三井のロンドン絵日記(16)

「戦争」から遠くはなれて

−「戦没者追悼記念日」と、はてなき軍備増強と


 英国からは、いかにも「出来レース」の「ピノチェト逮捕劇」の右往左往の陰で、私が「絶叫」してきたように、トルコ国内で独立運動を続けるクルド人解放組織の指導者は、イタリアで逮捕拘束状態、米国=NATO軍は、「凶悪なテロリスト」と呼んで、早くトルコ政府に引き渡してぶっ殺せと叫んでおります。この勢いにあおられ、問題に直接間接に関与しているドイツ政府はもとより、当のイタリア政府も右顧左眄、「サヨク」民主党首相は、「テロリズムは許さないんだが、トルコに引き渡して、すぐ殺されるのもちょっと困る」と、うまく責任をドイツなどほかになすりつける道を探している模様です。


 セルビア内のコソボアルバニア人武装組織=圧制と戦う「自由の戦士」、

 イラク内のクルド人組織=凶悪な独裁者サダムを倒せる「正義の味方」、

 トルコ内のクルド人組織=凶暴なテロリスト集団、

 こんなNATO軍のでたらめキャンペーンと、その尻馬に乗ってプロパガンダを続ける西欧マスコミ、そしてその鼻息をうかがうことに汲々としている、NATO軍政治部と化した西欧諸国「社民党」政権、まさしく笑うべき連中ばかりです。


 ただ、誰の目にも間違いのないことは、いまの西欧社会には「平和」という言葉は死滅したという事実です。セルビア侵略や新たなイラク攻撃の危機に、「戦争ではなく、平和解決を」、とか、「人権・人道を守るのはミサイルや爆弾じゃない」と呼びかける言葉は、新聞・雑誌、TVはもとより、街頭でもまったく聞かれませんでした(明日にでも、セルビアに爆弾を降らすぞ、と不倫トンとブレアが叫んでいたその日、たまたまロンドン都心へ出かける用があって行ったら、なにか街頭で叫んでいる若者たちがいましたので、「セルビア攻撃反対」でも、「コソボのアルバニア人を守れ」でも、何かやっているのかと思ったら、「動物実験禁止を実現しよう」でした。化粧品や医薬品などの安全性実験に猫や犬などを使うのは、人間のエゴのための動物虐待だ、という例のキャンペーンです。まあ、かつての「反核・反戦の女性闘士」、もと大女優のグレンダ・ジャクソンが、いまじゃあブレア政権の大物閣僚に収まっているくらいですから)聞かれるのは、「新しい世界秩序」だの、「連合国(allied)の力」だので、地球上の一方的な力と化した米軍・NATO軍の武器と恫喝をもってすれば、なんでも出来るはず、という話ばかりです。


 不倫トンの無二の親友ブレアは、米軍の援助でクルーズミサイルをもらい、一発ぶっ放して得意満面となっていました。これでうちだって、どこでも攻撃できるぞ、というわけです。また、ブレア政権が財政難改善策として打ち出した「地方軍」(territorial army)の削減策に、真っ向から異を唱えたのは、保守党だけじゃなく、第三党自由・民主党(Liberal-Democrats)でした。中産階級やインテリ好みで、伝統のリベラリズムや自然保護などの同党の姿勢と、財政事情を無視しても「戦力維持」を叫ぶこととは、もうなんの矛盾もないようなのです。


 11月、英国伝統の「戦没者追悼記念日」、今年はそのもとになった第一次大戦終戦80年ということもあって、大がかりに各地で行われていましたが、ここには「死者を弔う」とか、「その犠牲に哀悼の意を表する」などという言葉がいくら並べられていても、一つとして、「戦争をなくさねばならない」という言葉、戦争こそは人類最大の過ちであるという反省の意は、聞かれませんでした。むしろ、死者も、生き残ったベテランたちも、すべて「国のために戦った英雄」として賞賛される対象なのです。

