●コニー・ウィリス『航路』概要(原書読了時に訳者が作成したレジュメを加筆修正しました)





【総評】

 臨死体験(NDE)をモチーフにした一種のメディカル・サスペンス。宮部みゆきが書いた『BRAIN VALLEY』(瀬名秀明)――と言えばあたらずといえども遠からずか。
 前半はウィリス十八番のシチュエーションコメディタッチで、男女の主人公と印象的な脇役たちが丹念に描かれる。ヒロインの認知心理学者ジョアンナ・ランダーがみずから実験台となりNDEを体験するまではゆったりしたペース。
 ジョアンナが疑似臨死体験で赴く場所が判明して以降は、「ほんとうに××××××なのか?」「だとすればなぜ××××××なのか?」を探るミステリっぽい展開。ついにジョアンナが真相をつきとめるクライマックスは圧倒的な迫力で、ページを繰る手ももどかしいスピード感にあふれている。
 小説の構造としては『ドゥームズデイ・ブック』に近いが、メタファーがテーマのひとつになっていることもあり、イメージが幾重にも重ね合わさり、奥行きの深さを感じさせる。臨死体験に関する仮説(ジョアンナが探し求めていた真実)自体はあっと驚くようなものではないが、そこにいたるまでの過程がみっちり書き込まれているため、非常に説得力がある。
 宗教的・超自然的な救済は完璧に否定されているが、絶望的な状況に置かれてもなお努力をあきらめない英雄的な行為を通じて、ヒューマニズムを高らかに謳いあげる。
 ウィリスは泣かせの技術でも定評のある作家だが、読者に感動を与える作品という意味ではまちがいなくこれが最高傑作だろう。

 粗筋だけ要約すると後半の展開はひたすら深刻に見えるが、実際には抱腹絶倒のエピソードも多数ちりばめられ、それほど重い印象はない(某大作映画を口を極めて罵倒したり、『フラットライナーズ』ネタが繰り返されたり、作中人物たちの映画談議も楽しい)。
 周到に張りめぐらされた伏線がひとつにまとまり、小説全体のテーマに統合されてゆく過
程は迫力満点。「臨死体験とはなにか?」という問いに対する解答がSF的なポイントになるが、大多数の読者は「感動の人間ドラマ」として読むだろう。現代の現実に密着した小説なので、『ドゥームズデイ・ブック』よりはるかに一般性は高く、ジャンルを超えてアピールする傑作だと思う。
 なお、擬似的な臨死体験を実現する薬剤ジテタミンと脳の活動をリアルタイムで記録するRIPTスキャンは架空の技術だが、それ以外の部分では、ほぼ現在の実在する技術や医学的知見が使われている。


【あらすじ】


*第一部のラストと第二部のラストにサプライズがあります。このあらすじでは結末までネタを割っていますので、未読の方はご注意ください。


 時は現代(作中には明示されていないが、日付と曜日から推定して2001年と思われる)。舞台はコロラド州デンヴァーの総合病院、マーシー・ジェネラル病院。
 認知心理学者のジョアンナ・ランダー博士が臨死体験者に聞き取り調査を行っている場面から物語は幕を開ける。
 臨死体験(NDE)とは、心停止後に蘇生した患者の6割が共通して訴える特異な体験のこと。立花隆の『臨死体験』(文春文庫)にもあるとおり、暗いトンネルを抜けるとまばゆい光が見え、死んだはずの家族や親戚が出迎える――というのが典型的なパターンで、天使や神を見たり、幽体離脱を体験したと報告する患者も少なくない。
 アメリカでは、「臨死体験こそ来世が実在する証拠である」と主張する宗教系/ニューエイジ系の本が現実にベストセラーになっているが(作中には、臨死体験を取材して全世界で一千万部以上を売り上げたノンフィクション作家、マンドレイクが一種の仇役として登場する)、心停止という異常事態に直面した脳がエンドルフィンをはじめとする各種のホルモンを分泌し、その結果、患者が見る幻覚が臨死体験である――と考えるのが医学的/科学的な立場。
 当然、ジョアンナは後者の立場に立って臨死体験を分析し、臨死体験者がなぜ同じようなイメージを見るのかを解明しようとしている。
 病院内にオフィスを持つジョアンナは、心停止の連絡があるたびに患者のもとに駆けつけ、蘇生後の回復を待って話を聞き、データを集めている。その彼女と真っ向から対立するのが、臨死体験に宗教的な意味を与えようとするマンドレイク。彼もまた、執筆中の第二作のために臨死体験者の証言を集めようとマーシー・ジェネラル病院に滞在中だが、誘導尋問によって自分に都合のいい回答を引き出す彼のやりかた(「トンネルの向こうに光が見えませんでしたか?」「そこに立っていたのはあなたがよく知っている人だったんじゃありませんか?」などなど)に、ジョアンナは激しく反発する。
 マンドレイクは、「臨死体験は超自然現象であり、死後の生が実在する証拠である」と見なすトンデモ派の象徴として描かれる(そのマンドレイクに感化されて、自分のNDEのディテールをどんどん「思い出して」しまう臨死体験者がミセス・ダヴェンポート。臨死体験が捏造されてゆく過程は徹底的に茶化されており、小説のラストでオチがつく)。
 小説の冒頭では、ジョアンナとマンドレイクのこうした対立を通じて、臨死体験の基礎知識が簡単に描かれる。

