三井のロンドン絵日記(23)

ロンドンを去る日

戦時下の社会から



 一年間の在外研究生活の終わりを迎え、この間にできたこと、やり遂げられなかったこと、宿題など、いろいろ確認と反省の思いを新たにしております。

 でも、この一年間のよき思い出を、前回の予想通りに始まった、陰鬱な戦争のニュースがすべて台無しにしてくれています。連日、「敵防空基地、兵舎などを破壊」「80%の目標を攻撃」「わが方、全機無事帰還」などの「戦果」の大本営発表とともに、「セルビア、コソボでの住民迫害虐殺を拡大」「50万人の難民流出」「この最悪の殺戮・民族浄化に鉄槌を」「もう叩くしかない」などと絶叫する、軍人、政治家、自称「ジャーナリスト」ばかりがマスコミ報道を埋め尽くし、彼らのゆがんだ、引きつった顔が、いっそうグルーミーな気分を増してくれます。本当に、新聞もTVニュースも見たくなくなります。



ロイヤル・ホローウェイカレッジへ

 ともかくも、私自身にとっては、帰国に伴う、集めた資料などのまとめ、荷物の送り出し、住まいの整理その他諸々の作業も一段落し、多くの人たちに別れを告げるところとなりました。先日は、旧知のコリン・ハスラムのいるRoyal Holloway に行き、土壇場ではありましたが、旧交を温め、また彼の一層の活躍ぶりに感嘆をしました。

 Royal Holloway は、University of London を構成するカレッジのひとつです。ただ、University of London というのは一種の「連合大学」で、ロンドンを本拠とする多数の「大学」が集まったものと見る方が正確でしょう。「本部キャンパス」のようなものはありますが、ここにあるUniversity College 、Birkbeck College、 SOAS(アジアアフリカ研究所)などはその一部に過ぎず、伝統を誇るKings College、Imperial College、LSEなどは全然別のところにあります。このうちRoyal Holloway は、ビクトリア時代の成功した製薬業者の設立した、女学校が前身で、Eghamという、ロンドンに隣接する西郊の丘の上にあり(本来わが住まいには近いところ)、瀟洒な19世紀の建物が人目を引きます。

 Royal Holloway は女学校時代からの伝統で、芸術、演劇や物理化学、園芸学などを特徴としてきました。ようやく最近になり(男女共学化は30年ほど前から)、社会科学系を重視しだし、School of Management (経営学部)も設けられ、コリンはそこに採用され、以来5年間も、学部の整備発展にひたすら貢献をしてきたというわけです。本当にゼロからのスタートで、はじめは学生募集にも苦労、スタッフ集めや資金集めに駆け回るかたわら、週20時間も授業を担当するという働きぶり、一人何役もで、よく倒れずに来たものと感心するしかありません。


 その彼は、日本流に言えば、「中学中退」組なのです。日本と異なり、基本的に「卒業」というもののないこの国では、中学校の「所定の年限」を終えたとて、そのままでは「school leaver」という「肩書き」しかつかず、「no qualification」、つまりなんの「資格」にもなりません。つまり、「中退」と同じことなのです。そういう人間が、相当数毎年出ていたことが、この国の大きな「教育問題」でした。

 「高校」レベル(この辺は、制度が非常にややこしいのです)に「進学」するには、中学終了段階で、全国統一試験(GCSE、以前の「Oレベル」)を受け、一定の点数をとらなくてはなりません。そして高校終了段階で今度は、「Aレベル」の統一試験を受け、その成績によって、大学等への進学が可能になるのです。これら、各試験を受けてない、あるいはいい成績がとれないと、結局「うえの学校へ進めない」わけですが、そうした場合には、各「専門学校」で職業教育を受け、職業資格を得る道があります。ただし、ドイツなどと違い、職業教育の未整備、社会的評価の低さが特徴の英国では、こういったルートは十分機能せず、むしろ旧OレベルやAレベルを受けていない人たちが、再度挑戦するための場、つまり日本流に言えば、「予備校」のようなところが、次第に多くなってきています。大学進学熱の広まりに伴い、「専門職業教育機関」のはずのところが、「予備校」化しつつある傾向も目にします。


