三井のロンドン絵日記(5)

四つの旗と、「めちゃくちゃスタンダード」と (補)



キングストンの中心に威容を誇る、Bentall Shopping Centre、その屋上にはいつも四つの旗が風にはためいています。

 どのような四つの旗か、みなさんおわかりでしょうか。第一に、「英国国旗」として名高いユニオンジャック、これは誰にでもすぐ見分けがつきましょう。それから、見慣れない旗は文字が書いているので、これもすぐにわかります。言わずとしれた、Bentalls 社の「社旗」です。どこでも、企業はこうしたものをもちたがります。

 ではあとの二つ、これはどうでしょうか。その一つは、知るひとぞ知る、青地に星の輪が描かれた、EU欧州連合の旗です。この模様は、欧州大陸とEU加盟国を示していると思うのですが、加盟国が15に増えた現在も、星の数は以前同様12のままです。今後さらに加盟国が増えても、そのままなのでしょうか。USA(アメリカ合州国)のように、星の数イコール州(state)の数と決めたわけでもないようです。

 EUの旗は、最近は世界中どこでもよく見かけるようになり、日本でも知るひとが増えたと思います。もちろん、たとえば英国でも自分の車に、EU旗の中にGBと記したシールを貼って走っているのをよく見かけます。まあ、こうしておけば、他国まで行ったときにも、「EUの一員ですよ」と言うことで、余計なチェックを受けずに済むと考えているんでしょう。


 では、最後の一つ、白地に赤の十字が走っている旗、これはなんでしょうか。これを知っているひとはさすが日本でもかなりまだ少ないでしょうが、もうすぐ否応なく、日本のTVにもこの旗の氾濫が映し出されるはずです。そう、ワールドカップフランス大会です。いや、別にサッカーの応援旗やチーム旗じゃありません。「イングランドの旗」なんです。

 え、「イングランドの旗」なんてあったの?そう、あるんです。あるどころか、スコットランドも、北アイルランドも立派な「国旗」をもっています。そして、実は「ユニオンジャック」とは、これら三種の旗を合成してできたデザインなんです。本来の英国を意味するUK=United Kingdom とは、正しくは「大ブリテン並びに北アイルランド連合王国」と称し、そのうちさらに大ブリテンには、イングランド、スコットランド、そしてウェールズがあり、歴史的にはこれらが本来独立した地位であった事実を認めるかたちでのみ存在できるのです。ウェールズだけは、イングランドに併合されたのが早かったせいか、ユニオンジャックに仲間入りさせてもらえませんでしたが、ウェールズ国旗もれっきとして存在しています。白と緑の地の中央に、竜が描かれています(王位継承権を持つCrown Princeを、「Prince of Wales」と呼ぶのは、13世紀にウェールズの反乱を鎮圧したイングランド王エドワード一世が、懐柔策のため、自分の子をウェールズはカーナーフォン城で誕生させ、「プリンスオブウェールズ」を名乗らせたことに発します。以来、現在のPrince Charles も、この城で「プリンスオブウェールズ」の称号を受ける慣例になっています)。

リッチモンドにそびえる傷痍軍人会館のイングランド旗

 サッカーファンなら誰でも知っているように、けしからんことに英国からはイングランド、スコットランド、北アイルランドなどが別々に出場し、時には3チームもワールドカップに出てきたりしています(ウェールズはラグビーの方が得意で、サッカーではあまり名を挙げていない)。じゃあ、ニッポンだって、北海道とか、九州とかみんな別々に出場権をとる、そんなのありか?と言いたくなりましょう。

 サッカーに詳しくない私には、現在のFIFA国際サッカー連盟がどういう経緯で、こうした別々の参加を認めているのか、よく知りませんが、ともかく「イングランド代表チーム」なんです。だから、悪名高い英国のサッカー(英国ではfootballと称する)ファンもおおぜい、白地に赤十字のイングランド旗を担いで行きます。その洪水がスタンドを埋めるありさまが、もうすぐ日本のTVにもいやと言うほど映し出されましょう。


 余計な話しが長くなりました。ともかくBentall Centreにはためく旗は、EU旗、英国旗、イングランド旗、そして会社の旗の4つなんです。言いたいことは、これがいかにもいまの英国、それどころか世界を象徴していると感じさせる点です。EUという国家間の統合、「一つのヨーロッパ」の形成という史上画期的な理念が着々と実行されている事実と、それぞれの主権国家のれっきとした存在と、否、その主権国家の成立以前からの歴史的事情、ひいては「民族」の存在の根強い自己主張と、そしていまや国境を超えて自由に活動する「企業」のプレゼンスの誰の目にも明らかな拡大と、それぞれが見事に「併存」しているのです。これを「共存」と言いきるのはまだ早計でしょう。

 Bentalls 社がどこまで「国際化」しているのかは、私もまだ詳しくは知りませんが、英国の有力な流通企業はもう早くから、国境を超えて店舗を展開しているのはよく知られています。英国のどこの町へ行っても必ずある、Marks & Spencer や、J. Sainsburyや、TESCO、Woolworth、Asda、その同じ看板をヨーロッパの他の町でもよく見かけます。それどころか、他国資本のC&Aなど、多くの企業も英国内で盛んに店舗展開し、熾烈な戦いをやっています。それらの企業が国旗のほかにEU旗を掲げているのも、これまたよく見る光景です。自分たちはもう「欧州企業」だ、との主張を示していましょう。ですから、この4つの旗は決して例外ではなく、どこでも見るものなのです。



