三井の、なんのたしにもならないお話 その二十一

(2006.7オリジナル作成/2024.3サーバー移行)


 
 
「whirlwindつむじ風」=「凄絶!ベルリン空爆」?ジョーダンもよせよ:
 DVD「The World at War」日本語版珍訳の数々


 
 英国でつくられたTVシリーズ、「The World at War」というのがあります。
 つくられたのは1973年から74年、もう30年以上も昔ですね。


 第二次世界大戦(The 2nd World War)からまだ30年たっていない、もちろん記憶はそろそろ遠のいてきた時期ではありますが、「あの戦争とは、そしてそれを生き抜いてきた自分たちとは、なんだったんだ」という思いが鮮明でもあった、その記憶自体の記録という意味ですぐれたものと思います。ですから、「World War」をパラフレーズして、「The World at War」、言いかえれば最前線から銃後に至るまでの「戦時下の世界」を再構成しようとしたものと言えましょう。

 当時としては非常に貴重な映像記録が数々集められ、また当事者たちが多数、カメラの前でその記憶を語りました。30年以上も過ぎれば、その多くの人たちはすでにこの世にいません。ドイツ軍需産業の立役者・アルベルト・シュペーア、先に話題となった映画『ヒットラー最期の12日間』のもとである回顧を語ったヒットラーの秘書・ゲルトラウト・ユンゲも登場します。もちろん米英ソなどの多くの軍人や元兵士も、空襲下を生き抜いたロンドンやベルリン市民も、恐怖の収容所の生き残りもそれぞれの経験を語ります。その一方で、ごくのちにいたるまで、前線の惨状と殺戮と破壊とは無縁のような「平時の市民生活」が英国でもドイツでも営まれていたと、映像は物語ってくれます。「戦争の現実」とは、今日でもまったくそうであるように、一見遠い世界のできごとでもあるのです。


 英国のTVシリーズなので、ヨーロッパの戦争、さらには英国の戦いが中心となりがちであり、日本や太平洋、東アジアの戦争についての部分が相対的に少ないことなどは否定できません。かのビルマをめぐる攻防も、旧植民地を奪われ、さらにインドも脅かされた英国の視点が中心に描かれているのは事実です。しかしそれはそれでやむないことでしょう。日本でつくられれば日本中心の構成になるのは同じことですから。

 さらに、今日の映像考古学的な方法を駆使すれば、あるいは怪しい映像もないとは言えないところもありましょう。その場面の「現場」において、映画カメラによる画像が撮られていたはずがない、どこかの使い回しの画面であろうとか、間違った記録のために間違ったところで用いられているとか、そのような事態はなかなか避けがたいものです。飛行機の空中場面とか艦船の航行場面になると、ほとんどの場合怪しいのはいずこでも同じでしょう。しかしそれらを割り引いても、「歴史」というものに画像と証言を通じて向き合う、いまさらながら戦争の実相とその惨禍、人間の残虐性を目の当たりにする、政治「指導者」や軍人といったものたちの、制服や演壇を降りてカメラに向き合って見える、みすぼらしい人間性と言い訳の数々を歴史の過去のうちから発見する、「群衆」は単純に驚喜し、陶酔し、無自覚に残酷となり、そして見捨てられることをみずから示している、個々の人間の「勇気」や「犠牲的精神」といったものもしょせんは限りあるもの、なかばむなしいものと実感する、そういうことができるのは、映像の持つ力そのものでしょう。もはや制作者たち、いなオリジナルフィルムの撮影者たちの意図さえも遙かにしのいでいます。


 このシリーズは製作放映当時から非常に評判になり、名優ローレンス・オリビエのナレーション(このひとももはや故人です)、悲しくも美しいタイトル音楽、鮮烈な印象を残すメインタイトル画面とともに語りぐさになったようです。私はそれから10年後にも、何度もTVで再放映されるのを見る機会がありました。そして当時から、ビデオ版が市販されていました。しかし相当高いし、全26話にものぼるシリーズは大変な分量にもなるし、関心のあった巻だけをいくつか買い求めた程度でした。