 コリンはそういった試験を受けず、ために中学を出ても、「ろくな就職先」もなかった始末だったのですが、なんとか口を利いて貰って、入った企業で、「メッセンジャーボーイ」のようなことをやっていました。しかしそこで次第に認められ、いろいろ仕事を任されるようになり、さらには、新たに移った先の大手企業の企業内奨学制度の機会を得て、大学に進学できるようになったのです。もちろん、この間にOレベルやAレベルの試験を受け、大学進学資格を得たということです。また、企業が向学心ある人たちの進学を支援するという仕組みは、さまざまなところで見られ、あまり拘束もなく、なかなかの役割を従来から発揮してきているようです。

 コリンは大学進学後、ついには大学院にまで進み、研究者になってしまいました。そしてこのRoyal Holloway においては、学部の新設と発展の計画と運営実施に大いに手腕を発揮し、まさしく「経営戦略の模範」を地で行っているのです。その功もあってか、いまでは若くしてProfessorです。そういった人材が、「中学中退」レベルの中から出てきた、これはなかなかのことです。


 この経営学部もそうですが、Royal Holloway ではアジアならびに日本との研究教育交流を非常に重視してきたのも特徴です。演劇分野では、「能舞台」(ただしまだ仮設ですが)まで持っております。日本から来ている学生の姿も目立ちました。経営学部などでは日本企業との提携も大いにすすめ、派遣学生を受け入れたりする一方、「国際経営」の研究教育を売り物とし、日本企業などをスポンサーにして、いまや資金事情も相当によいようです。今度は「国際経営」を重点とした、通信教育のMBAコースもはじめました。

 もちろん、いまや「日本的経営」は斜陽の勢いですから、このRoyal Hollowayでの研究の重点も、アジア太平洋圏の経済と経営といった分野に移ってきており、ここでも日本の影は薄くなってきつつあります。その一方、中国(華人圏)への関心が高まってきています。それでも、「国際センター」のカフェテリアには箸も常備され、スシも学内で買えるそうです。



「パブで日本料理」のお別れパーティ

 このRoyal Holloway でコリンに今後の交流を約し、戻ったその週末、一年間滞在したキングストン大学中小企業研究センターで、ささやかな「お別れパーティ」を催してくれました。ちょうどセンターから他の仕事に移るスタッフもいたので、二人分を兼ねて、ということです。これは、キングストン近くのパブでやる、というので、まあ例によってみんなで立ち飲みしながら、がやがやと、なんとなく終わる、というのかな、と思いながら行ったのですが、そうではなく、れっきとした「コース料理」を食べるパーティでした。しかも、その料理がなんとJapanese menu、典型的なパブで、ヤキトリ、ミソスープ、テンプラ、テリヤキなどを食するというびっくりものでした。味の方は今ひとつ、「洗練されてない」観もありましたが、ともかく日本料理なのです。これは話しによると、このパブの現経営者の奥さんが日本人で、こういったメニューを考え出し、そのほかにも日本物を随時提供しているそうです。

 みんなでテーブルを囲み(欠席者はほとんどゼロ)、なんとか箸を使いながら日本料理にとり組み、そこからまた大いに話に花が咲く、というものとなり、そのうえ、いつも通りにこの一週間多忙を極め、あちこち飛び回っていたロバートは、この場に駆けつけ、なんと私に「礼状」まで添え、お別れの記念品さえもプレゼントしてくれたのです。こういった折りには、世話になってきた私の方こそ、お礼の意味で「お別れ会」を催し、みなを招待し、記念品などおくるのがスジと思えるのに、まったくもって有り難いというより、申し訳ないばかりでした。私の方では、各スタッフへのささやかな挨拶のカードと、「謝辞」のスピーチを用意していっただけだったのですが。