 次に登場するのが若い神経内科医のリチャード・ライト(小説はジョアンナ視点のパートの合間合間にリチャード視点のパートがはさみこまれるスタイルで進んでいく)。
 脳科学の立場から臨死体験を研究するリチャードは、臨死体験は死に直面した脳のサバイバル・メカニズムではないかと考えている。神経伝達物質の活動など、脳内の生化学的な変化を画像としてリアルタイムで記録するシステム(RIPTスキャンと呼ばれる架空の新技術)を使って研究を続けていたリチャードは、人体には無害な新開発の薬物ジテタミンが、被験者の脳に臨死体験そっくりの幻覚を誘発することを発見する。臨死体験が脳のサバイバル・メカニズムだとすれば、その仕組みを解明することで、心停止した患者の蘇生率を向上させることができるかもしれない。
 リチャードは、志願者に擬似的な臨死体験を引き起こし、その一部始終をRIPTスキャンに記録する実験プロジェクトを立ち上げたが、神経内科が専門の彼は、臨死体験そのものに関しては不案内。疑似NDEを体験した被験者の話を本物の臨死体験者のそれと比較対照できる共同研究者として、ジョアンナ・ランダー博士に白羽の矢を立てる。
 建て増しに建て増しを重ねて迷路のような構造になった病院内で起きるふたりのすれ違いと出会いの場面(自説を滔々と唱えつづけるマンドレイクに辟易して、改装中の階段にふたりして隠れているあいだに意気投合する)には、ウィリスのコメディエンヌぶりが遺憾なく発揮されている(病院内の雰囲気や人間関係はだいたいTVドラマの『ER』を想像すれば当たらずといえども遠からずか。ただし、建物は『ER』のシカゴ・カウンティ病院よりずっと古そう)。

 紆余曲折のあげく、ジョアンナはリチャードの研究に協力することになる。リチャードはすでに実験の被験者となることに同意した志願者を大勢集めていたが、ジョアンナが名前を細かくチェックした結果、マンドレイクの息のかかった志願者が次々に見つかる。その関門を通過した志願者も、いざ対面して応募動機や臨死体験に対する考えを聞いてみると、トンデモ系や電波系の不適格者が続出。
 実験がスタートしてからも、戦時中の体験をしゃべりまくる(しかもセッションのたびに話が違う)元海軍の老人とか、その反対にいくら質問しても返事が返ってこない極端に無口な男とか、やたら忙しくて全然予定が立たない上級階級の奥様とか、満足にデータがとれない被験者ばかり。最後の頼みの綱だった女子学生も、試験勉強が忙しいという理由でプロジェクトから抜けてしまう。
 こうなったら、ジェンナーばりに自分で実験台になるしかないと決意するリチャードだが、それならわたしのほうが適任だとジョアンナが被験者を買って出る。薬剤はまったく無害だし、自分で体験すれば聞き取り調査の手間も省ける。
 こうして、ジョアンナが疑似NDEを体験することになる。一回目のセッションでは暗いトンネルを歩く場面を体験したジョアンナだが、回を重ねるごとに様子が変わってくる。白い服を着た見知らぬ男女が言葉を交わしている場面がくりかえされ、しだいにディテールがはっきりしてくる。それがどこなのかわかる気がするのにどうしても思い出せないというジョアンナ。自分で行ったことはないけれど、たしかに知っている場所。いったいここはどこなのか?
 もうちょっとで思い出せそうなのに思い出せないというもどかしさで話をひっぱっていくのもウィリスらしい。この本筋のかたわら、ジョアンナの親友の看護婦ヴィエル(ERに勤務する世話焼きタイプ)や、早熟で元気な9歳の少女メイジー(重い心臓病で入院中だが、世界の災害を扱った本を山のように集めてベッドで読みふける災害おたくで、ジョアンナと会うたびに、ヒンデンブルクやポンペイやサーカス火事の話をたっぷり聞かせる)など、魅力的な脇役たちとのコミカルなエピソードが挿入される。