 実はその後、日本でも日本語版ビデオが市販されるようになったのですが、高い、かさばるという点は解決されませんので、二の足を踏んでいました。最近ようやく、日本語版のDVDが発売され、全巻でもそう高くもないので、思い切って買うことにしました。もちろん本国ではオリジナル版のDVDがすでに発売されています。


 買えば、やはりこの映像は圧倒的な迫力であり、オリビエの重厚なナレーションも、日本語字幕がついていれば、一言一句間違いなく理解はできます。もちろん、オリジナルと違った字幕の用語や文脈もないことはないのですが、まあ「許容範囲」ではありましょう。

 しかし、どうにも我慢ができないのは、全巻につけられた「秘録第二次世界大戦」などというひとを小馬鹿にしたような邦題(このシリーズのどこにも「秘録」などありません、すべては語られ尽くした「歴史」の再現なのであり、だからこそ意味があるのです)はじめ、各巻、またその中の各チャプターごとにつけられた日本語でのタイトルや説明です。その言葉と「歴史」に対する耐え難い鈍感さは、この日本版の関係者の知性をあまりに見事に語ってしまっており、ひいては「日本人」の感覚を象徴しているようなかたちになっています。いや、私個人は少なくとも、こんな連中に「象徴」はしてほしくはないと思うのですが。

 たとえば、「ビルマ戦線、死のインパール作戦」(第14話)です。実際には日本人の記憶鮮明なインパール作戦はほんの一瞬しか出てきません。多くは、ビルマからの英軍の後退と反撃、一進一退の攻防、コマンド作戦、ジャングルでの戦争の過酷さ、数え切れない犠牲が主に描かれているのです。もちろん、英国人がいまに至るまで、日本人への最大の憎悪・怨嗟の原因としている泰緬鉄道建設などでの「捕虜虐待」は延々と描かれています。そしてなにより、この巻の原題は、「It's a lovely day tomorrow」なのです。直訳すれば、「明日はきっといい日なのよ」というところでしょう。これは当時の英国の流行歌の題名であり、そしてこの歌を歌った人気歌手はビルマ戦線の前線に慰問に行き、兵士たちの心を和ませた、その場面が本人の回顧とともに登場しているのです。降り止まぬひどい雨、底なしのぬかるみ、ジャングルのからみつく草木と虫、獣、マラリア、そのどん底にあった兵たちには、「明日こそいい日だろう」という反語的な言葉がかすかな希望のしるしでもありました。「死のインパール作戦」なんかじゃありません。



 ともかく、どうにも我慢できないこの「日本語版タイトル」の数々なので、ここに全訂正版をつくって、鈍感な人たちにお返しをしたいと思います。



原題「日本語版」記載正訳
The World at War
 
秘録第二次世界大戦戦時下の世界
A New Germany新しいドイツ新しいドイツ(これはOK)
Distant War独軍ヨーロッパを蹂躙遠い戦争
France Fallsフランスの崩壊フランス降服す
Aloneロンドン大空襲孤立
Barbarossa独ソ全面戦争へバルバロッサ作戦
Banzai日米全面戦争へバンザイ
On Our Way太平洋戦争、アメリカ参戦我が道を行く
Desert砂漠の狐、ロンメル戦車隊砂漠
Stalingradスターリングラード攻防戦スターリングラード
Wolf Pack大西洋海域、Uボートの栄光と悲劇群狼作戦
Red Starレニングラード攻防戦赤い星
Whirlwind凄絶!ベルリン空爆つむじ風
Tough Old Gutシシリー島攻防戦したたかな老兵たち
It's a Lovely Day Tomorrowビルマ戦線、死のインパール作戦明日はきっといい日
Home Fires戦時下のイギリス銃後の日々
Inside the Reich暴露されたヒトラー暗殺計画第三帝国の内側
Morning史上最大の作戦、ノルマンディー上陸夜明け
Occupationドイツ占領下のオランダの惨状占領
Pincers解放されるヨーロッパ挟撃
Genocide死の収容所アウシュビッツの悲劇ジェノサイド
Nemesisヒトラーの最期天罰
Japan一億玉砕・日本銃後の記録日本
Pacific太平洋海域の戦い太平洋
The Bomb原爆投下原子爆弾
Reckoning総決算総決算(これはOK)
Rememberレクイエム記憶



