本では「NET日本教育テレビ」(のちの「テレビ朝日」)で放送されたものの、120分足らずの放映時間、もちろんCMもいっぱい入るので、実質100分程度のものにされていました。気が抜けたなんていうものじゃなく、非常に憤激したことを今も記憶しております。実質半分近くになっちゃったんですからね。製作者、監督、出演者らすべての関係者への侮辱冒涜ですよ。

 
 

『勝利者』のプロローグ

 さて、私はこの『勝利者』、日本公開当時に見ております。渋谷松竹で、と記録されており、おそらく高校生時代のことでしょう。ただ、もう半世紀以上前のことで、正直私自身の記憶もかなり曖昧、しかしこの映画の存在を末代まで伝えておきたいという思いから、短縮版ながら上記の現行DVD版をもとに、ストーリーを再現することにしました。

 
 映画の冒頭は、ベートーベンの「運命」のリズムに似た打楽器音をバックに流しながら、「歴史的な」記録フィルムで綴られていきます。いきなり、第一次世界大戦下の最前線、これは明らかにルイス・マイルストン監督の『西部戦線異状なし』(All Quiet on the Western Front, 1930)の有名なシーンなどの流用で、ドイツ軍最前線に襲来するフランス兵たちが片っ端から機銃掃射でなぎ倒され、吹き飛ばされていく、あれです。まあ、ここだけで作者の意図がかなりわかりますね。悲惨極まりない総力戦、殺戮破壊の数々から僅か20年後には、この戦争がふたたび始まったということを象徴し、しかもベートーベン「運命」類似はある意味、一年前に大公開の『史上最大の作戦』にかぶせる意図であることを示唆しているのです。そちらは「運命」のリズムから始まり、メロディーを含めてこれが繰り返し用いられますしね。挑戦的です。

 第一次大戦の終結、和平、ひとびとの歓呼、しかしすぐにシーンはドイツの独裁者の登場と、その演説、開かれた口のストップモーション、そしてドイツ軍の空陸からの攻撃に移ります。急降下爆撃機JU-87編隊、投下される爆弾、爆発と崩れる建物、逃げ惑う群衆、こういった短い場面のモンタージュののち、The Victorsのメインタイトルになり、主題曲の勇ましくアップテンポな「勝利者のマーチ」が流れ、以降場面は連合軍各軍の堂々たる行進の連続で、それを背景に膨大な人数のキャストとスタッフの名が画面上を流れていきます。行進には英軍、米軍のみならず、カナダ軍やオーストラリア軍、仏軍、ロシア軍などももれなく登場、これを見ていれば、華々しい「勝ち戦」の英雄譚が始まるという印象になりましょう。これらのシーンは明らかに、戦争終結後の「勝利行進」のニュースリールなのですから。

 しかし、「勝利者」を祝賀する場面はこれで終わりです。各行進の最後は米軍将兵だったので、それにつながる形で、実戦での米兵たちの物語につながっていく構成です。
 
 

エピソード1 戦火のもとの英国で

 場面はドイツ空爆下の英国・1942年となります。このときはすでに、「バトルオブブリテン」ののちヒトラーは英国上陸を断念していましたが、依然激しい空爆が繰り返されていました。参戦した米軍の派遣隊の駐屯地とおぼしきところ、そのデポ建物門前に夜間警備に立つふたりの米兵、これが映画全体の主人公役となるトロワー(ジョージ・ハミルトン)とチェース(ジョージ・ペパード)です。絶え間ない高射砲撃、敵機の爆音、落下する爆弾の激しい爆発と閃光が次第に近づく状況にふたりは相当おびえ、身をかがめ、土嚢の陰に伏せて避けようとしますが、驚いたことに、この危険な状況下に、口笛吹きながら街角をひとりでやってくる英国人の姿を目にします。POLICEの名の入ったヘルメットをかぶっているので、巡邏中の警官なのでしょう。まるで物怖じしないその態度に、ふたりもいささか恥じて、立ち上がり、警備の姿勢に戻り、軽く挨拶を交わします。警官は何の動揺もなく、また街角に去って行きます。

 このエピソードは、文字通り戦争の「洗礼を受けた」ふたりがその後前線でおくる、戦いと休息と、絶えることのない集団生活の日々へのイントロダクションなのでしょう。そこには紙一重ほどに軽い生死の境が常にあるわけですが、この映画では主な登場人物の「死」は最後に至るまで出てこないのです。

 
 それから、各エピソード間に差し挟まれる、時間の経過を象徴するニュースリールが、そのまま出てきます。まずは米国ルーズベルト大統領が、ワシントンで開かれた世界青年会議の場で行った演説、「われわれは自由を勝ち取るために勝利する」との言、そして国内の演習場で、海兵隊員の訓練施設に「コーラスガールたち」が参加、というお色気ネタが相次いで流されます。そしてシシリー島上陸作戦の実写ニュースとなり、そのまま現地前線の模様に転じていくのです(連合軍のシシリー上陸は1943年7月に決行されました)。GIたちは山の麓の村に突撃、銃撃と手榴弾攻撃を繰り返し、ドイツ軍との激しい戦闘ののち村を占領、しばし休息する疲れ切った彼らの表情が一人一人紹介されていきます。ここでまた、物語りに戻ったわけです。

 
 

エピソード2 シシリーでの戦闘と、戦いのあと

 分隊を率いるクレイグ軍曹(エリ(イーライ)・ウォーラック)の点呼を受けたのち、路肩で疲れた体をおのおの休める兵たち、しかし軍曹が村の中を見回り、水をくんで戻ると、もう誰もいません。兵たちは近くの洋品店に入り込み、帽子などを勝手に手に取り、獲物として背嚢に詰め込んでいます。別の連中は雑貨店に入り込み、獲物をあさったり遊んだりしており、軍曹はまた怒鳴らなくてはなりませんが、ひとり「踊る人形のオルゴール」を手に取ったトロワーはそれに見入ります。皆も、軍曹も声を抑えざるを得ません。

 この一連のエピソードのほかは、主人公たちが経験する「戦闘」はこの映画では出てきません。これだけでも、相当に「奇妙な」戦争映画であることがわかります。もちろん陽気で勇敢、規律正しい「アメリカ兵」たちではなく、かなり崩れていますね。

 

 分隊はこの村を去り、他の兵たちと合流し、大きな町に進軍します。町民のイタリア人たちは大歓迎、手を振り、歓呼の声を上げます。あちこちにはDUCEの語とムッソリーニの肖像が残っているのに。GIたちも得意と安堵の表情で町に入り、それぞれ駐屯する建物に収まり、装備を置き、戦闘服を脱ぎ、体を洗ってリラックスします。宿泊地はドイツ軍の駐屯していた建物のよう、そこでもう一晩を過ごしたような経過です。そうしたなか、兵の一人ベーカー(ビンセント・エドワーズ)は服装を整え、一人夜の町に出て行きます。彼には訪れるあてがありました。

 ベーカーの訪ねる先はこの町に住む女性・マリア(ロザンナ・スキャフィーノ)で、幼子を抱え、兵隊に取られた夫は戦地で行方不明、暮らしにも困窮しています。住まいの戸口の路上でたたずむ彼女、町では子供たちが群れ、米兵に「ギブミーチョコレート」をやっています。あちこちで熱い仲となるイタリア女たちとGI、それに距離を置いているマリアですが、ベーカーは手持ちの食料などを渡し、彼女の片言の英語で、しずかに対話をします。それぞれが夫持ち・妻持ちであることを承知の上、戦時下での家族を思う気持ち、寂しさなどを語り合います。二人には惹かれ合うものがありますが、マリアははっきりと彼を拒絶します。「あなたは妻がいる、私は夫がいる」、「いま、それぞれがいないから、でもやがてそれぞれの妻と夫のもとに帰る」、そして、もらった食料の袋を突き返し、来ないでくれ、と言い切る、とまどうベーカー、そのとき、にわかに街頭の子供らや女たちが逃げ惑いだし、それぞれの建物に駆け込んでしまいます。何ごとがと思えば、そこには酔ったシーク兵の姿がありました。彼の頭のターバンと、髭面の顔にイタリア人たちは恐れをなしたのです。

 ひとけのなくなった通りをシーク兵(トゥッテ・レムコウ)はよろよろと歩き、あれこれ呟き、閉ざされた扉を激しく叩きますが、反応はありません。そして路上にいるベーカーとマリアに歩み寄ります。彼女はほかのイタリア女たちのように顔を背けますが、ベーカーは冷静に対話を始めます。シーク兵は言います「私、子供三人いるよ」、「ホントは四人だったけど、死んでしまった」、「この子はかわいいね、思い出す」、そしてマリアの子を抱かせてくれ、と。彼女の顔は引きつるものの、ベーカーは穏やかに諭します、「彼は自分より子供の扱いは慣れているよ、怖がらないで」。両腕に幼子を抱いたシーク兵は子守歌を歌い出し、そしてぐずっていた子はニコニコと笑い出します。彼も、ベーカーもマリアも微笑みを交わしました。

 我が子を再び腕に抱いたマリアは、思いがけない経過に安堵の表情を浮かべます。「ありがとう、いい子だ」、彼は感謝とともにふるさとの家族のことを思い出し、少し寂しい心を抱いて、去って行きます。ベーカーに対し、「あなたはいいひと、あなたはやさしいひと」と語りかけるマリアの心には、熱いものがこみ上げてきました。「じゃあ、お休み」と去ろうとする彼に対し、マリアは「中に入って」と声をかけます。扉のうちに入り、抱き合う二人、そこでこのエピソードは終わります。

 朝、米軍部隊はまた多くの村人たちに見送られて出発、隊列を組んで行進していきます。ひとり寂しくたたずむマリア、振り返るベーカー、彼女はたまらず後を追いますが、兵たちはトラックに乗り込み、去って行きます。悄然とひとり戻るマリア。

 

 このお話にはいろいろな現実と葛藤が込められていますね。本来敵国同士であったはずのアメリカ人とイタリア人の親密ぶり、これは数々の挿話や物語りで扱われてきたところです。米軍はイタリア系の兵を多数送り込んだので、余計親密の情は増しました。逆にイタリア人の中でのドイツへの反感は一挙に爆発しました。しかしその彼らにも、シーク教徒のような「異邦人」には恐れと偏見が満ちてもいたのです。そしてこうした複雑な人種感情展開は、あとのエピソードで一挙に噴出します。

