「生産性論」の三たびの隆盛に、私として何か申すべきこともあるので、記したノートである。
 広く公刊されているものではないので、私的に稿を公開し、原掲載出所を明記した。


「生産性革命論」の批判的検討
 
 
三井逸友(横浜国立大学名誉教授)
 
 「中小企業の生産性『革命』と格差問題」を十分に考えるためには、少なくとも以下の各点をまず念頭に置かねばなりません。
 
 第1には、企業規模間に限らず、産業別業種別の「資本の技術的構成上の差異」による、見かけの「労働生産性格差」が大きいという事実です。単純に言えば、資本集約的な産業にあっては、少ない労働力の投入で、資本設備が大きな生産物を産んでいるので、当然「労働生産性」はきわめて大きいことになります。鉄鋼業や石油化学がその典型でしょう。これらと、労働集約的な業種とを単純比較することにはほとんど意味がありません。資本集約的な業種は莫大な設備投資を要する大企業部門ですから、製造業でも多品種少量生産や熟練技能に依存する中小企業とを比べて、「生産性が高い、低い」というような議論をしても、何にもならないのです。逆に言えば、巨大な不変資本の蓄積と投資のうえにあるものが、現代の巨大企業なのです。
 このことは、各国間でマクロ的データでの「生産性比較」をしようとする際にも、大きな前提条件になります。日本経済は「フルセット型」と呼ばれたくらい、原材料から部品、さまざまな工業製品、またこれらの流通やサービスなどの非常に幅広い経済活動とこれを担う大小の多様な企業の構成するものになっています。特に、自動車などの加工組立機械産業には、一つの大手メーカーのもとに数万社の中小の部品サプライヤや加工企業が階層的に連なっています。その構造が「国際化」のもとで変化しつつあるとは言え、単純な「生産性比較」で高生産性のマクロ経済にすぐにシフトするものではありません。むしろこうした仕組みが日本の産業競争力の源だと、以前には称賛されたはずです。さらに『2017年版 ものづくり白書』においては、日本の実質労働生産性は決して低くはなく、まして物的労働生産性は高いと位置づけています。
 D.アトキンソン『新生産性立国論』(東洋経済、2018年)や政府がすぐに引用する、OECDの国際比較統計(2016)では、GDP/就業人口・労働時間というかたちでの「労働生産性」が最も高いのはアイルランドであり、また同国の生産性の伸びも最も高いとされます(これに次ぐのがルクセンブルグです)。だからといって、人口500万人足らず、EUの一員として国際分業を最大限に活用し、自動車関連企業などは一切なし、他方で製薬企業、IT大手多国籍企業や国際金融企業を積極誘致し、本社を置かせて、大きな売上・収益を同国にもたらす仕組みというのを、日本がまねをするわけにも行かないでしょう。
 
 第2には、しばしば誤解されるのですが、こうした統計等に現れる「生産性」の数値の分子は付加価値額であり、日銀「主要企業経済分析」などのデータでは、「経常利益+人件費+金融費用等」で計算されます。企業経営にとっては通常、人件費は付加価値の分配として意識されるわけではなく、むしろ固定費用であって、その削減、つまり雇用カットや賃下げをめざすとすると、単純には付加価値の構成額が減ることになります。さらに雇用労働に対して派遣、請負などのかたちでの労働力利用に切り替えれば、その支出は費用となるので、ますます付加価値を下げることになります。つまり、単純には「付加価値生産性の分子を抑える」ことになるわけです。
 個々の企業は「付加価値生産性向上」を直接に目的とするわけではないので、企業利益が代わって大幅に増えなければ、計算上統計上はこのような事態が十分生じうるわけです。マクロ的に見ても、「より少ない労働力と労働投入で、より多くを生産する」ことになるので、そのままでは雇用の減少につながりかねません。実際、日本のマクロ的労働生産性が低いという批判に対し、『平成27年版労働経済白書』は分母である労働者数に注目、「多くの者が労働参加していて、分母を増やし、労働生産性を押し下げていても、マクロ経済成長にとっては好ましい」と指摘し、この状況をネガティブに評価する必要はないとしているのです。藻谷浩介氏も同様に、生産性の向上が国際競争上の優位をもたらし、総生産・販売額が増加しないと、社会全体の雇用機会が減りかねないと主張しています。「なんでも生産性論」で語る人たちは、一種の錯覚を煽っているわけでもあります。逆に、日本のマクロ経済においては、実質賃金の低下・生産性との乖離という例外的な事態が起こっていると、『労働経済白書』は指摘しています。
 
