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三井の、なんのたしにもならないお話 その三十八

(2014.05オリジナル作成/2024.03サーバー移行)



 
 
四つの「東京物語」ノート X

三井逸友    



 
4.主役、脇役たち(三続)



4-8.平山敬三 −三男の役回りと、「生死の境」からそむける目

 三男の敬三というのは、いずれの作品でもあまり重要な役どころではなく、『東京家族』では存在が消えてしまいました。『東京物語』(2002)では結局東京では両親に会えず、とみが息を引き取ったあとで尾道に駆けつけるという役柄です。ただ、彼には物語の精神を象徴する役が終わり近くに与えられていました。これは登場する三作に共通しています。

 とみの葬儀、寺で僧たちが壮大に唱える読経のなか、母の死に目にもあえなかった敬三は参列の席から立ってしまい、その後を紀子が追います。『東京物語』オリジナルの中で、敬三役の大坂志郎は寺の縁側に座って外の景色を眺めたまま悄然と、「あの木魚の音がいかんですわ」とこたえます。「なんや知らん、お母さんがポクポク小さくなっていきよる」とつぶやき、「僕、孝行せなんだからなあ」と付け加えるのです。紀子は悲しそうな目で敬三の背を見つめたままです。ここで敬三は「さればとて、墓に布団は着せられず、や」と言い、葬儀の席に戻っていきます。



 『新 東京物語』では尾道の寺の葬儀の読経の場から敬三は席を立ち、縁側に出て座り込みます。後を追うのは幼子を抱いたよしえです。「どないした?」と声をかけられ、よしえの方を振り返って、「どうもあの木魚の音があかんねん」と答えます。「あれ聞いてると、なんやお母さんポコポコポコポコ小そうなってきよる」と敬三はうつむいてつぶやきます。「わし、孝行せなんだからなあ」、「さればとて、墓に布団は着せられずや」、この台詞を口にし、角野卓造扮する敬三はまた席に戻るのです。



 『東京物語』(2002)では、金子賢扮する敬三はやはり寺の読経の席を立ち、外の濡れ縁に行き、紀子がそっと後を追います。木々の緑が印象的な寺の境内を前に、彼は立って外を向いたまま泣いているのです。「敬三さん……」と声をかけられ、ハンカチを手にしてうつむいた敬三は、「どうも、木魚の音がね」と言いかけます。「木魚?」と問われ、「ポコポコゆうてるとね、なんかお袋のからだが小さくなっていくんです」と、鼻をすすり上げながらこたえ、それから敬三はちょっと苦笑し、「参ったな」とつぶやき、袖で涙を拭くのです。この金子賢の敬三は先の二作に比べて悲しみの感情が走っているように描かれているわけですが、対する松たか子の紀子の表情が乏しいので、なんだか中途半端な場面に終わりました。「墓に布団は着せられず」の台詞もありませんし。



 『東京家族』では、葬儀の執り行われる寺は島にある設定ですが、もちろん敬三はいません。昌次は端に座って、ときになんとなく外に目をやります。後ろにいる紀子が心配そうに見やる、そういったシーンで葬儀の場面はおわり、ですから「木魚」云々は出てきません。そのまま、平山家での次のシーンに写ってしまいます。

 


 「木魚の音を聞いておられん」とはどういう感覚を描いているのでしょうか。単純に解釈をすれば、仏教の法要の「鳴り物」である木魚を叩く音は、単調な響きの中で此岸と彼岸とを分ける象徴のように感じられる、つまりほんの少し前までこの世で身近に生きていた母が、木魚のバチに叩かれ送られて、小さな小さな存在に変わっていってしまう、自分の手の届かないところに去っていってしまう、だからこそ木魚を叩くポクポクという単調な音の連続を聞いていられない、刻む時と遠ざかる距離そのもののよう、そうした実感なのでしょう。「死」の現実への向き合い、そこにおのれのこれまでの人生と、母親との真のかかわりの乏しさ心のつながりのはかなさがいっそう迫り、悔悛の思いがこみ上げてくる、それを口に出さずにはいられなかったというのが敬三の心情なのだと思います。あとからの後悔はなんにもならない、また後悔の思いを重ねるだけなのだ、それを身にしみて思い知らされる時、子は親との永遠の別れの意味を否応なく悟るのでしょう。小津の機微に触れた描写です。そして、見る側を敬三の心に引きずり込んでいくのです。『新 東京物語』や『東京物語』(2002)はそれをなぞったのですが、今ひとつ重みを欠きました。

 
 ちなみに、原『東京物語』では、敬三は「墓に布団は着せられず」の格言を二回口にしています。尾道への帰路でとみの気分が悪くなり、大阪に途中下車、敬三のところに急遽泊めてもらう、そのてんやわんやの騒ぎの翌朝、勤務先の国鉄の事務室で敬三は同僚に語ります、「まあ、孝行のしたい時には親はなし、やからな」、「さりとて、墓に布団は着せられず、ですか」このやりとりです。そしてそれからほんの数日後、言葉は現実そのものになり、敬三は深い後悔の思いを込めて、この言葉を復唱するのです。『東京家族』のように、幸一と庫造に語らせるのはちょっとどうなのかとも思えますが。