 ジェノバ出身で、当時イタリアの代表的女優の一人であったロザンナ・スキャフィーノは歴史物などに数々出ておりました。ただ80年代以降の活躍はなく、2009年に69歳で亡くなったと記されています。

 
 

エピソード3 酔い潰れる兵隊たち

 移動した分隊はまた別の駐屯地に向かいます。行軍の途中、地雷に触れたのか大破したトラックのそばで、米兵たちの死体の収容作業が行われていました。すでに腐臭が漂っている様子、生きている兵たちは無言で過ぎていくしかありません。

 次の駐屯地は町の郊外の果樹園、そこで先に着いたクレイグ軍曹はトラックを調達し、分隊を途中まで迎えに行きます。強面で軍規に厳しい鬼軍曹ですが、人情家でもあるのです。ところが、分隊は見当たりません。ここではないかと当たりをつけたのは途中のワイン醸造所、案の定その酒蔵の中で、兵たちは痛飲し、酔い潰れていました。あたりはワインの洪水です。「迷子の羊たち」を探しに出た軍曹は激怒します。「直ちに出ろ、整列だ!」という命令に、酔った勢いで殴りかかる者までいる始末、逆に一発喰らいます。醸造所のそとに並んだ兵たちはもう単なる酔っぱらいの集まりで、トラックにも容易に乗れません。潰れて道に倒れたきりの者までなんとか担ぎ上げ、ようやく出発にこぎ着けます。

 駐屯地に着くと、軍曹はともかく人目につかないところまで運んでくれと運転手に頼みますが、断られ、酔い潰れた兵たちを下ろさねばなりません。そこに将校の姿が、最悪の事態であるものの、ともかく兵たちを歩かせ、あるいは引きずっていきます。軍曹は懲罰降格を覚悟しますが、将校の眼にはこれが激戦地から生還した、戦闘に疲れ切った勇敢な兵たちに映りました。お褒めと励ましの言葉をもらったクレイグ軍曹は面はゆいばかり、なんとか救われた思いで眠りこけている兵たちの元に行きます。最後のまとめ役はチェースで、激戦後の兵たちを演じさせたのでした。「ともあれ、感謝する」、「でも、なんでおまえは酔い潰れるほど飲まなかったんだ?」軍曹の問いに、チェースは肩をすぼめるのみで、隠し持ってきたワインの瓶を差し出します、「あんたの分」と。軍曹は彼の人情と知恵のあるのを指摘しますが、またこんな事態を防がなかった、上に立つ人間としての「責任感」のなさを言わざるを得ません。先任で従軍歴の長いチェースには下士官昇進の道があるのですが、結局映画全編で、それは絶たれます。

 
 

エピソード4 酒場での「黒人狩り」の恐怖

 町の酒場に、おおぜいのGIたちが群れています。入ってきたトロワーは、制服の二本線の袖章が自慢げ、ほかの兵と酒を飲み交わし始めます。つまり、クレイグ軍曹が伍長昇進を上申したのはチェースではなくトロワーでした。

 ところが、賑わう酒場に危なげな一団が入ってきます。制服の米兵たちではあるものの、「おい、ニガーどもはいるか」と、あからさまに黒人たちへの憎悪をみなぎらせています。一瞬室内は静まりかえり、他の米兵たちは身をこわばらせます。中心のテーブルにふたりの黒人兵が座っていました。薄ら笑いを浮かべながら、一団のリーダーがナイフを取り出して襲いかかっていきます。しかしほかの兵たちは言葉を失い、身をすくめ、壁際に引き、この狼藉ものたちは止められることもなく凶行に及びます。直後、「MPだ!」の声が、それで米兵たちは皆出口に殺到、あっという間にいなくなってしまいます。トロワーも逃げだそうとしながら、床に倒れている被害者たちを抱き起こし、ひとり一瞬逃げ遅れ、身を隠そうとカウンターの陰にかがみこみます。入ってきたMPたちは現場を確認、倒れている怪我人たちを担ぎ出す一方、店の女主人を尋問します。「なにがあったんだ?」「わからない、ケンカよ」、「被害は?」、「まあ商売だけ」、それを聞くと、MPは文書に書き込みをして渡し、こう告げます。「今度こんなことがあったら、立ち入り禁止処分だ」。そののち、ほっとしたトロワーが身を起こし、立ち去ろうとすると、女主人が問いかけます。「なんでなの?おんなじアメリカ人でしょ」、「わからんよ」、そうとしか彼にはこたえられません。

 場面はそのあと、夜半の街角で酔い潰れて寝込んでいる米兵の身体から、男女の子供たちが金品を奪うところで終わります。

 

 このような、あまりにあからさまで残虐非道な人種差別・テロが、実際に欧州の米軍の中で起こっていたのか、それはわかりません。「自由と民主主義を取り戻す」どころか、まさにナチ並みのごろつき犯罪集団ですね。でも、こういった描写に米軍や国防省が抗議したという話しもないので、決してあり得なくはない展開なのでしょう。そして間違いないのは、黒人の将兵も多数招集参戦していたけれど、彼らは多くの場合、「黒人部隊」として編成され、白人の将兵たちと同じ組織には属さなかったという事実があります。黒人だけではありません、有名なところでは、日系人の将兵は「442連隊」といった独自の組織に組み込まれていたわけです。もっとも、日本人は本来敵性国人であったという現実もありますけれど。

 
 

エピソード5 フランスの地と、おびえた女性

 映画はそれから、またニュースリールになります。「Dデイ」、すなわち1944年6月の、連合軍の北フランスノルマンディー上陸作戦です。艦上で得意満面のアイゼンハワーとモンゴメリー、海岸に進撃するGIジョーとトミーたち、まさに「ダンケルクを忘れるな」の日が来たと、アナウンサーは強調します。

 そして場面はノルマンディーの町、激しい砲爆撃で多くの建物が崩れ、瓦礫の街と化しているところへ、1人でジープを運転してクレイグ軍曹がやってきます。詳しくは説明ありませんが、部隊を進駐させる下調べのようで、敵軍はすでに撤退しているもようです。彼が目標とした損傷の少ない建物、カギがかかっているため銃床で戸を壊して入ろうとすると、怯えた様子の女性(ジャンヌ・モロー)が中で立っています。「Can I help you?」彼女は英語を理解するので、軍曹はこの建物を明後日あたりに部隊が接収し、司令部に使いたいと申し出ます。彼女はおとなしく同意し、軍曹はカネは払うと告げ、穏やかなかたちでことが運びます。外では絶えず、砲声が響いているのですが。彼女は静かな物腰で、居間など室内を案内します。激しい砲爆撃のため絵や彫刻などが落ち、傾き、家の中は乱れてはいますが、たくさんの蔵書とともに趣味のよい綺麗な室内であったことがわかります。軍曹は感心し、「部屋は丁寧に使うように言っときます」、でも彼女は気が抜けたように「もうどうでもいいわ」と投げやりな返事です。
 階上の寝室などに案内しながら、爆撃の間は地下の倉庫に隠れていたこと、恐ろしい以上にひどく寒かったこと、それでも怖くて外には出られなかったことなど語ります、「いちばん恐ろしかったのはネズミだったわ」。二階の寝室、バスルーム、夫の寝室など案内され、軍曹は彼女の夫というのが相当のインテリであることを察しますが、その姿・気配がありません。「で、あんたの夫は?」、「彼は三ヶ月前に殺された」、軍曹としてはこれに深入りするのを避け、「今朝6時に食ったきりでね、腹が空いちまった」「あんたもずっと食べてないんだろ?」「下のジープに食料を積んである、もし調理してくれれば」と問い、彼女も同意し、おそい食事の時間となります。

 食事にありついてむさぼり食う軍曹の横で、落ち着きを取り戻した女主人は煙草を吸って気分を落ち着かせながら、この間の経験を語り始めます。爆撃の恐ろしさ、家が潰れるのではないかと思ったこと、身体から魂が抜け出るような思い、かたちあるものは消え、意思だけが彷徨っている、永遠と復活と、実際に目の当たりにしたような感覚などなど、でも軍曹は食べるに夢中です。彼女も気がついて「1人で勝手に喋って御免なさい」と言いますが、「あんたもずっとひどいストレスだったんだろうから」と取りなしてくれます。「あなた疲れているんでしょ、私たちを解放してくれて感謝しているわ」、軍曹はこの家に泊まることにします。
 その夜、再び激しい爆撃と迎撃射撃の爆音・閃光のなか、軍曹はベッドで目を覚まします。咄嗟に銃を手に取った彼が見たのは、寝室の床に座り込んでいる女主人の姿でした。「こわいの、もう二度と目が覚めることがないような気がして」「これまでは1人で堪えていたのに」、「どうかここにいさせて」、心底怯えている彼女のありさまに、堅物の軍曹も同情を覚えます。近くで爆弾が爆発、閃光が走り家が揺れたとき、彼女はベッドの軍曹のかたわらに駆け込み、身を横たえていました。翌朝、鳥の声がする静かな陽の光の中、彼女はベッドで軍曹の太い腕に抱かれているのに気がつきます。眠りこけたままの彼の上腕には「Joe とAnne」の名が彫られていました。


 ジャンヌ・モローといえば映画史に残る大女優ですね。舞台出身、『死刑台のエレベーター』、『恋人たち』、『突然炎のごとく』などルイ・マルやフランソワーズ・トリュフォー作品に出てヌーベルバーグを代表、アンニュイな雰囲気で一世を風靡しました。カフカ原作の『審判』(オーソンウェルズ監督)にも出ています。戦争映画では、第一次大戦下の女スパイを演じた『マタ・ハリ』(1964年)、ドイツ軍による美術品強奪をうける女性美術館長役の『大列車作戦』(1964年)に出演しました。1928年生まれですからまさに戦中派です。2017年に89歳で亡くなっていますので、役者人生を含めて長命でした。日本人からするとちょっと強面、近づきがたい雰囲気ですが。

 
 