 例をあげますと、「Alone」では「ロンドン空襲」はごく一部のできごとです。ロンドンが空襲されたのはBattle of Britainの一エピソードでしかなく、むしろドイツ空軍の誤算の産物でした。多くの都市や交通網、軍事施設の破壊こそが重大深刻であり、この間英国は事実上孤立無援で、最悪の危機にあった、そのことが主題でした。

 「Red Star」ではたしかにレニングラードの包囲が大きなエピソードでしたが、ソ連邦が軍需生産を回復し、軍備を整え、反攻に出た、そしてこの間に市民は深刻な犠牲を払いながら「愛国心」で耐えた、このことを描いていたのです。

 「Tough Old Gut」はモンテカシノ攻防などの中部イタリア戦線を生き抜いた兵たちの「古強者」ぶり、一方での数々の連合作戦の勘違いが取り上げられますが、シシリー上陸はあっという間に終わってしまいます。「Whirlwind」ではベルリン空襲など最後にしか出てきません。多くの軍事施設や都市や工場への爆撃が地上の市民にも空中の搭乗員たちにも双方に、多大の損害を出したこと、その一つ一つが淡々と記録されています。しかしそれでもドイツのモラールをくじけなかったことが指摘されるのです。

 同様に、「Inside the Reich」でヒトラー暗殺のワルキューレ作戦はほんの一部です。あくまで「帝国」の内情が淡々と描かれています。そして、ヒトラー暗殺計画は「暴露され」ることなく決行された(しかしヒトラーは死なず、失敗に終わった)のですから、これは間違いでさえあります。「Occupation」では大戦末期のオランダが連合軍にも見放され、飢えと寒さに苦しんだ惨状も出てきますが、占領下のオランダはむしろドイツに協力的でさえあった、「占領」のこの現実が示されるのです。

 「Morning」は「朝」だけではなんだかわからないので、「ノルマンディ上陸」とそのものを題にしたくなるのはわかりますが、「史上最大の作戦」は頂けません。もちろんこれは1962年の20thFox映画『The Longest Day』の邦題が「史上最大の作戦」となったのをそのまま頂いてきたのはわかりますものの、この題名自体いかにも陳腐で空疎です。原作者コーネリアス・ライアンがロンメルの言葉を借り、1944年6月6日をして、「一番長い日」と予想させた、まさにその通りとなった事実を淡々と描いたのに、こけ脅かしになってしまいました。近頃はまた芸のないことに、原題をそのままカタカナに直すのが大流行りでげんなりしますが、なんでも「最大」だの「作戦」だのとつければあたるだろうというこの時代の安直さがまたあからさまです。もっともDVD日本語版のこの巻の一チャプターに「一番長い日」という邦題をつけたのは、その意味かえって新鮮率直でした。

 「Genoside」はヒムラーと親衛隊が人種主義を極限にまで広げ、ユダヤ人の抹殺を組織的計画的に実行に移した、ジェノサイド政策の恐ろしい展開過程と、「普通の人間」たちが当たり前に殺戮という「仕事」を遂行した事実が語られます。ジェノサイドの数々のうちで、アウシュビッツ収容所は一コマでしかありません。そしてワルソーゲットーの絶望的な蜂起はほとんど満足な武器もないまま30日以上も続けられ、そのもようの一部は映画フィルムに記録され残されているのです。一方、ゲッペルスと親衛隊は、「移住したユダヤ人たちの幸福な生活」のプロパガンダドキュメンタリーをつくり、ドイツ国民たちに信じ込まさせていました。というより、ドイツ人たちはそう信じたかった、そのおあつらえ向きの「画像」が与えられていたのです。いま、ヤスクニ派が展開しているプロパガンダのように。