 もちろん、その戦争に異を唱え、人間の生命を守るためにあえて立った、八〇余年前の少なくない数の人々の思いはどこにもなく、そして、自ら「殺人」と「戦死」を拒み、軍隊と戦争を捨てた=脱走者・抵抗者、それゆえに「臆病者」「反逆者」として処刑された人々は、いまもって「追悼」も「祀られ」もされていません(フランスのジョスパンが、この機会に、八〇年前、抗命・脱走で処刑された人々の名誉も見直そう、と言明したという報もありましたが、そんなのは英国では論外のようです)。


戦没者追悼の花輪と、記念碑と
 つまり、この国では二〇〇年間、戦争と殺人が一貫して正当化され、それがこれからも続くのです。「生き残った」老軍人・兵士たちの胸に輝く勲章と、「戦没者追悼の日」を記念して、多くの人々が競って胸につけている、戦傷者らへの寄付金つきの「赤いケシの花」章とは、私には同じものに見えました。そしてそれはまた、「英国は永久に戦争国家なんだぞ」という決意の象徴にも見えました。


 その英国が、ニッポンの「捕虜虐待」を叫んで、なんどでも「反日キャンペーン」をやっているのは、笑うべきことですが、この反日キャンペーンを売り物の一つにしている「The Sun」の今日の六面トップには、「この野郎」という大文字が踊っていて、「Japanese for: You Bastards」と解説が付いていました。もと英軍捕虜が、日本軍の収容所での虐待への謝罪と補償を求めた日本での裁判が、「門前払い」されたことを取り上げた記事です。もちろんこれは、英国では「クルド人問題」どころじゃない、大ニュースです。

 日本軍の侵略と虐待をいま、きちんと謝罪し、始末をつけなくてはならないのは明らかでも、そのなによりの相手は、中国国民であり、その他のアジア諸国民です。そして、日本は決して、戦争や暴力によって「国際紛争」にケリをつけようとはしないと意思表明した、戦後憲法を生かすことです。

 それができていない戦後日本政権と、これを支えてきた米国・米軍の責任は免れず、そこを明らかにしなければ、先の天皇訪英時の同じ「反日キャンペーン」に、正しくこたえることはできません。日本国と天皇の戦争責任をいっさい「棚上げ」したのは、対日講和と日米安保体制を作るために、英国の「一心同体の同盟国」米国自身が仕組んだ結果であり、そしてそれを当時の英国政府も当然のこととして是認したのだったのだ、という事実を。

 そのことをきちんとさせる、英国軍捕虜はもとより、多くの戦時捕虜、そして誰よりも、日本軍の侵略をうけ、多大の被害を受けた中国やその他の諸国の人々に謝罪と後始末の道を開く、ということは現在もますます重要です。

 でも、英国の元捕虜たちが「虐待」を叫んでいるのを聞くほどに、じゃあ、英国軍はことほど左様に「人道的」だったのでしょうか?そもそも英国軍がなぜ多数、東アジア各地に「駐屯」していたんでしょうか?19世紀来の英国の侵略と植民地支配の歴史に、どれだけの「謝罪」をしたんでしょうか?とも問いたくなります。「終戦」後、旧日本軍捕虜に英軍などがどのような「人道的扱い」をしたのか、私も、亡くなった父などから聞いたことがさまざまあります。ただ、日本が「戦敗国」であり、また米国の意図で、あらゆる「戦争責任」がうやむやになってしまったため、そして日本人は性懲りもないほど「米英大好き」なため、こうした数々の事実は、当事者たちとともに忘れられ、歴史の記憶から消されていってしまっているだけです。

 それを「そっちもやっているじゃないか」という「歴史相対論」で、また帳消しにしよう、というのが私の考えじゃないということは、以前にも書きました。物事はそれぞれ、きちんとさせるべきです。それとともに、そうした数々の犯罪、傷跡を残してきた、「戦争」という名の殺人・破壊行為をどのようにしてなくしていけるのか、それを真剣に考えることがだいじなのです。

