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三井の、なんのたしにもならないお話 その三十八

(2014.05オリジナル作成/2024.03サーバー移行)



 
 
四つの「東京物語」ノート T

三井逸友    

 
1.はじめに

 
 『東京物語』、監督小津安二郎の名とともに今なお、世界映画史屈指の作品とされる、まさに歴史的名作と言えましょう。ただし、日本で公開された当時はそれほどの評判にもならなかった、ありきたりの家族ドラマとしか扱われなかったはずで、むしろ世界から「再発見」されたというのは有名な話です。
(猪俣勝人『日本映画名作全史<戦後編>』(社会思想社、1974年刊)では、メジャーな作品を第一部で詳細に取り上げ、ちょっと小物を第二部で短く紹介、その他は巻末で題名と主スタッフキャスト名のみ列挙、という構成でした。小津『東京物語』はこの第二部の扱いで、『晩春』の方が第一部で取り上げられていました。もっとも津村秀夫『世界映画の作家と作風』(勁草書房、1969年刊)では、『東京物語』は小津の戦後作品では「最高」と記しています。)

 
 1953年の公開からすでに60年が過ぎ、関係者の多くも他界しました。この間に、『東京物語』の再映画化、TVドラマ化の動きはかなりの数に上ったと記憶します。『東京物語』に触発された作品も少なくないでしょう。もちろんそのうちでもっとも新しいのは、山田洋次による映画『東京家族』です。2013年のこの映画は、小津へのオマージュ作品であるとはっきり謳い、題名こそ異なれど、多くの設定や筋書き、台詞に至るまで、『東京物語』をなぞっているのは間違いありません。

 
 この『東京家族』までのあいだに、TVドラマとして製作公開されたものは五本あるとものの本に記されています。舞台演劇化されたものもあるようです。そのすべてを私は見たわけでもありませんが、ドラマのうち二本を見ており、また記録することもできました。したがって、私はオリジナルの『東京物語』を含め、四つの作品を比較することができるわけです。山田作品の映画のほかは、1982年の『新 東京物語』(NHK)、2002年の『東京物語』(フジTV)です。2002年のドラマは放送時に見た記憶はありますが、記録はしておらず残念な思いでした(市販DVDにはなっているらしいのですが)。それが幸か不幸か、主演の宇津井健が亡くなり、追悼として再放送され、私には再見と記録の機会を得られたのです。誠に合掌黙祷の思いです。

 
 この『東京物語』関連のドラマなどの一つの特徴は、オリジナルを書いた野田高梧と小津安二郎の脚本に比較的忠実な構成が守られてきたことでしょう。まあ、大監督の名を汚すようなことは恐れ多くてなしがたいうえ、野田高梧の娘である、やはり脚本家の立原りゅう氏がその後の再ドラマ化、映画化等に関与してきたこともありましょう。1982年の『新・東京物語』は「原作.小津安二郎・野田高梧 脚本.立原りゅう」と明記されていますし、2002年のドラマ『東京物語』では、「野田高梧 小津安二郎シナリオより」と記されています。『東京家族』は「小津安二郎監督に捧げる」とクレジットに大きく書かれています。いずれも脚本執筆は永田優子、平松恵美子とそれぞれなっているのですが、オリジナル作品の影響の大きさは当然のことでしょう。立原りゅう氏は2012年に亡くなられたそうなので、『東京家族』は見ていないわけですが。


 

 
2.映画を「時間」から考える


2-1.映画と「三つの時間軸」

 
 そういう経緯で、この四つの『東京物語』を比較検討することができるわけです。その際、一つの重要なポイントとして、映画における「三つの時間軸」というものを設定してみましょう。月並みな話ではありますが、映画というものはこの「時間軸」に沿ってつくられ、展開される映像作品であると言えましょう。写真や絵画には「静止した」時間しかありませんし、小説をはじめ書物に記されたものは、静止した時間を読み手がどのように再構成するか、あるいは自分の時間軸のなかで「利用」ないし「想像」するかにゆだねられているのです。音楽はその時間軸そのものがいのちであり、また演劇も時間軸を主要な構成要素としている点で映画同様ですが、映画は新しい「発明」であり、また演劇と違い、記録手段であることを用いて、その時間を自由に切り貼り、利用できるという点では画期的なことでしょう。もちろんTVもその延長線上のものです。

