三井の、なんのたしにもならないお話 その四

(1999.8オリジナル作成/2024.3サーバー移行)


 
 
「官」はやめないか、「官」は
(ダブルおまけつき)


 
 
 日本人は(世界じゅうそうかも知れませんが)、「お役人」が大嫌いです。
 
 「親方日の丸」、「官僚主義」、「お役所仕事」、「役人根性」、「官尊民卑」、どれもろくな意味では使われません。「官の権威と依存を脱し、民の力を」というのが、政党から、民間企業から、マスコミからあらゆる世界のコンセンサスになっています。
 
 ところが、私には、ニッポンほど「官」の好きな国民はないと思うのです。もちろん、ホンネでは、「なるなら、安定していて楽なコームインよ」という「就職観」のこともあります。「ギョーカク」の先頭に立ち、「国鉄労働者国賊論」をかざして「民営化」の大なたを振るい、大活躍した、ニッポンを代表する経済学者K大先生ですら、その当時「公務員試験受験講座」の監修者にも名を連ねていたくらいですから。
 


 でも、それはそれとしても、びっくりするのは、「教官」の語です。私なぞでさえ、なにを間違ったのか「教官」などと呼ばれ、度肝を抜かれることもあります。かりそめにも、私は私立大学の教員であって、「お役所」に宮仕えした覚えは一度もありません。確かに、国立大学の先生方は、「教官」というのが正式のお役所用語らしく、国立大学を訪れますと、「○○教官休講」なんて掲示が出ていて、諸規則でも、教官という用語に統一されているらしいので(ちなみに、私の出身校では、「先生」と呼ぶのは創立者その他に限られていて、すべて「○○君休講」と書かれることになっていました)。
 
 それどころか、たとえば自動車学校の教習指導員、これも「教官」と呼ぶのが慣例化し、誰もそれを不思議と思わないようです(私は通ったこともありませんが)。まだ国立の自動車学校というのはないらしいので、不思議千万ではあります。それ以外にも、「先生」役を「教官!」と、敬称のつもりで呼ぶのは、世の中で枚挙にいとまがないらしいのです。まあ、今どき「先生」というのは、「議員諸侯」に限られつつあり、古典的「先生」であった小中高校の教師には、「先公」という新しい敬称がすでに定着していますから、やはり「教官」の方が、イメージ鮮烈で、ふさわしい敬意を示しているのでしょう。
 
 もちろん、みなさんヨークご存じのように、「教官」の敬称を世に広めるきっかけとなったのは、某TVお笑いドラマ(じゃなかったっけ)・「スチュワーデス物語」からのことでしょう。そこで、航空会社の客室乗務員養成所指導員が、「教官!」と呼ばれまくっていたので、ニッポン国中、知らぬもののない語になったのです。一民間企業(いや、「国営」だったんだという説もあるが)の、私的養成所の担当者が、「官」として尊敬される、不可解きわまりないことです。
 
 この手の、マスコミ用語・流行語から、全然違った用語法の方が定着してしまうというのは、よくあることです。たとえば、いま、「しゅぎょう」と書かせると、一〇人が一〇人とも、「修行」と書いてきます。もちろん、これは「宗教用語」でありまして、辞書にも「仏法を守って善行を積むこと」とあります(あと、「武者修行」もありますが)。それと正反対の、「○○ム真理教」事件から、一億人の頭の隅々にまでたたき込まれた言葉ですが、そのおかげで、仕事を覚える、技芸をならい修める、資格を得る、世の中遍歴して経験を積むといった「修業」は、完全に忘れられてしまいました。「一流ホテルのレストランに見習いで入って、一〇年修行して」なんて書かれると、私なんか、厨房でもってひとり座禅を組んだり、冷水でも頭からかぶっている図を想像してしまうのですが。
 
 


 ともかく、「教官!」がやたら氾濫するようになったおかげで、それ以外でも、「官」が幅を利かすようになりました。代表格は、「面接官」です。「超氷河期」の就職戦線で、志望学生諸君を相手に、厳しい面接の火花を散らすのは、各企業の「面接官」なんだそうです。
 
 民間企業畑で、厳しいサバイバルレースの修羅場を数々積み、学生諸君とともに戦ってきた「シューショクの達人」たちが、当たり前のように「面接官」などと濫発しているのを見聞きすると、非常に違和感があります。これまた私なんかには、超モダンなビル、そのカイシャの一室に、法服に身を固め、あごひげを伸ばした中国明朝時代の高級官吏が、突如闖入をしてきたようなイメージを抱くのですが。
 
 どうして、面接「官」なんでしょうか?確かに、これを正しく呼ぼうとしても、せいぜい「面接員」とか「面接担当者」くらいにしか表現できず、あまりに権威がありません。この人たちの評価判断が、志望学生諸君の運命を左右するというのに、いかにも軽すぎます。なんとしてでも、その権威と後光を示すべく(ちょうど、「内定」は、「出る」「受ける」ものでも「貰う」ものでもなく、「いただく」と必ず呼ばなくてはならない、ここまで持ち上げる必要があるのと同様)、「教官!」の連想から、いつしか「面接官」に格上げとなったんでしょう。
 
 でも、ともかくなんで、そんなに「官」が好きなんでしょうか。いくら辞典をひっくり返してみても、「官」には、「宮廷や政府に勤めるもの」、「役人」、「国家の機関」といった意味しか書いてなく、いまのところ、「尊敬の一般呼称」になったという話はありません。
 
 まあ、ここまで、○○「官」が世の中に普及しますと、そのうち辞典も訂正を余儀なくされるのではないでしょうか。そして、「小さな政府」、「地方行革」が普及し、国立大学でさえ、「独立法人化」されて、そして気がついてみたら、世の中あべこべに、あれこれ「官」だらけになっていたりして。

 
 日本語を覚えようとするガイジンの方々は苦労しますよ、きっと。「官」とは「bureaucrat」のことだと習ったのに、いたるところお役人だらけで、なんだニッポンは国営社会か、と。あるいは、民間企業の採用活動には、政府の官僚が「面接官」として派遣され、公平な基準での評価の徹底に当たっている、なんて半可通的解釈が広がったりして。


 

後日談

 このお話しは、ちょっとヤバイですね。
 2001年4月1日をもって、三井は「官」になってしまいました。

 「教育国家公務員」、つまりホントに「教官」です。
 別になりたくてなったわけじゃないし、たまたま、そういう筋書きになっちゃたんだと、こう言い訳するしかありません。もっとも、自分じゃあそういう「官」の実感も自覚もいっこうにないんですが。


 

後々日談

 もう皆さんお気づきのように、2004年4月1日をもって、三井は「国家公務員」の身から解放されました。まる3年のご奉公でした。

 これでもう「教官」ではなくなります。これまでの私学同様、「教員」と呼ばれることになりました。まあ、特段の感激もありませんが、ただ奇っ怪なのは、いまもってそのあとにくるべき「国立大学法人職員」の辞令もなにももらっていない事実です。ことによってもうクビになった?

 かつて「民営化」をカンバンに国鉄労働者を路頭に放り出した論理、そしてそれを「追認」してみせた無法「判決」に則せば、「雇用主」がこのように看板をかえるだけでみんなクビにできるはずなんで、非常にヤバイのですが、今のところ給料は振り込まれてきています。まあいまどき有り難いことです。


 おりにふれて「同業」の方々に聞くと、いずこも同じようなんで、結構いい加減ですね。


 


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