【以下、ネタバレ注意】


 臨死体験でくりかえし自分が訪れる場所は沈没間際のタイタニックだ――ジョアンナがついにそう気づくところで第一部は終了。

 第二部は、ジョアンナが超自然現象派に転んだと誤解したリチャードが激怒する場面からはじまる。もちろんジョアンナ自身はそれが本物のタイタニックだとは(霊魂が過去に遡って現実のタイタニックを訪れているとかそういうことは)まったく信じていない。脳の長期記憶の中からタイタニック沈没にまつわる情報が引き出され、再構成されているに違いない。「でもどうしてタイタニックだと確信できるのか?」と詰問するリチャード。ジョアンナは臨死体験で見る客船がタイタニックであることを確信しながらも、リチャードを納得させる証拠を集めるため、実験をくりかえす。

 同時に、自分の臨死体験がなぜタイタニックの悲劇として再構成されるのかを調べはじめたジョアンナは、高校時代の恩師、ブライアリー先生のことを思い出す。彼は英文学を教えるかたわら、授業中にくりかえしタイタニック事件の細かいエピソードに言及していた。ジョアンナは当時の記憶の糸をたぐり、ある授業の最後でブライアリー先生が発した一言が鍵だと確信する。だが、その一言がなんだったのかどうしても思い出せない。本人に確かめてみるしかないとブライアリー先生の居場所をさがしはじめるジョアンナ。
 しかし、ようやく探し当てた恩師は、アルツハイマー病を患い、昔のことをほとんど記憶していなかった。ジョアンナは、ミスター・ブライアリーと同居して献身的に面倒をみている姪のキット・ガーディナーと知り合い、意気投合する。
 伯父の看病で外出もままならないキットの境遇に同情したジョアンナは、病院の老人介護サービスを紹介し、ヴィエルとふたりでやっているディッシュ・ナイト(レンタルビデオを見ながらスナックを食べ、あれこれおしゃべるする会)に招待する。

 臨死体験にまつわる蘊蓄が会話のかたちで披露された第一部に対して、第二部はタイタニックにまつわる蘊蓄がメイン。ジョアンナ自身は自分で資料を調べるとそれに影響を受けてしまうおそれがあるため、メイジーやキットに頼んで、自分が疑似NDEで見たものが現実のタイタック号にあったかどうかを調べてもらう。
 調査の進展と並行して、ジョアンナが臨死体験で見るタイタニックのディテールは細かくなり、(主観的な)滞在時間も長くなってゆく(現実のタイタニックではないから、心臓発作で死亡した臨死体験者が船内でアスレチックに励んでいたりする)。
 このへんの展開は歴史ミステリっぽい感じだが、結婚式当日に交通事故死したキットの婚約者のエピソードやメイジーの病状の悪化、臨場感たっぷりに描かれるタイタニックの悲劇、ERで頻発する傷害事件(流行のドラッグを過剰摂取してかつぎこまれた患者が病院スタッフに凶器をふるう事件が頻発し、ジョアンナの親友のヴィエルも銃撃されて軽傷を負う)、昏睡状態がつづく患者(コーマ・カールと呼ばれている)の話などが重層的に組み合わさり、破局に向かって突き進むローラーコースターノベルの趣き。さりげないセリフを何度も繰り返すことで雰囲気を盛り上げていくのもウィリスお得意の手法だ。