 4つの旗にそれぞれ象徴されたメッセージは、考えてみればお互いにきわめて危うい関係をも象徴していることは事実です。「征服者」として「連合王国」を作ったイングランドの旗は、当人たちにとってみれば心地よい郷愁と連帯感を誘うものでも、他のスコットランド人やウェールズ人には、決して嬉しい存在ではないでしょう。ですからもちろん、大手流通企業もスコットランドではスコットランドの旗(青字に白のX十字)を掲げています。そして、スコットランドやウェールズでは、それぞれの旗が他国支配への反抗の象徴であり、長年にわたる「独立運動」を支えてきたのです。

 日本でも知っている人が多いように、こうした歴史的経緯ゆえ、英国政府(英国というのはもともと、英蘭イングランドの呼び方なのです)も、それぞれの一定の独立性を次第に認めてきました。だからウェールズではウェールズ語が公用語になり、学校でも教えられています。駅や道路標識はみな、英語とウェールズ語が並べて書かれています(ウェールズ語の辞書も私はもっていますが、実に難しい、読みにくい言語です)。スコットランドでは、多くの行政制度がイングランドとは別になっており、なんと独自の通貨さえ発行しています。Bank of England 発行のポンド紙幣とは違う、スコットランド銀行やクライドデール銀行の「銀行券」の存在なんて、それこそ「紙幣とは何か」という経済学の絶好の教材です。


 現在の労働党ブレア政権は、これらスコットランドやウェールズの自治権の一層の拡大を公約し、独自の「議会」の設置をすでに定めました。その一方で、長年の流血の事態を生んできた北アイルランド問題についても、大胆な解決方法を提案、事態は大きく動いています。

 長く停止されていた北アイルランドの自治を回復し、一方南北アイルランド間に議会を置き、今後の問題を協議していくという、この四月の「Good Friday agreement」と言われる英国政府とアイルランド共和国政府間の合意は、ある意味では多くの問題の先送りの観もありますが、少なくともこの60年間での画期的な前進ではあります。特に画期的なのは、英国議会の三大政党がいずれもこれを支持したばかりでなく、北アイルランドの各政党、労働党の事実上の姉妹政党である社会民主労働党(SDLP)は当然として、unionists を代表するアルスター統一党(10人の国会議員をもつ地域最大政党)、そしてrepublican の政治組織であるシン・フェイン党(従来マスコミでは「IRAのpolitical wing」という形容詞が必ず冠せられてきた)がいずれも、この合意を支持したという点です。シン・フェインがユニオニストと同じ立場に立つなどということは、この100年の間にはまず考えられないことでした。

 もちろんその一方で、反対の動きもあります。イアン・ペイズリーという特異な個性の国教会牧師が代表のDUPアルスター民主統一党は、「テロリストへのいかなる譲歩も認めない」と反対を表明、またUUPアルスター統一党の国会議員の多数はこれに合流しています。彼らに言わせれば、この動きが事実上の北アイルランドの南への併合の一歩となるばかりでなく、多くの殺人を犯してきたテロリストIRAの犯罪者たちを釈放する事実上の裏取引がある、というわけです。いわゆるプロテスタント系住民を殺戮してきた殺人犯たちが、大手を振って歩くのをわれわれは認めるのか、という主張は、ユニオニスト系議員の選挙区内ではかなりの支持を得ていると報じられています。

 一方これも驚きであったのは、シン・フェインの積極的な合意支持の動きです。すでにIRAがいわゆる「一方的停戦」を表明して以来、保守党政権下でも、シン・フェインの事実上の合法化はすすんできていました。英国のマスコミは、「テロリストの政治組織」であるシン・フェインの政治活動については一切報道を拒否してきましたが、現在ではシン・フェインの党大会の模様が、TVで詳しく報じられる状況です。

 シン・フェインの年来の主張からすれば、南北アイルランドが別々に存在しているという事実を是認すること自体が認められないはずでした。しかし、今回彼らは、「アイルランド統一への一歩」として、この合意を支持し、新北アイルランド議会と南北間議会に参加する旨表明しています。従来、シン・フェインの現党首ジェリー・アダムスはじめ、幹部らは英国議会選挙のたびに当選を果たしてきましたが、「英国」への参加を拒否する姿勢をとってきました。それが大きく姿勢を変えたのです。

 姿勢転換の陰には、アイルランド系住民を代表する政治組織としてのシン・フェインの存在が強力であるという自信があるというのは、公式の見方です(シン・フェインは歴史的には非常に複雑な流れを経てきており、現在の自称「シンフェイン」を過去のものと同じと見ること自体が危険に思えます。しかし現代にあっても、アイルランド共和国内では多くの国会議員や地方議員を出している、かなりの規模の政党なのです)。彼らとしては「武闘」を捨ててでも、政治的実権を握っていける、その方が有益であるという姿勢に傾いてきたところがうかがえます。あとは、アイルランド共和国政府並びにアメリカ合州国政府の支援で、IRAを事実上の「軍隊」とし、その服役囚らを「捕虜」として釈放させるということを、英国政府に認めさせたと思わせるふしがあり、これは彼らには有力な「勝利宣言」であるというみかたもできましょう。

 ただ、いまだIRA内外には、「交渉など論外」として、「戦争」を続けるとしているグループもあり、事態はどうなるかわかりません。一方unionists 側(一般にはroyalistsとも言われる)でも、もちろん「武闘派」がおり、「合意」成立後もrepublican 側への殺人攻撃を繰り返しています。もっとも、こちら側でも最大組織のUVF Ulster Volunteer Force の政治組織が「合意支持」を表明するなど、なかなか複雑です。


 以前にも、IRA 内の「多数派」は「武力闘争放棄」を表明し、組織分裂に至りました。しかし、その時の「主流派」であったはずのOfficial IRA は、合法政党「アイルランド労働者党」を結成したものの、反対派のProvisional IRA のテロ攻撃にさらされ、内部分裂にも直面して事実上壊滅しました。現在のIRAは本来この「仮本部派」(だから「プロボ」とも呼ばれる)なのです。

