三井の、なんのたしにもならないお話 その十三

(2001.12オリジナル作成/2024.3サーバー移行)


 
 
西部戦線イジョーあり



 
 今日、仕事の帰りがけに、新しくオープンした、パソコン・ソフトなどのメガストア、「○フマップ有楽町店」というのを覗いてみました。駅をはさんでの、「△ックカメラ」との激しいバトルが展開されていると思いきや、意外に店内は静か、あのけたたましく神経に障るコマーシャルソングも流れておらず、そして客の数も静かめでした。

 店を出ようとして、出口近くの広いスペースを占める、DVDソフトのコーナー、そこに足を止めてみると、さすが広い店内だけあって、発売中のDVDもジャンル毎などに整理され、展示されています。

 その一角に、「西部劇」というタイトルのもとで、なるほどアメリカ人がテンガロンハットなどかぶってピストル構えた絵のやつがいろいろ並んでいました。目を移していくと、そこに「西部戦線異状なし」のタイトルが!!!!!

 そうですね、「西部」戦線です。たしかに「西部劇」でしょう。まあ、「西武沿線」の誤植でもないので、これは「ウェスタン」と「分類」するに、誰も間違いとは申せません。

 原作者、エリッヒ・M.レマルク、監督、ルイス・マイルストン、みんな墓の中で絶句し、ひっくり返っていることでしょう。


 この映画をご覧になっていない方のために記しておけば、レマルクが自分の体験をもとに書いた第一次大戦の前線の悲惨を、ハリウッドが映画化(1930年)、原題「All Quiet on the Western Front」で、ある意味では今日まで、「戦争の実相」を描いたほとんど唯一の映画作品と言ってよいでしょう。もちろん、ドイツの兵隊たちが英語をしゃべるのには違和感はありますが、このほとんどトーキー初期の映画がここまで、戦場を描いたことが与えた、当時の衝撃は驚きに余りあると思います。

 この映画が当時の日本ではずたずたの「検閲カット版」でのみ上映が許され、「幻の映画」と称されました。その後も完全なネガが容易に発見されず、戦後日本ではようやく、1965年に「完全ノーカット版」(133分)というのが公開されたのです。もちろん私が見たのは、これです。

 以来、TV放映やビデオ発売版にもいくつかありまして、はじめに出たのはこの「完全版」より30分も短いインチキ版、ほとんど「検閲済み」と同じしろものでした。その後、NHKが長時間版をどこから仕入れたのか放映し、それと同じものが現在は発売されています。この店頭のDVDもそれのはずなんですが、どうも公称は、133分より長いんじゃなかったかとも思います。よくわかりません。


 ちなみに、原作「Im Westen nichts Neues」の翻訳出版以来、邦題は「西部戦線異状なし」であります。実にできた訳と思います。これがよく、「異常なし」と間違って引用されるんですな。しかし、原題から申せば、これはやっぱり「異常」ではなく、「異状」なしでなくちゃいけないのです。異常=abnormalのことではなく、異状=普通とは異なった状態、強いて言えばunusual といった意味が、この「all quiet」ないしは「nichts Neues」(つまり新しいことはないというのが直訳ですが)には込められています。その言語感覚のわからないひとは、この小説でも映画でも、やはり理解はできないでしょう(これをパロッた、くだらない日本映画は、題名だけは「就職戦線異状なし」となっていて、正確でした。やっぱり同業のギョーカイ人だからでしょう)。それに、これはいわゆる「軍隊用語」なのです。


 いずれにしても、「西部戦線」が「西部劇」にまでぶっ飛んでしまえば、そんなこんなも論外で、どーでもよくなるでしょうが。もっとも、たしかに「西部劇」なんていうのは、よく考えてみると訳のわからない「ジャンル」でもありますが(少なくとも、静かな狩猟・農耕民族の暮らす土地に、野蛮凶暴な侵略者たちが押し寄せ、土地を奪い、近代兵器で手当たり次第殺戮しまくる、あるいはこれと果敢に戦う「自由の戦士」たちのお話し、とは誰も「定義」はしていない。そうなれば、これは「西部」劇じゃなく、「ランボー・怒りのアフガン」の方だったのかも)。