 『新 東京物語』ではこのオリジナルと同じように、帰郷途中の車内で気分が悪くなったとみを気遣い、大阪に途中下車した両親の世話をした敬三が勤め先のスーパーの事務室で、同僚と「孝行のしたい時には親はなし」、「さりとて、墓に布団は着せられず」の問答をします。



 『新 東京物語』では敬三の物語自体もふくらまされ、妹京子の恋人・杉山茂は敬三の同級生であった、敬三は長兄、次兄の出来がいいのに自分は劣っており、ために父親にも大切にされなかったと感じ、劣等感をはね返して金儲けをなりわいとすべく大阪に出て、スーパーに勤めている、そういった事情も紹介されます。周吉とみの東京行の直前に尾道に来て、社長がこちらへの出店を考えて視察に来るから、出発を翌日にしてくれと無理を頼み込みます。周吉が以前に役所の商工部長をしていたことが役に立つからと、父親の配慮を求め、周吉も応じるのですが、実際には社長は軽い挨拶に寄っただけ、あとで敬三は杯を傾けながら、社長は女と旅行に出たくて尾道に来た、自分がそのお膳立てをしたと京子と茂に告白します。茂は唖然としますが、敬三は平然としており、二人の気質の違いがもろに現れます。工業高校卒で技術者肌、実直一本気な茂とは対照的な敬三の生き方です。しかし、反面で敬三は夫を亡くして困っていた子持ちのよしえと一緒になり、夫婦として懸命に生きていこうとします。大阪に途中下車した父母を近くの旅館に泊まらせ、これを機会によしえを引き合わせ、なんと式まで挙げてしまおうという魂胆、これには突然に大阪に来てくれとの電話を受けた兄幸一も激怒しますが、周吉ととみはやむなくつきあい、強引さにかなり面食らい、また失望しながらも、敬三の「門出」をささやかに祝うことになります。

 
 

5.「小さい」エピソードに込められた描写と含意、異同点


 
5-1.子供たちの反抗

 『東京物語』では、幸一の一家の子供たちの描写が独特の雰囲気を持っています。小津の作品『おはよう』では、親に反抗する子供たちの「朝晩の挨拶などしない」というユニークな「抵抗」が面白く描かれていますが、小津にとってはこうした親の期待や「しつけ」にたいする子供たちの醒めた目と稚気に満ちた反抗摩擦というものを通じ、大人の世界を批判的に描き出すようなところが重要な意味を持っているのでしょう。きわめて逆説的に、稚気あふれて我儘勝手な「こども」が「おとな」になれば、むしろそれぞれの生活、日々の暮らしを第一にしか考えなくなり、つきあい方の世知を身につけ、ひとの生死への思いさえ薄らいでいく、それを批判できるこどもの目は、感性豊かで直裁、澄んでいるとともに邪気にも満ちている、この矛盾曲折した人間の性といったものを、さらに醒めた目から見据えているのが、この映画なのでしょう。

 『東京物語』冒頭、祖父母の到着に備えて三宅邦子演じる文子が家の中を片付けていると、二人の子が不満をぶちまけます。勇は部屋の中で紙飛行機を飛ばしており、素知らぬ風ですが、学校から戻った実は家に入り、「自室」へ行って、自分の勉強机が廊下に出されているのを発見、大いに憤慨します。「仕方ないじゃないの」とする母に、「どこで勉強するんだい、試験あんだぞ」と反発、相手にしない母のあとについて回って、「どこで勉強すんのさあ」をしつこく繰り返します。「勉強なんかしてないじゃないの」と切り返されると、「してらい、してますよ」、あげくに「じゃあ勉強しなくたっていいんだね、あー楽ちんだ、あーのんきだね」と憎まれ口をたたくのです。あきれた母がなにか言おうとするところに、タクシーで父母と幸一が到着し、うやむやになるという展開です。あとでは、実は父の診察室で英語のリーダーを本当に読んでいるという場面も出てきます。

 その後のトラブルは、父が日曜日を利用して父母を東京見物に連れて行こうと支度をする、ところが急患の連絡で中止になり、息子たちはふてくされるというシーンです。二人で文句を言い、診察室にこもって母と言い争う、「こんどまた行かれるじゃないの」と言われれば、「こんどこんどって、行ったことないじゃないか」「つまんねえや」と口をとんがらかし、母も「ひどいわよ、お父さんに言うから」とおどせば、「こわくねえや」と口答えする、いかにも中二病的です。ただ勇は反抗心盛んな兄にひきずられているようで、とみがなだめに来ると、たちまち一緒について行き、実だけ取り残され、なおもふてくされているところまで描かれます。もっとも文子には周吉が、自分の子らも小さいころ同じように逆らっていた、幸一も同じと聞かせ、気休めになります。この辺にも、監督のねらいがかなりあるとすべきでしょう。

 


