idle talk37

三井の、なんのたしにもならないお話 その三十七

(2014.04オリジナル作成)



 
 
「"No, don't even bother buying one." (兄さんが買ってくれたものであってもノー)」
  −おいおい!?


 
 
 
 ここ、「なんのたしにもならないお話し」ではあえて、「旬の話題」には触れない方針ですが、と申しながら、そのうえ「時事ネタ性」や「社会問題」でもないのに、まさしくどーでもいい話。


 「ネットサーフィン」していたら(これも古すぎ)、「リクルートスーツにブラック着ていくなんてとんでもない、ドレスコード違反もいいとこ」と主張されるblog記事を見つけました。

 おっしゃることは私ももっともだと思うし、まったくもって葬式なのかと言いたくなる昨今の若い人たちの服装なので、ちょっと興味を持って読んでみました。だいたい、「リクルートスーツ」なるものが気にくわないのですが。


 ところがびっくりしたのは、そのブラックスーツ批判の証左として、米国でも間違ってブラックをやたら着るひともいるが、こう批判されるという文例をいくつか引用。そこに………
 「“No, don't even bother buying one.” (兄さんが買ってくれたものであってもノー)」


 え?え??えええええ?????


 まあ隠しジョークのねらいだったのかな、とも想像してみましたが、どうもそうではなさそうで、引用されたご本人、大まじめのつもりらしいのです。もちろん、ご本人の記述通りにコピペしましたので、ウソねじ曲げこじつけはいっさいありません。「ママ」と添えるヤツであります(文献考証学的に)。


 「botherって書いてあるだろ、brotherかよ」などと、あまりの突っ込みはあえて申しません。
 この三回転空中ヒネリみたいな「珍訳」には、もう脱力感あるのみです。


 このような、気がつけば恥ずかしくて穴に入りたくなるような誤訳は、誰でもやりがちなので、揚げ足取りの極致みたいなことは申すべきでもないのかも知れませんが、それにしてもです。



 そういった「目線」を承知のうえで、それでも記すとなれば、この書かれたひと、ちかごろのトレンドそのものの「ノマド」だの「ビットコイン」だのを語り、大いに受け、「世をリードしている」人のようなので、あえて揚げ足をとるのも僻目だけではないと自己弁護できましょう。載せているblogマガジン(?)もそれなりに権威のある存在のようで、高飛車ゴーマンな「ご高説」がよく目立っているものでもありますし。



 私は、こういった「??」と思う件を見つけた際には、しいてはご本人にe-mailなどで個人的にお伺いないしご注進をするという慣習なのですが、この方、さすがソーシャルメディアフル活用をされているようで、twitterだのSNSだのというところからでないと、声もかけられない仕組みです。そういうものにはいっさいかかわらない私としては、このようなかたちで、公に記すしかありません。


 ご覧の方がた、では「No, don't even bother buying one.」を日本語でなんと訳すのがベターか、ぜひお考えください。まあ、「bother 〜ing」の理解ですよね。「受験英語」も役には立つという根拠のかけらくらいにでもなりましょうかな。



追加の説明

 この「珍訳」、あらためて考えてみるに、「bother」を「brother」と思い込んだ、そこから間違いが始まっているのは想像できるものの、すごい解釈ではあります。「No」とは、日本語的な「ノー」じゃないよ、「ブラックスーツはノー」なんていうのは日本語だよ、そこが第一の落とし穴。もしそう「解釈」したら、こんどは「don't」の行き場がないだろう、これは否定の命令形だよ、それ完全無視が第二の穴。「buying one」を「買ってくれたものであっても」と「解釈」するに至っては、この人悪いけれどEnglishというものがまるっきりわかってない、と申さざるを得ない。そんなのは逆さに振っても出てこない、自分でふくらまさせた想像の産物。全体として、この人は「感覚で」英語表現を理解している、要するに個々の知っている言葉をつなげ、こんな意味なんだろうと日本語の文意構成の中で想像(創造?)をしてみる、そこまでなのですよ。これは大昔に、エイゴの「珍訳ジョーク」として聞いた覚えのある、「Spring has come」を「バネを持ってこい」との日本語にしたという与太話、これに近いですな。

 こういう人は自己中であるうえに想像力が豊かなので、ネイティブイングリッシュスピーカーらの中に入っていっても、難しいことにこだわらず「何となく」通じ合ってしまう、「わかったつもり」になれてしまう、得な性分のタイプだと思います。「対話」現場での一つのつよみです。ただし、それは言語系・表現形態としてのEnglishがわかっているわけではないので、間違っても「翻訳」など試みてはいけません。世の中に大混乱をもたらしますよ。




おっとっと

 うえの記述を公開したのは、2014年4月6日夜のことでした。


 さすがに、ご本人にご注進のひともいたのか、また私のほかにも「バカじゃないか」とtwitterに記したひともいたせいか、4月7日にはこっそり書き直していました。



 こんどは、「“No, don't even bother buying one.” (ノー。買う必要すらありません)」となっており、だいぶ改善はされております。

 しっかしね、黙って、「なかったことにする」というのもいかがなものでしょうか。読者への謝罪や訂正の理由なども、一切記されておりません。



 幸いにして、私はちゃんと「魚拓」をとっておきました。
 こういうこともあろうか、「そんなの知りません」とシラを切られ、でっち上げでの誹謗中傷だと居直られても大丈夫なように、事前の対応はしておいたのです。


 それが以下です。

 


 まあ、やっぱりひとさまに「かくかくあれ」などと説教する人はそれだけ、自分のミスはきちんと詫びるべきだと思うのですが、どうなんでしょうかね。




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