 「プロボ」が居座り、勢力をむしろ拡大させたのは、従来の英国政権の弾圧政策や北アイルランドの深刻な経済状態があるとも言われます。職がなく、前途に絶望した若者たちは、安易にテロ組織に参加するといわれました。それは事実としても、彼らが豊富な資金と武器を手にし、北アイルランドのいわゆる「カソリック系地区」をその完全な支配下においてきたことを見逃すわけにはいきません。IRAやUVFというのは、「たまに」英国軍や警察、あるいは反対派の人間を襲ったり、爆弾を仕掛けたりする「パルチザン組織」ではなく、その支配地区内での「密告者」や「裏切り者」、果ては乱暴者や酔っぱらいなどの「社会的落伍者」を処刑・処分する、日常的なテロ支配組織なのです。そして、IRAの資金や武器の源は、俗に言われたような「リビアの支援」などというのはごく一部で、大部分はアメリカ合州国から流れ込んでいたこともまた知るひとぞ知る点です。

ですから、今の段階で圧倒的な武器と資金をもつIRAとUVFなどが「合意」支持に回れば、そして米国とアイルランド共和国政府が深くコミットしていれば、「合意」の住民投票での承認と実施はあまり障害なくすすむというみかたもできましょう。一部の分子がはね上がり的に妨害に出ても、むしろ鎮圧されてしまうだろうということです。


 どんなかたちであれ、ともかく「和平」が実現し、政治問題が解決に向かうなら、いつ爆弾が破裂するかわからない危険から解放されれば、それはそれで結構なことじゃないか、という見解が、いまの英国内でも支配的になっていることは事実です。IRA やUVFなどに肉親を殺された数千の人々は、その恨みを忘れはしないでしょうが、それとていずれの社会でも「多数派」ではありません。でも、多くの「英国国民」は、ダブリンで開かれたシン・フェインの「党大会」の模様がTVニュースで詳しく映し出され、その場にさらに、イングランドでの爆弾テロで大勢を殺した犯人たちが刑務所から「仮釈放」されて出席し、満場の拍手を受け、誇らしげに拳を振りかざすといった光景を、どのような思いで見ていたのでしょうか。ともかく、ジェリー・アダムスらシン・フェインのメンバーが、「sorry」と言ったことは一度もないのですし、これからもないでしょう(その一週間後、今度はアルスター統一党の主催する「合意支持集会」に、IRA系の人間の葬儀の場に集まった中に爆弾を投げ入れ、終身刑になっていたはずのroyalistの服役囚が出席し、歓呼を浴びました。どうやら、この際双方のテロリスト服役囚は基本的に恩赦するという秘密合意が、各当事者間でできている模様です)。



 IRAという現代の「テロ集団」のうちの一つだけを取り上げ、非難するのは確かに間違いでしょう。こうした組織は実は世界の至るところに存在し、活発に活動=殺人を行っているわけです。そしてそれぞれが何らかの「大義」を掲げ、「民族の独立と自由」のために、「抑圧された人々」を救うために、英雄的犠牲的に戦っているのであり、ただしそれは多くの「無この人々」の殺戮と無関係ではないというだけなのです。

 しかしまた、現代の「世界」は、そうした動きに、ある時は「自由と解放の戦士」という称号を与え、またあるときは「凶暴なテロ集団」という烙印を押します。70年代までは、旧ソ連と「社会主義陣営」が、そのレッテル張りの「専売特許」をもっているようにも思われていました。しかしその力が衰えた80年代頃から状況は変わりだし、ソ連が崩壊し、「社会主義陣営」が事実上消滅した現代にあっては、もっぱらアメリカ合州国政府とその同盟者が「専売特許」を一手に握ったようです。


 その典型が、「クルド人」たちです。イラク戦争が起こり、イラク国内で「独立運動」を行っていたクルド人組織が蜂起すると、米国を先頭とする陣営はこれを絶賛し、「総力支援」しました。今もって、イラク国内に「no go area」を一方的に設け、彼らをサダム・フセインの弾圧から「保護」しているわけです。けれども、クルド人は現代にあって国家を持てない最大の民族です。彼らはイラン・イラク・トルコにまたがる広大な地域に住んでおり、内部でさまざま合衝連携を繰り返しながら、また内外の諸勢力と手を結びながら、「独立運動」を図ってきました。そのうちトルコ内のクルド人は、PKK(クルド労働党)をつくって、トルコ政府に対し「武力闘争」を行ってきています。しかし、彼らには運のないことに、トルコ政府にはサダム・フセインがいません。ですからPKKは「テロ組織」と呼ばれ、トルコ軍はあらゆる兵器を動員して、時には「イラク国内に越境し」て、PKK を壊滅させるべく、繰り返し掃討作戦を展開、「殺したテロリストの数」を誇っています。これに対する「制裁」の話も聞いたことがありません。ただ、幸か不幸か、ヨーロッパ各地にはクルド人住民も少なくないので、あちこちでPKKのポスターも見かけます。

 「あるときは圧制・独裁と戦う自由の戦士、またあるときは殺人・破壊を繰り返す卑劣なテロ集団、しかしてその実態は?」となると、多羅尾伴内=片岡千恵蔵もなかなか演じるのが難しいでしょう。でも、そんな話はいま、世界のどこででも聞きます。チェチェンで、スリランカで、アフガニスタンで、アンゴラで、スーダンで、アルジェリアで、ボスニア=ヘルツェゴビナで、コソボで、そしてバスクで、北アイルランドで、です。