エピソード6 降伏する敵兵を皆殺しにする「自由フランス軍」

 フランスの田舎の街道、そのうえから眼下の草原に立つトーチカを、路上に伏せた分隊が注視しています。軍曹は双眼鏡で模様をうかがい、トーチカからそっと出てくるドイツ兵たちの姿が見て取れます。ところがそこで銃声、敵兵はたちまちなかに逃げ込んでしまいます。「誰だ、馬鹿野郎!」怒鳴られて、兵の一人がおずおずと手を上げます。焦って勝手に発砲したのです。
 そこへ、背後の森から将兵が下りてきます。自由フランス軍の一部隊で、イギリス製の武器装備に身を固めていました。先頭の部隊長(モーリス・ロネ)はベレー帽姿で黒い眼帯をしており、拳銃片手に米兵たちに近寄ってきて尋ねます、「銃声がしたんだが、何かね?」「あそこに敵のトーチカがあって、どう攻めるか考えていたんだが、バカが発砲しやがった」。隊長はにやりと笑い、拳銃をしまい、軍曹の双眼鏡を借り、下の様子をうかがいますが、ちょうどドイツ兵たちが白旗を振って両手を挙げ、出てくるのが見えました。すると彼は部下の持っていたステン銃を手に取り、ねらいを定め、ためらわず引き金を引きます。激しい掃射が浴びせられ、敵兵はバタバタ倒れ、生き残った者たちはまたトーチカに逃げ込みます。軍曹も部下たちも唖然、降伏する敵を攻撃してはならないという戦陣訓のはずでした。しかしフランス兵たちになんのためらいもなく、弾倉を代え、さらに撃ち続けます。トーチカの窓から白旗を振り続けていた敵兵たちも、やむなく機関銃で応戦を始めますが、角度の限界から道の方まで届きません。「やっと始まったぜ」、笑みを浮かべて仏軍隊長は軍曹に告げます。「ここは我々に任せてくれ、あんたたちは後ろに下がって」。不本意ながら、クレイグ軍曹は部下たちを下がらせます。

 フランス兵たちは一列で激しい銃撃を続けながら、一部が斜面を下って回り込み、トーチカに近づき、壁に爆薬を仕掛けました。導火線を引いた部下が戻ってくると、隊長は咥え煙草のまま銃を撃ちつつ、手際よくセットされた発火器のレバーをためらいなく押します。米兵たちは思わず息をのみ、目をそらします。激しい爆発が起き、トーチカは跡形もなく吹き飛び、静寂が訪れます。
 「いかがだったかな、軍曹。あとはお任せする」「君の部下を確認に行かせてもいいが、まあ要らんだろうな」、軍曹がもの申す余裕を与えず、仏軍隊長は付け加えます、「もしこれを報告する際には、祖国を占領され踏みにじられた経験はないことを忘れずに、じゃあな」、頬に深い傷跡のある顔に笑みを浮かべ、胸を張って、彼らは隊伍を組み去って行きます。軍曹とGIたちは言葉もないまま、「自由フランス軍」を見送りました。

 

 「FFL自由フランス軍」と、これに連帯する「FFIフランス国内軍」パルチザンは、ナチドイツ軍とゲシュタポ、ビシー政権軍・警察との血みどろの4年間の戦いに耐え、大きな損失犠牲を被りながら、祖国の自由のために三色旗を高く掲げ続けたと、多くの歴史と記録、物語の中で語り継がれてきました。それらを題材とした映画も、『パリは燃えているか』はじめ数多くあります。しかしその陰での、復讐のために降伏する敵兵を有無を言わさず皆殺しにするといった残虐行為、非道な仕打ちを描くということ自体、誠に蛮勇をふるったと言わねばならないでしょう。実際の戦史の中で、こうしたジュネーブ協定違反の殺戮がどれほどあったのか、いま確認は容易ではないものの、民間人非戦闘員も巻き込んだ総力戦・殺し合いとしての現代戦争には、どちら側ででもあり得なくはない事態でしょう。個々人の命などは限りなく軽いのです。それをあえて描いた、カール・フォアマンの勇気は並大抵ではないと思いますものの、ますますもって「この映画は誰に見せるためだったのか」という想いを深くします。

 

 このあとに、フランスの少年との危ない物語が入るわけですが、全面カットです。その役を演じたジョエル・フラトー(Joel Flateau)の名は、現行版のクレジットからも外されてしまっています。駐屯地にいる分隊の兵たちと仲良くなったフランスの孤児の少年、片言の英語を話し、気が利くのでかわいがられますが、ある夜、チェースの寝る毛布の中に潜り込んできて、驚かせ、焦らせます。彼には、「○○を貸す」のが当然の行為だと思われていたのであり、ドイツ軍が駐屯していたときも同じことをしていたと。みんな好きなんでしょう、と。

 モーリス・ロネと言えば『太陽がいっぱい』『死刑台のエレベーター』など、フランス映画の一時代を代表しています。しかし、1983年に55歳で亡くなっており、残念な生涯でした。『太陽』でも、アラン・ドロンに殺されちゃう金持ちの放蕩息子でしたし。

 
 

エピソード7 森の中の強制収容所と、餓死寸前のユダヤ人たち

 深い森の中を、米軍部隊が銃を構えて進んでいきます。静寂の中に、なにかを叩くような音が繰り返し響きます。道の先には大規模な強制収容所があり、連合軍捕虜や捕らえられたフランス人らが収容されていました。でも多数は、痩せ衰えた囚人服のユダヤ人たちでした。元気のあるものたちが丸太を担ぎ、閉鎖された正門にぶっつけ、突破しようと試みていたのです。すでにドイツ兵や看守らは皆逃亡していました。正門が破られると、人々は蜘蛛の子を散らすように森へ逃げ出します。歩けないものは友に支えられて。道を進軍する米兵たちは前方の人影を見て身構え、威嚇射撃します。立ち止まったところへ近づけば、皆囚人らとわかります。助かった‥‥、囚人の一人は米兵に跪き、その手を取り、声もなく涙します。

 このエピソードは比較的短く、一つの台詞もありません。しかし、戦争の中の残虐な実相を静かに描き出しています。

 
 

エピソード8 可憐な音楽少女が変身

 ベルギー・オステンドへの道は雨期を迎え、泥だらけになっています。分隊の兵たちはうんざりし、重い足取りで行軍していきます。それでもたどり着いた町で軍装を下ろし、チェースとトロワーは連れだって戦闘服のままダンスホール酒場に出かけます。なかは大勢の兵たちで賑わっており、バンドの生演奏で陽気なジャズが流れ、踊りの輪が広がり、楽しさいっぱいでした。一くだり演奏が終わり、代わってステージには一人の若い女性レジーヌ(ロミー・シュナイダー)が上ります。きちんとパンツスーツを着込み(下はタイツですが)、蝶ネクタイを締め、バイオリンを取り出して独奏を始めるのですが、ほとんど誰も聞いていません。淡々としたままでなにも見ず、ただただ楽器を奏でる彼女のユーモレスク(ドボルザーク作曲)は、場違いな酒場の騒音のなかに紛れてしまいそうです。
 トロワーはそれに聴き入っていました。何曲かの演奏を終え、まばらな拍手の下で楽器を仕舞いにかかると、店の主が耳打ちします、あそこの客が一杯奢りたいと。レジーヌは変わらぬ無表情のまま、バイオリンケースを下げて2人のテーブルに来ます。さっと立ち上がり、席を提供するトロワー、「なにか飲みます?」「いいえ」、「じゃあタバコは?」彼女は一本手に取り、軽くふかします。「あなたの演奏は素晴らしかった、もっといい場所で演奏できたらいいのに」、「私はそんな経験ないわ」、「じゃあどこで習ったの?」「音楽学校でね、でも今はこんなありさまで」、彼女の淡々とした表情には、人生の希望の見えない日々が屈折してひそんでいるようです。トロワーは彼女の気を引こうと一生懸命、チェースはかたわらで、「奴さん参っているな」と様子見です。

 そこへ、部隊仲間のエルドリッジ(マイケル・カラン)が割り込んできました。彼は軍服を着こなし、髪を整え、博打のせいか懐豊かで、いかにもガールハントに来た風の様子です。チェースに挨拶し、レジーヌの隣にさっさと座り、馴れ馴れしく話しかけます。イライラするトロワーの心情を察したチェースは、「おい、バーに飲みに行こう」とエルドリッジの手を引きます。彼は応じながらもレジーヌに頬寄せ、「また会おうな、ハニー」と囁き、トロワーの怒りは頂点に達しそうになります。ようやく2人だけになっても、彼女はなかなか乗ってきません。でも、問わず語りに自分のこれまでを口にします。17歳までブリュッセルの音楽学校に行っていたこと、戦争が始まり、両親に連れられオステンドに来てこちらの家族に預けられたこと、戻った両親はその後行方知らずになり、自分はここで働くしかないこと、「もうどこに行こうと、私には意味ないこと」投げやりな言い草と遠くを見つめたままの表情に、レジーヌの心の傷が浮かんでいます。「疲れたわ、もう帰りたい」、タバコの火を消し、立ち上がる彼女をトロワーは送っていきます。

 酒場から近いホテル(下宿屋?)の入り口まで、そぼ降る雨の中を彼は傘を差し掛け、送っていきます。「僕は明日ブリュッセルに行かなくてはいけないんだ、なにかできることはあるかな?」「なにもないわ」、アンニュイな表情のままの彼女に軽くキスをし、トロワーはポケットからタバコの箱を取り出し彼女のコートに入れ、「いつになるかわからないけど、必ず戻ってくるよ」と告げ、静かに去って行きます。室内に入ったレジーヌはコートを脱ぎ、壁の両親の写真のほかに飾り気のない部屋で、ガスコンロに火をつけます。

 