 こういった「爆笑もの」のお話しは拾っていくと、数限りなくあります。

 最近は少なくなったかも知れませんが、ひところレコード屋へ行くと、「クラシック」と書かれた、ひとのよりつかない寂しい一角のまた隅に、「宗教音楽」なんていう札のついたボックスがひっそりありました。そこで「定番」的によく置かれていたのが、カール・オルフの「カンタータ カルミナブラーナ」というやつでして、その勢いに押されて、復活した「中世音楽」としての「カルミナブラーナ」まで、このボックスに並んでいたりしたものです。

 これがなんで「爆笑もの」なのかというのは、若干説明を要することですが、いちいち記すのもなにかつまらなくなるので、お読みの方の想像力にお任せしましょう。ま、「カルミナブラーナ」は「反宗教曲」に入れた方がもう少し適切ではなかろうか、ということです。「カンタータ」=「宗教曲」というキョーフの解釈のおかげと思います。

 おかげさまで、プロコフィエフ「カンタータ アレクサンドルネフスキー」とか、ショスタコービッチの「オラトリオ 森の歌」なんていうのまで、「宗教曲」の箱の中でしたな。特にこの後者に至っては、ブラックユーモアの域に達しています。「無神論者」スターリンの圧力で、「国策」礼賛の愚昧な曲を書かされたショスタコービッチの、苦渋に満ちた歯ぎしりが地下から聞こえてきそうです。



 若干ペダンチックなところに踏み込めば、先に飛行機事故で亡くなったジョン・デンバーのことを、日本のマスコミは一斉に「カントリー歌手のジョン・デンバーさん死去」と報じたものです。そして、たしかにニッポンの某大レコード店では、「カントリー」(そういったジャンルのコーナーがあるのは、ニッポンでは特異ではありますが)のコーナーに、ジョン・デンバーのCDも収まっていました。もっともそのロンドン本店では、もちろん彼のCDは「COUNTRY」のコーナーには見あたりません。

 John Denver に「カントリー歌手」の肩書きをつけるのは、さしずめ、きたやまおさむとか南こうせつさらには松山千春あたりに、「大演歌歌手」という称号を与えるようなものとしておきましょう。まあ、たしかにこういった日本ふぉーく界も、「演歌こそ歌の原点」などと、そちらのまねをしてみた時期もあるのですが。

 なんでジョン・デンバーが「カントリー歌手」扱いになっちゃったのか、その理由はわかりすぎるほどわかります。彼の最大のヒットが、「Take me home, country roads」だったからです。もっとも、当初これの邦題は「ふるさとへ帰りたい」とされたはずのですが、いつの間にか「カントリーロード」の方が通りがよくなりました。かくして、「カントリーロード」が「カントリー歌手」へ一直線につながってしまったわけです。

 この「問題」を解くには、「Country music とはなんなのか」(ついでに「Folk song とは」)というテーマにぶち当たりますが、その辺の「解釈」はまたの機会にしましょう。



 こういった笑い話は、それだけのことですが、「確信犯」的なのもあります。

 いまから30年以上も前、「ベトナム戦争」さなかに、米国から入ってきた、「悲しき戦場(グリーンベレーの歌)」という曲が日本でもちょっとヒットしました。現役グリーンベレーの軍曹であったのが歌ったという「話題性」も伴って。

 この曲の歌詞に対し、「生きて帰るのはただ一人」などという訳詞をニッポンではつけていたのを、ご存じのひとはもういないでしょう。題名からして、「悲しき」戦場です。「悲惨なベトナム戦争の最前線」から、グリーンベレーの兵士はほとんど生還を期せないという、「戦争のむごさ」を歌った、「反戦歌」という「注釈」をつけて。