 別の言い方をすれば、「捕虜虐待」という行為は、「住民虐待」とともに、殺人を正当化し、むしろ英雄視する戦争という行為の生み出す、その当事者たちの異常な神経のなせる技、と言えるのです。冷静に考えれば、目の前にいるのは同じ人間同士だ、その喜びや悲しみは、自分の喜びや悲しみでもある、その人間を憎んだり、傷つけ痛めつけ、殺したりしたいとは決して思わない、しかし「戦争」のもとでは、それを「敵」として、どんな残虐なやり方ででも殺したり、痛めつけたりしてでも平気になり、むしろそれにカタルシスを覚えるようになるのです。そして、自分の「戦友」が殺されたりすれば、そのことへの怒りや悲しみが、「敵」を同じ目に遭わせたいという憎しみへの起動力となり、悪循環のように「戦争心理」がひろがっていくのです。それこそが、戦争をおこし、これを指導する「政治家」「軍人」たちの望むところです。

 すでに抵抗するすべを失って「降伏」した捕虜たちに、この心理が一変して「人道的な」振る舞いをするようになるなどというのは、なかったとは言えなくても、むしろきわめてまれなことでしょう。そして、近代戦は総力戦であり、消耗戦です。憎悪と残虐性の心理を極限にまで高めることが、そのカギになっています。イラク戦争のように、「TVゲームのような画面」上で、ミサイルを操り、ボタン一つで、建物や要塞や戦車を一瞬のうちに「消し去る」ことができるようになったとしても、その実態が殺人・破壊であることになんの違いもありません。そして、当事者たちはそのことを、決して記憶の中から消し去ることはできません。


 ですから、第一次大戦以来、戦争は実は、数え切れないほどの「残虐行為」だけでなく、その残虐さに慣れ、自分自身を「殺人マシーン」に化してしまう異常な神経の高ぶりと、それと裏腹の、耐え難いほどの恐怖と緊張の連続と、まさしく人間の心の病のあらゆるものを、多くの人々に残してきました。むしろ、それで「正常」でいられる方がおかしいというものです。殺戮を行っているときの興奮状態、極限までの恐怖心が終わったとしても、戦場から戻っても、もはや多くの人の心は「平常心」には戻れません。そこまで神経が痛めつけられるのです。

 第一次大戦下に深刻な問題となった(将軍たちにとって)、「砲弾恐怖症」や「塹壕ノイローゼ」、これらは今度の「終戦80周年」にも関連して、TV番組にも取り上げられましたが、それは決して「異常な心理」でもなく、それ以来80年間、戦争のたびに、「正常な神経をもった」人々をおかしてきたのです。フォークランド戦争でも、イラク戦争でも、「味方の大きな犠牲なく」、「勝ち戦」を収めてきたはずの元兵士たちには、永久につきまとう、心の傷と病です。


 ちなみに、こうした心の病が社会全体に広がれば、戦争を始めるのもなにかと抵抗が大きく、政治家や将軍たちが困るわけですが、近代国家では、それを補うのに、「正義」とか「秩序」といったかけ声、「敵国」への憎しみをあおるメディアのキャンペーンのみならず、「戦争」の実態を覆い隠す、あらゆる古典的手段が今日までとられてきました。

 それはなにかと言えば、戦争が殺人であり、そこでの「死」がいかに残虐で惨憺たるもので、血も凍るものなのか、「英雄的」でも「美しく」もないものなのか、ということを、「平常な」市民の目から、万難を排して隠すことです。

 たとえば、過去100年近くの間に、数え切れないほどの「戦争映画」が作られ、映画館で、TVで、ほぼ全人類に繰り返し見せられてきました。それらでは、「戦死した」人間が実際にはもちろん演技だけで、映画を撮り終えたらみんなぴんぴんしているというばかりじゃなく、決定的な「嘘」があります。銃弾雨飛で、突撃する兵士たちが倒れる、それはせいぜい、胸に手を当ててばったりいくか、最近の「残酷リアリズム」で、胸から血(血の色に染めた絵の具)が噴き出すか、くらいのものです。でも、考えてみて下さい、みなさんの胸に実際に、直径1cm近くもある鉄と鉛の固まりが恐ろしい力で打ち込まれるのです。赤い液体がにじみ出すくらいのことで済むはずがないでしょうが。