 何日かの後、チェースとトロワーはジープでオステンドに戻ってきます。トロワーははやり立つ心を抑え、また同じ酒場に入り席に着きます。変わらず混んでいる店のなか、しかし彼が目にしたのは、エルドリッジに連れられ入ってきた、一変してしまった彼女の姿でした。胸の空いたケバケバしいドレスの服装、濃い化粧、彼にしなだれかかり、甘え寄り添い、つよく抱きあってダンスを踊るレジーヌはまるで別人です。愕然とするトロワー、チェースはこれはまずいなと悟ります。「誰か、あっちにいい女もいるみたいだぜ、ダンスの相手なんかに」、しかしトロワーの目線はすわり、握りしめた拳は震えていました。
 チェースは壁際の女を誘いに行き、そこへエルドリッジとレジーヌは平然とトロワーの横に座ります。「おい、なに飲んでるんだ伍長、俺が本物の酒を奢るからさ、シャンペン」とバーテンダーに注文、彼女はトロワーの存在など見えてもいないように、化粧を直しながら彼とじゃれ合っています。この様子を見たチェースは席に戻り、エルドリッジに声をかけます。「ずいぶん景気よさそうじゃないか」、「ああ、だいぶ稼いだからな」と財布の中身を見せ、そしてトロワーに話しかけます。「元気ないじゃないか、伍長、どうしたんだよ」、「そうか、彼女のことが気になるんか、なんなら誘ってみろよ」、そしてレジーヌに尋ねます。「どうだい、この男と」、「お望みなら」、やっと彼の方を向いて笑いかけたレジーヌのすれた表情に、トロワーの怒りが心の中で爆発します。チェースに問われ、ペラペラと「彼女を落とした」テクニックとゼニの力を語り、エルドリッジが笑ってまた踊りに立とうとしたところを、トロワーの鉄拳が見舞います。たちまち室内は大混乱、けれどもなによりレジーヌが憎悪を込めて「なにすんのよ!」と罵り、自分につかみかかったことに、トロワーは呆然としていました。殴られても平然としているエルドリッジと、彼女はまたフロアに踊りに行き、じゃれ合い、見せつけるように抱き合います。なだめるチェースを振り切り、悄然とトロワーは店を去って行きます。

 

 戦争とその悲劇がひとの心をどれほど変えてしまうのか、この可憐な音楽少女が僅かのあいだにあばずれ女になってしまう、なんとも言葉のないエピソードです。それは兵士たちだけの姿ではありません。ただ、ここでロミー・シュナイダーの「二つの人格」・180度の変身を見せる演技と、対照的なメイク、髪型、衣装などは凄いものですが、彼女のバイオリン演奏ぶりは曲のメロディーとはあっておらず、ほとんど弓を動かすだけでした。これはなんともならなかったのかな。

 ロミー・シュナイダーは1938年ウィーン生まれ、20歳でアランドロンと婚約して世を騒がせました。その後、『ルードヴィヒ』(1972)でのオーストリア皇后エリザベートはじめ、王女や貴族役など、美貌と高貴な雰囲気でヨーロッパ映画界の星と目されましたが、私生活での問題や不幸を抱え、1982年に43歳で急逝してしまいました。まさに彗星のような生涯で、惜しまれるところです。

 
 

エピソード9 ホワイトクリスマスでの処刑

 またニュースリールです。1944年12月、猛烈な寒波が西部戦線を襲い、空陸とも軍は動けなくなります。凍った道路でスリップするトラック、雪の上で暴走し衝突転覆する戦闘機等々。一方意気盛んなGIたちは雪原で雪合戦と。さらに上映映画館向けのクリスマスソングのクリップが入ります。「ジングルベル」の軽やかなリズム。けれども物語はこれを背景に、雪の中を疾走移動するトラックの描写になります。

 
 兵たちを乗せたトラックはどこに向かうのか。クレイグ軍曹以下兵たちは重い表情で、なにも喋りません。やがてトラックは森を抜けた平原のようなところに到着、何台かが集合し、MPたちが道案内しています。着いた先には貴族の館のような立派な建物が聳えています。その前で兵たちは車から降り、集合します。「何だっていうんだい、軍曹」、軍曹は命令書を取り出して読み上げます。「以下の者たちは、脱走兵の処刑の立会人として選抜されたものである。」兵たちの表情は無言のまま曇ります。建物から将校が出てきて、号令一下、皆は一列縦隊で雪の上を行進していきます。その先、遠くまで一面の雪の原、そこにただ一つ木の柱が立てられていました。建物からはさらに将軍ら軍幹部が列を作り、そしてMPに先導され、牧師のあとから、両腕をかかえられた戦闘服の若い兵士が連行されていきます。いま、軍法会議での判決が下ったところなのです。そのうしろからは「死体を運ぶ」橇が持参されていきます。

 映画のバックには、F.シナトラの歌うHave Yourself A Merry Little Christmasの曲が穏やかに流されます。心静かにクリスマスのめぐり来るのを祝う曲と裏腹に、画面上では銃殺刑執行の手続がよどみなく進められます。立会人にされた50人あまりの兵士たち、彼らが横一列に並ばされ、無言のまま見つめるなか、脱走兵は柱の前に立たされ、両腕を縛り付けられます。別の建物から銃を持った9人の処刑隊が行進してきます。そしてMP将校から刑執行が言い渡され、目隠しがかけられ、かたわらの牧師が聖書の言葉を呟き、十字を切り、銃殺隊が銃を構えます。脱走兵はもがいていましたが、やがて観念したように頭を垂れます。「撃て!」の号令が下り、銃が一斉に火を噴き、銃声が雪原にこだまし、脱走兵はがっくりと膝をついて息絶えます。その時バックにはハレルヤの賛美歌が流れます。Hark! the Herald Angels Sing(C.ウェスレー作詞・F.メンデルスゾーン作曲・邦題「天には栄え」)、兵たちは無言のまま、また雪原を一列に行進していきます。いま、目の前で見た光景を生涯決して忘れることはないという重い思いを抱いて。「新しく産まれた王を讃えよ」という賛美歌の言葉が、目の前の処刑に重ねられる皮肉。

 

 このエピソードはあまりに強烈な印象です。クリスマスに挙行される脱走兵の銃殺、まさにこれが戦争の現実であるというメッセージは明白すぎるくらいでしょう。殺し合っている敵方の兵でもない、本来友軍の戦友同士であるはずの仲間が目の前で処刑される、これ以上の重い問いかけはあるでしょうか。もちろんあくまでお話しのうえだ、ということはできましょうが、実際に欧州戦線の米軍だけででも、万余の脱走者がいたという説もあります。しかもこの物語のように、戦争も末期に近づけば、むしろ脱走を試みる者たちは著増したようです。開戦参戦当時は、「故郷の家族や同胞を身をもって守りたい」といった使命感もつよかったでしょうし、先が見えないからこそ、ともかく遮二無二戦って生き抜くしかない、負けたらおしまいという思いもあったでしょう。けれども戦争の先が見え、勝ち戦であろうとも、故郷に生きて帰れる可能性が高まってくればそれだけ「これでいま死んだら損だ」という損得勘定、近づく帰還の日に募る望郷の思いなどあって、もう逃げてしまおうという気分が避けられなくなったという想像もできます。それにからむチャンス・手づるも増したでしょう。だから軍紀の緩みは拭えなかったとも。それゆえ、この物語のように見せしめの処刑など実際に実行されたもようです。

 
 ただ、この場面が1944年12月のベルギーであったとすれば、史実との矛盾がありますね。『バルジ大作戦』、『パットン大戦車軍団』などで描かれたように、このときドイツ軍は機甲部隊を大量投入して、12月16日を期しベルギー南部で大攻勢に出ていました。アルデンヌ高地を制圧、さらに北上しアントワープ港を落とすという大作戦だったのです。不意打ちに連合軍は大きな打撃を受け、分断され後退を続けていました。豪雪悪天候もドイツ軍に味方しました。ベルギー北部の方ではまだ状況は安定していたとしても、アメリカ軍にはちょっと呑気過ぎなクリスマスだったのではないでしょうか。それともこの処刑場面は、12月前半の出来事という設定?

 
 

エピソード10 脱走をそそのかす夜の街のおんな

 ニュースリールがまた入ります。こんどは歴史に残るクリミア半島でのヤルタ会談、米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン書記長という連合国の三大巨頭が1945年2月に会談し、第二次大戦終結後の「世界」を取り決めた、歴史の転換点という出来事の報道です。そのあとは、この結果を受けての連邦議会でのルーズベルト大統領の演説で、子々孫々までの平和な未来が約束されます。

 
 舞台はブリュッセルのまちなかです。もう戦火は遠のき、街には平和が戻ってはいますが、物不足のもとの行列ができる中、駐留米兵に群がる女たちなど、混乱は続いています。その街角にチェースが現れ、一軒のバーの前に来ますが、入り口にはMPが立っていて、身分証明書を要求します。確認のうえで彼は告げられます、「OK、でもこの店は立ち入り禁止だ」、「いや気がつかなかったな」ととぼけた彼は、通り過ぎるよう装い、MPをやり過ごし、堂々と入り口から店に入り、外套を脱ぎます。店の中には客はなく、老いたバーテンとひとりの女(メリナ・メルクーリ)がたたずんでいました。「ビールを貰おう」、「この店は立ち入り禁止なのよ」、女のこたえに彼は動じません。しかし彼女はチェースのことを信じていません、「うちは兵隊にお酒は売れないの、失礼かも知れないけれど帰って。あんたの仲間には伝えて、誘われても規制を破るつもりはないって。時間を無駄にしないようにね」。「ちょっと待ってくれよ、オレは」、すると女は「じゃあ手を見せて」と求めます。彼の手の感触を見ると、「私が間違っていたわ、ポリスの手じゃないわね、普通の兵隊」、まあよく見てくれよな、とチェースは苦笑し、「今日はあんたには不運な日になるよ、フランク・チェースと知り合う機会を逃して」と言い、外套を手に持って出て行こうとしますが、「待って」と呼び止められ、「私と一緒に飲まない?」と誘いかけられます。彼は引き返し、店の奥の席に案内されます。

 「なんで立ち入り禁止にされたんだ?」「以前ここはゲシュタポに営業を許されていたの」、「私はポーランド人、強制収容所に送ると脅されたから。でもカネで買収してやった。」「生きるには金が要るからね、誰だって金はありがたいものさ」そう相づちを打ちながらグラスのブランデーを傾け、チェースはこの目つきの鋭い、レザースーツを着こなした女がただ者ではないと感じます。「今夜あたしと食事しない?あたしが奢るわ」、彼は誘いに乗ることにしました。二人は豪華なレストランに行きます。マネージャーが恭しく迎え、「よくいらっしゃいました、マグダさん」と席に案内、ピアノ弾きはショパンを弾き始めます。彼女は馴染み客なのです。チェースは外套を脱いで後に続きますが、テーブルを囲んでいるのは金ピカ将軍級の客などで、ただの兵隊である彼の存在は違和感を醸し出します。

 「あんた金持ちなんだね、俺のような連れで悪かったかな」、「闇市で稼いできたからね」「どうやって?」「手下を使ってきたの、脱走兵たち」「脱走兵?ドイツ兵?」「ドイツ、イギリス、アメリカ、いろいろいるわ」、店の雰囲気とは違和感ある会話ですが、店内では戦時下とも思えない豪勢な料理が振る舞われ、客の笑い声が響いています。「彼らは商売人たち、戦争のときは商売が唯一の生きる道よ」。マグダの手腕と美味の数々に、チェースは乗せられていきます。