 第3には、「大企業と中小企業の生産性格差」という議論はもう半世紀続いているものです。戦後高度成長期にあっては、「低賃金低生産性の中小企業部門」と大企業とのあいだの大きな格差を問題とする「二重構造論」が有力で、政府の「中小企業近代化政策」の根拠とされました。しかしその議論においても、中小企業の設備投資と経営近代化の遅れとともに、市場と取引関係における中小企業の「過当競争」と「取引条件の不利」を大きな問題とし、改善を求めたものでもあります。中小企業の生産性向上の成果が、「優越的地位」により、取引関係を通じて大企業に奪われているという批判です。この観点は政府の「取引適正化」推進政策として一貫して生きているものでもあり、第一次安倍内閣が出した「成長力底上げ戦略」(2007年)においても、生産性向上と最賃引き上げを結びつけ、「下請取引の適正化」、すなわち生産性向上の成果を下請け業者に適正配分することを明示しているのです。
 この課題は今日もますます重要です。トヨタ自動車などの大手企業が空前の収益を上げている一方で、中小企業全般の経営も改善され、収益性も向上しているとはいえ、両者の開きは誰の目にも明らかです。そして、『2018年版 中小企業白書』も大企業と中小企業の生産性格差の拡大を重視し、「未来指向型の取引慣行」を求めているくらいなのですから、中小企業と取引関係、競争状況などへの配慮なしに「生産性格差」を語っても、状況は変わらないでしょう。
 
 第4には、特に『2018年版 中小企業白書』が重視している現在の問題として、中小企業の投資意欲の低下、新規投資の停滞があげられています。設備投資をすれば生産性は上がるという単純な因果関係が十分に示されているのに、「生産能力拡大や製品サービス向上、省力化などの投資は低下している」というのですから、かなり深刻な状況とせざるを得ません。その最大の問題は「期待成長率の低迷」にあると、『白書』は説明しています。要するに先行き不安がぬぐえないので、積極的な投資に踏み切れない、という状況が広くあるわけです。加えて、経営者の高齢化や後継者問題、資金力の限界などもからんでいます。
 高速・高能率な設備の導入、規模拡大などは間違いなく物的生産性を高め、労働生産性の向上に寄与するはずです。それが停滞しているという現実を、『白書』は認めているわけです。他方で『白書』は、中小企業の人材問題に多くの紙数を割き、人手不足や採用難、間接業務の負担に悩む企業で情報技術を積極活用し、業務情報のIT化、業務領域間の機能連携、省力化推進などを図るようにすすめています。それらを含め、「中小企業の生産性革命」だというわけです。IT化や新人材の育成・中核人材化ももちろん今日の課題でしょうが、全体的な投資意欲の低下の中で、これをどう進めるというのでしょうか。
 
 第5には、新規の設備投資に限らず、大幅な生産性の向上とはイノベーションの実現それによる「全要素生産性」(TFP)の向上にあるとするのがオーソドックスな理論であり、またシュンペーター以来の経営革新の課題でもあります。『平成28年版労働経済白書』でも、労働生産性向上とは付加価値向上であり、TFP上昇が問われると明示し、無形資産投資の低さ、人的資本投資の低さに日本経済の弱点があると指摘しているのです。企業規模を問わず、さまざまな創造と革新への取り組みが進み、企業間の連携協働が生かされていくのなら、それは望ましい方向でしょう。
 しかしここでも、少なからぬ誤解があります。その一つが「ゾンビ企業論」で、要するに既存の企業は生産性収益性が低い、そんなのを残しておくような政策をするから、高生産性で革新的な企業が生まれず、「新旧交代」が進まないのだという俗流的な議論です。けれども、日本のいまの現実の中で、確かに開業率が先進国に比べて半分程度である実態はあっても、「既存企業が新企業の誕生成長を妨げている」とする根拠はまったく薄弱でしょう。問題は創業の機運自体にあることは事実ですし、それ以上に『2017年版 中小企業白書』はビッグデータの検討から、興味ある実態を示しています。その一つは、消えていく企業の生産性収益性が低いわけでなく、後継難などの原因で、廃業を余儀なくされているような実態が多々あるという事実でした。いまひとつは、新規開業企業が全般的に高生産性であるとも言えず、むしろ低い企業も少なからず生まれている実態でした。前者は、もちろん地域経済全般の現状や、世界の市場と競争状況、また経営者の高齢化と後継者問題、事業再編の可能性などにも絡んできます。『2018年白書』で言えば、「M&Aを中心とする、事業承継・統合を通じた生産性の向上」という課題にもなり得ましょう。後者では、近年の新規開業企業の多くが「ソーシャルビジネス志向」であり、単純な労働生産性指標では低生産性であるとされても不思議はない面があるとせねばなりません。NPOなどの開業には、日本政策金融公庫なども積極支援しています。まず社会課題の解決、雇用就業機会の確保をめざすとする事業体の増加に対し、単純な「生産性論」では対応できない現実があるのです。
 こうした諸論点・留意点を踏まえ、「生産性がすべて」のような偏った議論ではなく、意味のある「生産性革命論」が十分検討され、中小企業の未来に資するものになるのか、慎重に見ていくことが必要でしょう。
 
 
中小商工業研究所『研究所所報』2017年1月〜部会報告 (2018.8)所収

 以下、関連資料を掲載します。

中小企業観と中小企業政策・関連資料(1)

中小企業観と中小企業政策・関連資料(2)