idle talk33

三井の、なんのたしにもならないお話 その三十三

(2013.05オリジナル作成)



 
 
え?同名のひとがいたの!?


 
 
 世の中、同姓同名というのもそうは多くはないでしょうが、それでも同姓はもとより、同名というのも珍しくはないでしょう。もっとも近頃はやりの「きらきらネーム」なら、そういったこともないのでしょうが。
 
 私自身は「三井」姓なので、よく「あの三井家とご関係でも?」などと聞かれます。幸か不幸か、まったく関係ありません。あちらは伊勢商人の家柄だそうですが、なんにも接点がないので、おそらく信州片田舎の我が方の先祖が、「井戸が三つあったんで」そう名乗ったのでしょう。「あっちは金持ち三井、こちらはビンボー三井」と区別を説明しております。
 
 
 同姓というのはいいのか悪いのか、なんとも申せないところですが(以前、某銀行支店の窓口で、私の名を呼んだ係の女性が、どういうことか笑いを抑えられないようでした。こっちは客なのに、失礼な)、私の名前となると、これはまず絶対に同名の人はいないだろうと長く信じておりました。実際、いまだかって目にしたこと聞いたことがありません。

 ところが、それがいたんですな。
 
  湯田逸友選手移籍

  レイジェンド滋賀FC 選手紹介


 活躍するサッカー選手のこの人、私とはどうも違いすぎのところばかりです。もっとも読みも「逸友(はやと)」と読むんだそうですから、これから私もそっちに改称しようかな。
 
 いずれにしても、奇跡的同名となれば、なぜか親近感もわきます。若いサッカー選手のようなので、ぜひ活躍をしてほしいところです。 
 
 それにしても、これはいくら何でも、単なる偶然にしてはできすぎの観があります。ご本人にも命名のゆえんを聞いてみたいところですが。
 
 
 

 言うまでもなく、私の名は父が自分の名の一部をとってつけたのでして、まあ親の恩に文句を言うことはできないにせよ、自分としてあまり気に入っているわけでもありません。
 
 私の父親は「為友」でした。もちろんこれも源氏の血筋云々は関係なく(字が違うよ)、どうやらその父である祖父がかなり気まぐれにつけた観があります。父の兄弟には男がほかに五人もいるのですが、「友」のつくのは誰もいないし、お互いむしろばらばらの命名で、はて、というところです。
 父も自分の名を気に入っていたかどうかは、いまとなってはわかりません。今どきなら、歴史の授業のたびにいじめの対象にされていたかも。
 いちど父のところに「偽友」宛の年賀状が来たこともありました。もちろん本物であります。
 
 ちなみに、私の兄も「斌友」(タケトモ)というのですが、これも珍しい方でしょう。普通は「斌」では読みで変換されない、こじつけ読み仮名なのでしょうが、まあ「文武両道」でかっこいいかも。しかしその兄も自分の子の名に「友」はつけなかったので、これで絶滅かと思いきや、親戚には「勝友」というひともいました。
 
 
 きらきらネームほどじゃないのに、やはりちょっと困るのは、この私の名をきちんと呼んでくれるひとが少ない点です。「太郎」だとか「浩一」などというのと違い、あまりにいそうにないので、初対面のひとは迷ってしまうのですな。
 実際、こんなわが名の読み間違いに気がついた経験もあるくらいです。

 
 しかしそれ以上に、いまどき困るのは、インターネット時代のおかげで、同姓同名が世の中にいないと、いいこと悪いこと、すぐにばれるわけですな。名指し検索すれば一発的中になってしまうのです。絶対に「同名の別人でしょう」と逃げるわけにいきません。
 
 まあそのネット検索のおかげで、この同名の人も発見したのですが。

 
 