 マグダの美麗なフラットで彼はバスタブにつかり、リラックスしきっています。バスローブをまとった彼女がグラスを持ってきて、飲ませながら彼の身体を流してくれます。そしてワルシャワで生まれて以来の身の上を語ります。15歳でハンブルグの売春宿に売られ、そこから這い上がってきたと。「成功の秘訣は?」「誰にも頼らない、誰も愛さないことよ」、いつも凍ったような表情のおんなには、愛とか人情といったものは無縁で、すべては稼ぐことでした。

 風呂から出たチェースは居間のソファに寝転がって、新聞を読んでいます。「まだ降っているかしら?」「見てみるよ」、窓に行ってカーテンを開けると、外は土砂降りの雨、そしてそのなか、下の通りを米兵たちがおおぜい行進していくのが見えました。彼の心は動揺します。「部隊は出発するんだ」、「それはよかったじゃない、あんたはここに留まるの、そして私のために働くのよ」、鏡台の前で化粧しながら、マグダは平然と告げます。「お金の稼げるチャンスを逃すのは愚かな人たちだわ」、「あんたに必要な書類などみんな用意してあげる、部隊が行ってしまえば、もう安全よ。私と一緒に稼ぐの。」しかし彼女が見たものは、無言のまま軍服を着、出かける用意をするチェースの姿でした。「怖くなったの?」、「まあね」、「軍隊であんたなんか弾よけ、戦争が終われば用無しよ」、「でも、あそこには友たちがいるんだ」、「友だち!?そんなものなんなの!」、「ともかく、俺は行く、すまんが、とても感謝している」。マグダの眼が一層険しくなります、「行きなさい、死ににね、あんたなんか死ねばいい!」床につばを吐きます。

 表の通りは、おおぜいの米軍兵たちがずぶ濡れになりながら行軍し、靴音だけがこだましています。チェースはその流れを追い、やがてわが分隊を見つけます。分隊の仲間たちは手を上げ、呼びかけてきます。チェースは行軍に合流、持参された背嚢や鉄帽、銃などを身につけ、一緒に雨の中を歩き出します。並んだ伍長のトロワーは「どうしたんだよ?」という表情を浮かべますが、チェースは「もてぶり」を暗示し、ともに笑い出します。

 

 戦争と兵隊を食い物にするしたたかな女、しかしその誘いに結局乗らなかったのは、多分にその前の脱走兵銃殺立ち会いの衝撃があったからでしょう。「戦友の存在」、それも大きな心情ですが、幾分言い訳にも聞こえます。なにより、このおそろしい商売女メリナ・メルクーリの面目躍如であるものの、彼女はギリシア人なので、ポーランド出身の趣は乏しいのが難でした。彼女の呪いは、やがて半ば実現されます。
 記したように、マグダを演じたメリナ・メルクーリは1920年ギリシャアテネ生まれ、政治家一家の娘ですが、『日曜はダメよ』(1960)で世界的に有名な女優になり、またその監督ジュールス・ダッシンとのちに結婚しています。1962年には彼の『死んでもいい』に主演しました。ただ、彼女はのちには政治運動に身を投じ、軍事政権に抵抗を続け、民主化後のPASOK政権での閣僚も務めました。それゆえ世界的には、政治と文化交流の担い手として知られています。1994年に亡くなりました。

 
 

エピソード11 若い補充兵の味わう孤独と、無残な「始末」

 ニュースリール、「陸軍チーム対ノートルダムのアメリカンフットボール試合」、「新鋭機就航のボトル騒動」という、もう戦争はとっくに終わってしまったかのようなエピソードが上映されます。後者は、新鋭の病院機の就航に際し、大統領夫人となったミセストルーマンが慣例のシャンペンボトル割りを試みるが、どうぶっつけても瓶が割れない、来客爆笑という珍事です。付き添いの将校が代わりに試みても頑丈な瓶はびくともせず、とんだハプニングですが、最後は機首の下に夫人がぶっつけて成功させます。そしてさらに、「シャーリーテンプル結婚!」のニュースとなります。子役出身のいまで言えば「少女アイドルタレント」として一世を風靡した彼女が、17才の若さで軍人の夫と結婚というのは、当然全米を騒がせました。それが1945年のこと、この華やかな報道ぶり騒ぎぶりを見ていると、とてもいまだ世界大戦まっただ中とは思えません。同じとき、日本は「本土決戦間近」とまなじりを決して、一億玉砕に突っ込もうとしていたんですからね。

 
 分隊に補充兵として配属されたウィーバー(ピーター・フォンダ)は、若いうえに「後から来た」ということで、仲間はずれ気味です。土砂降りの雨に煙る駐屯地(場所は明示されません、ドイツ国境地帯でしょうか)のテントに、外から連れてきた子犬を抱いて入り、外套にくるんで寝床に入れようとしますが、ほかの兵たちは睨み付けます。しかし犬は無邪気に歩き回り、古強者のグローガン(ジェームズ・ミッチャム)のそばに寄っていき、怒りを買います。「くせえ、きたねえんだよ!」ほかの兵に首根っこを捕まれ、子犬はそとに放り出されてしまいます。ウィーバーは分隊を率いる軍曹のトロワーを見やりますが、知らぬ顔をされ、一人でそとに駆けだしていきます。その夜、皆が寝静まった頃、彼は再び子犬を抱いてこっそりテント内に戻るものの、グローガンは見逃さず、犬もウィーバーもそとの泥のなかに放り出します。やむなく、彼は近くの廃墟となった教会堂のなかで犬を飼います。

 ウィーバーはトロワー軍曹に申し出をします。「犬をずっとつないでおくというのはちょっとかわいそうじゃないでしょうか、まだ子犬なんです」、「その件で俺を悩ますなよ」、トロワーは冷淡な対応です。「かわいそう、そうかも知れないな、でもここにいるみんな、かわいそうなんだよ」。「犬のせいじゃない、皆は僕を嫌っているようです」「まあそうだろう、それはお前が皆より3年後に入ってきたからなんだ、皆が命がけで戦場にいるとき、おまえは国にいた」、「それは僕のせいじゃありません」、「誰のせいでもない、でもお前は好かれていないんだ。いいか、この件でこれ以上俺を悩ますな」、取り合ってもらえず、頭を垂れてウィーバーが去ろうとすると、トロワー軍曹が付け加えます。「我々はこれから移動する、犬を連れて行くわけにはいかない、撃ち殺せ、そうでなくても飢え死にする」「ともかくこの部隊にとどまっていたければ、問題を起こすな。わかったか!」、ウィーバーにはうなずくしかありません。

 雨の止んだ翌日、部隊は多数のトラックに分乗して移動を開始します。分隊の兵たちが次々に乗り込むなか、最後に来たウィーバーは子犬をまた隠し持っていることを、すぐにトロワーとグローガンに見つかってしまいます。「バカ野郎、まだわからないのか」、犬は即座につまみ出され、トラックは出発します。じっと見つめていた子犬は、走り出したトラックの後を追っていきます。トラック最前部に座るウィーバーは気が気ではありません。でも、犬はどこまでも走っていきます。ぬかるみの続く道を懸命に、泥まみれになって。
 しかし大きな水たまりに出くわし、足がすくむ子犬、するとグローガンが呼びかけます、「おい、口笛吹いて呼んでやれよ!」、喜んだウィーバーがトラック後尾に行って口笛を吹くと、たじろいていた子犬は水たまりをよけ、また走り出します。ウィーバーが安堵したのもつかの間、ただならぬ気配を感じます。グローガンやほかの兵たちは賭けを始めたのです。「俺が仕留めるからな」、一人の兵が銃を構えました。茫然としたウィーバーはなにもできず、また目を向けておれず、がっくりと座り込みます。弾は外れ、「おい、それでも兵隊か、俺によこせ」とグローガンが銃を取り素早くねらいを定め、射ちました。「これでみんな俺に五十借りだ」、銃声とともに誇らしげな声、ウィーバーは絶望し、頭を垂れ、ひとり声もなく泣き出すしかありません。

 

 戦争はかくも人の心を荒廃させるのか、そう真正面から問う物語です。生きものを慈しむ心など消し飛び、いのちを奪うことが博打の対象でしかない、まさに殺人機械と化していく「人間たち」(この映画の原作は、Alexander Baronの『人間たち』The Human Kindです)、それが3年余の従軍の「到達点」でした。真面目で純情、実直であったトロワーも、冷淡な事なかれ的下士官の人物像に至っています。

 この、なんともやるせないエピソードの主役はもちろんピーター・フォンダであり、ジェームズ(ジム)・ミッチャムです。当然ながら、それぞれの父親、ヘンリー・フォンダとロバート・ミッチャムは『史上最大の作戦』で、タイトルの上位に名前が並ぶ主役級(前線の師団長将軍たち)でしたですね。そこにも製作者・監督カール・フォアマンの自負心が現れています。

 ただ、ここではなにか線の細い、マイナーな青年という印象だったピーターはのちに、『イージーライダー』の演技で世界的なヒットを飛ばし、父親とは相当違った存在感でビッグネームの仲間入りを果たしました。けれども、ニューシネマのチャンピオン、ヒッピーのヒーロー格というキャラは長続きせず、大作には恵まれなかったものの、自ら映画製作するなど、彼なりに自由奔放に生き、多くの作品に出て満足のいく人生だったようです。2019年に肺癌で亡くなっていますが、すでに79歳でした。

 他方でジェームズ・ミッチャムの方は、早くから映画に出ていて、父親譲りの個性的な顔とともに、高い身長、恵まれた体格でアクションもの等に存在感を示していたのですが、いろいろトラブルも引き起こし、80年代以降は映画界から姿を消してしまったようです。ま、もう80歳ですから。『勝利者』でも早いエピソードからずっと出演しており、体格から目立っているのですが、この「いじめ」役のほかでは、イタリアの醸造所の酒蔵で痛飲し、軍曹にからんで一発食らうとか、あまりいい役どころではありませんでした。この映画では(も)、ヒールの存在ですね。


 このエピソードではいなくなった人物が二人います。クレイグ軍曹の姿がなくなり、トロワーが伍長から軍曹に昇進し、分隊を統率しています。またチェースの姿もありません。それは次のエピソードにつながります。