 儀礼的なパーティではなく、一年間をともに過ごしてきた、センタースタッフそれぞれの心が伝わる、その親切が身にしみる、実に心温まる機会でした。彼らとともにあってよかった、これからもいいつきあいができていける、それぞれやがてはまた別の仕事などに散っていくこともあろうが、お互いの友情を築いていける、そういった気持ちを抱くことができました。翌晩、ジム・カランの家に行き、別れの挨拶とともに、また話しに花を咲かせ、一年間に得た心の財産を思うことができました。



「全体主義・軍国主義」に走る西欧と、人々の沈黙

 この人間同士のつきあいに、この一年間ロンドンでの在外研究生活を送ってよかった、またとない機会を得られた、という思いは、今ひとつの「現実」である、この戦時下の英国というものに引き戻されると、一挙にまたグルーミーなものになってしまいます。

 キングストンの知人たちに限らず、さまざまなよき知己を今度も得ることができました。あるいはまた、道で、公園で出会う見知らぬ同士が、老紳士や夫婦、若者や子供たちが、そのつどにっこりと笑みをかわし、声をかけ、道を譲っては「サンキュー」と口にする、そういった文字通り人間的な雰囲気と、他国を勝手に攻撃爆撃し、それを「人道のため」などと称して胸を張り、恥じない国、これを支えるプロパガンダしか流さないマスコミ、この異様な雰囲気との落差は、なんとも心苦しいものです。私自身にとって、あまりに自明かつ月並みのことであっても、永遠の矛盾であり、課題です。


 こと戦争について言えば、私が叫んできた、事態のこれまた最悪のシナリオに向かってまっしぐらです。一方的にひとつの民族を「悪玉」と決めつけ、やっつけにかかることで、「民族問題」が解決できるはずはなく、ますます民族同士の対立感情と憎しみを、さらには「それならこっちもやってしまうまでだ」というシニシズムに火をつけるばかりになること、これは日々明らかです。また、民族対立を背景にした問題に、真の「外交努力」をもって妥協と解決点を探るのではなく、いきなり「最後通牒」を突きつけ、一方の側を暴力でおどかし、締め上げることで、出てくる結果は戦争と民族同士の殺し合いしかありません。

 「人道」を掲げた一方的な戦争=殺戮と破壊、この矛盾にさえ気づかず、自分たちが「世界の裁判官」兼「正義の戦士」になったものと気取り、ひたすら攻撃をエスカレートすることしか考えない、それになんの懐疑も反省も抱かない、ましてや「国際法」など眼中にない、政治家や軍人やマスコミ人たち、彼らにはこの戦争の出口などまったく思いもよらず、ひたすら憎しみと敵愾心と戦意高揚をあおるしかないのです。彼らは、セルビア全域の占領はもとより、セルビア人の抹殺しか眼中にないのでしょうか。


 この20世紀最悪の侵略戦争に「正当化」を図るため、「コソボの可哀想なアルバニア人たちを迫害から救う」というかたちで繰り広げられたプロパガンダは、欧米社会では、確かにある程度の効果を今のところ発揮しています。しかしその結果、この戦争にはまったくの「落としどころ」のない、出口なきエスカレートしかなくなっているのです。いまは、「コソボから逃れてくる多数の難民たち」の映像が、ますます憎しみをあおり、「コソボでは最悪の虐殺と『民族浄化』が行われている」との名目で、泥沼の「地上戦」にまで一直線、もはや遮るものはなくなってしまいました。「外交」は消え、国連は沈黙し、正真正銘、「世界戦争の時代」がやってこようとしています。