 『新 東京物語』での幸一家族の二人の息子はかなりうえの年齢に設定されているし、一見ものわかりのよい子らとなっているので、祖父母の来訪は歓迎で、娘の祐子ともどもタクシーでの到着を勇は愛想よく出迎えます。翌朝には実も祖父母に挨拶をします。幸一の新居には両親の部屋も用意したということなので、部屋明け渡しでの騒動はそもそもありません。日当たりのよい立派な両親の部屋に二人は感激、長男家族の豊かな生活ぶりがうかがえます。けれどもこれとはまったくちがった関係と角度から、息子たちと親との対立、祖父母の微妙な立場がその後詳しく描かれるのです。

 


 『東京物語』(2002)では、実ではなく私立学校の小学生とおぼしき弟の勇が帰宅後、母親の部屋からの「追い立て」に反抗し、「勉強しない」と言い張るのですが、ちょっと不自然でした。「テストできなかったらお母さんのせいだからねー」と悪態つくのも無理線です。文子が片付けているのはおもちゃ箱なのですし、勇は七歳と自己紹介をするのですから。これはストーリーの設定で、実を受験生にしてしまった矛盾とも言えましょう。実と勇の部屋はベッドが二台おかれ、周吉ととみはそこで寝ることになります。

 祖父母が到着すると、勇はTVゲームをやっているだけ、夕食時には寿司や穴子に不満で、ハンバーグ食べたいと言い張る、一方であとから帰宅した実は二人にちょっと会釈をしただけで二階に行ってしまう、みなで食事中も黙って席を立つ、父幸一も手を焼いている風に描かれます。

 日曜の東京見物の支度ができたところで、急患の電話で幸一は出かけてしまう、それでふてくされるのも勇です。実ははじめから予定外のようでした。とみになだめられ、勇はついて行きますが、草原でサッカーボールを蹴っているばかり、対話にもなりません。ただ、全編の時間が短いせいか、その後この実と勇の存在はあまり出てこず、実の受験と学費をめぐって幸一と文子が対立するくらいになります。

 


 『東京家族』ではオリジナルと同じに、実が部屋からの追い立てに反抗、母に「あんなうるさいヤツと一緒じゃ勉強できないよ」と文句を言います。あげくには、「勉強しなくていいんだね、赤点とってもいいんだね。ラッキー」と悪態をつきます。この辺はオリジナルのストーリーに近く、少々憎たらしい「ガキども」風の位置づけになっています。住まいも決して広いわけではなく、孫たちは祖父母の到来を喜んでいるわけではない雰囲気をうかがわせます。ただ、のちに祖母とみこが瀕死の床に伏せると、さすがに孫たちは涙を浮かべます。

 あとでは、祖父母との外出が急患の連絡で中止になり、ふてくされた勇が騒ぎ、母親の足をふんずけ、おもちゃを階段から投げ落とすという暴れようです。実は休日の野球の試合で、はじめから一緒しない予定でした。このような描写はオリジナルの『東京物語』でも出てきますが、主には実のぶち切れぶりでした。なだめに連れ出したとみこと勇は近くの公園に行き、「あんた大きゅうなったらなんになるん、お父さんとおんなじお医者さんか」と問われ、「ぼく勉強できないから」と。こんな小学生のうちから、と祖母を慨嘆させる。「あんたのお父さんも成績よくなかったのよ」と。このあたりもオリジナルを彷彿とさせます。ただ、60年前と同じ台詞も語らせるのは無理がありすぎという批判もありましょう。

 


 幸一の家族らの描写では、『新 東京物語』は他の作品とまったくちがっています。幸一文子夫婦と息子実の対立、家出、周吉やとみの関わりというのが大きなストーリーを構成していました。そのぶん、滝一也演じる実は多感な高校生の設定に変更されています。実は高校生活の中での交友とともにいろいろ悩みもかかえ、父親のところの医院手伝いの定時制高校生チエ(高部知子)にちょっかいを出したりする一方、時代の矛盾を思い、また受験勉強一本の生き方に次第につよい疑問を持つようになりました。「理系は自分に向いてない」、さらには「なんのために進学するのか自分で納得できるまで、高校だけで終える」と宣言、医学部進学を期待する両親を激怒させます。その実の気持ちに寄り添う周吉は親として幸一に進言するが、激しく対立するのみ。「お父さんの時代とはちがうんです」、「あいつにいい生活をさせてやりたいんです」、「今の一日一日がだいじであり、あとからでは取り返しがつきません」、これが幸一の言い分、実の自主性を尊重してやれという「古典的リベラル」の周吉とはついに交わることはありません。実は家出も考える、そののち祖母の死でひとりで尾道へ行き、葬儀を終えた父を驚かせ困らせるが、言い張ってそこに残り祖父と対話、そして紀子の帰京の際に一緒に戻ることになるという展開でした。

 この実を演じた滝一也は、独特の個性を持っていた俳優でしたが、その後の出演等が判明しません。俳優をやめてしまったのなら惜しいことですが、演劇界でいまも活躍のひととは同一人物なのかわかりません。

 弟の勇はひょうきんで祖父母に愛想のいい中学生という設定で、特に目立った存在でもないがこれを演じたのが、のちに「大河ドラマ」などTVドラマや映画でいろいろな役を演じた松田洋治でした。現在は声優としても活動中だそうです。

