●コニー・ウィリス『航路』概要その2(原書読了時に訳者が作成したレジュメを加筆修正しました)





【あらすじ】(第二部の最後から結末まで)

ネタを割っています! 未読の方はくれぐれもご注意ください。



(承前)

 臨死体験が脳のSOSなら、物理的な手段でそれを増幅することもできるはず。
 この知らせをリチャードに伝えようと、病院内を必死に走りまわるジョアンナ。だがリチャードは見つからない。そして、ヴィエルに協力を求めようとERに飛び込んだジョアンナは、ドラッグ中毒の患者にナイフで刺されてしまう。いまわのきわで必死にメッセージを伝えようとするジョアンナ。
「リチャードに伝えて……あれは……SOS」


 急転直下の第三部は、リチャード(およびメイジー)が視点人物となるパートと、ジョアンナの(本物の)臨死体験のパートで構成される。

 ナイフに動脈を切断されたジョアンナは、緊急救命処置の甲斐もなく出血多量で心停止に至る。ERに駆けつけ、それを知ったリチャードは錯乱状態の中で、従来の科学者的な立場をかなぐり捨て、ジョアンナを救出すべくタイタニック号に赴くことを決意する(疑似臨死体験のセッションでジョアンナがうっかりつぶやいた「沈みはじめたら助けにくるって約束して」という言葉がその伏線になっている)。
 残された時間は(脳死に至るまでの)四分から六分間。研究室に駆け戻ったリチャードは、べつのセッションに備えて待機していたティッシュに、ジテタミンを静脈注射してくれと命じる。 「追いかけていって連れもどすんだよ。ぼくがジョアンナを連れて帰る。急げ、時間がない。もういい自分でやる」  みずからの体内にジテタミンを注入し、(疑似)臨死体験に入るリチャード。

 超自然現象を許容する臨死体験小説なら、この決死のジョアンナ救出作戦がクライマックスになるところだが(一瞬、そういうどんでん返しさえ予感させる迫力がある)、そこはタイタニック号船内ではなく、もちろんリチャードがジョアンナに出会うこともない(リチャードが赴いた場所は、タイタニック乗客の家族が生存者名簿の発表を待つホワイトスター汽船の本社ビルだった)。絶望の崖っぷちに立たされたとき、人はどうしようもなく超自然的なもの(神であれ、来世であれ、迷信であれ)にすがってしまう。リチャードの行為は、むしろそうした人間の業の象徴として描かれる。

 臨死体験から意識を回復したリチャードは、すでにジョアンナの心停止から二時間が経過していることを知らされる。この時点で、ジョアンナの死はとりかえしのつかない客観的な事実として確定するが、心停止から数分間のジョアンナの臨死体験は小説の最後までくりかえし挿入されつづける(臨死体験中の主観時間が客観時間とは違うという伏線が生きてくる部分)。

 沈むはずのない豪華客船が突然あらわれた氷山に衝突して沈没した悲劇が、ジョアンナの非業の死に重ね合わされ、それまでに語られてきた無数のエピソードが重層的なメタファーとなって立体的に立ち上がってくる。


 一方、残された人々――リチャード、ヴィエル、キット、メイジー――の生活はつづく。
 病院を訪れ、「わたしもジョアンナに命を助けてもらったんです、あのまま暮らしていたらいつまで保ったかわかりませんでした」とリチャードに述懐するキット。

 リチャードは、キット、ヴィエル、メイジーと四人でチームを組み、ジョアンナが自分に伝えようとしたメッセージがなんだったのか突き止めるべく調査を開始する(彼は、「リチャードに伝えて、あれは――」といいかけたジョアンナが最後に「SOS」と助けを求めたのだと誤解している)。ジョアンナが最後の日、どこでだれと会い、なにをしていたかを再現するために、病院中の人々に話を聞き、コーマ・カールの家を訪ね、ひとつずつパズルのピースを集めていくリチャードたち。

 その間にも、9歳の少女メイジーの病状は刻一刻と悪化していく。重い心臓病を患うメイジーの命を救うには心臓移植手術しかないが、ドナーはなかなか現れない。今度心停止すれば蘇生するかどうかわからない。リチャードの研究が、娘の命を救う鍵になるのではないかと一縷の希望にすがるメイジーの母、ミセス・ネリス。ぼくの研究はまだそんな段階にはないと否定するリチャード(あくまで楽天的なミセス・ネリスと、彼女が書類手続きのために送り込んでくる弁護士や、緊急連絡用の特製ポケットベルが第三部のコミックリリーフになる)。

 つねに死の危険にさらされているメイジーは、死と向き合う彼女なりの方法として、歴史上の大災害のエピソード(ヴェスヴィオス火山の噴火、ヒンデンブルク号の事故、サーカステントの火災事件)を愛読している。大人も顔負けの皮肉を飛ばす、頭がよくておませなキャラクターだが、最後のパートではそのメイジーがジョアンナにかわって物語の核心になってゆく。

 最終的に、リチャードはジョアンナのメッセージを解読することに成功し、脳が発するSOSを増幅する治療手段の開発に着手する。
 その途上で、メイジーは四度目の心停止を経験し、臨死体験に入る。ハートフォードのサーカス火事の現場に赴くメイジー。炎上するテントの中で、エメット・ケリー(実在の著名な道化師で、サーカス火事の際にはおおぜいの子供の命を救った人物)と出会い、脱出ルートを教えてもらう(このエピソードも、ジョアンナとメイジーの会話が伏線になっている)。そして現実世界では、特製ポケットベルの呼び出しに応えて駆けつけたリチャードの尽力で、メイジーは間一髪蘇生し、無事、心臓移植の手術を受けることになる。ジョアンナが死の直前に発見した事実が、少女の命を救ったのだ。

 自分の命を省みず他人の命を救うために努力した人々の英雄的なエピソードが小説全体を通じて何度も登場するが、ジョアンナもまた、そうしたヒーローのひとりとなる(どうせ死ぬならだれかの命を救って死にたいと生前のジョアンナは語っている)。
 メイジーの命が助かったことで、小説は悲劇を乗り越え、一応のハッピーエンドを迎える。

 最後の一章は、ジョアンナの臨死体験。ミスター・ウォジャコフスキーが、沈んだとばかり思っていた空母ヨークタウンに奇蹟のように救助されたときの思い出話(「どんな船もいつかは沈む。だが、その日はちがった。その日はな。その日のヨークタウンは、いつまでも永遠に浮かびつづけるように見えた」)が不意打ちのように再登場し、(来世の実在を肯定はしないものの)ジョアンナの死にも救いを残す結末になっている。






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