 コソボにおいて今、実際にアルバニア系住民の追い出しや迫害がおこっている(交戦国同士になってしまった以上、それを証明するものはなにもないのですが)としても、その責任はいまや相当程度に、この国際法無視の侵略攻撃を始めた米英・NATO軍にあることを免れません。戦争となれば、新たな攻撃と侵攻に備え、交戦体制を整え、また敵国を背後から支えようとするKLAなどへの先制攻撃・掃討作戦が行われるのも、当然の選択だからです。どんなに卑怯卑劣とされようとも、「軍事作戦上は」、村々を占領したり、破壊するのもひとつの手段であり、それはNATO軍の作戦要務令にも同じことが書いてあるはずです。

 どうやら欧米マスコミが想像したシナリオは、米英・NATO軍の圧倒的な空軍力による攻撃が行われれば、恐れ入ったセルビア政府がすぐに手をあげる、コソボでKLAとの戦闘を続けてきたユーゴ連邦軍やセルビア治安部隊が「フリーズ」し、KLAとこれを指導するNATO軍の「ご到着」をお待ちするようになる、などという、それが「平和への道」だなどという、信じがたい代物であったようです。

 しかし、10年来にわたり「悪玉」扱いをされてきた、一方的に非難の包囲にさらされてきたセルビア人にとって、その言い分なり主張なりを示す機会を一切奪われ、あげくには一方的な爆撃にさらされれば、どのようなことをやってでも、「反撃」に出るというのがごく自然です。欧米政府とマスコミがあらゆる憎悪を集中してきた、いわゆる「セルビア民族主義者」とそれに乗った「バルカンの屠殺者」ミロシェビッチ連邦大統領が、あっさりと手をあげ、無条件降伏するなどというはずがなく、捨て身の反撃に出るのは、誰にでも予想できましょう。「アルバニア民族主義者」は何をやっても自由、セルビア人の行動はすべて悪、などというとんでもない「ダブルスタンダード」が世界を駆けめぐっている限り、恨みとシニシズムをいかに助長しても、民族共存や融和の可能性などあるはずがありません。


 このような、「可哀想なアルバニア系住民を救うため」と称しての「戦争目的」自体の自己矛盾の表面化と、出口のないエスカレートの道に対し、ひたすらいっそうの憎しみをあおるのみの欧米政治家とマスコミのプロパガンダは、その犯罪性からして、彼らの言うところの、「中世並みのセルビアの暴虐」となにも変わるものはありません。彼らが、「セルビア政府と軍はアルバニア系住民のジェノサイドをすすめている」と絶叫するならば、彼らがめざすものはあべこべに、「セルビア共和国とセルビア人のジェノサイド」しかないからです。「民族問題の解決」を、一方的な暴力攻撃にゆだねた途端に、「仲裁者」のカンバンをかなぐり捨て、「政治解決」の道は自ら閉ざしてしまったのです。


 まことに悲劇的ながら、この先には、泥沼の地上戦と、セルビア各都市の全破壊、ユーゴ連邦軍・セルビア治安部隊の大量屠殺、そしてそれと引き替えのNATO軍の大損害、多数のコソボ住民の死傷と全難民化しかありません。米英・NATO軍にとっては、本来の意図であった、NATO軍に対抗できる軍事力をひとつ、地上から抹殺できれば、どのような損害を払ってでも「成功」ということになるでしょうが、その後には、第二次大戦に匹敵する数の墓標と、破壊のみが残されます。大損害と大虐殺ののちに、NATO軍とKLAがコソボを占領し、予定通りに「コソボ共和国」傀儡政権を作っても、そこには破壊され尽くしたコソボの地しかありません。そして、どれほどの数のセルビア人が殺され、投獄処刑されても、廃墟で餓死しても、彼らが残る限り、アルバニア系住民同様に、セルビア人の憎しみは永遠に受け継がれます。


 このとんでもないシナリオに火をつけた、戦争犯罪人たち、クリントン、ブレア、ジョスパン、シュレーダー、ダレーマ、オルブライト、クック、ソラナ、ロバートソン、クラークらの名は、永遠に歴史の汚名として残るでしょう。しかし、彼らの侵略の道を掃き清めた、欧米マスコミの犯罪性も、永遠に記憶されましょう。