 アフガニスタンなどに至っては、「ソ連の侵略と戦う」として、米国がある意味では「山賊とオウム」に「自由の戦士」の称号を付与し、潤沢な資金と最新兵器を惜しげもなく与えたので、確かにそのおかげでソ連邦は崩壊し、「社会主義」を信じていたアフガニスタン人はすべて抹殺され、米国は冷戦の勝利を誇れるに至りました。でも、なにせ「山賊とオウム」です。以来、アフガニスタンでは永遠の殺し合いが続き、私の予想では、気の毒ながらいつか「アフガニスタンという国」は地上から消えると思います。「国際社会」はもうレッテル張りにも飽きたので。でも、忘れられた「国」アフガニスタンからは米国製の最新兵器が大量に流出し、「各地のテロリストの手に渡る恐れ」大なのだそうです。それの何がいけないんでしょうかね?同じことは、チェチェンやアルバニア・コソボでもおこっています。最新兵器の山が至るところにあり、「自由の戦士」たちの利用を待っています。


 こうしたことが「現代史」のうちでどのような意味を持つのか、いま私にも論じる勇気も力もありません。ただ、ワシントンだけに頭の構造の単純な人たちがいるのではないことも確かです。「あいつらは悪者、こっちは正義」なんて割り切れるのは、むしろアングロサクソンをはじめとする「西欧社会」の根強い伝統なのかも知れません。彼らは米国流の割り切りについてはきわめて批判的ですが、最終的にはそうした傾向を潜在的に強くもっているようにも思えます。

 いま、英国ブレア労働党政権は、うえの北アイルランド問題はじめ、多くの点で「実績」を挙げつつあり、評価は依然高いとも言われています。でも、その政権を揺さぶっている問題の一つが、「シェラレオーネ問題」です。残念ながら日本では、西アフリカのそんな国の存在さえ、知っているひとが少ないでしょう。問題は、この国の選挙で選ばれた大統領を軍部が倒し、実権を握ってきたのに対し、3月に反乱がおき、再び大統領が実権を奪還した、という出来事です。ところが、この「反乱」は、英国にある「戦争請負会社」の雇い兵たちが実行したもので、しかもその計画に英国政府が深くかかわっていたのではないかという疑いが出てきたのです。これは一方では、国連が軍事クーデター後に採択した「対シェラレオーネ武器禁輸決議」に違反します。もちろん他方では、どのようなかたちであれ、「露骨な内政干渉じゃないか」という批判が出てきます。

 これに対し現政権のクック外相は、政府は一切関与していない、疑いがあれば調べる、と言明してきました。ところがブレア首相自身が、「何が悪いのか」と開き直ったのです。「民主的に選ばれた政府を軍部が力で倒した、それを民主主義を回復させるために介入する、正当な大統領を支援する、何が悪いと言うんだ?」というわけです。「武器禁輸決議」は、軍事政権への制裁として定められたのであって、そうでなければ決議違反とはならない、ともかく、「目的が正当であれば、手段は許される」とまで言ってのけたのです。

 まあ、えらそうに言う割には、やったのが「雇い兵たち」というのでは、あまり格好良くはありませんが、米国のようにすぐに海兵隊を送るというのよりは、「傷」も「批判」も軽くて済むかも知れません。やっぱりサッチャーリズムを継承した、「民営化」支持だけのことはあります。


 どうあろうとも、ここには確かに「明快なスタンダード(物差し)」が存在します。米国がイラクに対し、再攻撃を行うぞと威嚇したように、「悪党が政権を握っている」、あるいは「悪党が暴れ回っている」場合、そして「国連決議」のような「錦の御旗」を守らない場合、「やっちまえ」ということになるわけです。ここで「民主主義の危機」とか「人権侵害」とかつけば、もうそれでThat's OK です。その物差しになんの疑問もありようがありません。その悪党は、ナチズムであったり、ロシアの共産主義の怪獣どもとその手先であったり、キューバの独裁者であったり、砂漠の独裁者・テロリストであったり、狂信的宗教集団であったり、血に飢えたセルビアのナショナリストであったりしますが、まあ、ともかく「やっちまえ」です。よく知られているように、「ハリウッド映画の世界」です。

 しかしとりわけ、事態の「政治的解決」が近づきますと、困ったことがいろいろおこってきます。「悪党ども」のレッテルをこっそりはがさないと、つじつまが合わなくなってきます。北アイルランドでもIRAなどは近いうちに、冷酷な「テロリスト」から、勇気ある決断をした「自由の戦士」に昇格するかも知れません。

 西欧にあって、米国流の「善玉悪玉論」をいくら批判したところで、またいくらもっともらしい「物差し」を考案したところで、それが絶対的かつ不動ものだと断定すれば、その瞬間から、あらゆる矛盾や疑問にはこたえられなくなります。「単純なレッテル」をはる物差しに、みんなが満足するとは限らず、「おかしいじゃないか」と言う批判も必ずやおこってきます。つじつまの合わないことが浮かび上がってくるのが常なのです。



 その典型は、イスラエルです。この「国」が国連決議を一切無視し、あまつさえ核武装もして、いまも周辺に領土を広げていることは誰もが知っているのに、なぜか「制裁」の話しさえ出てきません。今年は「イスラエル建国50周年」なのだそうで、あれこれ「祝賀行事」も行われていますが、一体「武力で領土の拡張や国境の変更を行ってはならない」という国連憲章の原則(だからイラクのクウェート併合は「侵略」と規定された)は、ここでは当てはまらないことになっているのでしょうか?この理屈が通るのなら、もちろん「北方領土の返還」なんて、永遠にあり得ません。「大義」を掲げ、英国が大軍を派遣して「奪還」したフォークランド諸島も、アルゼンチンが力で占領をしたこと自体、別に構わないはずです。