 
 

エピソード12 負傷し経験する英国内での心温まる出会いと、残酷な結末

 英国内の軍病院、大勢の関係者や車両が出入りするなか、微笑みを浮かべたチェースが出てきます。でも彼は前線で負傷したのか、右足が動かず、松葉杖を突き、ようやく歩んでいます。それでこちらへ治療に送られたのでしょう。不自由な身体で病院から出、そして歩んできた彼は、街の一角、住宅街のバス停に立ってひとりバスを待ちますが、容易にバスは来ず、雷鳴がし、激しく驟雨が降ってきます。傘も持たなかった彼は、外套と制帽のまま濡れるしかありません。滴が垂れ落ちるほどの濡れ方に、タフな彼も進退窮します。
 そこへ、初老の男性(マービン・ジョーンズ)が傘を差し掛けてくれます。「このバスはあと2時間は来ませんよ」、当惑したチェースに呼びかけます。「うちでお茶を飲みませんか、すぐそこです。ここで雨に濡れていることはありません」、通りに沿って広がるフラットの住宅街、高級ではないけれど庶民的な町並みです。男の英語には北部の訛りがあります。「いや、このへんでパブがあれば」、「この時間は開いていませんよ、家内がお茶を入れたところです」、「ありがとう、助かります」、チェースはすぐ後ろの住まいに案内されます。
 小さな住まいですが、初老の男性の妻、息子の妻、抱かれたその幼子、さらに二人の弟たちがいます。「私の名はデニスです」、「初めまして、フランク・チェースです」、彼のずぶ濡れのコートを脱がし、暖炉のそばで温まるように言います。二人の弟たちは珍しいものでも見るように、彼の動作をしげしげと見つめています。その視線の先には、暖炉の縁に置かれた、彼らの兄だろう兵士の写真が飾られていました。「大きくなったら兵隊になりたいかい?」「いいや、好きじゃない」。暖炉のそばの椅子にようやく腰を下ろしたチェース、煙草を取り出し火をつけようとすると、弟はその動作を真似します、彼も苦笑い。

 温かいお茶とケーキをごちそうになり、寛いだ彼はしばしうたた寝をしています。デニスが起こしに来ました。「そろそろバスが来ます、起きないと」、我に返ったチェースは用意された松葉杖を手に取ります。「雨は止みましたよ」、「よかった、まるでパーティみたいでしたよ」、彼は二人の女性に歩み寄り、心からのお礼を述べます。「本当にご親切ありがとう、ご主人もすぐに戻ってこられますように」、外では弟たちがバスを呼び止めています。デニスが声をかけ、止まっているバスにチェースを案内、最後の握手を交わします。「帰り道、時間があったらぜひまた寄ってください」、皆に見送られ、動き出したバスの席に着いた彼は、ポケットになにか入っているのに気がつきました。それは10シリングの紙幣でした。「そこまで親切にしてくれた、ただの通りすがりの俺に‥‥」、彼の胸に熱い思いがこみ上げます。折から窓に陽が差し込んできました。

 
 彼はブラントンの軍病院に着きます。出入りの多い建物の中、温かい心を抱きながら、尋ねる先を探し当てます。扉には「I.R.クレイグ曹長」と記された紙が貼られていました。「やあ、軍曹」(sergeと、これまでと同じように愛称で)、微笑みながらチェースはドアを開け、中に入ります。「誰だ!」、そこで彼が見たのは、苦楽をともにしてきた軍曹の姿ではなく、ベッドの上で黒眼鏡をかけ、顔全体が深い傷跡に覆われ、鼻の形もないのっぺらぼうのような顔でした。「貴様、出て行け!」、一瞬息をのむチェース、言葉が見つからない彼は、懸命に笑顔を繕い、「ハイ、軍曹」と再び語りかけます。そこでこのエピソードは終わってしまいます。



 説明的な描写や台詞は一切ないままの、このショッキングな終わり方の意味を想像すれば、おそらくはチェースとともに、終戦間際なのに軍曹は敵の砲撃を浴びるかなどしたのでしょう。チェースは足に負傷し、軍曹は顔面に重傷を負い、命は取り留め後方に送られたものの、眼も顔かたちも失うというひどい痛手を被ったのでしょう。戦争では生き残ったものにも、死よりも過酷な結果をもたらします。それが、歴戦の強者であり、部下思いの人情家であったクレイグ軍曹の受けた代償だったのです。市井の人たちの親切とあまりに対照的で残酷な現実が、観るものたちに突きつけられます。

 このエピソードでチェースを温かく迎えてくれる英国市民を演じたのはマービン・ジョーンズで、もともと舞台俳優、のちには数多くのテレビドラマに出演しました。1992年に93歳で亡くなっています。

 
 

エピソード13 戦後ベルリンで繰り返される、憎しみあいとしての戦争の悲劇

 またニュースリールが入ります。「1945年5月7日 ドイツ降伏!」、歓呼する群衆、肩車される兵士たち、そして東西の連合軍、つまり英米軍とソ連軍がドイツ国内で合流、ともに歌い、杯を交わし合う場面が続きます。ついで、「最初の原子爆弾ヒロシマに投下!」、炸裂する核爆弾の映像(おそらくはアラモでの実験の撮影)、「日本降伏!」の新聞記事となります。またも歓呼し、抱き合う市民と兵士たち、そしてポツダムでの三カ国首脳会談、ルーズベルトに代わりトルーマンがチャーチル、スターリンと握手を交わしました(史実としてはそちらが先ですが)。

 
 それから舞台は映画の終幕へと移ります。このエピソードは、ある意味もっともグルーミーで悲劇的なものです。ときは1946年冬、ところは戦後のベルリンで、しかもソ連占領地区の一角です。ひとは出ていますが、「境界線」でMPたちとソ連兵たちがそれぞれ通行を規制しています。街は破壊し尽くされ、至る所にがれきの山が広がるなか、トロワーが外套に身をつつんで、足取りは軽く歩いてきます。このころはまだ、東西ベルリンの完全分断には至っていませんでした。
 彼がその夜、訪れるのは街のなかの焼け残ったアパートの一室です。あちこちに傷跡もありますが。出迎えたのは中年男性、「軍曹、よくいらっしゃいました」、英語でにこやかに握手を交わします。室内では妻が迎え、ドイツ語で挨拶をします。このメッツガー夫妻(アルベルト・リーベン、マリアンネ・ディーミング)の「歓迎」の理由の一つは、彼が持参する手土産でもありました。一家は当然ながら戦後の物不足食糧不足に苦しんでおり、トロワーの来訪を心待ちにしていたのです。彼は鞄の中から、早速に缶詰などの食料品を取りだし、妻は感激のあまり彼の手にキスします。「ヘルガは?」「まだですが、えーと、帰ってきますよ」、「soon」とメッツガー氏が辞書を調べて付け加えます。トロワーのお目当ては、夫妻の娘でした。彼はさらに、鞄から小型のラジオを取り出します、「これをヘルガに」。夫妻の感激は極まります。英語のわからない妻はいろいろ語り、夫が一生懸命訳しますが、「ヘルガの帰りが遅くて申し訳ない、いろいろ仕事があるよう」、ヘルガは米軍施設で働いています。「彼女のおかげで、ロシア人たちから私たちは守られている」とも。そこに呼び鈴が鳴ります。「ヘルガだ!」と喜んでトロワーはドアに向かいます。

 でも、来たのはヘルガではなく、別の女(センタ・バーガー)でした。豪華な毛皮のコートと帽子に身を包んだ派手な女性、「あんたボーイフレンドね」と言いつつ、夫妻にキスをします。メッツガー夫妻は浮かぬ顔、でも素知らぬ顔で彼女は台所へ行き、トロワーの手土産を手に取り、そして自分は卵を取り出しました。「あたしは姉のトゥルーディ」と自己紹介、「初めまして」とトロワーは慇懃に挨拶しますが、雰囲気はしらけ気味です。「あたしにはロシア人のボーイフレンドがいるの、大尉よ」「彼がこれをくれたの」と毛皮のコートを見せびらかし、さらに腕のブレスレットも見せつけます。トロワーは冷淡な対応をせざるを得ませんが、彼女は無視してタバコをすすめ、断られればさっさと自分で火をつけます。「あんたはドイツ語わかる?」「いいや」、「私の彼は4カ国語を話せるのよ」「このアパートだって、彼のおかげなの、そうじゃなきゃ追い出されている」「でも、両親は私が恥だってさ」。「いや、そうは思わないよ」トロワーは話を合わせますが、「妹は私を嫌っているのよ、でも彼女だって、ロシア人のボーイフレンドがいたんだから、そう話さなかった?」トゥルーディの挑発に、トロワーもキッとなります。「その彼はね、私の彼の友達でやはり大尉、もてる男だわ」、トゥルーディの挑発は続き、雰囲気が険悪になりかけたとき、外にバイクの音がし、「失礼」とトロワーは窓際に行き、外を見ます。米兵の運転で送られ、ヘルガ(エルケ・ゾマー)が帰ってきたところでした。

 部屋に入ったヘルガと姉、雰囲気はかなり悪くなります。「あんた疲れているようね」、「PXの仕事は大変、でも簡単よ」、ヘルガはトロワーと熱いキスを交わし、そして彼の手土産を見つけて大喜びします。「これほしかったの」姉に見せつけると、ラジオをコンセントにつなぎ、早速に放送に聞き入ります。ジャズが流れますが、姉は「うるさいわよ」と不平、ふたりの間はますます険悪になりました。「さて、そろそろ行くわ」、「今夜はパーティがあるの」とトゥルーディは立ち上がり、ほかの皆の表情など無視して、出て行きます。「雌牛よ!」とヘルガは吐き捨て、「何で来たかわかる?私をロシア人のパーティに誘おうとしたのよ」とトロワーに告げます。けれどもトロワーの心は落ち着きません。「そういうことはよくあるの?彼女は、あなたにロシア人のボーイフレンドがいたと言うんだ」、ヘルガは激怒します。父を呼び、ドイツ語で問いただします。「そんなことはありません、娘はよい子です」父は取りなし、さらに母は涙ながらに語り、「ロシア人が来て何もかもメチャクチャになっている、住まいも取られたと、母は言うの」とヘルガが訳します。「でも前の家は私たちには大きすぎたわ」、ヘルガはあまり気にとめず、ラジオをまたつけ、フランスからの放送で彼と踊りを始めました。