死に絶えた「平和の声」

 今、繰り返し書いてきたように、西欧に「平和の声」は死に絶えました。議会は「翼賛議会」と化し(もっとも、語るに落ちた話しに、「英国では、伝統的に戦時には『超党派』で戦争協力する」のだそうです)、どのような意味でも、この戦争を批判する声は聞かれません。当初あった、「これは国際法違反ではないか」とか、「他の民族紛争や民族抑圧に、NATO軍がなにをしたというのか」といった労働党内の一部の声、また、「これでは出口がない」「なにを意図しての戦争なのか」といった保守党からの一部の批判、いずれも聞こえなくなりました。

 もちろん、かつての「平和運動」「人権運動」「環境運動」も完全に沈黙しました。それはそうでしょう。まだ「遠いところの戦争」、「一部の軍人たちだけの戦い」であるせいもあります。それだけではなく、「平和のためにNATO軍のミサイルを」とか、「環境にやさしい爆弾」などと言って、B52に、トルネード戦闘爆撃機に小旗を振る、というのもいくらなんでも、かつての「平和運動」家や「環境運動」家にもできかねるからです(いや、そのうちに出てくるかも。現に、「爆撃は当然だ」と胸を張る、ドイツ政府のフィッシャー外相というのは、「緑の党」出身なんですが)。

 聞かれるのはせいぜい、セルビア系やスラブ系市民の抗議運動くらいです。私の目から見て、まさしく状況は「全体主義・軍国主義社会」です(もっともSNPスコットランド国民党は、来るべき議会選挙を意識して、英国労働党政権の内政干渉と戦争拡大批判を打ち出しましたが)。


 では、多くの心ある人々は、個人としてそれぞれどうしているのでしょうか。彼らは今、心中ジレンマと自縄自縛に陥っていると思えます。「平和」と「人権」、「環境」、これらの理念の延長上には、当然戦争と爆撃反対の思いがあります。こんなかたちで戦争を始めて、どうなるのかという不安の気持ちが心中にあります。でも、政府と軍とマスコミが圧倒的な勢いで洪水のように流す戦争プロパガンダ下には、これが「人道のための戦争」なんだ、「可哀想なアルバニア人をセルビアの迫害から救う、とらねばならない手段」なんだという侵略合理化に、対抗できる主張が誰も持てないでいるのです。確かにこういった「人道上の大惨事」を防ぐには、凶悪なミロシェビッチやユーゴ軍を「懲罰」するしかないのでは、という「やむを得ざる選択」論に、引きずられてしまっている状況が目に見えます。

 「主権国家への一方的な侵略」という事実に対しては、「主権」をタテに、国内の人権侵害や民族抑圧を許すべきではない、それが「グローバル化、国境を超えた理念の時代」なんだ、という、ご都合主義の「国際化論」が合理化に用いられがちです。自分たちの側の「主権」にはなにより敏感なくせに、またこういった名目で過去に世界を支配してきた歴史には反省していないくせに、他国に自分たちの「基準」を押しつけることにはなにも抵抗感がないのが、どのような立場の人たちであれ、無意識的にも西欧社会のいまの支配的論調でもありますから。


 ちなみに、今回の悲しむべき事態の展開への私の怒りの声に対し、「国家主権にのみこだわれるのか」、「まさしく現代は否応なくグローバル化の時代ではないのか」という、疑問の声も頂きました。それはその通りだと思います。しかし、その際にその「国家主権を超える」原理と対応は、その主権国家ならびにそれを構成してきた国民の意思と利害に基づかなくてはなりません。それを無視して、第三者が、力を頼みに、自分たちの考える価値観やルールや仕組みを押しつけるというのであれば、それはまさしく「帝国主義」になってしまう、と私は言うのです。それが現代の、経済活動や情報のグローバル化に依拠しているのならば、そして特定軍事・経済大国間の連携同盟と裏腹であるのならば、これを「新帝国主義」と呼ぼう、と私は主張するのです。