 ことイスラエルにかかわると、西欧社会では一斉に口ごもります。「建国50周年」も必ず、「ユダヤ人迫害」と、「ナチスのユダヤ人大虐殺」の歴史とともに語られます。それは確かに事実であっても、だから「イスラエルが何をやっても黙認しよう」という理屈は成り立つのでしょうか?ユダヤ人を迫害・虐殺したのは、ドイツをはじめとする「西欧社会」自身なのです。一方「イスラエル建国」と「領土拡大」によってその地を追われ、難民となっているのはパレスチナ人であり、別に彼らがユダヤ人を虐殺したので、その罪を背負わされているわけじゃありません。そんなに罪の意識があるのなら、どうしてドイツ国内の広大な土地を「開放」し、「ユダヤ人国家」を作らせないのか、あるいはパレスチナ人との「領土の交換」をしないのでしょうか?話しがあべこべというものです。

 ユダヤ人たちはその「シオニズム運動」の理念として、この地は2000年来約束された地だ、と主張してきました。まあ、それも一つの理屈でしょうが、それを言うなら当然、「アメリカ合州国」はnative American (日本ではいまだに「アメリカインディアン」と言う)たちに「返還」されなくてはならないでしょう。オーストラリアの地は「アポリジニ」たちに返さなくてはならないでしょう。ことによると、native American はIndioとともにもともとアジア系なんだから、アジアの人間たちは南北アメリカ大陸に移住=帰還できるはず?


 ですから、ことここへ来ると、「単純な物差し」は完全に破綻を来すのです。結局そこでは、よくわけの分からない「さまざまな根拠」論が登場し、単純な「善玉悪玉論」を圧倒するのです。そして「西欧社会」こそは、アメリカ流とどこが違うのかといえば、こうした単純なレッテル張りと、見え隠れする「異質なものへの嫌悪」と、額にしわ寄せた不思議な理屈の数々とが巧みに組み合わされ、すべてを言い逃れ、正当化する巨大な「ブラックホール」である点にあるとも見えてきます。

 旧ユーゴスラビア問題、なかんずくボスニア=ヘルツェゴビナ戦争では、「西欧社会」は不思議な立場を維持しました。いまもそうです。要するに、すべてはセルビア人どもと、その指導者、共産党(ユーゴスラビア共産主義者同盟)崩れのナショナリストが悪いんだ、という理屈です。このセルビア人に対する本能的なくらいの敵意はどこから来ているのか、興味深いものがあります。第一次大戦の火をつけたのが、セルビア人「テロリスト」によるオーストリア皇太子暗殺であったという歴史からして、何かを物語っているのでしょう。

 いまもなお、「セルビアによるコソボ住民弾圧・虐殺」のニュースが西欧を駆けめぐっています。またも「欧米各国並びに国連による制裁」なのだそうです。しかし当のセルビア共和国政府は、武器が自由に野放しに行き渡っているアルバニアから国境を越えて大量の武器を仕入れてきたアルバニア系テロリスト集団と戦っているんだ、と主張しています。まあ、どっちの言っていることがより事実に近いのか、私も「見に行く」わけにもいかないので断言はできませんが、その構図自体は、誠に「クルド人問題」や「北アイルランド問題」に近いのは確かに思えます。そして、コソボの地では、少数派セルビア系住民が迫害され、難民化していることもまた事実として伝わってきてはいるのです。セルビア政府軍の戦車と機関銃だけが主役なのではありません。

 ボスニア=ヘルツェゴビナ戦争で、セルビア人どもの蛮行、「民族浄化策」が世界的な非難を浴び、ために(?)セルビア共和国は国連制裁にさらされました。しかし、ボスニアのセルビア勢力がそうした行為をやっていた数々の事実があっても、一方のムスリム人系やクロアチア人系も負けずに似たようなことをやっていたこともまた事実なのです。それは、明らかに「セルビア憎し」を背景とした「国際戦犯法廷」でさえも、認めている点であり、ただしそちらの方はマスコミにあまり出てこないだけです。さらに、クロアチア戦争の停戦調停条項を無視して、クロアチア政府がセルビア人系地区に侵攻、制圧し、以来セルビア人への抑圧と権利侵害が続いていることも、これまたほとんど取り上げられません。当のクロアチアは、すでに「西欧社会の一員」となったものとして、涼しい顔をしています。


 いま、インドネシアでの「数百万人を殺した」独裁者、「一族のために利権と富をため込んだ腐敗政治家」、あるいは「奇跡の成長を成し遂げた」国家の英雄とも言われる、スハルト最後の日が近づき、首都ジャカルタ市内は破壊と暴行と略奪の巷と化し、輝かしい成長の跡は惨めな姿をさらしています。しかしその報道の陰に隠れて、「イスラエル建国50周年」=「パレスチナ人の追放50年」を記念するパレスチナ人の抗議行動に、イスラエル兵が容赦なく発砲し、今日も多数の死傷者が出ているのです。この蛮行がいつまで許されるのか、「コソボの住民弾圧」への「制裁」並みの「国際社会の圧力」がいつ発動されるのか、誰も可能性を考えることはできません。

 ちなみに、G8サミットに先立ちバーミンガムで開かれた今年の「ユーロビジョンコンテスト」での優勝者は、イスラエル代表でした。「イスラエルはいつからヨーロッパの一部なんだ?」という疑問とともに、「イスラエル建国50周年」に合わせた「出来レース」の印象も拭えません。しかし、皮肉なことに、この歌手は実は「性転換手術をした」「女性」歌手だったのです。ために、イスラエル社会には重大は波紋となっているとも伝えられます。「ユダヤ教原理主義者」たちは、このようなまさに神を冒涜する者がわれわれの代表とはとんでもないことだ、と怒っています。でも、彼らがいきり立つほど、あべこべに「西欧社会」的価値観とは異質の、「一元主義」的な宗派独裁の印象を広める結果になってしまいます。「なんだ、イスラエルって、イランとよく似ているじゃないか」というわけです。