 『新 東京物語』で創造されたのは娘祐子の存在で、子役で当時活躍した牛原千恵が演じています。「いまどき」風に流行やらファッションやら料理やらに細かく、社交的で、しかし我儘なところも見せます。祖父母の面倒を見る約束を、部活の関係でほっぽり出し、両親を激怒させる始末。それで寒いところで待ちぼうけを食わされた周吉は風邪を引き込むことになります。ただ、ここまでストーリーに入れるのはちょっと焦点が拡散気味であり、「朝ドラ」的になっていたのも否定できませんが。


 つまるところ『新 東京物語』では、幸一の子らのみならず、冒頭と終わりに出てくる周吉の「ガールフレンド」ヨッコちゃんを含め、「こども」への厳しい視線、あるいはこどもが照らし出すおとなの鏡の姿はいっさい描かれません。心優しいもの、あるいは成長し、迷い模索するものとしてのこどもたちという設定のみなのです。それは父野田高梧とは大きく異なる、脚本家立原りゅう氏の感情だったのでしょうか。

 
 

5-2.泥酔と旧友たち

 『東京物語』の重要なエピソードの一つは、周吉が旧友たちと東京で再会、したたかに飲んであれこれ不満をぶちまけあい、いろいろ騒動を引き起こすというところでした。この再会自体、なかばは周吉の上京の目的でもあったのですが、熱海から想定外に戻ってしまった周吉ととみの泊まる場がなくなる、やむなくとみは紀子のところを頼り、周吉は旧友の服部のところに泊めてもらうつもりで出向く、そうした経緯の産物でした。

 尾道を離れ都内で代書屋をしている服部(十朱久雄)のところに寄りますが、いかにも狭苦しく、生活も楽ではない様子、服部の二人の息子は戦死し、寂しい暮らしであり、頼るあてもないのです。服部の妻よね(長岡輝子)の耳打ちで、周吉は外での飲みに誘われます。泊めてもらうどころではないのは自明で、周吉も内心戸惑うものの、そうした思いを隠して、ついて出ることにします。尾道の元警察署長だった沼田も近くにいるので誘うと言われ、「息子さんが部長で楽隠居の身」と聞かされれば、そちらに今夜の宿をという期待もあってでしょう。

 三人は料理屋の二階で飲み始め、酒に強かった周吉のことなど昔話に花を咲かせます。しかし話しはいまの境遇や家族への愚痴に向かい、そのあと入った沼田馴染みのおでんやでは酒の勢いで、家族や子供らや世相への不満を互いにぶちまけあいます。周吉がこんどは泊めてくれるのではないかと期待していた沼田は、むしろ落魄覆うべくもなく、妻を亡くした嘆きとともに、家で息子は嫁のご機嫌ばかりうかがい、親を邪魔者にし、自分は肩身の狭い思い、「部長」どころかいまだ係長どまりのできそこない、覇気のない息子だと嘆き、旧友も呼べないことを詫びます。それにひきかえ、「あんたのところはいちばん幸せだ」とされるに応じるかたちで、周吉の「満足はしとらん」、息子は「こまい町医者」、「あんなではなかったんじゃが」という愚痴が出てくるのです。

 「せがれになんで出世できんのかと言えば、東京は人間が多すぎる、だからうえがつかえてるとぬかしおる」この名台詞も吐いた沼田を演じた東野英治郎は、当時は46歳であったはずですが、世をすねた老年隠居の雰囲気横溢として、迫力十分です。十朱久雄はあまり目立ちませんでした。おでんやのおかみ(櫻むつ子)はこうした三人の老年酔っぱらいの悪酔いと愚痴に心底厭そうな顔をし、もう店を閉めるから出て行ってくれと再々促します。その一方で周吉は自分に言い聞かせるように、「しかし沼田さん、これは親の欲じゃ、欲を言うとりゃきりがない、あきらめにゃあ」、「東京にはひとが多すぎる」と諭します。

 久しぶりにしたたかに酔った周吉は、その勢いで志げのところに舞い戻ってきます。それも交番の巡査に付き添われ、足下もおぼつかない姿で、寝入っているところへ転がり込んで、美容室の椅子のうえで沼田とともに寝込むのです。この醜態に志げは憤懣やるかたないのですが、どうしようもなく、自分と蔵造が寝ていた店の上がりのところを明け渡し、泊めざるを得なくなります。志げの口から、昔はお父さん酒飲みで、いつも母を困らせていた、近年はずっと酒を断っていたのにと、嘆きが語られます。

 映画『東京物語』では、この騒動の後始末などは描かれないまま、東京駅からの二人の帰路の場面に移ってしまいます。ただ、このエピソードはいくぶん説明的でもあり、ある意味では小津のユーモア、皮肉の表現にも見えますが、少し物語り全体の雰囲気の流れを乱しているような感じもあります。意図して、全体の流れに波乱を仕掛けたということでしょうか。

 