 夜更け、4人で食事を終え、父はひとりでチェス盤と向き合い、母は編み物を始め、ヘルガはトロワーの膝にすがってラジオを聞き続けています。その放送も終わり、アメリカ国歌が流れ始めました。ヘルガはラジオを切り、彼の腕をつかんで語りかけます。「さあ行きましょう」「どこへ?」「一日働いていて疲れてるの、寝室で休みましょう」、トロワーはさすがに両親の目が気になりますが、彼女はまるで気にもとめません。彼女にせかされ、トロワーは寝室に向かいながら両親に挨拶をしますが、母親の視線は遠くを見つめたままです。申し訳のようにトロワーがタバコの箱を取りだし、机に置くと、父親は深々と頭を下げ、「有り難う」と繰り返します。

 二つの枕の並べられたベッドのある寝室、なかでヘルガは言いました、「タバコは貴重なのよ」。でもトロワーは彼女を送ってきた男のことを気にします。彼女は鼻白みます、「じゃあ、夜一人でここまで歩いて帰ってこいというの?また同じ目に遭わせたいの?」二人が触れるのを避ける件に、ヘルガがロシア兵に暴行された事件があることを匂わせます。「ヤツらは獣よ、酔っていて、臭くて」、「何でそんな話しをするんだ!思い出したくないって言ってたじゃないか」、トロワーの動揺に、ヘルガは笑ってこたえます。「あんた、妬いてるのね」、抱きより、唇を寄せ、「ええ、もうその話しはよしましょう」、彼女の攻勢にトロワーは激しく欲情し、熱く口づけをします。

 深夜、ヘルガの住まいを出たトロワーは一人、街を歩いて行きます。ひとけのない通り、あちこちに瓦礫の山や水たまりの残るなか、前方から一人のソ連兵が歩いてきました。分厚い外套に身をつつみ、かなり酒を飲んできたようで、咥え煙草、ご機嫌に鼻歌など歌い、足下はふらついています。水たまりに渡された板を見ると、そのうえに立ち、リズムに合わせバランスをとり、一人ご機嫌でした。そこへトロワーが近づいてきました。ソ連兵は笑いかけますが、トロワーはにこりともせず、身振りでさっさと渡って行けと示します。ソ連兵は好意を無視されたようで笑いが消え、逆に先に通れと身振りをします。
 お互いに譲り合ったつもりが気まずい雰囲気に、そしてトロワーは言います。「楽しかったかい、今夜は?レイプする相手は見つかったか?」ソ連兵に英語はわかりません、しかし悪意を持って相手されていることはわかります。板の上を先に渡りだしたトロワーの肩を押しとどめ、ロシア語で食ってかかります。「俺に怒鳴るな!」トロワーも興奮してきました。お互いに言葉は通じないままに、言い合いから押し合い、つかみ合いになり、トロワーはソ連兵の肩をつかんで、水たまりに投げ倒します。びしょ濡れになり激怒し、ソ連兵は足下の石を去ろうとするトロワーの背に投げつけます。トロワーは気にせず歩き出しますが、また石が飛んできます。振り返った彼の手にはナイフが握られていました。「オーライ、そこまでだ、家へ帰れ!わかったか!」脅かしのつもりのナイフの光に、ソ連兵の怒りも頂点に達しました。彼も長靴の中からナイフを取り出します。二人は互いにナイフを構え、しばし睨み合い、次第に近づき、そしてお互いの身体をぶつけ合います。ソ連兵は再び水たまりに倒れ、腹にナイフの刺さったトロワーも前のめりに、路上に崩れ落ちました。深夜のベルリンの廃墟の街に、二人の身体は並んだまま横たわり、動かなくなっていました。バックにはベートーベン第5交響楽のリズムのみが響きます。

 最後には、Wilfred Owenの詩の言葉が画面に描かれます。「My subject is War, and the pity of War. The Poetry is in the pity. All a poet can do today is warn...」彼は1918年4月にフランスで戦死したのでした。25歳のことでした。

 

 ここでロシア兵(トゥルーディのボーイフレンドだとした解説もありましたが、そういった説明は映画のなかにはありません)に扮したアルバート・フィニーはこのエピソードだけの出番ですが、存在感はありました。ただ、あれがロシア人に見えたかどうか。厚い外套、毛皮帽で身を包んででしたから、外見はそれらしく映るし、「ロシア語のようなもの」を早口にまくし立てる、ダンスを独りごちて踊る、等々なかなかの演技でしたが。『オリエント急行殺人事件』ではベルギー人のポアロを演じたくらいですから、いろんな役に化けるのはお得意だったわけでしょう。本人は純粋英国人で元々シェークスピア劇役者、『土曜の夜と日曜の朝』(1960)で注目され、のちにはチャーチルも演じたそうです。2019年に82歳で亡くなりました。

 エルケ・ゾマーは当時国際的に人気を博していたグラマー女優で、「ピンクパンサー」シリーズで知られています。ただ、元々はマルチリンガルの才媛、のちにはTV版『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティー原作)にも出ていたようです。厚い唇、高い頬、金髪でハリウッドのセクシーシンボルになりましたが、1940年まさしくベルリンの生まれ、このヘルガの役にはふさわしいところでした。ただ、『勝利者』のなかでは制服に身をつつんだままの演技でおとなしめであるものの、濃い化粧に加え、バストに比べて胴の細いこと、トロワーもイチコロだったでしょう。
*なお、映画のプログラムには、下着姿セミヌードの彼女の大写しが載っており、「期待を持たせる」(?)ものですが、映画のなかでは彼女は制服姿のまま、そんなシーンはありません。宣伝用?

 
 センタ・バーガーは1941年オーストリアウィーン生まれ、やはりハリウッドのセクシーシンボルの一人でした。TVも含め今日に至るまで出演作も多いのですが、ドイツ語読みではなく英語読みで「バーガー」と呼ばれるようです。意外なところでは、『戦争のはらわた』(Cross of Iron)で軍病院の看護婦を演じています。家族関係などは堅実で、映画監督の夫とはもう結婚50年以上になるようです。『勝利者』の映画プログラムではバレー、舞台出身の若手というくらいの紹介でした。

 ここでの父親役を演じたアルベルト・リーベンはドイツ生まれの俳優ですが、ナチの支配に抗議して英国に渡り、ドイツ人役を多数演じました。『ナバロンの要塞』でのドイツ軍人役などそうですが、『老兵は死なず』(1943)にも出ています。

 

 戦争は終わっても、人と人の無理解と憎しみ、対立、傷跡が癒えねば、悲劇は続き、無意味な殺し合いは終わらない、そう作者は説いています。それが戦争の原点なのであり、すべての結果であり、また激しい戦争を運良く生き残れたもの同士が些細なことから殺し合う、こんな理不尽で無慈悲なことがあるだろうか、そう見るものたちに訴えかけているのです。もちろんこの構成は、いまだ東西冷戦厳しかった1963年という時代の反映でもあり、ともに甚大な犠牲を払い、「勝利者」同士であったはずのアメリカ人とソ連=ロシア人が殺し合い、共倒れになる、そうあってはならないという政治的なメッセージでもありましょう。それからさらに半世紀を経た今日では、ソ連は崩壊消滅し、アメリカ合衆国は世界最大の政治的軍事的パワーになりました。そこだけを見れば、「米ソの平和共存」を訴えた作者カール・フォアマンの願いとは異なる現実が待っていたとせねばなりません(彼はかってはソ連を「労働者の祖国」とする政治的立場にいたとされます)。もちろんそこに至るまでには、アメリカのベトナム戦争、その泥沼化と撤退という重い史実があり、それはまたソ連崩壊後の世界でも、イラク戦争、アフガニスタン戦争などとして繰り返されたわけでもあります。

 カール・フォアマンのメッセージはそうした意味でも、絶対的悪としての戦争への強烈な批判として、普遍性を持ちうるものであったと言えましょう。しかしそれだけに、この映画を「歓迎する」向きは世界中にいなかったとともせざるを得ないのではないでしょうか。英雄譚や冒険譚ではなく、米軍を含めた軍隊というもののなかの矛盾、屈折した人間像と人間の知的道徳的退廃腐敗、また「祖国解放」のために戦ったはずの自由フランス軍のはらむ残虐性、そして多大の犠牲を払って侵略者ドイツを打ち負かしたはずのソ連軍・ロシア兵の暴行と堕落、そういったものを遠慮なく描いたのですから。まさに映画史から「忘れ去られた」大作映画、それが『勝利者』でした。ここに勝利した者はいないのです。

 
 

「戦争映画」と言うより、「戦場映画」「兵隊映画」? −『勝利者』の意図したもの

 見てきたように、この映画は公開当時、「戦争スペクタクル映画」のブームに乗るものでしたが、いわゆる「戦闘シーン」はごく少なく、むしろ「戦場において人はどうであったのか」「戦時下でどう行動したのか」であり、ひいては軍隊を構成する兵隊たちの人間的な関係と行動劇に焦点を当てたものとも言えましょう。そうした映画作品はもちろん、古今東西少なくはないはずです。日本ではなぜか、これは「喜劇化」され、『二等兵物語』だの『兵隊やくざ』にシリーズ化されたりしていますが、基本は軍隊生活を面白おかしく、型破り主人公の活躍する場に仕立てています。逆に、軍隊の不条理と残虐性暴力性を告発した『真空地帯』もありますけれど。
 もちろんアメリカなどにも、『ミスタアロバーツ』はじめ、軍隊を舞台にした喜劇は少なくなく、実際の戦争を背景にしながら、ほとんど笑いにつつんだものもあります。『勝利者』の冒頭と同じ、イタリア戦線での米軍の侵攻とイタリア人の対応を喜劇に仕立てた、『地上最大の脱出作戦』(What did you do in the War, Daddy? ,1966)なんていうのもありました。「まじに殺し合う」戦争というものも、一ひねり二ひねりすれば半ば喜劇的でもあり、そのただ中に置かれた人間たちの心理状況は、もう悲劇と喜劇の両極にしかあり得ないとも描かれざるを得ません。実際に、強烈な皮肉を込めた『キャッチ22』(1970)などの、一連のものもあります。これは、「狂気に陥ったものは自ら申し出れば除隊できる。ただし、自分の狂気を意識できるということは正気であると示す」という究極の矛盾をついた、ブラックユーモアの塊でした。

 