 そこまで読み込んで、この「コンテスト」が仕組まれたのなら、これはもう出来すぎでしょう。


 「西欧社会」にして(もちろん、「英国」は「西欧」じゃないというみかたも十分可能ですし、現代経済における「アングロサクソン枢軸」という理解も一般化していますが)、その「スタンダード」はかくのごとくめちゃくちゃです。至るところほころびだらけです。でも、私は、「西欧批判」をもって、「ニッポンナショナリズム」を擁護しようという、この国のできの悪い新旧「右派」と同じ立場に立つつもりももちろんありません。だいたい彼らは、肝心のところで、軍事的政治的文化的に完全に「米国一辺倒」の、戦後五十年の現実に、何も語れない情けない存在です。せいぜいのところ、「そう言うそっちだって悪いじゃないか」という、中学生のごとき反抗心だけと、「ニッポンの過去」には即拒絶反応を示すという「歴史忘却主義」があるだけです(それに似たような言を、インドの首相の口からも聞きましたが。確かに、世界最大の核保有国が、「核実験をやった国には即制裁」なんて言っているのは滑稽な限りですが)。

 私は、単純に「そっちだって悪いじゃないか、おかしいじゃないか、矛盾しているじゃないか」と揚げ足を取り、それをもって自己満足に陥るようなことはしたくありません。今日の「西欧的価値観」のもつさまざまな側面、「多元主義」ないしは「複数主義」、「平等観」「自由観」「個人主義観」と、その中になおある根強い偏見(こと「自然保護」や「動物愛護」になると、まさにその偏見が如実に現れます。日本人はいまや「遠慮」をやめ、日本こそが環境問題への対処では先進国なのだと主張すべき時でしょう)、優越意識、「理性」を越えて吹き出す民族的感情、あるいは自己中心的な欧米中心主義的な世界観、「自己主張」のもつ内実の乏しさ、多弁にして不実行な現実、それらの織りなす様々な問題、それら全体をつとめて客観的に把握し、ひいては自分並びに自分自身の「社会」を相対化していこうとするものなのです。その「西欧」をお手本とし、あるいはそれに素朴に反抗してきたこの「社会」の位置を、いまいちどdiscourseないしはdeconstruct しようとしているのです。


 企業の活動はとどまるところを知らず、国境を超え、「国際化」「地球化」していきます。情報と運輸手段の発達は、「ボーダレス」という言葉を当たり前のようにしてしまいました。そして、カネにも商品にもいまや国境はなくなりつつあります。「欧州統合」はその象徴です。

 でも、それは決して「国家」の消滅を意味しません。そして、「国家」の力が薄れ、国境の垣根が低くなればなるほど、むしろ人種や民族や宗教や地域の「自己主張」が強まり、「近代国家」の力の前に鳴りをひそめていた感情が、激しく噴出し、単なる「アイデンティティ」の確認にとどまらず、他者への残虐な殺戮や抑圧を正当化する手段になってきています。そこまでいかなくても、地域間や階層間の利害の対立は、解決される場を失い、情報メディアの力によって増幅された憎しみや優越意識を通じて、恐ろしいエネルギーを秘めるようになってきています。

 ひるがえる4つの旗と、その間の矛盾は、もちろん決してひとごとではありません。誰もが今日の地球上に生きるものとして、世界社会をともに担っている責任として、矛盾そのものを率直に認め、単純な「物差し」の押しつけや独善ではなく、新たな、普遍的な「スタンダード」の存在を求めていかねばならないのだと思います。その最低限の手がかりは、「生きること」への権利でしょう(もちろん、かつてそれを「唯一」のよりどころとしたと称して、日本のマスコミの絶賛を受けた「ベ平連」なる連中が、「あいつらをやっつけろ」「ぶっ殺せ」と、「ゲバ棒」をふるって学園を暴れ回った記憶を、私は決して忘れません)。そしてとりわけわれわれ日本に生を受けたものとしては、「西欧崇拝」と「西欧排撃」の狭間を揺れ動き続けるのではなく、新たな「普遍性」の獲得にどのような貢献ができるものなのか、少しずつでも考えて行かねばならないものと思います。




後日談

 パレスチナはもとより、インドネシアやセルビア・コソボでおこっている予想通りの話は別として、アイルランドの話しの続き。


 5月下旬におこなわれた、南北アイルランドでの「Good Friday agreement」に対する住民投票は、ほぼ予想通り、圧倒的な「合意」支持を得る結果となりました。でも、アイルランド共和国は別として、各界あげての「Yes campaign」にもかかわらず、北アイルランドでの支持票は71% あまりにとどまったのです。シン・フェインの態度からわかるように、全人口の約1/3弱であるNationalist 系住民はほとんど賛成票を投じたと見られ、これに対し、2/3以上を占めているUnionist 系は結局、半数近い反対票を投じたと想定されています。ですから、合意反対運動の先頭に立っていたイアン・ペイズリー牧師は「われわれは勝った」とまで豪語したものです。

 結局賛成票が全体の多数を占めたことで、合意は事実上承認され、次のステップに事態は進むことになります。しかし、こうした多数派Unionist系の強い危惧感は、足元の問題が何ら変わっていないことも意味しています。やはり、「IRAのテロリストたちが堂々と釈放され、勝ち誇っている」構図、その及ぼした心理的影響は大きかったようです。実際、「次のステップ」に欠かせないはずの、合意にも明記されている「武装解除」ははなはだ怪しいものです。もちろん所持している武器の数や規模においては、IRAのそれは他の比較にならないはずです。しかし依然、ジェリー・アダムスは態度を明確にしていません。