 『新 東京物語』で旧友との再会と痛飲のところは、このような展開です。周吉はとみと別れたのち、上野周辺で服部のいるはずの行政書士事務所を探し出しますが、応対に出た服部の息子(綾田俊樹)は妙によそよそしく、口ごもり、周吉を戸惑わせます。実は服部はもう引退し、息子とも別れて老人ホームで暮らしているのでした。そこまでたどり着いた周吉に、有島一郎扮する服部は境遇を詳しく語ります。長男は東京で事業に成功して世田谷に豪邸を構えるが、その嫁と自分の妻があわず、次男のところを頼りにしたものの、妻が先に逝き、そうなるとこんどは次男の妻と自分があわない、結局一人暮らしがいちばんと割り切ったというのです。しかし服部の身なりは粗末であり、薄汚れているようで、老人ホームでの暮らし向きも楽ではないことをうかがわせます。息子からの現金書留での小遣いをあてにしているありさま。

 周吉と服部は二人で近くのおでん屋お加代に入ります。こうなれば周吉には泊めてもらうどころではありません。尾道組三人目として合流するのは元署長の桑田(田武謙三)です。桑田も、妻のご機嫌を取って、邪険にする息子への不満を抱いていました。服部はそれでも、親は親、子は子と割り切れとし、見たくない顔を見なければいい、それで皆が満足している、収まるのならよしとするしかない、女が笑っていればそれが文明と言いますが、おかみ加代(五月晴子)が喜ぶ反面、こんどは周吉が怒りをぶつけます。そこから、自分の息子娘らへの不満があふれてくるのです。女が賢しらにするのは許せん、中学高校までは野山をさまよう、物思う時期だ、それを小学生のうちから塾だなんだと押さえつければ、「こまっしゃくれたいちびり小僧ができるだけよ」とぶつのです。

 三人は別のスナック望春へはしごします。ここでのエピソードというのはいかにもテレビドラマらしい展開で、もちろんこの脚本の完全なオリジナルです。スナックには若い客らがかなり入っており、酔っぱらいの老人三人にはちょっと冷ややかな視線を投げますが、服部はそれを相手に演説をはじめます。「この酔っぱらいのジジイがなんでこの店に来たか、実は前にも入り、悪酔いし、ゲロを吐いた」、これだけでみんな引いてしまうものの、構わず服部はぶちます。「そのとき、マスターの望君も春子ちゃんもいやな顔一つせず、熱いタオルで顔を拭いてくれ、茶を入れてくれた、なんでかと尋ねれば、自分ももうすぐこうなるのだからと。有り難い、なんという心の広さか」、実際カウンターの中のマスターはにこにこしています。服部の「この店に乾杯!」の声には、ほかの客たちもこたえてくれました。調子に乗り、周吉は詩吟をぶちはじめました。

 
 こののち、三人は志げの店に深夜なだれ込みます。ここでも巡査の案内でたどり着くのです。もちろん、たたき起こされた志げは怒りますが、三人の酔漢相手にはどうにもならず、美容台と待合のソファーに勝手に寝込んでしまうに任せるしかないのです。ただ、翌朝には三人には毛布などが掛けられ、志げと庫造が気を遣ったことをうかがわせます。ようやく目をさました服部と桑田はこっそり逃げだそうとしますが、周吉は引き留める、そして志げに声をかけ、朝飯食わさにゃ帰せんと言い張るのです。呆れていた志げもそれでも応じ、また桑田の顔に見覚えがあり、いくぶん空気がなごみます。

 とみも紀子の住まいから戻ったところへ、幸一の長男実が一人でやってきます。祖父母に聞いてもらいたい胸の内、特に自分の力を試すためにも高校だけで進学をやめたいという気持ちを語り、それを父に伝えてもらいたいとするのです。周吉は実のまじめな性格と悩みへの向き合い方を是としながらも、もっと気楽に生きることを考えよと諭します。またとみは、自分の生き方、姑とのつきあい方など語り、実の気持ちをほぐしながら、「あんたが立派なお医者さんになるころまで、おばあちゃん生きとられるかなあ」と溜息をつくのです。

 


 『東京物語』(2002)では、周吉は服部(湯浅実)と沼田(谷啓)に再会、新宿あたりとおぼしき賑やかな居酒屋で杯を酌み交わします。服部は息子に先立たれて寂しい老後、元署長の沼田は課長止まりの息子のことを愚痴り、息子二人も医者にした周吉をうらやみますが、一人はもうのうなったと聞かされ、同情します。傍ら、子がおっても親をばかにする、なかなか二つええ事はないと沼田が嘆き、周吉も同感します。その後は客引きがうろうろするネオン街の通りで、三人はふらつく足取りで歩きながら愚痴りあい、「東京は人間が多いからうえがつかえている」という息子の言い訳を語り、親の思うほどになってくれない子供を嘆いて沼田は道に座り込んでしまい、服部に抱え起こされます。応じて、周吉はうまくいっていない長男の病院、美容院抱えて忙しいだけの娘、よくわからんことをしている三男と、おのが子らのことを嘆き、「こっちへ来たら、もちょっと喜ぶかと思うとったけど、すっかり邪魔者扱いじゃ」と憤懣をはき出します。それでも、「不満じゃが、これは親というもんの欲じゃ、諦めにゃあいけん」と悟りの思いも語り、共感を得たところで、客引きのホステスに三人引っ張られる、こういう展開になっています。