 かつての「非同盟諸国運動」のリーダーであったユーゴスラビア連邦が、戦後世界を動かしてきた軍事同盟NATOの一方的な攻撃にさらされている、孤立無援状態である、このことこそが現実を象徴しています。


 もし、「可哀想なコソボのアルバニア系住民を救う」というのが「国際社会の目的」で、そのためには懲罰もやむを得ない、という考えにやむなく同意しても、当然ながら、現に戦争を始めた結果、コソボの住民は全員難民化しつつあり、迫害はいっそうひどくなっていると伝えられているではないか、それでは「目的」さえもまったく実現しないのではないか、という思いも根強くあります。あるいは、その「目的」はこの先どうしたら達成されるのか、コソボでの大規模な爆撃と地上戦しかなく、すなわち米英・NATO軍も泥沼の戦闘に引き込まれ、深刻な損害を被ることになる、という危惧感も相当にあるはずです。そうなれば、「他人事」でも済まされません。自分たちの、家族や知人が現に生命の危険に遭うようになってくるわけで、アングロサクソンはこういった「自分たちの危険と損失」には非常に敏感になってきていますから。「人を殺すのはいいが、誰も死にたくはない」というのがその「ヒューマニズム」です。

 しかし、こういった疑問も、いまのところ、圧倒的なマスコミのプロパガンダと、「逃れてくるコソボ難民の惨状」の映像と、「戦争を始めなくたって、セルビアはコソボで迫害をエスカレートしていたんだ、われわれのせいではない」という、政府・軍の強弁の前に、沈黙を余儀なくされています。


 従って、いまや際限ない戦争拡大への道には、誰も立ちはだかるものはなく、状況は悪化するばかりです。連日の「大本営発表」に驚喜するものは少なくとも、怒るもの、声をあげるものもなく、実はひたすら「沈黙」と「無関心」(を装う)状況が、社会を覆っているのです。


 先日の、私についての「お別れパーティ」の際にも、この戦争はほとんど話題にものぼりませんでした。そういった件はいま語りにくい、避けたい、そのような雰囲気があちこちを支配しています。「戦争は反対だ」と言おうものなら、「それでは、住民虐殺を放っておくというのか」などと突っ込まれそう、しかし、「人道のための戦争だ」「ミサイルと爆弾で世界が救われる」などというのにも抵抗感がある、結局「黙っている」「いまは触れない」というのがいい、こういった状況に思えます。

 それに、ともかく戦争プロパガンダしか出てこないのです。日本の報道ではまだしも、国連の状況、ロシアや中国の動き、ユーゴスラビアに対する周辺国の対応などが伝えられ、「絶叫するマスコミ」報道ではないだけに、より国際的な視野でものが見えてきますが、なにせ当地では、それがほとんどありません(ここ数日間、日本からの報道では、ロシア・中国の強い批判と非難、ローマ法王さえも声をあげる「一方的な戦争批判」の動きを伝えておりますが、これはまったく当地では聞かれません。「セルビア勢力による住民追放、大虐殺、処刑、都市や村落破壊」といった「報道」がすべてを支配していても、日本ではロシア経由で入ってくる、「セルビア共和国内では既に数千人が爆撃で殺されたと」の報は、一切なしです。戦時体制下では当然かも知れませんが、いまや完全な「報道管制」下にあります。もちろん、ユーゴ出身のサッカー選手たちが欧州や日本で抗議活動を展開、これを「サッカー連盟」が弾圧にかかっているなどと、サッカーキチガイの英国では、誰も知りません)。