 しかしまた、「戦争」と「軍隊」を真正面から、また実態に即して描こうとすると、大きな矛盾にぶつかります。ハリウッド映画など多くの場合、戦争映画は軍の全面協力の下で作られました。画面に多くの武器兵器、車両、艦船、航空機、軍装備等を登場させるのですから、それらがないとまず撮影自体困難になります。いくらハリウッドのメジャーでも、大量の戦車や野戦砲などを備えている、どっかから調達してくるというわけにはいかないでしょうし、それを模型やモックアップなどで撮ったのでは、甚だ迫力を欠く画面になってしまいます(いまはまた、なんでもCGでもっともらしい画面をつくるのも難しくはないようですが)。にっぽんの戦争映画はその点、多くを模型やセットや張りぼてで済ましてきました。これに対して『史上最大の作戦』など、当時欧州駐留の米軍、NATO軍の全面協力あってこそ撮影でき、まさに超迫力の画面になったとされるところです。

 しかしその際、軍などはまったくのボランティア協力するわけではなく、やはり何らかの見返りを求めるでしょう。費用負担などもあり得ましょうが、それ以上に重要なのは、当然ながら軍の存在の広報です。勇名をとどろかせよう、武功を世に知らしめようというのもあるだろうけれど、一番の決め手は、社会的な認知を高め、身近な存在に近づけ、軍務の意義を広め、「英雄になれるぞ!」「昇進すれば末は将軍にも」とひとを集めることでしょう。もちろん戦時中や戦争に備える状況下には、なにより戦意高揚とともに軍の権威を高め、ヒトモノカネの調達確保、社会的な発言権と「行動の自由」を強化=戦争協力をはかることが至上命令になりましょうが、平時にはむしろひとあつめに苦労するのもいずこでも同じです。旧日本軍のように「徴兵制」があれば、黙っていても兵隊は強制的に集められるわけではありますものの、それだけでは軍の組織は維持できません。将校などに志願する人材の獲得と訓練は欠かせないのです。そこに、プロパガンダ手段としての映画などの役割が当然期待されます。それは映画会社や監督・制作陣にも利害共通するところで、これに乗れば「迫真の」映画がたやすく作れるだけじゃなく、プロモーションと観客動員の大きな足がかりを得ることも可能になりましょう。

 

 第一次大戦の悲惨な戦場の実相を描いた、前記のレマルク原作『西部戦線異状なし』の映画化を監督したルイス・マイルストンには、第二次大戦後の作品として『地獄の戦場』(1950)というものがあります。これは太平洋戦争で、日本軍から洋上の島を攻略占領しようとする米軍の戦いを描いた典型的戦争映画で、なにより原題はHalls of Montezumaというのです。なんのこっちゃですが、「モンテズマの部屋」というのは、1846年勃発のアメリカメキシコ戦争の最前線で、米海兵隊がメキシコシティの要衝を翌年攻略占領した、その場所のことを指します。この勝利を記念して、海兵隊賛歌(Marines' Hymn)には、「From the halls of Montezuma To the shores of Tripoli」という歌詞が記されました。まさに、海兵隊のプロパガンダ・戦意高揚のフレーズなのです。それを映画の題名にもしたというのは、この映画はもちろん海兵隊の全面協力で作られ、その武勲と功績をたたえる意図のものであったということが当然判明します。映画のタイトルのバックには、この海兵隊賛歌が流されます。米国の海兵隊(US Marine Corps)というのは陸海空三軍とは別の組織であり、このように長い独自の伝統を持っています。その規模は第二次大戦中には50万人にまで膨れ上がりました。自前の車両、戦車、艦船、航空機などを持ち、単独で作戦行動でき、太平洋での上陸作戦はもちろん、朝鮮戦争やベトナム戦争でも主力部隊となっています。

 海兵隊は創設以来基本的に、一兵士に至るまで志願制です。ですから、こういったプロパガンダ映画を作り、存在と功績を広め、大いに国民の啓発と士気鼓舞、志願意欲を高めなくてはなりません。したがって、この映画『地獄の戦場』はほぼ海兵隊丸抱え映画だったと言ってよいでしょう。実際そのお話も、予備役海兵隊将校だった高校教師とその生徒たちが、志願して同じ部隊になり、この上陸作戦の最前線に立つという展開なのです。

 ただ、賢明な読者はあれっとなりますね。それって『西部戦線異状なし』に重なってくるじゃないの、と。そちらでもドイツの高校のクラスで、教師の扇動により全員が志願入隊し、同じ部隊に配属される、というところから始まるのですから。もっともそちらの教師はともに入営するどころか、ずっと教室で生徒たちをあおり続け、悲惨な前線から数年ぶりに休暇帰郷した主人公は無責任さに激怒する、という展開でしたが。

 まあ、こういった監督の仕事の積み重ねあれば、『地獄の戦場』は決して単なる戦意高揚映画、海兵隊宣伝映画にはとどまりませんでした。上陸作戦から戦闘は悲惨なもので、相次いで死傷者を出し(このへんの突撃と迎え撃つ陣地からの機銃掃射など、『西部戦線』の描写を彷彿とさせます)、しかも橋頭堡を確保、内陸へ進撃しようとすると、日本軍の噴射砲(ロケット砲)攻撃が大規模に始まり、部隊は釘付けになります。主人公の将校は部下を率いて偵察行に向かい、数々の危険と損失を超え、敵軍陣地で将校を捕虜にして帰還、その尋問と所持していた図をきっかけに日本軍の基地の位置を探り出し、空陸の大反攻を成功させる、しかしこの間にも生徒たちら多くの部下・戦友を失い、主人公は精神的にも打撃を受け、倒れるもようやく再起し、無二の友・ドクの書き残した手記を手に立ち上がる、全軍は侵攻中というところで映画は終わります。
 ですからどちらかといえば、邦題の『地獄の戦場』に近い物語だったと言えましょう。お話はあくまでフィクションですが、硫黄島上陸作戦をモデルにしたとされています。海兵隊の全面協力で、この時代なのにカラー映画だし、上陸場面戦闘場面など迫力がありますが、決して「みんな海兵隊に志願して、英雄になろう!」のお話ではありませんでした。群像劇としてもなかなかよく書かれていました。

 主演はリチャード・ウィドマーク、西部劇などに多々出たハリウッドスターですが、どちらかと言えば悪役敵役向きで、アルバート・フィニーが主演した『オリエント急行』では、車内で殺されてしまう幼児誘拐殺人事件の犯人となります。そのほかに、リチャード・ブーン、ジャック・パランス、カール・マルデン、ロバート・ワグナー、レジナルド・ガーディナー、ネヴィル・ブランドなどが出演、ジャック・パランスやリチャード・ブーンの映画デビュー作でもあります。『勝利者』との共通点は、音楽担当が同じソウル・カプランで、まあ『地獄の戦場』では海兵隊賛歌がメインだったので楽な仕事だったでしょうが、『勝利者』でオリジナル作曲されたメインタイトルのマーチも、軽快なものでした。この『地獄の戦場』は日本向け版のDVDが入手可能です。

 
 『勝利者』では当然米軍の協力は得られるわけがありません。軍隊の宣伝どころか、その内情と非人間性をバクロするものです。タブーである人種差別まで描いています。そのため、映画のプログラムによると、撮影にはスウェーデン軍の協力を得たようで、だからトラックなどどうも妙、ダッジ製等の米軍のものとは思えず、スウェーデン製?のものに米軍マークを書いたのではないかと想像されます。鉄帽や銃、軍装などは米軍のものらしいですが(スウェーデンは第二次大戦中「中立国」でした。これも皮肉なことです)。また他の場面では、イタリア本土やシシリー島などでの大規模現地ロケ(街での戦闘や、エトナ山の麓の行軍風景など)を除き、大部分がロンドンの撮影スタジオ内やオープンセット、近郊ロケなどで撮ったと思われます。雪の中の場面はトラックもろともスウェーデンでのロケ撮影でしょう。軍隊の存在自体に大きな疑問を投げかけ、その中で崩れていく人間のモラルや信頼、人間性を根本から問う映画こそが、真の「軍隊映画」ではないかと思われるのですが。
 では、旧皇軍が消滅し、その「協力」を得る必要も可能性もなくなった、もちろん「軍部」の圧力もない戦後の日本で、同じようにその実相、とりわけ暴力性残虐性を正面から問う映画作品がどれほど作られたのか、自問自答せざるを得ません。『真空地帯』『人間の条件』など歴史に残るものも少なからずあったのですが。

 

 この映画で一応「主役」であったといえ、いちばん出番の多いジョージ・ペパードとジョージ・ハミルトン、しかしふたりのジョージの映画人生はその後対照的でした。ペパードはすでに『ティファニーで朝食を』で評判を得ていましたし、のちには戦争映画アクション映画多数に出演しています。『ブルーマックス』での、野心家の第一次大戦エースなど印象的です。TV映画シリーズの主演も務めました(『Aチーム』など)。ただ、急の病で1994年に亡くなったそうです。まだ65歳でした。

 ハミルトンの方はその後、たくさんの映画などに出てはいるのですが、いまひとつぱっとしません。「甘い二枚目」の存在感を拭えなかったようです。日本で知られたところでは、『刑事コロンボ』でTVの犯罪捜査シリーズ番組人気司会者役を演じました。

 
 ビンセント・エドワーズはこの映画出演当時すでに、TV『ベン・ケーシー』で人気を博しており、多忙だったせいか、登場も一エピソードきりです。その後、アクション映画戦争映画にも多々出演、『コマンド戦略』(The Devil's Brigade, 1967)で重要な役を務め、ほかのテレビドラマ等でも知られていたようですが、1996年に67歳で病死しています。

 イーライ・ウォーラックはこの映画当時48歳、アメリカ演劇界映画界では知られた存在で、どちらかと言えば個性的な悪役でした。『荒野の七人』にも出ています。その後も数多くの映画に出演し、『ゴッドファーザー』でのマフィアの親分も演じました。2014年に98歳で亡くなっています。つまり、ほとんど一世紀を生きたわけです。2020年になんと103歳で亡くなったカーク・ダグラスとまさに双璧ですね。

 
 

参考:
  映画プログラム『勝利者』コロムビア映画、1963年

  「新着映画紹介 勝利者」、佐藤忠男「「勝利者」」(『映画の友』1964年2月号)

  『WILD-MOOK60 戦争映画』ワールドフォトプレス、1984年






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