 その後深夜になり、沼田とともに周吉は滋子の店にたどり着き、椅子に座り込む、上機嫌の沼田は庫造とダンスを踊り出す、それでこのエピソードはおわりになります。ここの場面つなぎはオリジナル『東京物語』と同じで、次は東京駅での別れとなります。沼田を演じた谷啓はやはりちょっとくさいところもありますが、ギャグに走らず、うまくはまっています。ただ、どうにも元警察署長には見えませんが(なんの「ショチョウ」なのかは不明のまま)。

 


 『東京家族』では周吉は旧友沼田を誘い、同窓生の服部の位牌に線香を供えに行きます。ここでは、服部は元教師の先輩ですでに病死しており、その妻京子(茅島成美)が一人で団地で暮らしているという設定で、団地の狭い住まいには歴史書などがいっぱい書棚に収められていました。周吉は教師生活の中で、服部に数多くの教えをもらったと語ります。一方で仏壇には二つの写真が飾られていることに気づき、聞けば、もう一人は妻京子の母のもので、「去年の3月11日に亡くなった」とこたえられます。いぶかしく思う周吉に、同席して食堂の椅子に腰掛けていた沼田が、「お母さん陸前高田で、流されたままいまだ見つからないんじゃ」と解説します。戦地で行方不明になったまま墓石もたてられていない父と、ようやく海の底で一緒になれたんじゃないかと、京子が静かに母のことを思いやります。周吉はふたたび仏壇に手を合わせます。

 服部宅を出て、二人は沼田馴染みの居酒屋かよに向かいます。造船会社の元専務であったという沼田三平を演じるのは小林稔侍です。酒を勧める沼田に周吉は医者の言を盾に取って固持するのですが、そのうちになし崩しになっていってしまうのです。周吉の子らをうらやむ沼田は、引き替えて自分の息子は女房の機嫌ばかり取り、自分を邪魔者にすると嘆き、係長止まりで「出来損ないのボンクラじゃ」とけなして、落ち込みます。「おまえは満足じゃろ」と水を向けられた周吉は「決して満足はしとらん」と返し、沼田はさらに落ち込み、涙します。「本来ならうちに泊まって貰い、夜明かしでやるんじゃが、息子のばかな嫁がいやな顔するんじゃ」とかよに語りかけ、その代わり飲むぞと気を取り直し、BGMにあわせて「瀬戸の花嫁」を口ずさみ出します。

 このいかにものジジイ同士のやりとりを店のならびで聞いていた会社帰りとおぼしき男女三人組は、だんだん場がしらけてきたうえ、二人の怪気炎が盛り上がり出しそうな気配に、席を立ってほかの店に飲み直しに行ってしまいます。その中の「部長」は、「あーやなもの見た、なんだよあのジジイたち」と店の外で吐き捨て、部下からは「部長ももうすぐああなるんですよ」と突っ込まれます。『新 東京物語』のエピソードとは対称をなしていますな。店の主のかよ(風吹ジュン)はこんなことでなじみの客に逃げられてはと、二人に次第にきつく当たるようになってきます。自分の亡妻に似てるなどとからむ沼田に、あんたくどいのよと愛想づかしし、早く帰れと求めます。

 一方で次第に飲むピッチが上がってきた周吉は、「おまえは幸せ者」と言う沼田にからみ出します。「どこが幸せなんじゃ」と切り返し、長男には地元で開業してほしかったのに、言うことを聞かなんで東京に行ってしもうた、そしたら娘も下の息子も後を追ってしまい、故郷は寂しくなるばかりだと愚痴り始めます。しかし沼田はあげな島には帰りとうないと断言、周吉は「どっかで間違うてしまったんじゃ、この国は」と世を嘆き出すのです。あげくには、さらに酒を求めてかよに突っぱねられ、いきり立って食ってかかる、沼田にも逆ねじを食わせるという、酒癖の悪さを一挙に露呈するのです。

 
 この展開は、オリジナル『東京物語』をある程度なぞりながらも、周吉の心情の置き場と不満の矛先を違う方向にしています。もちろんそこには止めようもない過密過疎の進行、世代間の断絶や社会のお邪魔もの化する高齢者などとという21世紀日本の現実があるのは間違いないでしょうが、どうも話として無理がありすぎ、背伸びしすぎです。あくまで、周吉と子らという家族関係親子関係にこだわってこそ、『東京物語』の普遍的な意義と見るものの心の琴線に触れる世界があるのではないでしょうか。わが息子娘らの生き方や親への接し方に満たされぬ思いを持ちつづけ、失望を重ねながらも、「親の欲」、「ええ方」と自分に言い聞かせようとする、短兵急に「いまのこの国」を嘆くのではない、そうした周吉ととみの屈折する心情に迫ってこそ、物語は感動を与えるのではないでしょうか。

 小林稔侍の芝居はこれも型どおりではあるものの、なかなかツボにはまり、世の中からはみ出し、妻にも先立たれた男の強気と弱気のあいだで揺れる気持ち、年寄りの心根の屈折を芝居として表現していました。