 それに加えて、この「情報化」時代でのミロシェビッチ氏の宣伝下手、「こわもて」一本槍のまずさは、ここへきていっそう明らかです。「強国の圧倒的な軍事力による攻撃」にさらされた「小国」の強み、そういったものを発揮することもせず、他国の連帯への呼びかけも、この戦争目的を自らの側から示すこともせず、まったくもって、他国占領さえも正当化したサダム・フセイン氏に及びもつきません。ですから、「人道のための戦争」の看板と強弁が、いまや西欧社会を覆い尽くし、あらゆる批判の声を抑え、そしてその看板自体がいまや一人歩きし、際限ない戦争の泥沼化に道を開いている、とせざるを得ない状況です。



この時代を超えられる力はどこに?

 かくして、西欧社会はいまや、「全体主義・軍国主義」の時代になり、「平和の声」は死に絶えました。世界を、「可哀想な人々」と、彼らを守る「自由の戦士」と、「凶暴なテロリスト」の三つにしか分類できない、単純にして無知蒙昧な善玉・悪玉「世界観」と、TVゲームとハリウッド映画以外のイメージしか持てない「想像力の貧困」とが、常に無意識的に存在している、自分たちが世界の「裁判官」であり、「死刑執行人」でもあると思いこんでいる、西欧の独善と傲慢と相まって、社会的な「暗黙の同意」状況を生んでいます。これが「戦争と破滅への道」です。

 私の知り合った、善意と好意に満ちた多くの人々の脳裏にも、そういったものが共通して潜んでいると言えないことはないでしょう。また、いまの「沈黙」は、結局ますます悪い事態を招いていくのみでしょう。

 TV報道などの「絶叫」のかたわら、この国が戦争を今やっているなんてまるで聞いたこともないような、「平時」のお笑い番組やソープドラマやクイズが、何事もなかったかのように、TVから流されています。それは決して、戦争への「暗黙の批判」でもなく、「無関心」を装った「暗黙の同意」でしかなく、「全体主義・軍国主義状況」の支えそのものとなっています。もちろん、この「日常性」は、「客観性」を装った西欧マスコミのもとの、報道管制と戦争プロパガンダの実態を覆い隠し、「リビングルームからの戦争」を広く支えているのです。


 言うまでもなく、裏返しの独善・「相対主義」として、日本と日本人がすべて正しく、世界で万世一系、唯一最高の存在などと考えてはおしまいです。今どき、「Emperorの治世が永遠に続きますように」などという歌を、「国歌」にしようなどという時代錯誤、ピンぼけぶりには参ったものです。でも、もうこれ以上、素朴な西欧崇拝、西欧社会の理想化はやめにしましょう。


 個人の善意と、社会の偏見・病弊と害悪、国家の抑圧と暴力といった「二元性」は、いまさら聞き飽きたものであっても、永遠の矛盾です。社会のアイデンティティとしての「民族」は、誇りとともに、限りない憎悪と敵意と殺し合いを生み、国家はそれを克服できず、むしろ「国家を超える国家」は、いっそうの暴力を制度化しようとしています。「理想主義的価値観」の支配は、そのまま傲慢で卑劣な「支配の思想」を広げています。

 この甚だしい「世紀末状況」(否、「millennium状況」?)に、個人の意思と人間性に立脚した「批判的克服」などということさえも、本当にこの人間社会で可能なのか、あまりに現実はシニカルに過ぎるのです。



 ま、私もこうした、重大な歴史の転換期に、「戦時下の社会」を体験できたのは、またとない貴重な「在外研究」ではありました。でも、そこでの「傍観者」にとどまらず、こういった「個人の意思」を示さんがために、「ブレア社会帝国主義政権」の弾圧に遭い、自分はもとより、多くの善意の友人たちに迷惑をかけたくはありません。怒りと悲しみと、深い絶望感とともに、人間への一抹の信頼と希望を抱き続けながら、「静けさのなかの戦争」を続ける、この国をあとにしたいと思います。 <無事に日本へ帰れれば、ですが>



(おわり)



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