 映画における「三つの時間軸」というのは、こういう意味です。第一には、撮影された画面の時間進行そのものを中心にし、これらの中味の編集構成継続を通じ、全編で絶対的な時間の経過をなすものだということがあります。『東京物語』全135分、この中にどのような場面を組み込み、つなげていくか、そのためにそれぞれの場面での俳優たちの演技がある、そこに映画のいのちがあるわけです。個々のカットとそれをつないだシーン、それらを集めたシークェンス、これを通じて示されていくストーリーの展開、そこに脚本家の想像力と監督の思いと構想表現のすべてが込められているので、個々のカットの時間的長さなどにとどまらず、カットからのつながり、展開のつくりかたなどに監督以下製作関係者のいのちがかかっているのです。映画は「活動写真」でした。「動かない」写真が時間とともに変化をスクリーン上に写していく、これが革命的であったわけで、その時間をどのように構成操作するかということが、まったく新しい表現手段になったのですから。

 
 もう一つの時間軸はこの映画自体の構成展開の時間に深く関わる、ストーリーの描き出す仮想的な「時間」の設定と経過です。設定はまったく自由であるのみならず、表現としての時間経過と第一の時間軸が一致しているというのは普通ないので(例外的な試みが、フレッド・ジンネマンのHigh Noonであるというのはよく知られています)、映画自身のうちでのストーリーの展開を通じ、この時間の経過を自由に構築できるのも映画の特徴でしょう。初期のテレビドラマでは録画という手段がなかったので、演劇同様にリアルタイムでの進行で、無理に時間を構成せねばならなかったのですが、のちにはビデオレコーダーが用いられるようになり、フィルムに記録し、編集できる映画と同じ存在になりました。いまでは、映画の方がデジタルビデオ技術を撮影と編集に多用するようになっています。

 映像の各場面の進行の間に何十年、あるいは何百年が「過ぎた」ことにする、あるいはときには時間の経過を遡ってみる、時間を止めたり、スローモーション展開にしたりする、こうした自由な表現の可能性を大いにもたらしてくれた次第です。この辺は演劇よりもずっと自由度は高いと言えましょう。その時間の座標を置く設定もウン十年ウン百年前にでも「勝手に」選択することができるし、時間を「無視」することさえできるのです。時間の設定をどのように「らしく」見せるかも、制作と演出サイドの腕の見せ所でしょう。

 そしてなにより、演じる俳優たちが「いつの時代の」何歳頃と設定されるか、映画中でどのように「年齢」とその変化を表現するか、これは実際にはきわめて重要な表現を構成しますし、メークや衣装扮装などとともに、俳優たちの演技の見せどころでもあります。当然実際の年齢とのギャップも生じます。もちろん、セットや小道具なども「時代性」や時間の変化を込めて描くのが通常です。これらすべてが、映画を通じた意識的主観的な「時間表現」とでも言うことができましょうか。

 
 第三の時間軸は、その製作者や演技者、関係者らの意図を離れ、作品としての映画が絶対的な時間の冷厳な進行のなかにあるという客観的事実です。「時代性」という形容詞がよく用いられますが、それは関係者たちが意識すると否とにかかわらず、「いつつくられ」、「いつ公開されたのか」というクロノロジカルな位置づけを有しています。製作者たちが「時代性」だけを意識し、そこにのみ題材やストーリーや意味づけを求める必要があるわけではありませんが、結果的にはそうした絶対的な時間軸座標のうえにある事実から切り離して、映画作品のみを理解解釈するというのも不可能なことです。1950年代につくられた映画と、2010年代につくられたものとでは、題材や物語、背景にある理念や意図だけではなく、表現方法、用いる技術、機材や材料、さらには映画の撮影方式などにも非常に大きな違いがあります。いまで言えば、カラー画像はもとより、CGの駆使、デジタル技術の応用その他において、半世紀前では想像できないような手段が当たり前のように使われています。他方で、出演者はじめ、関係者もみな生身の人間である以上、時間の経過とともに歳をとり、やがてこの世から去っていきます。しかし皮肉にも、映画画像にはその人たちのある瞬間の姿と映画表現の結果が記録され、そのまま時間を止めて「生き続ける」のです。そこに写されている、自然や街やさまざまなものの姿も同じです。いわば映画は「時間を止めた、時間の缶詰」でもあるのです。

