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<内容と結果>

 そのときに国連の明石のおっちゃん(国連のカンボジアでの代表だ)がとった手段が、放送局を作ってラジオでカンボジア人を教育しようというものだった。それに必要な多数のラジオは、世界中から急きょ寄付でもって集めるというものだった。あちこちの団体にたのんだらしい。そんなわけで、日本でも有名な政党&団体がラジオの募集を開始した(もち創価学会も!)。いっとき駅や街頭で『カンボジアにいらなくなったラジオを寄付してください!』というキャンペーンが続けられたのだ。

決意する明石氏
(国連のカンボジアでの代表)


 しかし、何かで街頭募金をやったことのある人ならわかるだろうが、意外と集まらないものなのである!(私など別の活動で街頭募金に立った時に、友人に『あとで自分のラーメン代に変わってるんじゃないか?』と冷やかされたが、ふつう半日、繁華街に立っていてもラーメン代ほども集まらないもんなのだ。世の中って、もう。)ましてやラジオの募集なんて思うほど簡単じゃないんだよ!
結局、学会が28万台(283,889台)集めた。しかし他の色んな団体では、あまり集まらなかったようだ。例えば、当時の大政党だった社会党が大々的にやって集めた数は5千台〜6千台なのだ。(社会党の発表による。)当時の社会党は創価学会以上の巨大な組織力を誇っていたのに! あんなに多数の国会議員を選出していたのに。(今の社民党とは違うのだ!)  国連のUNTAC広報・教育局長 ティモシー・カーニー氏は、『いろいろなところにラジオの収集をお願いした。快く引き受けてくれた所もあった。しかし、行動と結果で示してくれたのは創価学会だけです。』と語った。
各団体ともがんばったのに、なぜか?


 そりゃそうだ。
 いらないラジオぐらいどこの家にもあったりするけど、例えば、ある人が、梅田(大阪だよ)に行ったときにラジオの街頭募集をやっていて、その運動を快く思ったとして、いったい、わざわざラジオを取りに電車で家に帰って、また持ってくるだろうか??? 普通はそんなことはない。もし次の機会にはラジオを持って来ようとしても、いつまでボランティアがそこのところで募集してるかなどわかったもんじゃない。
 もちろんこれがもっと長期間であれば、どこの団体でも集められただろう。しかし残念ながら、実質、数ヵ月というごく短期間だったのだ。それほど急を要していたのだ。とにかくこういう期間でラジオを集めるなど、よほどの情熱と勇気ある行動が必要だったのだ。かくして、学会が街頭および知人から集めた分の280,000台のラジオはカンボジアに船で数回に分けて送られた。(どうやって送ったかは知らないが、大きめの段ボール箱に入れても何万箱という大荷物だ。)

 では実際に学会以外にはどれだけ集めたのだろうか。私も調べてみたのだが、ほとんどそういう数値にはめぐりあわなかった。国連が発行している白書(ブルーブックス)、『The United Nations and Cambodia (下記にて入手可能)』にも公表していない。

どこも公表していないのかもしれない。なぜなのだろうか? 学会とはなんの関係もないカンボジアの識者の話では、『全部で数万もないだろう』ということであった。まさに上の国連の広報の人の発言のそのままなようだ。
もちろん、たとえ数個のラジオを集めた団体だって、がんばったんだし、尊いと思う。しかしそれだけでは...。つまり、カンボジアへのラジオ支援は学会無くしてはなり立たなかった。
 そんな運動知らないって?ごもっとも。世間で日の目を見はじめれば、どこの団体でも動こうとする人はいっぱいいるんだよ。誰にでもできる簡単そうに見える運動だが、いざという時に必要としている人のためにすぐに行動を起こせるかどうかなのだ。それが大事なのだと思う。そして結局、このラジオの寄付は大きく貢献したのだ。先程の国連の広報の人とは別の、選挙部門を統括したレジナルド・オースティン部長は、インタビューに応えて「カンボジアの国民選挙はラジオ放送に支えられた」と語ったことが全てを物語っている。(参考文献 注1)

 ところで学会が集めた280,000台がどれほど役にたったのだろう?28万台は、日本にとっては国勢を左右する数ではないと思うかもしれない。しかしそうではないのだ。当時のカンボジアの人口が約650〜880万人(数える人によって違うらしい。)。登録された有権者は476万人。世帯数などわかりようがないが、少なめに見積もって平均1世帯5人として、130〜180万所帯だ。ラジオは、必要な地域に集中して配られたらしいので都市部では見かけなかったかもしれないが、平均して28万台という数はカンボジア中の世帯の1/4〜1/6をささえる数となる。1つの村どころか、4〜6家に1つの割合で配布されている。情報手段としては十分に行き渡ったといってよいだろう。そしてこれが彼らにとっては唯一のリアルタイムな情報源であったのだ。
 しかし、『カンボジアの選挙は失敗』という人がいた。日本の識者の弁が冷たかったのには閉口した。『そんなラジオなんか何すんじゃい!』というかんじだった。(私は忘れちゃいない!)
『ラジオなんてもらったって、カンボジアの人は貧しいから、すぐに売ってしまうだろう。』とか言っていた。もし、下のような現地での映像などをみれば、そんな発言も出てこないのであろうが。特に日本の一般紙の報道を見ている限り、選挙はカンボジア人に積極的に受け入れられるものではなく、意味のある選挙としては失敗が濃厚になっていったという感じしかまったく受け取れなかった。


配布されたラジオに喜ぶおばちゃん

 さらに、選挙では、敗色濃厚となったカンボジアのポルポト派が、投票所の武力襲撃による妨害を宣言した。投票所にいく人は、命を失う可能性まで出てきたのだ。
日本のインテリは、『まさか字も読めないカンボジア人が、命を落としてまでは投票所には行かんだろ。』と思っていたようだ。
世界が見つめる中、投票の日が来た。いったい結果はどうだったのか?

 ・・・我々のやったことは無駄になったのか?




 
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