 個々のチャプターの題名となると、もう抱腹絶倒になってしまいますが、とても全部は取り上げられません。また、これは日本語版で勝手につけたもののようなので、原語との対照というわけにはいきません。一部の楽しい例のみ引用しましょう。

「日本語版」記載正訳解説
1話 ヒトラー帝国の確立粛清と懐柔もちろん「ヒトラー帝国」などという名はない、ここでは主に突撃隊粛清と軍部懐柔で権力を強化したことが示される。
4話 ダンケルクの大敗北ダンケルク撤退現在もダンケルクの戦いは「敗北」とは認められていない。最悪の状況下で英仏軍多数が脱出できたのは「勝利」であったということになっている。もちろんこの巻のなかでもそう説明されている。
4話 チャーチル徹底抗戦へ戦時体制強化子供たちの疎開、軍需生産拡大、ホームガードの編成などで、チャーチルの「徹底抗戦」ではない。
6話 贖罪天皇の軍隊「贖罪」など少しも出てこない、天皇の軍隊の絶対権威、その天皇を利用して膨張主義をすすめた軍部を取り上げ、戦後も「A級戦犯」の慰霊を続ける人間たちに注目する。
8話 砂漠の狐神出鬼没のロンメル軍団ロンメルを英軍は砂漠の狐と呼んだが、本人が称したわけではない、ここではアフリカ軍団の機動戦で英軍が大後退を余儀なくされたことを取り上げている。
10話 Uボートの逆襲デーニッツの賭け次第に体制を整える連合軍の対潜防衛に損害は拡大、海軍総司令官となったデーニッツは大量のUボートを就航させ、反攻に出ようとするが、さてというところで次の決戦のチャプターに移る、「逆襲」はならず。
11話 遊撃戦包囲下の厳冬ドイツ軍包囲下のレニングラード周辺でパルチザンの遊撃戦も行われたが、主には寒さと飢えで多くの死者を出しながら耐え、春を迎えて交通網を回復、よみがえったレニングラードの話し。
13話 ムッソリーニ救出作戦ケッセルリンクのイタリア防衛作戦ドイツ特殊部隊のムッソリーニ救出は一瞬しか出てこない、主にはケッセルリンク麾下のドイツ軍がいち早くイタリア中部に防衛線を敷き、不揃いな連合軍が困難に直面したことが描かれる。
16話 国民を操るナチス偽りの「勝利」と豊饒ナチ党が操ったことではなく、勝利に酔うドイツ国民と彼らを満足させる「豊かな生活」、平時の秩序とナチズムの矛盾が取り上げられる。
18話 圧政と抵抗圧政と抵抗、懐柔と協力うえにも示したように、オランダが「占領下」に、ナチスの圧政と闘っていたなどという印象にするのはなかば間違い。ユダヤ人への弾圧、少数の抵抗者たちの果敢な宣伝やストやゲリラ戦の一方で、大多数のオランダ人は「変わらない」生活に浸り、また一部はオランダ国家社会主義党や少年団に加わり、「汎欧州主義」と反共の立場から積極協力し、親衛隊にもおおぜいの参加者があったことを見逃していない。
19話 遠すぎた橋マーケットガーデン作戦の挫折言うまでもなく、これも英仏製作映画の題名をそのまま頂き。単に芸がないだけじゃなく、ライアンの原作(邦題『遙かなる橋』)が1974年刊、映画が1977年なのだから、1974年製作のこのTVシリーズのなかに持ち込むのはルール違反でもある。この語も英第一空挺軍団長ブレアトン中将の迷言からとられたので、その意味無理ではないが、もちろん中にはいっさい出てこない。



 ま、逆の意味で少しやり過ぎかも知れませんが、いい加減な言語感覚がまっとうなものに取って代わられては困ります。少なくとも原製作者たちは、それなりの重みをもって原題などをつけているのであり、なんでもうけりゃあいいというものではありません。
 さらにこのDVDセットアルバムの「解説」などに至ってははっきり申して言語同断、単なる戦争オタク程度の人間がえらそーに軽薄千万な知ったかぶりを書いているので、唖然とするばかりです。ま、おそらくこの記述を原製作者サイド等に一言も伝えてはいないでしょう。もっとも伝えたくても、その関係者ももうほとんどこの世にはいないかも知れません。