 まして、いまの戦争じゃ、そんな銃弾が飛んで来るくらいのはむしろまれで、「基本」は砲弾、爆弾です。それが「当たれ」ば、人間の体は一瞬にしてその形をとどめません。直接あたらなくても、その破片や爆風で、しょせんヤワな人間の肉体は、切れ切れに引き裂かれ、飛び散るのみです。銃弾だって、第一次大戦当時の数十倍の「威力」がありますから、人間の頭部などちょっと当たっただけで、粉々に粉砕されてしまいます。これが、戦争の「実相」なのです。

 戦い終わって、戦場に多くの戦死者が横たわっているという、戦争映画おきまりの「場面」、ああ戦争は空しく、残酷だなあなんていうのは、ですから近代戦においては全くの嘘なのです。そこには、かつて人間であったという形をとどめない、その「残骸」や「部品」が散らばっている、という方が本当なのです。


 こんなところを、「平常心」でいた多くの人が目の前で経験したら、精神錯乱になることはあっても、容易に「またやろう」とは言いにくいでしょう。たとえ「映像」を通じてでも、それを見せられては、「戦争にいく」ことが英雄的だなんて、考える人間は絶対少数になるでしょう。

 こういうことがわかっていますから、現代の「プロパガンダの具」としてのマスコミは、「戦争映画」や「ドラマ」はもとより、実際の戦争や殺戮の「報道」からも、「死」の姿を消し去りました。もちろんそれは、「あまりに刺激的・衝撃的」で、多くの人々の目に触れるにはふさわしくない、という理由です。でも、「人の目に触れるべきじゃない」ことをあえて実際にやろうという方は、どうしてマスコミのキャンペーンの使命に入るのでしょうか?

 つまり、戦争における「死」というのは、酸鼻を極める大きな航空機事故など以上に惨憺たるものなのです。そうした大事故の「実相」ももちろん直接映像としては伝えられませんが、その場を目撃した言葉としては残ります。しかし、戦争の「死」の「目撃」は、遙かに規模が大きく、遙かに衝撃的なはずなのに、それをそのまま伝える「言葉」すら見いだすのが難しいほどです。


 よく知られているように、ベトナム戦争で「敗退」を余儀なくされた米軍は、その敗因が、「戦争目的」についての「国際的な孤立」と、戦場の悲惨な状況の報道(もちろん報道ばかりでなく、実際にそれを経験してきた多くの帰還兵たちの心の病と苦痛)にあったと考え、イラク戦争に当たっては、完全な「報道管制」を敷き、軍情報部の「指示」以外の映像などが流失しないよう、徹底した作戦をとりました。そのため、砂漠を「進撃」する、あるいは空母から続々飛び立つ米軍・同盟軍の姿と、ゲーム画面上に「hit!」とでるミサイルの命中画像しか映らず、へたな「戦争映画」以上に華麗なものでした。まあ、あんまりやりすぎたので、作り物めいた印象を残す結果にもなったのは皮肉ですが。

 でも、実際にはこの爆撃・砲撃で、数十万人のイラク兵士と市民が、粉々に飛び散り、黒こげになった骸として転がっていたのです。


 こうした「情報管理」の結果、生まれる皮肉のもう一つのものは、「人道的な戦争」という錯覚です。たとえばコソボのセルビア政府軍による(と言われる)虐殺死体を覆う布からはみ出る手足でも映れば、あるいはイェルサレムの街頭で爆発した爆弾で殺された子供の転がっていたあとの血の海でも映れば、「なんという残虐行為か」という恐怖と非難と憎しみをあおるのには効果的でしょう。でも、その復讐のために、爆撃しろ、ミサイルをぶち込め、テロリストを許すな、という絶叫キャンペーンのもとの意識にあるものは、キャンペーンする側も、それを受けとめる側も、せいぜい、イラク戦争並に、クルーズミサイルが「正確に」標的の戦車や要塞をとらえて粉砕する場面とか、「凶暴なテロリスト」が、映画「ダイ・ハード」の一場面のごとく、銃を構えて襲ってきて、一瞬のうちになぎ倒される場面くらいなのです。「やったやった」でしかないのです。