 それゆえ、ときに皮肉なことが起こるのは、画面の中で「時間の経過を演じた」、つまり自分の実年齢より歳をとった人間を演技した俳優がその後、本人自身歳をとっていく中、画面の中に「冷凍保存された」姿と現実像とが年齢的に「一致してくる」はずなのに、非常にギャップがあることが珍しくありません。人間の歳のとり方は決して十分予想想像できるものではありませんので。その意味、映画は一種のタイムマシーンでもあるわけですね。

 そして現代の技術は、はるか昔につくられた映画のフィルムをデジタル加工し、オリジナル以上の状態によみがえらせたり、色をつけて作り替えたりもできます。『東京物語』はオリジナルネガが事故で焼失、残されたポジプリントを繰り返し利用、それも相当に傷んで、鑑賞に堪えるかというところにまでの傷ものしか見られませんでした。近年デジタルリマスター化が図られ、制作当時に近いところにまで復元されています。

 
 こうした三つの時間軸といったものを手がかりに、『東京物語』の「作品研究」を試みてみましょう。


 
 

 
2-2.「時間軸」と『東京物語』

 
 『東京物語』各作品をまず並べ、それらの絶対的時間軸上の時代性を確認してみましょう。小津監督映画『東京物語』は笠智衆と東山千栄子主演で1953年に公開、間違いなくその同時代を描いた作品と理解されています。「戦後」の色濃い投影を見ることができましょう。1967年にはフジテレビの一週間連続のドラマ『東京物語』があり、宮口精二と東山千栄子主演でした。1971年には『海の見える家』と題された「東京物語」が月一回、9回分で放送され、笠智衆と三益愛子主演でした。これらの詳細はわかりませんが、おそらくそれぞれの同時代と表現されていたと思います。

 1982年にNHK銀河テレビ小説『新 東京物語』が放送され、これは「新」を謳うものだけに、完全に同時代、1980年代のストーリーに組み替えられています。1989年には、TBSの土曜ドラマスペシャルとして、やはり『新・東京物語』が大滝秀治と丹阿弥谷津子主演で放送されていますが、NHKのものとは脚本が違うようです。2002年にはフジテレビが再び、『東京物語』をスペシャルドラマとして、「FNS27時間テレビ」の中で放送しました。明らかに時代設定は21世紀初めを前提にしています。そして、2013年になって、映画『東京家族』が公開されたわけですが、これは2012年の状況設定であることが、「東日本大震災」への言及からわかるうえ、はっきり実年月日にも言及されるし、ストーリー自体が相当に変更されています。

 
 「時間」ということで言えば、第一の時間軸としての各編の実時間数を比較してみましょ う。『東京物語』は意外に長く、全編135分となっています。NHKTVの銀河テレビ小説として放送された『新 東京物語』は各回20分、全20回の構成でしたので、いちばん長くて計400分となります(タイトルなどは毎回放送されますので、実際のドラマ部分はこれより短いのですが)。フジテレビのドラマ『東京物語』(2002)は2時間枠で、したがってこれがいちばん短くて実質110分足らずです。映画『東京家族』は146分と表記されています。無論時間の長短が作品の出来を左右するというものではなく、その時間展開をどのように構成し、意味あるものとするのかが重要なわけですが。




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