 なお、だいぶ前に「イツトモ」という社名の企業を発見したことはあります。
 株式会社イツトモ

 三重県の方ですが。
 
 偶然とは恐ろしいもので、私も兄も通った高校の下車駅、そこをいままた私は50年ぶりに乗換駅にしているのですが、この駅前にやはり、「株式会社タケトモ」という看板が大きく出ているのです。できすぎの話しですね。
 
 
 いやはや。たとえ同姓同名ではなくっても、なんか自分が生まれ変わったような、いやすくなくとも「生まれ変わり」かクローンのひとを見つけたような、感激と申すべきか、ちょっと妙な気持ちです。なんせ人生初体験のことなので。

 フツーのお名前をお持ちで、世の中において数え切れないほど同名のひとに出くわしている方からすれば、なにをいまさら、の騒ぎでしょうけれど。

 私のように、世の中に同姓同名といったような人がまるでいない、似たような名前さえないというと、うえに書いたように、いろいろ一発バレバレになるのも悩みではありますが、逆に、同姓同名のひとが少なからずいて、混乱を招くのもよくある悩みではありましょう。そっちは世の中に一騒ぎをおこすことが珍しくはないわけです。

 いまもいまとて、ひるどきにTVをつけていたら、「藤本○宏」というタレント(俳優?)の人がゲスト出演していました。知ってるひとは知ってるでしょうが、まったく同姓同名の人が経済経営系の研究者で、かなりの著名人なのです。東大教授を務めておられましたな。これは大混乱の元になりましょう。
 web上での「知名度」「検索回数」はどっちがうえなのか、野次馬的には興味津々でもありますが。まあ、「東大教授兼タレント」なんだなんて、勘違いする人はあんまりいないでしょうけれど。





大物登場!                                 <2014>


 断るまでもなく、「逸ノ城」ですよ。


 十両のうちから、私としてはひそかに注目しておりました。

 そして、2014年秋場所では準優勝の大活躍、一気に人気力士に躍り出ました。


 ご本人はモンゴル出身(正真正銘の「ノマド」!)なので、漢字とは無縁でしたが、「逸」の字の由来は、実名の読みからとともに、「逸材」の意を込めたのだそうです。

 そうですよ、「逸材」なのですよ。


 まあ、こちらも読みは「いちのじょう」ですから。かといって、私も「いちとも」とはいかないですかな。ただ、これで私の名前の文字をひとに説明するのに、やりやすくなります。「逸ノ城の字です」で済みますから。「同名」であるわけじゃないけれど、近くて有り難いことです。



 


<2020>

いやあ、超大物こそわが名のルーツ?

 残念ながら逸の城はいまいちぱっとせず、いまもなんとか、辛うじて幕内にとどまっているような状態です。やはりあの身体では無理がある、もっとスリム化すべきでしょう。故障でどん尻まで下がりながら、奇跡の復活・三役回帰を遂げた照ノ富士とは対照的。ま、これは私のせいじゃありません。


 ところが、今頃気がついた重大な事実。阪急電鉄の創始者、昭和の企業家の範たる小林一三氏は「逸翁」という号を持っていたのですな。「いちぞう」ですから、通じますね。現在も、氏の収集美術品を展示する「逸翁美術館」があります。これこそ、わが名のルーツとせねばなりません。小林一三氏のエピソード、とりわけデパート食堂での「ライスだけ顧客歓迎」のお話など、何かにつけて引用していたのに、なんといううかつでしょうか、70年越しの。


 私の父が、この小林逸翁にあやかって、名をつけたのかどうか、残念ながら生前聞き漏らしました。氏の生地は山梨県韮崎市だそうなので、まんざら無縁でもなさそうなのです。父の生家からそんなに遠くないですからね。
 私もそれこそ、「翁」の歳になっているので、いまさらながら「三井逸翁」と名乗ろうかな。いや、これは本家から訴えられること確実でしょう。いずれにしても、一度逸翁美術館を訪問し、しっかり記帳をしたいところ。でも、現下の世界的パンデミックじゃあ、それこそいつのことか。



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