 昔のたちの悪い酔漢に戻ってしまった周吉は、泥酔し、夜中にタクシーで滋子の店にたどり着くのですが、ここではそこの描写はなく、翌朝幸一の家で居眠りする場面に飛んでしまいます。滋子からの電話で、深夜の行状、朝の喧嘩といった事情が話され、狼藉後の店を掃除する庫造らの姿で騒動をうかがわせます。前夜の暴れぶりとは対照的に二日酔いで消沈している周吉、それが直後の急展開とのギャップを作り出しているのです。

 
 この『東京家族』での展開には時間軸上の矛盾が相当にあります。理屈を言えば、服部は周吉の先輩のようですから、その妻京子も相当の歳、しかも京子の父は戦中に南方に出征して帰らなかったと沼田から説明されるので、どう計算しても70歳近くになります。その母親ということになれば、これはもう80代末か90代にならざるを得ません。その人が陸前高田で暮らしていて津波に呑まれたというのでは、年齢関係がかなりおかしいのではないでしょうか。まったくありえなくもない設定ではあるものの、あえて勘ぐれば、太平洋戦争と2011年大震災とを無理に話の中でつないだ、山田洋次らの意図が相当の矛盾を生じさせてしまったともとれなくありません。

 
 

追記

 この飲み屋での騒動に関連して、web上にあまたある「東京物語」論を記した中に、明らかな誤解で「山田洋次攻撃」をやっているのを見つけました。

 要するに、『東京家族』のなか、居酒屋で小林稔侍扮する沼田が店の女将(風吹ジュン)をつかまえ、「誰かに似ている」、「自分の死んだ女房にそっくり」とやって不興を買う、このシーンは小津安二郎の別の作品から取ってきたものだ、そういう切り貼りで『東京家族』の脚本を作った、よくないやり方だ、というのです。『東京物語』をそのままなぞるならまだしも、というわけです。


 賢明な方はあれっと思いますね。当然ながら、これは原『東京物語』をそのままなぞったのです。服部や沼田と、周吉は二次会のおでん屋に行く、そこで東野英治郎扮する沼田が女将をつかまえ、「誰ぞに似てるじゃろ」、「梅ちゃんか」、「ちがうちがう、わしの死んだ女房だ」とやり、かたわら出来の悪い息子のことを愚痴り出す、このシーンがちゃんとあります。老人の嘆きと未練と、屈折した思いが自ずとにじみ出すところで、これはのちの各作品にも受け継がれているのです。


 作品への評価はそれぞれいろいろな考えが当然あるでしょう。山田洋次が小津作品のオマージュなるものを今どきつくるのがけしからん、という意見もありましょう。しかし、間違いや誤解による主張は頂けません。逆に言えば、そうした間違いを堂々主張するとなれば、このひとは『東京物語』を本当に熱心に見ているのか、疑問を生じさせます。


 昔、ビデオだのDVDだのなかったころには、一般の観客だけでなく,「評論家」などという肩書きの人たちさえ、実際の映画作品は試写会や映画館などで見る以外、繰り返し見て確認などするというのはできないことでした(TV放映という機会ものちには出てきましたが)。あとは映画会社配給会社の提供する資料やプログラムなどあてにして、もっともらしいことを書いていたのでしょう。それだけに、明らかな間違い勘違いは実にたくさんあります。いまのように、VTRやDVDによって、誰もが映画や映像作品を「購入」、あるいは録画し、手元に置き、いつでも見ることができる、そうなりますと、こうした初歩的間違いは自ずと誰の目にもわかってしまいます。ある意味怖いことです。

 今どきに、『東京物語』中の一場面もなかったことにする、それは恥ずかしい所業であり、小津氏や山田氏はじめ関係者への根拠ない非難ないし曲解であり、少なくとも他人様の目にさらすべきものではありません。さっさと撤回訂正しなさい。


5-3.東京見物

 物語前半で、周吉ととみ夫婦は、紀子(『東京家族』では昌次)の案内でようやく東京見物に出かけます。「東京物語」なのですから、これがないと様になりません。ただし、本来は息子幸一が案内をするはずだったもので、紀子の案内になったところから、夫婦と実の息子娘らとの関係のいくばくかの曲折になっていくのです。

 このエピソードはいずれにも共通しているだけに、そこに60年間でのそれぞれの「時代性」がストレイトに現れているとも言えましょう。

 
 『東京物語』では古いながらも1950年代の東京観光バスツアーとなり、いっぱいの乗客の車内がかなり揺れるのが特徴的でした。バスが通るのは都心部、皇居、銀座などで、さらに三人で銀座あたりのデパート屋上にのぼり、幸一や志げのいる方角、紀子の住まいの方などを見やる場面になります。この描写からすると、紀子の住まいは青山ないしは新宿方面とおぼしき方向でした。

 


 『新 東京物語』では紀子の恋人のアレンジで、なんと東京上空遊覧飛行ということになります。周吉は市役所の観光課にいたからという、ちょっと無茶ぶりで、いかにもバブルですね。そのために、三人は帰りにかなり郊外遠くの空港から電車で戻ってくるという設定でした。飛ぶのは新宿など都心各地上空ですが、幸一や志げのところのうえも通るとなります。とみは「宙返り」をリクエストしたようですが、これはもちろん無理、東京を「飛行機」で見物というのは、幸一も志げも庫造にも想像を超えていて、ちょっと飛びすぎでしたが。