 とんでもないことです。原詩は、「One hundred men will test today, but only three win the green berets」と歌っていて、「100人の応募者中から3人しか選ばれない」、大変なエリートであると誇っているのです。それだけでなく、この中では、米陸軍特殊部隊グリーンベレーが、「アメリカの最高の人間たち」であり、その胸に輝く銀の部隊章を褒め称える言葉があふれています。「反戦」なんかかけらもありません。要するに、これは戦時下の戦意高揚「軍歌」なのです。

 当時の日本では、「ベトナムもの」=「反戦」というジョーシキが、音楽界などに普及していました。たしかに、米国内で「反戦運動」を続ける「フォーク歌手」たちの歌声が日本にも伝わり、そういった曲がヒットしていました。おかげで、当時の日本の「ふぉーく歌手」たちも、「反戦を歌わなくちゃあ」なんて、おまけみたいな歯の浮くようなものを添えていたのものです。ですから、グリーベレー軍曹の歌も、「反戦」にされちゃったのです。

 こういうのは、決して「善意の思いこみ」でもありません。ベトナム全土に爆弾の雨を降らし、またそのお返しに、多くの米兵がジャングルで死んでいったその最中でさえ、米国本土では、「世論」の半数以上は「政府支持・戦争支持」でした。当たり前のことですが、米国や英国で「反政府・反戦」の世論が過半数を制したなんていうことは史上一度もないのです。つねに「国民」は、「やれ、やっちまえ」と叫んできたのです。

 ただ、このころには、あまりの戦死者の多さと「戦果」の乏しさに、次第に高まる「戦争懐疑」の声が、「閾値」に達してきていたのは事実でしょう。ですから、ついに米政府も「講和」の道を選ばざるを得なくなったのです。それはせいぜいのところ、「政府批判」が10%程度から30%を越えるまでに広がった、ということと理解すべきものです。しかしそれでも、米軍事政権の足元を揺るがしたことは間違いありません。


 こういった「非国民ども」の広がりに怒りを抱いた、「ベトナムのベテラン」たちが、徹底的な「愛国・好戦」の歌をつくった、それも大いにヒットした、これが現実です。そして、この歌をヒントにして、「敵をスクリーンの中で殺しまくったことナンバーワン」の、代表的アメリカ人であるハリウッド大根役者ジョン・ウェインは、映画「グリーンベレー」をつくり、「勇敢で人情味にあふれた」前線の米軍人と兵士たちを褒め称えました。その映画のエンドタイトルは、この「グリーンベレーの歌」(これは、映画のために作曲されたのではなく、曲が先にあったはず)です。

 このような「時代背景」と、「戦意高揚」プロパガンダと、「武器の所持と殺人の権利を認めている国」(つまり、アフガニスタンと同じ)アメリカ合州国の「世論」の現実とを理解しようとせず、「ベトナムもの」=「反戦歌」などとして得々としてきたニッポン人には、米英がなぜ100年にもわたり、世界中に爆弾を落とし、人を殺しまくって、なおかつ「正義」だ「人道」だなどと平然としていられるのか、やはり理解困難なことと思います。



 「西部戦線」は、やっぱり「西部」戦線なのかも知れません。


(2024.2)

 これもホントに昔語りになってしまいました。

 いまじゃあ、「レコードや」(CDや)も「ビデオや」(DVDや)もほぼ絶滅してしまいました。音楽ソフトも映像ソフトも「店頭で売られる」商品ではなくなり、「どっかべつのところで」取引/流通するようになった模様です(そっちで買ったことも借りたこともないもんで、よく知りませんが)。

 そしてこいつももっぱら須磨甫で操作し、入手し、見るものになったそうな。ま、私にはどーでもいいんだけど、「売ってない」「買えない」のは不便ではあります(TV画面で見られないとつまらんだろうなとは想像しますが、そういう「方法」もあるのかもね)。「借りる」くらいは私もやりますけどね。
 ですから、「西部戦線」の物語が「西部劇」に分類されるなんていうこと自体、遠いむかしのお話になりました。え、いまだって、某ダウンロードサイトの区分を辿っていくに、ちゃんと「西部劇」の中に収まっているらしいって?




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