 まことに戦争は、「非人道的な残虐行為」「凶暴なテロ」をうち破る、「人道精神に満ちた」たたかいです。でも、そこには戦争の「死」の実態はまったく意識のそとにあるからこそ、こんなことを無責任にあおりあっていられるのです。


 イラク戦争以来、「イラク危機」が伝えられるたびに、また「サダムの非人道的な行為」が思い起こされるたびに、「イラク軍による、北部のクルド人地域への残虐な毒ガス攻撃」の現場の映像が繰り返し映し出されます。でも、ここにも大きな皮肉があります。こういう「映像」が意図的に使われているというだけではなく、この「残虐行為」が映像として記録され、何度でもTVニュースに出てこられるのは、毒ガスで殺された人々は、あたかも「戦争映画」のなかの「戦死者」のように、傷も血のりもなく、五体満足のまま青ざめて、「静かに」横たわっているのです。だから、「反フセイン・反イラク」キャンペーンとしての使用価値以上に、この場面は一般の放送での「使用を許される」という結果になりましょう。

 私は、毒ガスが砲弾より「人道的な兵器」だとか、「サダム・フセインはそんなに悪いことをやってはいない」などともちろん言っているのではありません。意図の有無を超えて、「戦争の実像」は、実は今日多くの人々が知らないものなのだ、ということなのです。少なくとも、Animal Rights 運動家たちが街頭で掲げている、「動物実験の犠牲にされているかわいそうな猫たち」の写真ほどには。

 「毒ガスで殺されたクルド人のこともたち」の映像に恐怖し、怒り、だから「危険で残虐なサダムをやっちまえ」と言うような短絡した反応と思考の様式は、100年来なんにも進歩のない、これからもさまざまな「大義」と理由のもとで、戦争を続けるであろう、そしてそのために、最新兵器の開発と生産と、軍備増強に余念がない、西欧社会の病を治すにはなんにも寄与しないものだということです。


 まこと、「映像」と「報道」は、決して「真実」を伝えないものです。


 英国が、そして米国とNATO軍が戦争を最大の手段とし、そのために兵士のみならず国民に憎しみや残虐性をあおり、一方ではそれに「人道」だの「正義」だののレッテルを貼り(200年来これは何も変わっていないのです)、殺人マシーンたちに「英雄」の称号を与え続ける限り、人類の心の病はますます根深いものになっていきます。いま、「動物の命を救う」ためには命をかけても、それどころか他人の生命を犠牲にしても、同じ「人間同士」の殺しあいをやめさせる方法にはもう関心を失い、戦争と戦争の道具を「必要悪」視して、「平和」の文字を辞書から消し去ってしまった西欧社会、かつては「平和」「反戦」を旗印にしていたのに、ソ連とワルシャワ同盟が消滅したら、そして「政権」の座に首尾よくついたら、ミサイルと戦車と大砲の列に感激している西欧「社民党」政治家、これに決して「人間らしい」未来はありません。


 このように、米国=NATO軍の使い走りに成り下がった西欧「社民党」の連中に比べ、不倫トンに「世界で初めて」、直接「どなんや」と問いただした、浪速の「ガツン」おばちゃん、えらいですねえ、こういう人間がまだ地球上にいるんですねえ。

 このおばちゃんが、CIAに誘拐され、洗脳されたりしないことを祈っております(間違っても、「筑紫」の方じゃない)。




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