 


 『東京物語』(2002)では一転して水上観光となり、船上から隅田川などの初夏の眺めを楽しみます。その後にはお台場を訪れ、パレットタウンの観覧車にも乗るが、高いところは苦手な周吉は遠慮しました。お台場を舞台というのはフジテレビ制作だから、という色が濃いとされましょう。

 


 『東京家族』ではまた観光バスに戻りました。ただしダブルデッカーのオープン席という様変わりで、乗客には外国人が目立ちます。いい風に吹かれながらも、案内のはずの昌次は日頃の疲れで寝てばかり、訪れるのは都心、秋葉原やスカイツリー展望など、今の東京の名所各地でした。その後に三人は柴又に行き、ウナギを食べるという展開になるのは山田洋次的なところでしょうか。この店での三人のやりとりが、重要な意味を持つシーンとなるわけです。

 
 

5-4.夫婦の小旅行

 せっかく上京している両親をもてなせない志げと幸一は、相談をして二人に泊まりがけの小旅行をプレゼントします。ただ、それには志げとして、両親を自分の住まいから遠ざけねばならない事情もからんでおり、ために宿に参って早々に戻ってきてしまった二人は、行き場を失ってしまう事態になります。これも共通するエピソードになっていました。

 
 『東京物語』では、紀子との都内見物から戻る両親を待つ志げと幸一が相談をし、志げが温泉旅行を持ちかけます。この際の二人の負担は各3千円でした。それで、周吉ととみの泊まるのは熱海の温泉旅館でした。建物はまだ新しいというが、二人の睡眠を大いに妨げるのは団体客の大々的な宴会、麻雀などなどで、アコーディオンつきの流し楽隊までが繰り出していました。よく眠れなかった翌朝、夫婦が海岸に散歩に出た間に、部屋の片付けと掃除に入った仲居たちの仕事ぶりと会話も、重要な部分になっています。「湯の町エレジー」を口ずさみながら、夕べの男女客の悪口を言い合っている、奇妙なアンバランスの感覚があります。

 


 『新 東京物語』では、この熱海行きの前に、周吉の発熱、志げと庫造の夫婦げんかなどあれこれ騒動があります。そして、都内見物の二人の帰りを待つ幸一と志げが相談し、志げの発案で幸一が3万円、志げが2万円を負担して熱海に送ることになります。

 泊まるのは志げの美容組合特約の熱海の旅館で一泊5千円ですが、二人を悩ます宿での騒ぎは、部屋での宴会、カラオケ、深夜の寿司の注文などなどでした。ここではとみが我慢できず文句を言いにいくという描写もありました。朝の掃除場面も一瞬出てきますが、それだけでした。

 


 『東京物語』(2002)では、幸一と滋子は電話でやりとりをし、熱海行きのことを決めます。けれどもそれぞれの負担の金額には触れられず、滋子の手配とのみ示されます。泊まるのはやはり熱海の海岸沿いの温泉旅館で、鉄筋コンクリート造りの建物が並んでいるところが、時代を感じさせます。これまた宴会の騒ぎに加え、深夜の海岸での打ち上げ花火連発まで夫婦を悩ませます。ただ、景色を見やりながら、とみはかつて子供らと行った指宿温泉の思い出にふけるのでした。つまり、「親子の絆」にすべてが収斂されているのがこの物語です。

 


 『東京家族』では父母の東京見物の帰りを待つ滋子と幸一が相談をして、泊まり行を決めます。行き先は熱海ではなくなり、滋子の店の馴染み客の旦那が支配人だという横浜インターコンチネンタルホテルになり、二人は5万円ずつ出し合うことにします。したがって雰囲気も風景も一変し、夫婦は純洋式ホテルの設備にもレストランでのフランス料理にも戸惑わされます。部屋の窓外の景色はみなとみらいとコスモワールド遊園地で、いかにも21世紀的ですが、その大きな観覧車を眼前に見やって、周吉は結婚前にいっしょに見た映画『第三の男』のプラーターの場面を、オーソンウェルズの名台詞とともに回想するのです(これを言わせるために、熱海ではなく横浜行にしたという説もあり)。ただ、ここにもちょっと時間設定上の無理があり、『第三の男』の日本初公開は1952年なので、そのままだと当時とみこは小学生になってしまうが、何度かのリバイバル公開時のことであったとすれば、辻褄は合うかも知れません。

 一流ホテル泊まりのことなので、深夜の宴会やら麻雀やらに悩まされるとはできなかったが、その代わりの安眠の妨げとなるのは、廊下で夜更けに大声でやりとりする外国人客ら、それと窓外の景色と立派すぎるベッドのせいとなる次第です。また、朝に部屋の掃除をするメイドたちの会話が入るのは、オリジナル『東京物語』のストーリーを復元しています。ただ、それは部屋や寝間着をきちんと片付けてある、老夫婦の律儀さに驚くというかたちでした。

 
 四作いずれも、泊まった翌朝、宿の外の海岸でとみが一瞬ふらつく、あるいは手をつくという描写は同じです。これがのちの発作の前触れという伏線にされているので、欠かせない場面です。




その六へ