 このように、「戦時下の世界」の記憶は年々遠いものとなり、生々しい現実感覚を奪われ、単なるエンタテイメントの一部でしかなくなっていきます。ここに集められた画像も、近頃のハリウッド映画のCG駆使の「迫力」に比べたら、実に「インパクト」のない、ぼやけた火と煙と飛び散るなにか(もちろんほとんどがモノクロ)でしかありません。

 しかし、これが「戦争」なのです。戦火の下でも「世界」は存在し、個々の人間の肉体も感情も知性も、その思考と労働の成果もすべてを破壊し、焼き尽くし、そしてなお、「世界」は生き続けてきているのです。画面に焼き付けられたすべては、その姿であり、カメラに向かって語る証言者たちはその中で生き残ってきた人間そのものです。戦後60年という時間の流れは生き残ったものたちも、その声を残そうと試みたものたちも、みな「過去」に押しやってしまいました。生者も死者も等しく、この世からは姿を消されていきます。しかし、画面のなかに半永久的に生き続けている「画像」がのちの世界になにを語っているのか、私たちはつねに問わなくてはなりません。




おまけ

 このTVシリーズ日本版に限りませんが、非常に抵抗感ある「訳語」の一つは、距離や重さの単位として語られるものをことごとくメートル法に換算翻訳するという「規制」です。英米などの人間が「ほんの20フィート先には」とか、「1日に100マイルも進撃し」などと語っているのを、なんで「6メートル」、「160キロメートル」などと換算しなくてはならないんですか?「50」とか「100」とかいった数字感覚があればこそ、言葉としての表現に意味があるのです。そんな中途半端な数字を誰が日常的に意識をするのですか?

 かつてこの国には、鯨尺を売っただけで逮捕されるという恐ろしい「単位強制権」が国家に与えられており、実際逮捕者続出で「悪徳商人呼ばわり」されたため、著名なタレントが「大工や裁縫の日本の伝統の技を守るためには逮捕覚悟でボクは鯨尺を売ります」とやったら、国家権力は引っ込んでしまいました。しかし、まだ映画・TVの世界ではこの国家強制が生きていることは間違いありません。そして誰一人それに異論さえ唱えません。唯々諾々と、西部のカウボーイが「あの重さときたら、4.5キロはあったかと思ったぜ」(「10ポンド」のこと)、「隣の町までは軽く120キロはあるだろう」(「80マイル」のこと)なんて語っていることにする、そんな字幕や吹き替えを今もってやっているのです。

 もしこういった「単位換算」が法的義務で、メートル法以外、インチだのマイルだのポンドだのというような違法用語を使っちゃいけないのならば、「里」だとか「間」だとか、あるいは「貫」だとか言ってもいけないのですよね。ですから「水戸黄門」あたりでも、「この先五里も歩かねばならないのは難儀じゃろう」なんて台詞を言ったら違法なんで、正しく、「20キロも歩かねば」と言わせなくちゃいけないはずです。ま、そうすればこういった「規制」が文化の破壊であることがようやく理解されましょうが。




いまも健在のひと

(2017.3.18)


 「戦時下の世界」第14話 It's a Lovely Day Tomorrowには、うえに書いたようにこの歌を歌い、ビルマなどの前線を慰問した英歌手Vera Lynnの姿の画像も出てきます。


 そしていま、なんと彼女は満百歳を迎えて健在であるという記事が出ました。『東京新聞』2017年3月18日付です。

 正直、私も知らなかったし、信じられないことでした。この第二次大戦期の映像記録に写された人びとのうちで、いまも健在のひとはごくまれ、とりわけ著名人はと思い込んでいたのに、です。すごいことですね。「地獄のような」ビルマ戦線の前線にまで足を運び、兵士たちを慰問した御本人が。しかも百歳にして新アルバムを発表したという。





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