 ブレア首相は繰り返し、「武装解除がなければ、新北アイルランド議会、南北協議会への参加はあり得ない」と明言し、それでUnionist系住民の不安を解こうとしてきました。しかし現実問題として、北アイルランドでの議員選挙が日程にのぼってきても、IRAが武装解除をあいまいにし、そのまま選挙になだれ込んでしまった場合、シン・フェインを排除しようとすれば、それこそ「合意の重大違反」として、きわめて困難な事態になることは目に見えています。「あるはずがない」武器がどこまで提出されたのかなどというのは、確かめようもないけれど、選挙で一定の票を得た候補者を「IRAの武装組織につながっている」という理由で選挙結果から排除するのは、ほとんど不可能だからです。それに、合意に反対してきたDUP などのUnionist は、どうせ選挙には参加しないでしょうから。


 かくして、事態は完全にIRA=シン・フェインに有利に働いているように見えます。選挙が行われた場合、保守党や自由民主党などの本土政党、また労働党につながるSDLPなどが急速に不利になるのは十分予想可能です。すでに独自議会の設置が決まっているスコットランドの場合、想像以上の勢いで、従来ここを地盤としてきた労働党は支持を失ってきており、代わって独立運動の中心であるスコットランド国民党(SNP)が急伸長しています。「自治」は「独立」機運に火をつけること必定なのです。

 このような事態は、冷静な政治的経済的打算をこえて、排他的なナショナリズムの感情にもっぱら勢いを与えていくのは、多くの国々、とりわけ90年代の世界で明らかに証明されています。したがって、北アイルランドの自治回復と南北協議会設置は、「平和的和解」より、republican=Natinalist とUnionist への分化・正面からの対立につながる可能性の方が大でしょう。シン・フェインとUUPアルスター統一党、あるいはもっと好戦的なroyalist 政党への分極化が、選挙結果を示すことになりましょう。

 こうした今後を読んでか、自信を深めたジェリー・アダムスは訪米し、ニューヨークでは「熱狂的な歓迎」を受けました。いまや「独立と自由の闘士」の扱いです。みなさん、間違っちゃいけません。彼はニューヨークへ「平和と和解」を訴えにいったのではなく、「シン・フェイン運動への資金援助」を求めにいったのです。その歓迎パーティにはアイルランドとかかわりの深い映画スターなど各界著名人多数が出席し、高額の寄付金付の会費を惜しげもなく払ったそうです。

 彼がかき集める資金のうち幾ばくかは、当然IRAの爆弾と火器に化けるのでしょう。もちろん、「武装自由の国」アメリカ合州国でさらに武器を買うのは、たやすいことでしょう。

 「イギリス人」たちですか、まあ知らぬ振り、見なかったことにするのでしょう。最大の同盟国で集められた資金と武器で、首を吹っ飛ばされる、穴だらけにされる、ほんとにいい国ですね、イギリスって。





 その後の後日談


 実施された新生北アイルランド議会選挙では、一般の予想通り、UUPが第一党を占め、SDLP社会労働労働党が第二党、一方シン・フェイン党もかなりの議席をとりました。また、DUPも選挙に参加し、その他のユニオニストグループも参加しましたが、DUP以外は議席を占められませんでした。

 この選挙結果により、9月に招集された議会では、ジェリー・アダムスとイアン・ペイスリーが向き合って、同じ議場の議席に座るという「画期的な」場面が実現し、ようやく北アイルランドに和平の機運が生まれたかにも見えたものです。しかし、この議会によって選ばれた(暫定)北アイルランド自治政府は、UUPのデビッド・トリンブル党首を「首相」に、SDLPのシーマス・マロン副党首を「第一副首相」に指名し、ユニオニスト・ナショナリスト双方のバランスをとったものの、「武装解除に応じない」IRAを抱えたシン・フェイン党の政権参加は排除されました。もちろんDUPは、初めから「抵抗のための議会参加」で、政権参加の意思はなしです。

 これにもかかわらず、ジェリー・アダムスは特に強く抗議はせず、「われわれには立法と行政への参加の権利がある」という主張を繰り返すのみでした。しかし、シン・フェインの「柔軟な態度」とは裏腹に、議会のそとでは、惨事が続きました。

 まず、ロイヤリストの社会的大デモンストレーションとも言うべき、毎年恒例の7月の「オレンジマーチ」、これが事件でした。この行進コースをめぐり、ここ数年、カソリック系住民地区での挑発と衝突を憂慮する警察当局の経路規制措置と、「長年の慣例」をタテに強行をしようとする「オレンジ・オーダー」側との対立、衝突が繰り返されていたのですが、今年は、ポートダウンのドラムクリ地区で、コースを規制する警官隊と行進団がにらみ合い、ロイヤリスト側は大動員をかけて投石などで攻撃を図り、さらに現場に大量の座り込み・泊まり込みをはじめました。明らかに、政治上で一方的に押されているというロイヤリスト側の不満の焦点・はけ口となってきたのです。しかし、かつてはオレンジマーチの先頭で、警官隊に「そこをどけ、通せ」とやっていたUUPのトリンブル党首は、こうした挑発行動をやめるよう呼びかけ、ユニオニスト陣営内の分化がはっきりしてきました。

 そして、ロイヤリスト・ユニオニスト陣営に大きな打撃となる事件が起きました。このドラムクリでの衝突と座り込みをきっかけにして、各地でカソリック系住民への挑発・襲撃が起こり、そしてついに、一軒の家が火炎瓶で放火され、寝ていた三人の幼い子が焼け死ぬという悲劇が起こったのです。この残忍なテロ事件は英国全土にショックを与え、オレンジ・オーダー指導部のうちからも、国教会牧師やその他の政治家などが、「こうした悲惨な犠牲を招いてまで、行進を強行する理由はない」と手を引き、ドラムクリの現場での泊まり込みに場所を提供していた国教会も、庭を閉鎖しました。