 なにかに取り憑かれたようにタイタニックの悲劇にのめり込んでゆくジョアンナと、被験者の脳のスキャンデータに没頭するリチャードとのすれ違い。カタストロフの予感……。

 そしてあるとき、ブライアリー先生の自宅を訪ねたジョアンナの前で、アルツハイマー病の元教師は、唐突に十年前の授業を再演しはじめる。英文学史上の古典を縦横無尽に引用しながらメタファーについて語るブライアリー。文学とは無関係のタイタニックの悲劇を、なぜ彼がしじゅう授業で引き合いに出すのか。それは、タイタニックが死そのものの鏡像、死の完璧なメタファーだからだ……。
 死の真実に直面し愕然とするジョアンナ。臨死体験は死を受け入れやすくするためのものではなく、死の鏡像だったのだ。人間の肉体は一瞬で死を迎えるわけではない。心停止後も身体の各部はまだ生きている。タイタニックの沈没が確定したあとも、それに気づかない乗客や、なんとか一人でも多くの命を助けようと絶望的な努力を続ける乗客がいたように、死はゆるやかに訪れる。そこに救いの入る余地はない。
 しかし、だとすれば、タイタニックは臨死体験における普遍的なイメージなのかもしれない。心臓発作でERに担ぎ込まれた男がいまわのきわに「彼女は遠すぎる。遠すぎて間に合わない」「五十八」と言い残す現場に立ち会い(第一部)、その言葉の意味をずっと考えつづけていたジョアンナは、タイタニック沈没時、救助にやってきたが間に合わなかった船(カルパチア号)が五十八マイル離れた海にいたことを知る。彼もまたタイタニックにいたのか? 自分だけではなく、すべての死者がタイタニックに赴く運命なのか?
 ジョアンナは臨死体験者の聞き取り調査記録をあらためてチェックするが、タイタニックとはどうしても結びつかないイメージ(霧や煙)に出くわして途方に暮れる。すべての臨死体験に共通するつながりとはなんなのか?
 そのとき、コーマ・カールが長い昏睡状態から奇跡的に回復したという連絡が入る。看護婦や医師の目を盗んでカールと対面したジョアンナは、昏睡中の話を聞く。カールは西部の平原を孤独にさまよう光景を見ていた。狼煙を使って合図を送ることに成功した瞬間、カールは目覚めたという。このとき、ジョアンナは臨死体験の意味をついにさとる。
 臨死体験は、心停止という緊急事態に直面した脳が身体のあらゆる方向めがけて送り出す救難信号、脳のSOSなのだ。沈没しかけたタイタニックの無線技師が最後までSOSを発信しつづけたように、死に瀕した脳はあらゆる神経伝達物質を使ってあちこちに合図を送り、ふたたび心臓を動かそうと必死に努力する。その過程で心がそれを臨死体験のイメージに翻訳してしまうのだ。「文学はメッセージだ」というブライアリー先生の言葉が脳裡に甦る。そう、臨死体験もメッセージだったのだ。

 臨死体験が脳のSOSなら、物理的な手段でそれを増幅することもできるはず。この知らせをリチャードに伝えようと、迷路のような病院内を必死に走りまわるジョアンナ。だがリチャードは見つからない。いったいどこへ行ってしまったのか……。

【ここから先は近日公開予定】→公開しました。

「読み終わったがもう一度ストーリーを確認したい」「こんな長い本は一生読まないが、話の内容は押さえておきたい」「筋がわかったからといってつまらなくなるような小説はそもそもくだらない」などとお考えのかたはこちらをどうぞ。
●『航路』第三部あらすじ







【『航路』登場人物表】

ジョアンナ・ランダー 認知心理学者。本書の主人公。
リチャード・ライト 神経内科医。本書の副主人公。
ヴィエル・ハワード ER勤務のベテラン看護婦。ジョアンナの親友。
メイジー・ネリス 心筋症で入院中の少女(九歳ぐらい)。
ミセス・ネリス メイジーの母親。ポジティヴ・シンキングの女王。
モーリス・マンドレイク 臨死体験本でベストセラーを飛ばしたノンフィクション作家。
ミセス・ダヴェンポート マーシー・ジェネラル病院の内科に入院中の臨死体験者。
ブライアリー先生 アルツハイマー病を患う元英語教師。ジョアンナの高校時代の恩師。
キット・ガーディナー ブライアリー先生ど同居する姪。
ティッシュ・ヴァンダーベック マーシー・ジェネラル病院内科勤務の看護婦。
グレッグ・メノッティ 心臓発作で死亡した三十四歳の男性
アミーリア・タナカ 医進課程の女子学生。プロジェクトの被験者。
ミスター・ウォジャコフスキー 老人ホームで暮らす自称・元海軍の退役軍人。プロジェクトの被験者。
ミスター・セイジ 溶接工。プロジェクトの被験者。
ミスター・ピアソル 保険代理人。プロジェクトの被験者。
ミセス・トラウトハイム 牧場暮らしの老婦人。プロジェクトの被験者。
グァーダループ マーシー・ジェネラル病院東棟5階勤務の看護婦。
ミセス・ウーラム 心臓病で入院中の老婦人。八回を超える臨死体験歴の持ち主。
カール・アスピノール 脳脊髄炎で昏睡状態に陥り、マーシー・ジェネラルに入院中の患者
アイリーン マーシー・ジェネラル病院内科の病棟主任看護婦。
バーバラ マーシー・ジェネラル病院小児科の看護婦。
ニーナ マーシー・ジェネラル病院ER勤務の看護助手。
ピーター・デイヴィス リチャードのインターン時代のルームメイト。



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