 また、この事件をきっかけにして、従来も「武闘継続」を表明していたロイヤリスト系組織のうちから、「休戦」を宣言するところが相次ぎました。


 この悲劇から、非暴力への気運が高まるかと思われていたその矢先、いっそう残虐な事件がオマーという小さな町でおこりました。買い物客でにぎわう商店街で、自動車爆弾が爆発、主婦や子供など、実に21人が即死、数百人が重軽傷を負うという、この「アイルランド紛争」によるテロ事件でも最悪の事態となったのです。

 このオマーの爆弾テロは、IRA内から分派した「Real IRA」という小グループの犯行であると推測され、やがて「Real IRA」自身がそれを認めました。リパプリカン武装組織がみんな「グッドフライデイ合意」に賛成し、「休戦」しようというわけではなかったのです。私も予想したように、「妥協などない」と、テロを続けるグループに、まだまだ豊富な資金と武器はあったわけです。

 この、想像を絶するような惨劇に、シン・フェインのジェリー・アダムスも「非難声明」を発表し、英国内でも北アイルランドでも、またアイルランド共和国でも、「史上初めて」ほぼ一致した暴力への非難と、和平実現への努力を誓う声があがりました。そして、IRA仮本部派はこの間に、「Real IRA」に対し、「こんなことを続けるなら、おまえたち全員を処刑するぞ」と通告を行ったもようで、ついに「Real IRA」は、この爆弾大量殺戮が「ミス」と「行き違い」によって引き起こされた、予定外の出来事であったとし、犠牲者に「哀悼の意を表する」とともに、自ら武装闘争を半永久的に停止する旨、声明を出しました。実際にはIRA仮本部派の手で、「強制解散」させられたのでは、とも言われています。


 そして、その後の、UUPのデビッド・トリンブル、SDLPのジョン・ヒューム両党首への「ノーベル平和賞」授与、クリントンの北アイルランド訪問、ブレアのアイルランド共和国訪問などの事態もあって、「大きな新たな犠牲のうえに、平和的解決の機運は近づき、武力に訴え続けるグループは孤立、自ら和平路線をとることを迫られた」ようにも見えます。しかし、もちろんそうであれば、これ以上の悲惨な犠牲がなければ、それに越したことはありませんが、そう簡単に楽観を許すものでもなさそうです。

 もちろん、依然最大の問題は「IRAの武装解除」です。「合意」からすでに半年以上、しかしいまもって、アダムスは「武装解除」を口にしていません。「シン・フェインとIRAは違う」、「簡単に説得はできない」、「英軍側の和平条件が満たされたとは思えない」などとしながら、実質的な引き延ばしを図っていることは明らかです。その一方、当人は米国にたびたび出かけ、「自由と平和の戦士」のイメージを売り込み、さらに、南アフリカ大統領ネルソン・マンデラと握手したり、スペインで「政府とETAバスク自由の戦士の和平進展」に経験伝授するとぶったり、「大活躍中」です。


 この状態は、政治的駆け引きとして、シン・フェイン=IRA仮本部派には最良のシナリオでしょう。武器弾薬と資金はますます豊かになり、政治的発言力は高まり、国際的プレゼンスとイメージアップは大きくすすみ、その一方で「失った」ものは何一つないのです。それどころか、「合意」により、まもなく多数の「IRA服役囚」が無罪放免となって戻ってきます。「南北議会」が時間切れで始まってしまえば、シン・フェインの発言力はいやがおうにも増します。トリンブルやヒュームが「名前ばかりの名声」をえても、その力は低下する一方です。そして、英国政府は「合意」履行を義務づけられ、英国軍の段階的縮小撤退、アルスター警察の改変、北アイルランド自治政府への権限譲渡などの手順をすすめねばならなくなっています。

 このまま、IRAが「文武両道」で実質的に北アイルランドの命運を握るか、ひたすら追いつめられ、対抗手段を失ってきたロイヤリスト・ユニオニスト反主流派が「暴発」するか、決して予断を許しません。もちろん、オマー虐殺ののちも、「平和が続いている」のではなく、両派の「散発的な」殺しあいや、街頭での警官隊との衝突は続いているのです。


 まあ、すでにクリントン=NATO軍首脳とIRAとの「妥協」は成立しているのかも知れません。それを知っているロイヤリストも、イアン・ペイスリーも、「ここでなんかやらかしたら、NATO軍のクルーズミサイルをぶち込むぞ」と通告され、「民族抑圧の元凶」のレッテルを貼られるのを恐れているのかも知れません。

 そうならそうで、「米国=NATO型支配」による「地域和平」強行実施の見本になるのかも知れませんが(でも、アイルランド共和国は、西欧で数少ない「NATO非加盟国」なのですが)、そういったことが、なにも本当の「解決」ではないこと、ここで殺され、また家族を奪われた何万という人々の「怨念」は決して消えないことを、「人類」の一員としては忘れるわけにはいかないでしょう。

 もちろん、「爆弾で大勢やっつけた」「民族独立の英雄」たちが、殺した子供たちの血に染まったその拳を振りかざし、誇らしげに「ガッツポーズ」をする、それはなにもIRAやUDFだけの姿ではありません。「戦争」と「軍隊」、そこに分かちがたくつきまとっている姿であることも当然なのです。

 また、その意味で、「戦争」と「軍隊」を当然のように肯定する、そうした英国人らにとっては、「憎むべきテロリスト」が、いつしか「敵軍」に、そして「自由の戦士」に昇格し、「互いの健闘をたたえ、犠牲者にともに花をそなえよう」という話で終わる、「敵軍捕虜」なら、釈放もやむなしじゃないか、と納得する、これもやむを得ざる道筋なのかも知れません。まさしく、「殺人と破壊」こそが現代国家の宿命であり、使命である、とする限り、「矛盾」はこのように、「レッテルを貼り替えていく」ことで解決されるしかないのです。



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